オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

餌を求めるから、奴隷は意地汚い

2022-02-09 10:11:15 | オストメイト

 

 ・・・金? いらね~わな、必要なら自分で稼ぐ

 ・・・女? いらね~わな、欲しけりゃ自分で口説く

 ・・・勲章も肩書も、いらね~わな、自由自在に生きている

 ・・・身内も親友も、いらね~わな、一期一会で笑いが溢れている

 ・・・守るものは宇宙や地球で生きてる自分の今、それ以外はなにもない

 

 反社会勢力の親分が、非行に走ってしまった子供に手を焼いて、どうすりゃ~いいんだ?? と相談に来ておった愉快な時代もあったが、いまは反社会勢力というカテゴリー分けのおかげで、カテゴリーに入らなければ合法的だと、そんなお遊戯に夢中の悪どもが横行している。

 コソコソいじいじやってる盗撮狂みたいなもんで、性根が入ってないのは、言うまでもない。

 即断即決もできず、フニャフニャだぜ、大笑いだ。

 

 腹筋に穴を開けて腸の切れ端を出して、そこに袋を被せて生きている俺は、切腹して自らの腸を引っ張り出して周囲を睨み上げている侍みたいなもんで、残している肛門はオブジェみたいなもんだが、たまに無臭無色透明の体液が出て来ることがある。

 ションベンを我慢してる時だとか、長くおなじ姿勢で運転や作業をやっていると、健常だった時の便意とおなじ感覚がやって来る。

 呼吸が苦しいと感じる時は、腸が詰まっている時に多く、消化を促進してやれば治まってしまう。

 これをいちいち医者に相談に行くと、別の病の病名をつけられて、余計なお世話な治療をさせられて、副作用やらナニやらの実験台になり、命を追い詰められるがごとくに薬漬けだ。

 俺はまず自分でいろいろと考えて対応し、様子を見ては工夫する。

 いまは袋の貼付部の肉に穴が開いてしまってるから、治療用の袋を付けてはいるがそれでも風呂にも浸かっている。

 防水防臭の強力な袋を腹筋にくっ付けているから、皮膚も悲鳴をあげるわいな。

 だから治療用の袋と、いままで使っていた袋を、交互に使って行こうと想っている。

 治療用のモノはプラスチックの輪がついているから、セックスの時には邪魔になるだろう。

 ま~ま~その道には豊富なキャリアがあるから、なんということもない。

 山に登ったり、海で遠泳したりしても、ぜんぜん大丈夫なんだが、自分の身体や行動に合った袋(パウチ)を見つけるまでが、オストメイトには大変なことではある。

 あとは自分のオツムで試行錯誤、自分が生きやすいように工夫するだけ。

 

 いろんな、独りで独自に生きて来たツワモノたちの道の話をすることが多くなってるが、こんな国民総ボケ洗脳国家で、個の道を創って生きている連中の話はみな凄まじい闘争に明け暮れている。

 その辺のヤクザや右翼や半グレなどの群れてる奴らとは根本が違っている。

 文字通り、命を張った闘争だが、大ボケ国民が多ければ多いほど、強い個はもっと強くなっている。

 群れは棟梁を潰して、その黒幕・取り巻き・親族もろとも潰してやればカタがつく。

 喧嘩というものは単細胞な格闘技とは違って、手練手管の闘争のことを言う。

 おっそろしいツワモノはどんどん増えて行ってる。

 そうしてそんな連中は、群れに紛れて悪さを続ける卑怯者や陰気な手合いばかりを相手に儲けようと仕掛けている。

 愉快なことだし、良いことだろう。

 社会でどんな商売をやっても喰って行けるツワモノには、単なる金儲けなんて、退屈なもんだ。

 なんか愉しみがなければ、動かない。

 そうして決して徒党を組まない。

 笑い話の仲間と言う関係で充分だ。

 

 人間は、まず笑うことから始まっている。

 笑ったあとに、怒ったり、悲しんだり、悔しがったり、そうして泣くという行動もそこで始まる。

 現代の日本人は、まず泣いている。

 泣くことからすべてが始まっている。

 おかしな洗脳教育と、おかしな報道の煽動と、皆さんはオツムの奥のほうまで色付けが終わっている。

 苦しい努力をして、耐えて忍んで、競争社会で負けないようにと、挙句に勝った負けたで泣いている。

 こりゃ~、駄目だろう。

 俺は人間の世界のことがすべて猿芝居に見えてしまってるオヤジだから、大笑いするだけのこと。

 

 明日は仏滅で大雪かい?

