和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

:革心10/小説「新・人間革命」

2015年05月11日 08時32分07秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月11日(月)より転載】



【革心10】

 錦江飯店での交歓の席で、山本伸一は、中国人民対外友好協会上海市分会の責任者である孟波に笑顔を向けた。孟波は一昨年、「中国上海京劇団」の副団長として来日していた。

 伸一は、その折、信濃町の聖教新聞社と八王子市の創価大学で、彼と交流する機会があった。創価大学では、体育館で行われた京劇団の公演も鑑賞した。さらに、同大学のグラウンドでの青年部ら五万人による歓迎大集会にも出席し、青年たちと共に一行を迎えた。

 歓迎大集会で伸一は、京劇団の一人ひとりと握手し、副団長の孟波とも言葉を交わした。そして、この大集会のあいさつで、「日中平和友好条約」の早期締結を訴え、日中の“金の橋”を未来永遠に輝かせていくためにも、文化・教育交流に、ますます力を注いでいきたいと語ったのである。

 二年ぶりの再会であった。孟波は言った。

 「一昨年の日本公演の際に、五万人もの青年たちに歓迎していただいたことは、忘れられない思い出です。また、何よりも、山本先生が訴えておられた、平和友好条約がいよいよ実現することになりました。感慨無量です」

 伸一は、ニッコリと頷いて、語った。

 「これからが、本格的な友好の流れをつくる時代です。いよいよ、本当の意味での“友誼の時代”が来たんです。私のあとには、私と同じ心をもつ、多くの若い世代が続いています。開きましょう、悠久の友好の大河を!」

 孟波は微笑を浮かべた。

 「山本先生は、二年前よりも、お若くなられたような気がします。大変に情熱的です」

 「ありがたいお言葉です。私たちは、永遠の青年でいこうではありませんか!」

 笑いが広がった。語らいは弾んだ。

 会う人の多くが旧知の間柄であり、友人であった。伸一は、初訪中の時、同行メンバーが緊張しきった顔で中国入りしたことが、まるで嘘のように思えるのである。

 知り合い、対話し、友好の絆で結ばれるならば、人と人との関係は一変する。友人になることは、心を結び合うことである。


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