和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

法旗(四十八)小説「新 ・人間革命」

2013年01月30日 12時05分20秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)1月30日(水)より転載】


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法旗48(1/30)
 岩田サワが戸田城聖と会った三カ月後の一九五六年(昭和三十一年)の八月、大阪支部松山地区が結成された。
岩田は地区担当員の任命を受けた。


 このころ、彼女は、医師から粟粒結核症が全快したと告げられた。
その喜びは、広宣流布への新たな活力となった。


 岩田は、洋裁の収入では生活が思うに任せないことから、市内の繁華街に店舗を借りて、ウドン屋を始めた。
地の利もあり、努力の甲斐があって、味もよく、店は繁盛した。


 ところが、早朝六時から深夜の十二時まで働かねばならず、学会活動の時間が思うように取れなくなってしまった。


 地区員は、愛媛県全域に散在している。
どう激励の手を差し伸べるか、悩んだ。
人を雇うなどしながら、工夫に工夫を重ねた。
彼女が心に決めていたことは、“仕事がどんなに忙しくなろうが、学会活動からは、一歩も引くまい”ということであった。


 大事なことは、広宣流布に生き抜く決意である。
心を定めることである。
そこから、さまざまな創意工夫が生まれ、不可能と思えたことを可能にしていく道が開かれるのだ。


 彼女は、遠くに居住し、なかなか会いに行くことができない人には、こまめに手紙を書いた。
店がいくらか暇になるのを待って、活動に飛び出し、また戻って来るという毎日であった。
朝から晩まで、自由に学会活動に飛び回れる人がうらやましかった。


 五七年(同三十二年)十月、彼女は、地区担当員兼任で大阪支部の常任委員の任命を受けた。支部のある大阪に通う頻度も高くなった。
多忙さは増した。


 そこに、また新しい悩みがもち上がった。
家主から、「土地の売却が決まったので、立ち退いてほしい」と言われたのだ。


 彼女は、困惑した。
今の家は、家賃はただ同然であり、しかも間数も多く、庭も広かった。
座談会等の会場としても提供してきた。
この家があったからこそ、地域の広宣流布も進んできたといってよい。



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