FIFAワールドカップ2010の日本代表の闘いは終わった。
その終焉は、ある意味、『あっけなかった』。
手に汗握るPK戦は、終了した瞬間に、闘った2チームに、残酷なまでに”喜”と”哀”の両極端な現実を突きつける。
駒野選手が外した瞬間は、とても辛かった。負けが決った瞬間はとても悲しかった。
でも、ロベルト・バッジョだって外した。それも決勝の最期のキッカーとして。
オヤジはコウスケと一緒に、日本vsパラグアイの試合をテレビでみた。
試合は0-0で終盤を迎えた。
選手交代しながら、日本代表は1点を目指していた。
最後の選手交代として岡田監督は、玉田を投入した。至極、現実的で、順当に思えた。
でも交代選手がテレビでを通じて告げられる前に、コウスケはこう言った。
「ここは岩政を入れる。そして闘莉王をトップにする。」
オヤジはびっくりした。
『そうか、その手があったか!』
玉田はシュートチャンスにシュートせず、パスを選択した。更には、パスは味方へは繋がらなかった。
結果はどうなったか判らないが、”岩政投入、トップに闘莉王”が正解に思えた。
もしそうなったとしたら、”『日本敗退』の日本中の悔い”が軽減されたかもしれない。
コウスケ監督の選手交代は、重い扉を開いたかもしれない。
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いや、たいていの人はその手や他の手(森本)しか思い浮かべていませんでしたが。
そしてその交代を見て皆テンション下がった。。。
面白いアイデアですね。コウスケ君にとってトゥーリオは何かを起こす可能性の高い選手なんだろうと思います。僕はあの場面、駒野が守備に追われてオーバー出来るスタミナが残っていない気がしていたので、内田の投入を熱望していました。今大会、守備に重点を置いた岡田監督のシステムに、駒野よりも守備では劣る内田の出場は残念ながらありませんでした。(SONYのCMを見る度、切なかったですね。)
またダブルボランチの下にアンカーを置くという思い切った布陣で世界相手にも良い結果は残せましたし、ボロ負けは1度もありませんでした。ただ、FWを置けなかったし、あのようなリアクションサッカーではあそこ止まりだと思います。中盤の選手は世界に通用していました。今後の日本は、やはり『ストライカーの育成』が最重要課題である事ははっきりしましたよね。
今週末は選抜チーム初の呑み会のようですが、行かれますか?皆さんと楽しくサッカー談議が出来ると今からワクワクしています。(^^
ご来場ありがとうございます。
正直なところ、日本代表のPK負けはとても残念でした。どうしてもあと1試合させてあげたかった。フェアな言い方をすれば、スペイン(その時点では、あるいはポルトガル)との闘いを観たかったというのが、本音です。
ガチンコで勝ちにくるスペインにどれぐらいまで”やられる”のかを検証しておきたかったと思いました。
でもPKは怖いものです。記事にも書きましたが、ロベルト・バッジョも中田英寿も、あのプラティニだって大事な場面で外しているのですから・・・・・。
さあ、これから暫くは、息子たちのサッカーやフットサルで楽しませてもらうことにしましょう。
勿論、今週末の懇親会へは出席します。サッカー談義に花を咲かせましょう!では10日に・・・・。