ひとりの人として、どう生き、どういう社会や他人との関わり方を持ち、なにが愉しくて生きるのか?
自分自身の、生きてる意味を、しっかりと確認出来て日常を生きてる大人なんて、そんなにたくさんいやしないのがほんとうだ。
ただただ時計の針に急かされて、他人や組織に急かされて、仕方なくロボットのように動いてるだけ。
地球や宇宙とともに、生きる、これが出来るには、なににも拠らない自営しかない。
ただガキの頃から自営を目指して生きて居らねば、チョイと組織人に疲れたからでは、自由な自営など出来るもんでもない。
若い頃からその準備もナニもしてない奴らが、時間とゼニカネが手に入ったからとやる自営なんざ、サラリーマンの延長経営者でしかなく、なんの意味も無い。
そういう自営業者も、腐るほどいる。
オツムに自由さがまるでない偏った自由人を称するド阿呆は仰山おるが、学者や評論家、政治家なんかとおなじで、その偏向ぶりは吉本新喜劇並みに滑稽なだけ。
・・・良いこと言ってはおるがの、その日常生活の価値観は間抜けな神経質、やっぱり阿呆やな
そういう偉そうな大人は特にメディアでは、素晴らしい扱いを受けて木に登っておる。
専門家や、細分化、一芸に秀でてるだけで勲章を貰えた時代は、過去のモノだ。
世界の今が、なにも見えてないことには、変わりない。
登山や遠泳は、なにも別にたいしたことでもなく、日本人ならば普通に身についてる遊びだろう。
いちいち教室や先生や、指南書やガイドブックなどなくても、誰でもガキの頃からやってて当たり前の遊びだ。
その当たり前のことをやらない現代人が、エエ歳こいて遭難や事故を繰り返してるのも、お笑いか。
・・・あんたは相当に変わってるから、ナニを聞いてもオモシロイ答えが出て来る
昔からよく言われることだけんども、近所の94歳になるビル・オーナーにも、昨日は言われた。
そりゃ~そうだろう、自営で、自由自在に生きてると、こんなに突き抜けた日常を送るようになる。
・・・○○証券の、✖✖と申します!
・・・◇◇デベロップメンとの、✖✖と申します!
よく飛び込みでやってくるけんども、
・・・あ~、要らね~、用はね~、とっとと帰れ!!
それ以上のことは喋らない。
押し売り並みにしつこい奴らもおるが、こちとら高度経済成長時に、不動産の飛び込みセールスで常にトップにランク・インしてたオヤジだから、それ以上の喋りをしつこくやっておったなら、痛い目に遭わせてやる。
暴力ではなく、口先で・・・だ。
・・・NTT東日本代理店のぺけぺけコミュニティと申します
電話のセールスで一番多いのがこれだが、NTTに苦情を言ってもなしのつぶて、別会社のことだから、って。
・・・オフィス用品のあべこべカンパニーです!! 今お使いのコピー機などの件で・・・!
これも多いが、怒鳴って切ると無言電話を繰り返しかけてくる。
・・・いまどきさ、そんな古風な営業は流行らね~んだぜ
横でそれを聞いてる奴らは、俺が暴力的で怒鳴ってるから、
・・・そんな風に言わなくても・・・
あんたね、大事な電話を待ってる時に、そんなフザケタ電話がしつこくかかってくる身にもなってみろよ、だ。
優しく断る、話は聞いてあげる・・・これを礼儀だと抜かしてるからこそ、俺のセールスはよく売れていた。
素敵な間抜けの大行進。
テレビやネットのコマーシャルでは素敵な風でも、やってる連中やバックはチンピラ・ヤクザに右翼、そんなの常識だろうよ。
セキスイハウスなんざ、目黒で怪しい地面師に大損害被ってる癖に、テレビでは優しいCMのオン・パレード。
どいつもこいつも、笑わしやがる。
関わってる政治家の名前まで出してやろうかの??