 早朝から半導体製造ストップでモノが無かった給湯器の交換作業があり、孤独死の爺様の部屋の最終片付けもある。

 いろんな小さな契約も集まって来ておって、忙しいことこの上ない。

 神には、明日も最高の日になるで。

 

なにが愉しくて、生きているの?

2020-09-28 21:30:51 | オストメイト

 

 おもえば10代の頃は、毎日なんで生きるんだろう? なんの為に生きて行くんだろう? ナニが楽しくてみな生きているんだろう? 俺はどう生きれば良いんだろう? そんなことばかり考えておって、街のどうしようもない不良と呼ばれていた頃でさえ、世界中の宗教や哲学の本を持ち歩いて読み漁っておった。

 17の頃、街での悪さにも飽いて、大本山の禅寺に泊まり込みで修業に入ったときも、高僧と呼ばれておった坊主と毎晩向かい合って禅問答をしておったが・・・あんたは俗世間から隔離されたここで偉そうなことを呑気に抜かしておれば良いが、それを俗世間に戻って出来るのかどうか? 俺は俗世間に戻ってグチャグチャになっても自分の思い通りに生きてみるから、一緒に還俗してはどうか? そんなことを言っては困らせていたもんだ。

 大人社会なんてもな~、空想と幻想と勘違いで出来上がっている。

 こういうことが起きたら哀しくて泣く、こういうことがあったら怒って攻撃する、こういうことがあったら幸せ、そんな色んなことを先に叩き込まれて、ボ~っと生きてる猿の群れだ。

 本当はどうなんだ? 哀しいとか苦しいとかの意味すら、方程式を叩き込まれてる猿だろう。

 自分って? なに?

 生きて行くって、なに?

 なにが楽しくて生きて居るの?

 よくまわりの大人たちに聞いては困らせておった。

 即座に答えられない大人ばかり、俺は生きて見せてやるよ! と、嘯いておった。

 今の俺がその答えになってる。

 言葉を使った能書きなどなんとでもなるが、生きている現実で自営を続けて居れば、嘘も創作も通用しない。

 

 テレビや新聞やネットからダダ漏れになってる報道に一喜一憂する、影響を受ける、これを洗脳と呼ぶ。

 すべての経済活動は仕組みがあり、裏があり、組織だったバックが集団で動いている、そんなことを考えさせない報道ばかり、キレイごとの話で終始している。

 嫉妬して、妬んで、羨ましいと憧れる、これは洗脳の最たるもんだ。

 見世物猿がスポンサーや組織から捨てられると、その後は寂しい人生でみな終わってる。

 そんな阿呆な報道に日常を振り回されて短い生涯を棒にふるって~のは、どうかしてるぜよ。

 毎日1階で顔を見せて仕事をやってる自営は、そんなものは見ないし、振り回されることもないし興味もない。

 怪しい連中らをよくよく知っておるから、そいつらの間抜けな日常生活を笑って眺めている。

 気にしたら最後、とことん付き合わされ消費までさせられるのが、メディアの手法だ。

 

 コロナ感染騒動での経済自粛には、世界中の国民が貧困に喘ぐようになってるが、これをなんども繰り返しているうちに慢性化し、経済封鎖の効果がなくなってしまう。

 そうなると新しい細菌がばら撒かれる、どうしても3~4年は時間が欲しい連中の仕業だ。

 オランダからイギリスへ、イギリスからアメリカへ、世界の覇権は移ってきた。

 アメリカ・ドルの価値がどんどん失われて行くように、トランプは大統領になって以来、動いて来てる。

 国際機関からの脱退、世界の紛争地域からの撤退、世界中に出て行ってるアメリカ企業の母国への帰還、色々ある。

 人類が、宇宙の片隅で、地球の表面で、延々と続けている覇権ゴッコ、西暦とはそのために作られている。

 そんなことに負けてる訳にはいかんだろう。

 俺は自営で今年は例年いじょうの売り上げをあげてはいるが、そんなに熱心には動いてもいない。

 別にゼニカネが持てないほどに欲しい訳でもなく、俺一個の生を考えると、そこそこで良く、それよりも残された時間を自由自在に笑って生きて居たいというのが根本にある。

 いつも生真面目に報道に聞き入って、懸命に与えられた仕事をこなして過ごし、余暇の使い方も与えられた選択肢の中から選んで消費させられて、また金が無いから必死に働いている。

 サラリーマンとか公務員の無意識の奴隷化はこうやって為されている。

 

 さ、世の中社会のど真ん中で、世の中社会など気にせずに、自由自在に生きてやろうぜよ。


山の頂で死者を還し、寺社で清め

2020-05-18 23:05:36 | オストメイト

 

 小池都知事は、都内を自分で見て回ってるのか? 

