和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

草蜉蝣(くさかげろう)/今日の俳句 ≪第1889号≫

2015年09月08日 06時24分55秒 | 今日の俳句
  草かげろふ吹かれ曲がりし翅のまゝ
       中村草田男


  離れては又来てとまる草蜉蝣
       藤間雅童


  草かげろふのごとく居て良夜かな
       飯田龍太


  草かげろふ小月光に舞ひ出でにけり
       森田 峠


  僧行きて草かげろふをたたしめぬ
       早野麦丘人




※ 脈翅目クサカゲロウ科。体長一センチ(約三分)内外。ウスバカゲロウよりもはるかに小さい。からだは緑色、羽は透明で、成虫は七、八月ごろ、おもに山地に出現する。
 幼虫も成虫も植物特に草の上にすみ、アブラムシ(ありまき)・キジラミ・カイガラムシ・ダニその他の害虫をさかんに捕食し、農業・林業上きわめて有益である。優曇華はこの虫の卵である。
→優曇華(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】





     ※わが友に贈る※


 わが地区の青年を
 新時代の人材に!
 皆で真剣に祈り
 励ましを送ろう!
 後継者こそ最大の宝だ!

   「2015年9月8日」



     ※☆*寸 鉄*☆※


「原水爆禁止宣言の日」。核兵器は絶対悪!恩師の遺訓は今、世界の潮流に
        ◇
宮崎の日。友の行進は昇る太陽の如く。大誠実の対話で幸福の光を拡大
        ◇
「人目をも・はばからず命をも・おしまず」御書。信心一徹の人に功徳厳然
        ◇
学会の役職は「責任職」。同志の為に真剣勝負で!そこに自身の境涯革命が
        ◇
高校生の就職活動開始。求人は増加傾向と。挑戦の友よチャンスを生かせ



     ※名字の言※


初めて信仰の話を聞いた時の率直な感想を、新入会の男子部員が語っていた。「洗脳されるんじゃないかって身構えていました」。誤解はすぐに解けたが、「宗教」と聞いただけで、そう思ってしまったそうだ

一昨年の内閣府調査で、“宗教が心の支えになっている”と答えた日本の若者は18・4%。調査対象の7カ国で最も低かった。日本人の多くが自らを「無宗教」と考え、「宗教はどれも同じ」と言う人もいる

最新の「宗教年鑑」によれば、国内の宗教団体は22万にも上る。信者数の累計は約1億9千万人で、人口の1・5倍になる。こうした傾向を見て、日本人は宗教に寛容というより無自覚なのでは、との指摘もある

信教の自由は人間の権利だが、宗教の中身には高低浅深がある。日本人は、その点にもっと自覚的であっていい。宗教を見極める基準について、池田名誉会長が米ハーバード大学での講演(1993年)で言及している。「宗教をもつことが人間を強くするのか弱くするのか、善くするのか悪くするのか、賢くするのか愚かにするのか、という判断を誤ってはならない」と

信ずるに値する信仰とは何かーー私たちが日々取り組む対話は、日本の精神土壌を耕す。“宗教革命”でもある。(険)

【聖教新聞:2015年9月8日(火)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

     第2章  生命論

 (4)修羅界

 修羅とは、もともとは阿修羅といい、争いを好む古代インドの神の名です。
 自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする「勝他の念」を強くもっているのが修羅界の特徴です。
 他者と自分を比べて、自分が優れて他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他を軽んじます。そして、他者の方が優れていると思う場合でも、他者を尊敬する心を起こすことができません。また、本当に自分よりも強いものと出会ったときには、卑屈になって諂うものです。
 自分をいかにも優れたものに見せようと虚像をつくるために、表面上は人格者や善人をよそおい、謙虚なそぶりすら見せることもありますが、内面では自分より優れたものに対する妬みと悔しさに満ちています。このように内面と外面が異なり、心に裏表があるのも修羅界の特徴です。
 ゆえに、大聖人は「諂曲(てんごく)なるは修羅」と説かれています。「諂曲」とは自身の本音を隠して相手に迎合していくことです。「諂」は「へつらう、あざむく」という意味で、「曲」は「道理を曲げて従う」ということです。
 修羅界は、貪瞋癡の三毒(貪り、瞋り、癡かという三つの根本的な煩悩)にふりまわされる地獄・餓鬼・畜生の三悪道と異なり、自分の意思で行動を決めている分だけ、三悪道を超えているといえます。
 しかし、根本は苦しみを伴う不幸な境涯なので、三悪道に修羅界を加えて「四悪趣」ともいいます。

   



           

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