ニクソンと中国、ニクソンとソ連、ベトナム戦争を終結させたのもニクソン大統領だった。
そのニクソン大統領の側近として仕えて、世界中を走り回ってた頭脳が、ヘンリー・キッシンジャーだ。
いま、100歳を前にしても精力的で、トランプ大統領の黒幕として俄然光を放っている。
当然、中国やロシアとも繋がりは深く、アメリカの時代の後、世界をどうするかについても構想がある。
日本なんざ、その話の末席にも座れない安倍政権のまんま、従順な奴隷国家として未来も金魚の糞だ。
政治の話だが・・・俺のような自由人には、あんまり関係ない。
本来ならばこのキッシンジャーの懐に飛び込んで行く日本の政治家が居らん方がおかしい。
だからいまでも日本国憲法の上には日米安保が、錆びついても在る。
あらかじめ画用紙に、国家によって下絵が描いてあるものに、いろんな色を塗るだけで生きて居るのが普通の大人社会ならば、俺は白紙の画用紙に、最初から下絵無しで自分の思いつくままに絵を描いて生きて来た。
あんたらが嬉しそうな顔して会話して居っても、俺にはあんたらのことはよ~く見えてるが、俺のことはな~んにも伝わってはいない、これがこの60年だったか。
塗り絵の生と、ナニも無いとこから描き始めてる生、それは永遠に交わることはないんだろうか・・・。
おなじ日本語を使って会話をしておっても、そのひとつひとつの言葉の持つ意味から違っている。
高い山の頂で一服するとき、そんなことを考えたりもする。
だから俺は言葉の必要のない女ばかりを、若い頃から愛して来てる。
俺が自然の中で、社会で、その子供らを育てることで、生きてる意味を伝えてきたようなとこもある。
学校や社会や爺婆とは違う、ホンモノの生を丸裸で、たくさんの事柄と一緒に、目の前で見せてやりながら身に付けさせる、これが俺の父親としてやってきてることだ。
適当ではない、好い加減ではない、中途半端ではない、あやふやでもない、子供を育てることが俺の自己主張のひとつだとも言えるが、その張本人もまた誰よりも子供のまま生きて居るのかも知れない。
・・・クラゲに刺されたよ! いい歳こいた兄ちゃんが叫んで海からあがってきた。 浜で待ってた彼女は驚いて心配そうに見つめていたが ・・・もう、帰ろうよ これが現代社会の多くの家庭の光景だ。 経験がまるでなく、頭デッカチな知識だけ豊富、経験から愉しい想像力を働かせるのではなく、知識から危険の想像力を働かせてばかり、だから有りもしない恐怖ばかりが先に浮かび、その行動も安全志向。 それは安全とは違うものだが、危険ばかりが脳裏に浮かび、自然の中ではナニも楽しくなくなってる。 山でもそう、海でもそう、自然に囲まれた島国の日本人として生まれ、ナニやってんだろうね~。 海でお子ちゃまたちがクラゲに刺された~、親や先生が大変だ~、ってなことは多いが、だいたいが海中を彷徨う海草に当たってるだけのことが多い。 かぶれることもある。 俺なんざ、ガキの頃からクラゲを手でどけながら泳いでるオヤジだから、なんてこた~ないし、そんなビビリの連中を大笑いしてやってる。 山で熊が出た~! ってのもそう。 ニホンカモシカだったり、猪だったりすることも多い。 どのみちそこは人間だけでなく、他の生き物も生きて居る場所だ。 安全ではないから止める、危険だから近寄らない・・・これが迷信と民話の元になってる。 そのうち龍が山を登り、恐竜が海から顔を出す、そんな話でもするんだろう。 現代社会の70~80歳の爺婆は、自然で遊んだり、自然で暮らしたりの経験がほとんどない。 ただ田舎で生まれ、育ったというだけの爺婆が多い。 山や海で遊び呆けてたという経験は、たいしてない。 老いて空想ばかりが呆けた頭に事実とは違う作り話を構成し、それを子や孫に伝えている。 在りもしない恐怖を伝えてばかりだから、それを素直に聞く子や孫は危険だと判断し、その行動も誤った先入観で染められてしまって檻の中。 俺が育ててる子供らや、その友達連中は、その嘘を現場で知ることになる。 大人の嘘つき、国家や社会や学校の嘘つき、それを山や海の現場で俺が身をもって教えてやってる。 これほど強烈な刺激は無いだろう。 ・・・え~? そうなの? ・・・ほんとだ! オジサンの言う通りだ!! 