 安倍やトランプからの命令には、決して逆らえない淫靡な事情がある。

 ファウチやクオモと同じで、コロナで売名行為の、ちんちくりんな連中だ。

 この金曜も土曜も、人は街にたくさん出て居った。

 環八なんて普通の週末渋滞があちらこちらにあって、単に電車やバスを使わないだけのことで、自粛なんてどこにもなくなってるだろう。

 これで、良いんだ。

 俺がずっとやってることを、皆さんもやるようになってる。

 早く学校を再開してやれや。

 オンライン授業なんて、考えてる大人が貧弱な大人ばかり、コミュニケーション能力の欠如した大人社会の逃避を、子供や若者にまで強いる意味はない。

 感染者ゼロにするなんて感染症を知らない間抜けの言い草で、100%無理な話だと解っておりながら自粛自粛、いずれ再開して外国からも大勢の人がやってくれば、どのみち第2波、第3波とぶり返すしかないことを、ナニをビビッてチビッテ暮らしてる。

 生きることとおなじ、免疫と抗体を自分で体内に持ち、笑って行くだけだ。

 ウイルスに勝つ? 勝負の話にする相手ではないだろう。

 その撒いてるスポンサーのビル・ゲイツに勝つ? 我が国は勲章までやるくせに・・・矛盾だらけだ。

 そうこうしてるうちに、世界では別の感染ウイルスがまた撒かれる。

 これからの戦争は武器や兵器は使わない、こういう細菌・ウイルスの戦争・テロになると知るべきだ。

 オウムのサリンで解ってるはずだが・・・どうにもならない後進国、未開のシャーマニズムで対応している。

 オウムですら、アメリカの一部の連中に知恵をつけられて、日本政府を国内問題でいっぱいいっぱいにさせ、対米従属・資金献金から離れさせるためにとの動きがあった。

 つまりはドル基軸通貨・アメリカの世界覇権からの脱退、その為の日本離しだったろう。

 

 専門家会議の露出いっぱいの元気な皆さん、それもそのはずで、一人当り1000万円のボーナスを手にしてる。

 その出身・所属母体の組織・病院やらには、厚労省から手厚い功労手当てや今後の慰労手当も出ることになってる。

 そりゃ~さ、正しいことを言うよりも、政府や厚労省の言うがまんまに、動物園の獣になった方が良いんだとさ。

 最初から、獣みたいな連中しか、テレビには出てないはずだわさ。

 俺も角刈りにしてきたら、銀座の子供らには・・・カマヤチさ~ん!!・・・と、からかわれておる。

 平常に戻ったなら、獣たちの母体でもある組織や病院は、金回りが良くなってるんだろうから、オレオレ詐欺の連中は狙い撃ちしてやればエエがな。

 詐欺は悪人に対してやるもので、その醍醐味は汚れたゼニカネを奪い取ることにある。

 

 ・・・ということで、昨日は群馬の長野県境の山に出掛けておった。

 とにかく暑かった、日焼けした顔が黒光りするようになったが、太平洋でもそろそろ遠泳を始める。

 

 青葉、とは言うが、実際には新緑、緑だろう。

 緑は色彩でいうところの青のカテゴリーに入るから、青と一括で称してる。

 信号機の青・黄・赤の青も、じっさいは緑だが、そういう訳で青と呼んでいる。

 そろそろ日本語も今に合う表現をすべきだ。

 

