和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

奮迅23/小説「新 ・人間革命」

2013年05月30日 07時24分03秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)5月30日(木)より転載】

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奮迅23(5/30)
 「善と悪のあいだには一瞬の休戦もない」(注)とは、十九世紀のアメリカの思想家ソローの箴言である。

 広宣流布の活動は、仏の軍と魔軍との熾烈な攻防戦である。
ひとたび戦いを起こしながら、油断し、手を抜けば、悪の跳梁を許してしまい、待っているのは敗北である。
ゆえに、全力で戦い続ける以外にない。

 山本伸一は、二月に入ってからも、広布第二章の「支部制」を軌道に乗せるために、矢継ぎ早に手を打ち続けた。

 学会の草創期を担ってきた先輩幹部たちが、支部長をいかに支えるかに、勝敗の大きなカギがあると考えた彼は、そのメンバーの集いにも、万難を排して出席するようにしていた。

 二月九日には、草創の足立支部出身者の代表からなる「足立会」の初会合に臨んだ。 

 草創の十二支部が一九五一年(昭和二十六年)四月にスタートした時、世帯数や実績に基づき、各支部はA級、B級、C級に分けられた。
当時、足立はB級であり、この年の十二月末時点での会員世帯数は五百であった。
それに対して、たとえばA級の小岩支部は千世帯を超えている。

 しかし、足立支部は着実に弘教の力をつけ、それから一年半後の五三年(同二十八年)六月には四千二百世帯を超え、大支部に発展していた。
さらに、五七年(同三十二年)三月には“弘教日本一”の栄冠に輝くのである。


 ――その栄光の歴史を刻んだ足立支部の、初代支部長・婦人部長が、藤川秀吉・多恵夫妻であった。

 秀吉は、かつてタクシー会社を営んでいたが、戦争の激化とともにガソリンの入手が困難になったために、やむなく会社を整理し、溶接業を始めた。
だが、ほどなく、彼に召集令状が届いた。
年老いた父母と三人が暮らしていくために、妻の多恵は、夫に代わって溶接業を受け継ぐことになった。
といっても、入営直前に、器具の扱いや溶接の仕方を、たった一日、教わっただけであった。


※ 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 ソロー著『森の生活』飯田実訳、 岩波書店



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