現実が目の前にあれば、嘘や作り話なんてもんは木っ端みじんになる。 俺は仕事をやってる時は、銀座や青山での地上げ以外で命の危険はあんまり感じることはなくなってるが、山や海で遊んでる時はいつもそれを感じて遊び呆けてる。 その緊張感を愉しむことを、いろんな多くの子供たちには教えてやってる。 鬼のように俺が怒る時、それは命を失うかも知れない時。 それをキチンと大人が教えてやること、これを教育という。 迷信や安全神話なんてもんは、テレビやネットや紙面でやっておるオナニーとおんなじさ。 だから遭難や事故はなくならない。 抗体というものがある、免疫とも言う。 人間の身体には、素晴らしく高度な自己治癒能力というものがある。 傷を負う、毒が入る、かぶれたり腫れたり膿んだりする、そうすると体内にそれに勝つ物質を作るようにすぐに対応しているものだが、これを余計な大人たちは医学や薬学で先に体内から排除する行動に出る。 自分の身体が抗体や免疫を作ってる最中に、薬や医療で先に退治しようとする。 その身体には抗体や免疫は出来ないまんまだ。 逆に仕事を失った自己治癒能力は、その余った力を健康な身体を蝕むことで解決しようとする。 これがこの100年くらい人間社会を困らせてる、癌や難病やアレルギーの元凶となっている。 地球の自然の中で生きる、そうして傷や病を負う、その繰り返しで人間は強くなれる。 先に薬を飲み、予防する、これがこの100年、間抜けな人類のやり始めたことだ。 過度な予防接種もまた、人体無視の金儲け。 抗体と免疫は赤子のまんまだ。 予防医学とは、先物取引とおなじ意味で、資本主義社会の作りだしたゼニカネ儲け、新種の詐欺だ。 そんな社会をずっと続けてると、難病やアレルギーはどんどん増え、新しい病気も増え、キリが無い金儲けは続いていくだけで、そこで生きる人間は弱くなり続け、無菌室で生活するようになるんだろう。 アホらしいことだぜ。 そこのあんたらのことだ。
世間はお休みなのに、なんだか色んな良いお話が入って来てる。
きっと日ごろの俺の行いが、とても良いんだろうと想ってほくそ笑んでる。
千三つ、という。
俺のここ10年は話が千の中の三つ決まれば良いという不動産の営業とは違って、千あれば九百は決まってる。
数字ではなく、確率の話。
費用もかけず、ご紹介とリピーターでの成約数が9割をゆうに超えている。
人間と人間のお付き合いで決まっている。
60歳も過ぎたなら、ゼニカネ儲けから離れて暮らしたいと想ってたけんども、まだまだ金のかかる扶養家族やらが色々とおるから、仕方なしにやっているようでもある。
顧客の方々に年中煽られて、尻を叩かれて、それで動くような感じになっている。
ありがたいことだ。
俺を必要とする人たちがたくさんいるかぎりは、俺は社会でも生きてる価値があると言うことだ。
山や海では、俺は太陽を必要として生きて居る。
ひとつ年上の姉御に、アロハの神様と言っても良い生き様をしている女性がいる。
日本よりもハワイの産、そう言っても良い女性で、ダンスとともに50年以上、天職に早くに出会った幸せは、あくまでもナチュラルに生き、自然に老いを感じる年齢になっている。
一緒に会話をしてるだけでほぐれるような、相通じる生き様があるのかどうか、それともいつも地球を愛してることがおなじなのかどうか、オスとメスの違いはあり、その過ごしてきた時間や家族のや環境はずいぶんと違うけんども、同級生に近い親近感が湧いてくる。
ゼニカネごときでは決して動かない、もっと素敵なことをたくさん知っているという点では、同じだろう。
・・・あ~、やめて!やめて! だから舐めるなって言ってるでしょ!!
不動産の売買契約の書類をめくってると、なんども怒られる。
野生に近い俺は、口煩い姉御でも、ぜんぜん怒られてるようには感じられず、むしろ優しい言葉にも聞こえる。
俺の同世代には、とても素敵な生き様を、独りでも、幼い頃から貫いて来てるのが多い。
価値観がおなじ匂いのする人たちは、俺よりも長生きして欲しいと願うばかりだ。
近所で永くミシュランの和食店を経営してる三つ年下の女性にも居る。
・・・キョーレオピンって知ってるでしょ?