 妙義神社・貫前神社・達磨寺・・・帰路、立ち寄ってきた。

 オストメイトの大きいサイズの洋服が仕立てあがったので、今回は藤岡に立ち寄る野暮用が最初からあり、小麦の実る上州路をのんびり走ってきた。

 日本地図で動いてるから、前回は栃木の山の帰りに佐野で洋服を取りに行き、今回は群馬県に取りに行った。

 身体障害者としての、正当な事由がある、ということになっておる。

 その群馬県は前日にコロナ緊急事態宣言の強い規制から外れておったから、街中は人の出も多かった。

 神社も、妙義神社や貫前神社はそこそこ人出があった。

 団体・バス観光旅行者はいないから、動きやすい。

 富岡製糸場は生糸の生産だが、貫前神社はその生産者やらが信仰しておった古い神社だ。

 貫前造りという社殿の龍を施してる小窓は、稲含山の山頂にある祠に向いている。

 360度、眺めのいい頂だ。

 達磨寺では御朱印集めのオバサンが、住職にスタンプ・ラリーとの違いについて厳しい説法を受けておった。

 禅僧は日々が修行、語り説くことも修行に入る。

 俺もどうしようもない極悪人だった10代の頃、臨済の大本山で修業をしたもんだった。

 そんなこんなで笑いの絶えない愉しい一日を、またまた過ごして来たわいな。

 帰路はワザと下道を選んで善良なる庶民の皆さま方の日常を観察しながら戻ってきた。

 まだまだ、元気よの~。

 ここんとこの面倒な仕事のおかげで心身が汚れて重くなっておったから、山の頂きと古い寺社を詣でて、それぞれの神や仏と神々の話をして参り、ずいぶんと軽くなったもんだ。

 置いて来た人間界の重い荷物は、そこで修業する連中の餌になる。

 俺は自分の日常の行動に、すべて自分で意味を持たせている。

 だからふわふわ生きることが無い。

 さ、またたっぷりと人間界の阿呆な話に首を突っ込んで行くわさ。 


心の弱い日本人たちに、愛の手を

2020-05-08 19:38:55 | オストメイト

 

 開いてる散髪屋に行き角刈りにしてきたが、ソーシャル・ディスタンスとかで、待合の長椅子にひとり、長椅子二本だから二人、三人目の俺は店外の道路に置いてあった丸椅子で、しばしば待たされておった。

 通気性も良くって、素晴らしいね。

 

 いかに心が弱く、自己が確立できてなく、自信もないくせに能書きばかりホザイテおる大人が多いか、このコロナ騒動ではっきりと見えていることだろう。

 自分の価値観がなく、自分の生き様がなく、ただただぼんやり長生きだけを望んでる民は、国家にとっては良い徴税奴隷だが、子や孫にとっては、これはナンの意味も無い、ただの邪魔な存在。

 墓は荒れ放題、宗教的な儀式も金儲けになり、故人を懐いて抱いて生きてる人がいなくなってる証、これは高齢者・老人・大人社会のつまらない日々の裏返し。

 ゼニカネ目当てで高齢者や老人に近づいて、あとは野となれ山となれ。

 

 国内でのコロナ感染者数は15000人超え、死者数は500人超え。

 国内の例年のインフルエンザ感染者数は1000万人超え、死者数は10000人超え。

 さ~て、皆さんがビビッてチビッてオツムが沸騰して大騒ぎしてる意味は?

 それでも急に悪化して亡くなったりしてるから? 

 そ~んなこた~、昔からいつでもどこでも起こってるし、あんた人間はロボットではない。

 ではワクチンが無いから? インフルエンザだって、予防接種なんざ、俺なんかはやったことがない。

 自己治癒だけで間に合ってる。

 すでに感染して、免疫ができておるだろう。

 インフルエンザの予防接種など、俺のまわりの人間は高齢者や持病持ち以外は、誰も受けてはおらん。

 なにが違うのか? 新種の商品には弱いという、現代人の心の病だろう。

 逆に自粛するぶん、免疫や抗体獲得に時間がかかるだけで、経済にはダメージしかない。

 社会が再開され、じきに外国とも行き来が始まると、また怪しいウイルスは入ってくるだろう。

 次のウイルスでも、おなじことを繰り返すのか? 

 エエ加減にさ、大人になれないものか?

 そういう当たり前のことを知っておって、それを政府が敢えてやってる意味を考えることだ。

 非国民扱いされても、粛々と仕事に出て、自粛馬鹿のお籠りを横目に集団免疫を目指して動いていた者のおかげで、少しは早くなってるだけのことで、自粛馬鹿らの思考停止状態が戻らないままでは、これは続くしかない。

 

 天皇や総理と言っても、なんということもない。

 ノーベル賞もらった博士たって、たいした大人でもない珍チクリン。

 言ってることは偉そうでも、一番に大事な、人の胸に届く言葉は吐くことも出来ず、なんの意味も感動も無い。

 

 トランプが、国内勢力・既得権益グループ・ヒラリー一味らの攻勢に負けてしまうかどうか、それによってロシアと中国はアメリカと一戦交えることもある。

 軍産・大メディア群にヒラリー一味はずっと戦争したくてウズウズしておる。

 すでにアメリカという国家自体は、分裂する方向で動き始めてるから、中国国内を分断して、冷戦を作るのか?

