和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

勇将28・小説「新 ・人間革命」

2013年03月16日 06時12分19秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)3月16日(土)より転載】



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勇将28(3/16)

 長野栄太は、医師という立場から、ハンセン病に対する人びとの誤解を解くとともに、入所者の社会復帰を図るために、さまざまな努力を重ねてきた。
その一方で、慈悲の医学の実践者として“同苦”の心を培っていこうと、真剣に信心に励んできた。

 彼は、大島青松園に赴任した翌年の一九七六年(昭和五十一年)夏、やがて四国研修道場ができることになる香川県・庵治町に、高松市から転居した。
翌年九月に男子部から壮年部に移行し、三十三歳で庵治の総ブロック長になったのである。

 総ブロック長としての出発となる壮年の会合は、大盛況であった。
部員数の八割近い壮年が集って来た。ほぼ全員が、自分よりも年上である。
長野は、「私は、皆さんに仕えていくつもりで、全力で活動に取り組んでまいります!」と元気にあいさつし、拍手に包まれた。好調なスタートであると思った。

 しかし、次の会合から、参加者は激減した。

 “あれだけいた人が、どこに消えてしまったのか”――その思いを、年配の大ブロック長(現在の地区部長)に漏らすと、すぐに答えが返ってきた。

 「前の会合に皆が来たんはな、総ブロック長が若いのに代わったと聞いて、どんな男か、顔を見に来ただけやけんの」

 愕然として、大ブロック長に尋ねた。

 「どうすれば、いいんでしょうか」

 「長野さんは、総ブロック長になって、何人の人と会うたんかのー」

 思わず言葉に詰まった。ほとんど、激励に回ってはいなかったからだ。

 「回らんと、人は集まらん。人と会うのが、学会活動の基本やし、仏道修行じゃないんかのー。
自分は、十年間かかって、大ブロックで十数人の壮年が集まるようになったけんの。
これからは、あんたがどんだけ回って、何人の人と会うて、人材を育てていくかやの」

 その言葉が、胸に突き刺さった。

 “その通りだ。よし、仏道修行をして、自分を磨こう!”と決意した。


   
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