・・・うん、臭いやつだな、爺様が飲んでたよ
・・・あ~、やっぱり時代がおなじって良いよね~、ホッとする
・・・それは単に、若い人たちとは会話が成り立たなくなった、ゲイト・ボールでの会話だろうよ
子供が出来ないことで、色んな不妊治療に手を染めて夫婦でピリピリ暮らしてる人たちの相談もある。
だいたいが、頭デッカチ、金に糸目をつけずに不妊治療を渡り歩く姿は、神経過敏な守銭奴にも見える。
・・・いちど怪しい不妊治療なんぞから離れて、のんびり山や海で、夫婦で遊ぶことが大事だぞ
そういう基本的なことすらピリピリオツムには受け入れないのが多い。
だからあちこちに金儲けで網を張り巡らしてる連中に、いちいち引っ掛かって行ってる。
子供は作ることが目的ではない。
自分の種を熟成し、それをこれはという女との交尾で放出し、生れたら育ててやること、愉しく自分の生を満喫できるように育ててやること、見栄やプライドや外見のために、子供は存在するものではない。
結婚がゴールだと考えてる間抜けとおなじで、子供が出来ないと妊娠がゴールみたいな生活をしている。
それじゃ~な、生まれて来る子供が可哀そうだろう。
不妊治療をする前に、夫婦で子供とはナニか?生きるとはナニか?山や海で遊びながら、考えることが先だろう。
俺みたいに子供が生まれたら全員自分で、まわりに左右されず、一緒に遊びながら生きる価値観を叩き込んでやることは、不妊治療にあたってる夫婦の優雅な時間とは比べ物にならないくらいに過酷なもんだ。
過酷でも、自分の種から生まれた子供らは、みな分け隔てなく可愛いし、この弱っち~人間の世界に強く送り出すことが、現代のオスの務めでもある。
ペットを飼うのとは訳が違う。
子供が欲しい・・・その意味からよくよく考えて見ることだろう。
あんたらの日常生活の価値観では、子供は不幸になる、そんな不妊治療に躍起になってる夫婦も多い。
出来なきゃ~互いに相手を変えることだろう。
我が国はそういう歴史を平然と快活に、続けて来た国だ。
怪しいキリスト教の国ではないんだから、中絶はダメ、離婚はダメ、浮気もダメ、そんな根拠などない薄らトンカチな倫理観に捉われてる親に、子供なんて育てることの方が難しいだろう。
馬鹿げてる、現代社会の不妊治療。
国家あげての無能国民作り。
さ、忙しい合間にも、泳いでくっか。
・・・オスとメス、俺はそれだけで生きて居ると言っても、良い
一年中、山や海で遊び呆けておると、こういう時期は真面目に仕事をやってたりする。
昨日は売買の決済のあと、マンションを幾つか買うというお話も出てきて、これありがたいお話。
午後からは離婚して再出発の元気の良い女性と急な雷雨を避けるように出掛けておった。
他にもいろんな話がやってきて、自営とはそういうもんだとほくそ笑んでいる。
真面目にコツコツ馬車馬のように・・・ってな昔話はだいたいが嘘で、それを現代人は真に受けて暮らし、なんの楽しみもないまんまに、疲労とストレスで病んで行ってる。
昔話は偏った誇張ばかりが独り歩きして、他ではずいぶんと無茶苦茶なこともやってたという事実は、いっさい揉み消されて語り継がれては行かない。
・・・おかしいわよね~
実際に俺みたいに激しく生きて居ると、それが痛いほどよく解る。
振り子とおなじ、素晴らしく素敵なことをやってると、その反動は極悪人をも超えて行く。
人間なんて、そうでなきゃ~面白くもないし、そんなものなのよ。
それらを理解したうえで、愛し合う、これが生き物の生。
山や海で遊び呆けてる合間に、流れが来たら一気に全身全霊で商売をやって、また遊び呆けてる。
ゼニカネ儲けごときで、一年中四六時中悩んでるなんてさ、ナンセンス。
