和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心25/小説「新・人間革命」

2015年05月28日 11時30分41秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月28日(木)より転載】

【革心25】

 九月十二日の夜、山本伸一たち訪中団一行は、雑技団の公演に招待された。雑技は、曲芸などを行うもので、上海の雑技団の高い技術は、よく知られている。

 何本もの棒の先で皿を回したり、額の上に大きな扇を立てたまま踊ったり、難度の高い、華麗な演技に会場は沸き返った。

 伸一は、上海の雑技団も、いつか民音(民主音楽協会の略称)で招聘し、日本で友好のシンボルとして公演できるようにしたいと、強く思った。

 翌十三日午前、伸一は、創価大学の創立者として、復旦大学を訪問した。一九七五年(昭和五十年)に引き続き、教育交流の一環として、図書を贈呈するためである。

 伸一の一行が、贈呈式の会場となる物理館の前で車を降りると、学生や教員たちが大拍手で迎えてくれた。

 玄関には、中国の正装である中山服に身を包んだ、小柄な蘇歩青学長の笑みがあった。彫りの深い顔に刻まれた幾筋もの皺が、蛍雪の年輪を感じさせた。初対面であったが、温かい眼差しに旧知のような親しみを覚えた。

 「ようこそ、復旦大学へおいでくださいました。お待ちしておりました」

 こう言って差し出された学長の手を、伸一は、「お世話になります。お会いできて嬉しいです」と言いながら、強く握り締めた。

 蘇学長は、微分幾何学の世界的な大家であり、一九一九年(大正八年)から十二年間、日本に留学している。東京工業高等学校(後の東京工業大学)を卒業後、東北帝国大学(後の東北大学)の理学部数学科に進み、理学博士の学位を取得。現代中国の数学界の基礎を築いた一人である。

 名声ゆえに、文化大革命の時には、“ブルジョア”“反革命”とされて、吊し上げられた。その嵐がようやく収まり、この七八年(昭和五十三年)、学長に就任したのだ。

 「真実はつねに迫害を克服する」(注)とは、フランスの思想家ボルテールの言葉である。

 伸一は、中国の未来に明るい兆しを感じた。


■引用文献
 注 ヴォルテール著『哲学辞典』高橋安光訳、法政大学出版局


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