 人類のやってることは、こんな馬鹿げた時間の無駄。

 退屈にもなるし、余計なお世話なキレイごとで、一部の連中の食い扶持を豊かにしてるだけだ。

 それも、生きる意味や満足感を知らない、哀れな守銭奴でしかない。

 

 俺の身内にも仰山おるが、最高学府を出ても、与えられた問題にはキチンと答えることは出来ても、親や先生や先輩の言うことはキチンと理解できて守れても、そういう知識の暗記と繰り返しは上手なだけで、生きると言う色んな価値観や方法を実践できないトボケタ連中が、大人社会では有能・優秀、そういう扱いを受けてること自体、幼稚園のゴッコ遊び、そんだけのことよ。

 

 不動産業界で、周旋屋の立場で40年生きてくると、不動産投資や運用には、残念ながら興味を持ってない。

 借金や負債を抱えても不動産投資や運用に手を出す連中を横目に、メガバンクが幾らでも貸すと言ってきても、俺は笑って相手にはしてこなかった。

 別に銀行には世話にはならないし、これからも用すらない。

 借金も負債もビタ一文もなし。

 俺はさ、ずっと海で泳ぎ遊び、山を歩いて登って、そこでいつも起こるアクシデントが、大好きなだけ。

 地球や宇宙の起こしてくれるアクシデントは、人間界の些少な、みみっち~自作自演とは、桁が違ってる。

 

 女にしても、いまや駆け引きや下心なんて面倒なモノを抱えて近づいてくる連中には、見向きもしない。

 ・・・ウザイから、あっち行けや! ・・・

 オストメイトになっても、まだまだひっきりなしに女が寄り付いてくるのは、メンドイだけのことよ。

 

 日本橋の古いビルのオーナーが80過ぎたお婆ちゃんで、神田の駅前の古いビルのオーナーも80歳になったお婆ちゃん、それぞれがテナントたちと上手に関係を築けなくなっておって、昨日もそれぞれに電話があって、またまたやらかして揉めておった。

 今朝はそれぞれの現場に出向いて、コミュケーション能力が欠如した双方の話を聞きだして、喋らせてあげて、丸く収める作業から始まった。

 いつもの雑用仕事とも言えるが、コロナ自粛騒動のおかげで、みな攻撃的に尖がってる。

 尖がってるモノを見ると、その上に登りたくなるのが山馬鹿でもあるから、双方の上に登って、80キロ近い体重で押さえつけてきた。

 この頃はさ、身長も伸びたような感じもしておって、180センチを超えてきたかも・・・だな。

 

 この週末も深夜に出発するつもりだが、今日も明日も仕事がいっぱい。

 俺はいつも自分で天気図を描いてる爺ィだが、気象庁の予報とは違ってきてるな。 

 よくあることだが、だいたいが、俺の当たりだ。


星とともに生きてるようなもんだ

2020-04-28 22:11:22 | オストメイト

 

 ここ最近、深夜に奥山に向かう時は、月や星が綺麗に見えておる。

 今が一年でも、夜空の星は最高の光度なのじゃ~ないのか? いつも暗いうちから山に登り始める時、空を眺めながら休憩をし、自分の位置を確認している。

 暗い海で泳ぐときも、これはおんなじで、星の見えない夜は泳がない。

 たくさんの星が瞬いているのは、なんということもない見慣れた景色だが、プラネタリウムよりも本物のほうが絶景なのは言うまでもないことで、そういう地球や宇宙の生の息吹をいつもの光景だと言っていると、よく・・・羨ましい・・・と言われる。

 人間が、人間だけの世界で創ってるモノなんて、敵うわけもない。

 

 日曜日は昼には山から戻って爆睡して、またいつものように深夜に銀座の店に出たが、留守番電話には家賃滞納常習者からのコロナ言い訳が2件入っておって、親が死んで弟も死んでとか、給料が出なくなったから・・・その証拠と裏付けがなければ常習者は信用できないわけで、日本でも飛びぬけて優秀な敏腕弁護士たちが後見人に入ってる案件なんかもやってると、いちいち証拠を残さなければいけないから、対応は冷たい応対に聞こえるんだろう。