いまの40代50代のオジちゃんやオバちゃんたちが、襟を正して、姿勢も正して、目標です!尊敬してます!と言ってる連中のことを、俺なんかは大笑いして・・・ニセモノどもが!! とやっている。
そのくらいに、不動産バブルの前後と、ここ30年のみみっち~大人社会の人物の器は、些少になり果てている。
ミニチュアの作りモノ・玩具、とも言えるし、猿真似だと想ってもいる。
時代は進んでるのに、新しい価値観で生きてる大人はほとんどいない。
閉塞感とは、こういう間抜けな言葉先に在りき、モデル先に在りきの猿ばかりが蔓延ってる時代を言う。
そんなニセモノを仰ぎ見て、最敬礼してる40~50代って~のは、可哀相な人たちでもある。
突き抜けた不動産バブルも知らず、延々と閉塞感の中で縮こまって窮屈な幼児服で生きて居るよう。
嘘の上塗りをして、格好つけて能書きたれて、それで背伸び目いっぱいで生きてるイエロー・モンキーそのものを、頼って寄り添って信じて生きて居る。
じきに解れば良いが、死ぬまでそんなことで逝ってしまっては、生まれた意味すら知らぬまま、お可哀そうさ。
最初から最後まで、洗脳されて煽動されて、それで子でも作っておったなら、その子もまたそのまんまだ。
下っ端現場の者は必死こいて仕事しておっても、その大企業は極悪企業、ほとんどがそうだが、それを正当化するために一生懸命!だとか、命がけで家族を養って!ってな、貧しくとも美しい!価値観が植え付けられている。
極悪企業であっても現場が必死であれば良いの? そういう問題には決してならない。
チンピラ・ヤクザでも、鉄砲玉はドラマの映画の主人公にもなれる。
自営の俺には理解不能、そんな社会が延々と続いてるなんて、笑っちゃうわよね。
そこで手を取り合ってフォークダンスを踊ってる皆さん一族郎党、管理されて生きてる、食用豚。
昨日の深夜、ミシュランの店の料理人と近所で立ち話してた。
・・・ミーハーの田舎者ばかり行列してて、暑苦しいな~
・・・こないだテレビに出てたから、その影響ですよ、1週間くらいは続くでしょ
5万円と10万円のコース料理しかない店もあるが、予約は取れない状況が続いてる。
その息子がやってる3万円と6万円のコース料理しかない店も、予約が取れなくなってる。
別に商売とは当事者同士の合意で成り立つものだから、俺もそうだから文句はないが、この頃の消費者って~のは、マゾばかりに成り下がってる。
高い金を出す快感と自己満足、それは人品怪しき成金の性だ。
大企業ソニーの元トップの女房だって、落ちぶれた男優と連れ立って俺んとこに予約を取って!! ってやって来てたくらいだから、大企業・上場企業なんて、いまじゃ~哀れなサラリーマン経営者ばかりだろう。
その日常は、とても心貧しいもんだ。
この土曜は、朝の8時で各方面大渋滞ゴッコが始まってた。
昔から日本人とは、融通の利かない、他と違う知恵を働かせない、群れて混雑にはただ耐えようとする心身、俺は御免だが、そんな民族性には感心してしまう。
与党も野党も、右も左も、詐欺師や警察官であっても、普段は敵対してる者同士でも、おなじ渋滞にお行儀よく嵌って、パーキングのトイレに仲良く並んでる。
これを笑わずして、なにが可笑しい?
集団・群衆の中にいて、他を見て同じか上なら現状維持を決め込む変な人間たち。
自分という命よりも他という命の群れが先に在り、それによって自分を判断して自己満足。
団塊の世代の優しさ思いやり世代を見ていて思ったもんだ。
他人のことを先にするのは、とても安易な自分からの逃げ口上。
自己犠牲が先にあるという、美学は誰が言い出した戯言か? だから自分という個を持たないで良い気分?
