オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

医療だ介護だの間抜けな社会の話

2021-11-17 09:16:28 | 高齢者の介護

 

 膝にサポーターを巻いて、落ち葉に埋もれた奥山の渓谷を歩いて来た。

 空身で、登山靴ではない軽いスポーツシューズで、両手にポールを持って、階段も含めて登り下りをゆっくりと、牛歩よりも遅く歩いて来た。

 鈍痛が時々あるくらいで、ゆっくりであればなんとか荒れた道でも歩けた。

 自由を失った身体に焦っても仕方が無いし、人と出会うことのない、紅葉した渓谷は気分良かった。

 朝と深夜はバイクで動き、エレベーター設備の酷い地下鉄には乗らないようになった。

 ハードな63年は、身体もガタガタになっている。

 もう充分に生きたと言う想いはいつもあるが、今は高齢者の面倒があるから元気でいなければならず、メンドクサイとは想うがリハビリに精を出している。

 4日に一度の腹のパウチの交換作業も、膝を傷めてからなかなかにシンドイもんだが、障害を負ってる訳だからこれもゆっくりとイライラせずにやるようにしてる。

 こういう身体で、あちこちの高齢者の面倒を見てやって、大工仕事もやり、付き合って出掛けてと、キリが無いくらいにやることが多い。

 深夜に布団に入れば即、爆睡。

 自慢の元気な男根が、勃起することも減ってしまってる。

 これはいよいよやばいぞと、笑うしかない。

 

 いつもは体力も精力も余って居って、余裕そうな顔して動き回っておったものが

 ・・・あ~、疲れたよ!!・・・そんなことをはっきりと皆に言うことが多くなってる。

 本当に、疲れ果てておるようだ。

 

 年金事務所から、入居者の照会が来て居った。

 今年の正月明けに、ボロアパートの4,5畳の部屋で、動けなくなって孤独死しそうだった独り暮らしの86歳の爺様を、救急で搬送して病院に入れたことがあったが、2週間後に亡くなった。

 暖かいベットで亡くなったことが救いだった。

 その後に音信不通だった貧しい娘を見つけて部屋の片づけをしてやって・・・よくある話だが、その爺様の確認だった。

 ・・・この世には、もうおらんでよ

 

 世の中社会には、金と宣伝広告ばかりを使って、壮大で素敵なキレイごとをほざいてる成金野郎やオツムチンチクリン野郎らばかりが脚光を浴びてスター気取りだが、身近な者を無視して放置して、食い潰しているケースが多い。

 手の届く範囲の人を強く抱擁してやるよりも、大勢の拍手を求める行動を選ぶ時代、大人社会は味気ないもんだ。

 いずれ、大勢の拍手喝采だと思っていた音が、揺れ堕ちる多くの枯葉の音だったと気がつく頃には、身近な者は、あなたの傍にはだ~れもいない。

 そんな手の相談もいろいろと来るが、優秀な弁護士をつけて裁判起こすのも良いが、もっと周旋屋風のオモシロいアクションはたくさんある。

 金を使うだけの安易な行動は、ナニも残らず、ナニも生まれない。

 俺のスタンスは、フナ虫のような不特定多数には向かわず、必ず特定多数、手の届く範囲の身近な者に向かってる。

 ただそれも63年のスタンスだから、身近な者がどんどん増えてしまってる。

 

 ひとりひとりにキチンと寄り添い、正面から取り組むのは難しいと、酒を呑みながら語り合ってる連中には、寄り添ったり取り組むという行動すらナニも解ってない自意識過剰だけだ。

 何気ないあんたの日常を見ている者には、うすら寒い冗談にしか聴こえない。

 

 ずっとあちこちの高齢者に付き合い、関わって、朝から深夜まで動き回っていると、病気や介護という安易な嘘が馬鹿馬鹿しくなってくる。

 普通に老いている者との関わり、それでエエんじゃ~ないのか?

 線引きして、要介護、要支援なんて、老いて来れば誰しも手を貸して欲しくなり、他人の手がなければ生きて行けなくなるのは、それまでの安易な生き様のせいではあるが、放置する訳にもいかんだろう。

 ・・・ということで、自腹を切って、あいかわらず動き回ってる。

 どうしようもない社会の崩壊の足音が、聴こえて来てるがね。

 このまんま、残酷な戦争を世界中に起こさせるつもりなんだろうかね?

 

 高齢者の通院が大病院だったりすると、それだけで4時間5時間かかってしまうのを見ていると、医療が人殺しになり果てているということを実感する。

 金儲けとモルモットの飼育、商売を学び、経済や政治を学ぶ前に、医学を学ぶ前に、もっと人間として身に付けなきゃ~いけない大事なことがあるが、それがおざなりになって久しいから、酷い現場の惨状を目にすることが増えた。

 自分の身体のことを、他人や医者に聞かなければ解らないと言う幼児な大人社会と、それに巣食う医療行為、どっちもどっち、俺なんざ年中医者と言い合って喧嘩してるようなもんだ。

 

 さ~、また区の福祉に出掛けて話をしてくるが、周旋屋はだいたい都市計画とか土木か建築に行くが、俺の仕事は福祉の方が多くなってる。

 今年は夏以降は利益にブレーキをかけているせいでもあるが、それにしても戦後に苦労したとほざいておった連中の老後の哀れさは、見る影も無い。

 本当に苦労しておったのは、今の高齢者の親の世代だった。

 高度経済成長でみんな自分たちの暮らしだけを競い合ってた猿ばかり、これが高齢化してる訳だから、世話は無い。
 
 コロナ感染とワクチン接種の集団洗脳行動と同じ、日本は勝てると信じて真珠湾に突入して意気揚々としていた世代だ。
 
 姑息なゼニカネ儲けよりも、いつも他人の為に生きてる方が、よほど後味は良いし、御礼の声など聞かずにすぐ次に行く、これが生きてる意味に繋がって行くのだが、決して理解しない現代社会のパッパラパーとおなじ。
 