 そもそも泣いてくるという行為には、嘘がある。

 法が正しいと言う訳ではないが、ひとつの社会で規範を作り、皆のバランスを取っているのだから、それを守れないということは罰則によって裁かれる。

 中国には幇と幇外という価値観があるが、幇の外にいる人間は人間とは看做さない、そういう歴史もある。

 幇内で定めた決まりは生死を賭けても絶対に守り、幇の外で生きる者にはナニをしても良いだけでなく、幇のためには略奪・強奪・殺人、なんでも良いことだという話で、小さく言えば新興宗教や組織、大きく言えば国家間の争いの縮図のようなものだ。

 今回のコロナ自粛騒動は、強制ではなく要請だから、倫理や道徳というあやふやな線引きで社会は混乱してる。

 統治する側は強制すると自分たちの責任と負担が大きくなるから、要請で止めているということもある。

 要請であるから、俺は他者と接触しない形で山に登り続けている。

 登山はダメ、自粛、山岳会や野口健あたりが言ってるのは、行列渋滞の出来る人気の山のことで、山小屋があったり、トイレや東屋があるような山のことで、俺のブログを読んでる山岳会やガイドの連中は・・・あんたは関係ないだろうと・・・と、笑っている。

 人気の山を作り、百名山という訳のわからない小さなカテゴリーで括るから、創造力のない人が集まり、ゴミは大量に捨てられて、モラルだのなんだのと大騒動になってる。

 人の寄り付かない奥山に行けば解るが、メディアでは取り上げない産廃が、あちこちの山の登山口に向かう未舗装路に散乱している。

 廃村や廃屋、原発が儲かるからと放置したまんまの水力発電もたくさん残骸になったまんまだ。

 富士山だけを掃除してたって、日本の山は綺麗にはならない。

 野口健のようなミ~ハ~アルピニストがメディアでもっともらしいことを抜かしてる限りは、無理だろう。

 やるのなら、黙って独りでやっておれば良い。

 それを見て共感するものも、黙ってやって行けば良い。

 大事なことは言わない、これからの人間社会は、そうなってゆく。

 ネット社会の進歩と、情報の氾濫とは言うが、発信する人間が未熟で幼稚である限り、そうなってしまう。

 車のナビが良い例だ。

 俺のような半世紀近く日本中を自ら運転して遊び惚けてる爺ィは、ナビは距離を見るだけのことで、同じようには走ってないのが本当だ。

 データを入力する連中のオツムよりも、俺のオツムの経験と記憶の方がはるかに膨大なデータを持っている。

 すでにお月様への往復を2回終えて、また片道届きそうな距離を走っている。

 いま乗ってる2台の車も、新車で買ってすでに25万キロと16万キロを走ってる、月へ届いてる。

 そうして山奥の人が寄り付かない登山口とも言えないような場所に車を停め、そこから登山は始まる。

 同じ山でもいろんなコースがあり、道は縦横無尽に繋がっている。

 大昔は、そんな山道だけを伝って、東北地方から熊野まで詣でていた山の民もいた。

 ネットで見て、行ったつもりになる、解ったようなことを抜かす、経験者のような話をする、ナニも知らない同類の間抜けは騙せても、あらゆる経験を積んで来てるものには、通用しない。

 すぐに嘘が解る。

 現代社会は嘘と創りモノばかり、そうとも言える。

 そういう立場で、いまでも現役で生きていると、いつも子供たちや若者たちには言ってる・・・好きに生きろ! お前らが怖れるような大人はほとんどおらんがな!・・・そういうことになる。

 嘘を考え創るくらいなら、すべて自分で好きに動いて、生きて行く方が愉しいに決まってる。

 人が生きる、これは猿の物真似じゃ~ないんだぜ。

 騙されて無駄な時間を歪んだ自己満足で終わりにしたくなければ、自分で黙って動くことしかない。

 俺はガキの頃からそれを続けている。

 どうせ一度の道ならば、想う存分に好きに生きてやろう。

 

 そのエピローグに、そろそろ入ってきてると想ってる。

 愉しかったぜ、オモシロかったぜ、そうしてまだ大笑いして生きている。