安易な公式ばかりで生きてると、寂しい老後へとお決まりのコース。
まわりが気になる、気になるのは自信のまるでない自意識過剰が原因だが、あんたがまわりを気にしてても、まわりはあんたのことなんざ、な~んも興味も無い。
嫌悪という反応すら、興味を持たない現代では、自意識過剰も独り言の範疇でオハジキ遊び。
自己顕示欲と、自意識過剰と、自己主張とは言うけんども、まず他よりも独りの自分を確立しようとはしない。
覗き見て、様子を窺って、どうしようかと思案して、そこで不幸な人間を決めつけて、ひと安心。
蟻とキリギリスだとか、ウサギと亀だとか、対比する話は多いけんども、常に選択肢が二つしかないことを疑問に感じることもなく、素直に二者択一で災難に遭っている。
良い悪いではなく、好き嫌いでもなく、黙って群れてることを選ぶ。
本来、この日本という国土は、資源も無く、毎年やってくる忙しい四季に対応し、地震に噴火に津波にと大自然の厳しい猛威に晒されてる場所にある。
そこで生きて来た日本人は、地球上のどこの民族よりも、自然の慟哭による死を身近に感じ、だからこそ刹那を濃く愛し、自由自在に生を堪能しておった。
黙って群れてはおっても、独裁政治というものが決して根付かない国でもある。
エコノミック・アニマルって、若い頃から海外でも観察してるが、ほんまにオモシロイもんだぜ。
・・・ということで、山は午前中が勝負だとばかりに早起きして山に向かったが、予定が狂って大渋滞の情報が入り、西八王子で降りて奥多摩の山でも・・・とも思ったが、気が乗らなかったから下道で戻りながら、親近者の墓参りを早朝から順繰りにすることにして、昼には谷中の古寺に到着しておった。
俺よりひとつ年上の、フ~テンの寅さんの墓参りで締めた。
女房・子供にも逃げられて、それでも大好きな酒をさんざんに喰らってとっとと逝くなんざ、幸せなことだぜ。
思えば墓参りというものは生きてる者の自己満足だから、ま~ま~線香を焚きあげて、死んでしまっては好きな酒も飲めんだろうと、ザマ~ね~なと笑ってきた。
俺らの世代は昭和の半ば、敗戦後の膿とゴミと公害の狂騒の中で生まれ育った世代だから、団塊とも違う一匹狼みたいに生きてるのが多い。
みなどんどん早死にして逝ってる。
好きに生きて、とっとと逝く、これがみな共通項でもある。
俺は悪運が強いと見えて、同世代の変人の中でもみなが驚くような生を生きて居るが、まだまだ元気だ。
山登りの目的を失って眠かったから、谷中銀座で生姜をオカズに飯食って、酔い醒ましにぼんやり歩いておったら、ほ~ほ~と愉快なこともあった。
祭りで賑わう富岡さんを避けて戻って、とっとと寝たった。
自営の売主に、自営の買主、自営の周旋屋が関わる不動産売買の決済は、今日みたいな庶民の皆さま方が長期休暇の時を選んでやる。
おなじく、訴訟の申し立てなんかも、こういう時期にやるのがベストだから、俺は裁判所にも原告と行ってくる。
みな自由自在、地球上を飛びまわってる自営の自由人は、サラリーマンや公務員のロボット勤務による混雑回避、これがまず先に頭にはある。
当然に、テレビや新聞、ネットの怪しく薄いニュースなんかもたいして見ないで生きて居る。
情報は個々の深く広い人間同士のネットワークから手に入れる癖がついている。
政治ゴッコごときで日本の国は変わらないことも、知っている。
日本という国家が破綻しても、なんの影響もなく、この大和の国で平然と遊んでるだろう。
すべての価値観は、自由自在で良いんだぜ。
もらった身体と知恵を目いっぱい使って生きる、これを俺は親孝行と想ってる。
だから感謝の気持ちを持って、親の負債も肩代わりして完済してやったりしてる。
苦労だとか、苦難なんてものは、他人の言うことであって、身体に障害を負っても、俺は普通に笑ってる。
地球に生きる生き物は、いつも太陽の光を浴びて、笑って愉しく生きて居たい、これみな共通なのよ。
自分だけ不幸、自分だけ苦労して、自分だけ上手くいかない、誰もわかってくれない・・・そんな奴らが俺の前に来ると、みな黙ってしまう。
オメ~よ~、そんな程度のセンチメンタル三文芝居で、オナニーしてんじゃ~ね~よ、そういうことだ。
道は最初から、自分で創るもんだ。
国家や他人や身内に依存して、夢見てばかりじゃ~、ナニも起きやせんがな。
決済無事に終わったなら、午後からは、再起に賭ける離婚女性のマンション探しにお付き合い。
銀座も田舎モノの一方通行逆行が多くなるから、車の運転も気を遣うのよ。