 自意識過剰な猿の群れには、わかんね〜だろうなぁ。

 大笑いするしかない。

 

育児や介護まで金で誤魔化す社会

2021-11-05 09:56:45 | 高齢者の介護

 

 一人や二人でなく、何人も子供を育てあげた者でなければ、子供との関わり合いなんて解る訳もない。

 10歳過ぎたら次の子へと移り、あとは自分でしっかり考えて生きて行け! 自己責任を身に着けさせる。

 一人や二人の子に、生涯つきっきりで、親の財産や夢や希望や欲望を継がせるのは、飼育された豚の生き方だ。

 ・・・美味しく食べて戴くための、教育・・・誰に??

 おなじように、二人や四人でなく、何人もの高齢者の面倒を見て来た者でなければ、高齢者の気持ちなんて解る訳もないし、おなじように身体に障害を負ってみなければ、障害者の気持ちも理解なんて知識だけの薄っぺらいもんさ。

 世の中に理解を求めたり援助や救済を求めるなんてせず、自分で出来る限りを尽くして、出来ないことまではしない。

 なんでも自分の身で持って経験してこそ、初めて色んなことに気が付いて、深い味わいが出て来るもんだ。

 女や子供や高齢者に振り回される生き方は、興味もない。

 縋りついて来る者は、どんどん自分は次に生きながら振り回して強くする。

 弱い子孫は滅ぶしかないだろう。

 教えられた猿真似な知識に対応、ありきたりの感情に、ありきたりの感傷、そんなもので今を生きる人間を解釈してること自体、おかしいわい。

 大自然の中に、人工のモノを持ち込んで放置して、接してると称してる自慰野郎ばかり、自然保護を唄う自然破壊、人間が地球や宇宙を征服していると自惚れて居れるのは、たまたま自然災害が止まってる束の間の静寂だけだ。

 逃げるぜ、逃げるぜ、そんな自惚れ野郎どもは、とっととまっ先に逃げた挙句に最悪の始末に遭遇する。

 いざという時に役に立つのは、キレイごとのゼニカネや国家などではなくって、ひとりひとりの関わり合いだ。

 

 贅沢な施設に、行き届いた介護、お金をかければ、高齢者の老後は豊かになる・・・猿の幻想も甚だしい。

 家やモノは古くとも、最低限のモノがあれば充分だし、一番に大事なことは、放置して他人に任せることではなくって、毎日の他愛も無い会話だ。

 共稼ぎになって、育児も他人任せの施設任せになってしまって、植え付けられる価値観も共通一次では、これはロクでもない奴隷社会の養成所みたいなもんだ。

 義務教育よりも前の、幼児教育から価値観を統一しようとする思惑で、消費社会を煽りに煽って、オヤジ一人の稼ぎでは暮らせない社会を作りあげた。

 ならば出来る限りの時間を子供とともに遊んでやれば良いことだが、余暇や休日はガイドブックにネットで検索。

 そんな連中の身内の高齢者の介護は、おなじように施設任せの他人任せ、その原資を稼ぐために働いて働いて、この狂った輪廻循環に疑問を感じないほうが可笑しいだろう。

 ところが、ぜんぜん疑問が無いどころか、当たり前のことになりつつある。

 あんたはそれでエエんかいな??

 

 常に群れにはならずに、独りで生きる。

 それでいて流れは常に主流でしか、泳がない。

 これが俺の63年間ではある。

 だから関わり合ってる人たちは多種多様。

 ただ普通では無い、おなじような、とんでもない連中ばかりには、なっている。

 

 20歳の頃、大学を中退してモノを書くことと自費出版を始めてバイト生活に明け暮れていたが、当時17歳だった女の子を狭い6畳一間に住まわせて、5年くらい同棲したことがあった。

 医者や家族も手を焼いていた精神分裂病と病名を付けられて入退院を繰り返していた女の子だった。

 詳細は書かないが、とにかく最初の1年は予期できない行動と言動に振り回され、それからだ、徐々に普通になり、外に働きに出るようになって、にこやかで優しい女の子に戻って行った。

 認知症の高齢者を近くに引っ越しさせて、6月後半から毎日その世話をしているうちに、キレイに認知が治ったもんだが、よくよく考えると、精神分裂病と病名を付けられた子と暮らしていた若い頃の日常と、変わらないことを俺はやってるだけだと笑っている。

 自分の子供らはたくさん手をかけて育てた。

 いまは高齢化した両親の世話や、身内の高齢者に、アカの他人の高齢者の世話、毎日仕事の合間に走り回っている。

 心身損耗、毎日まいにちがクタクタになって、膝の半月板を縛って歩いている歩数は、毎日1万歩は軽く越えているが、自営の仕事をやっているおかげで、時間は自由自在になってるから、それが出来ているようなもんだ。

 予期して、去年も今年も夏までには1年の売り上げをボン!っと稼いで、余裕のある状態にして動いている。

 国家の補助や、他人のふんどしを借りるような真似はしない。

 そういう性分なんだろうと、笑うしかない。