オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

永遠の愛に、独占欲はありえない

2018-10-31 10:29:22 | 地球と生きる

 

 目が乾くようになった。

 冬が来たということだろう。

 ストマからの放屁も頗る多くなった。

 気持ちの良い原生の森を歩いてきたからだろう。

 銀座にいても息苦しさがなくなってくると、太陽を眺めてしまう。

 ・・・ああ、まだ生きてんだ・・・

 不思議なことでもあるような、変な心持ちになる。

 自分の日焼けした手を見て、動かして見て、まだ生きてことを実感する。

 今からでもまた原生の森を歩き、高い山の岩峰から、遠くを眺めて居たいと想う。

 いよいよ山で暮らした方がエエんやないかと、ぼんやり想う。

 

 俺にはたくさんの親族がいる。

 あちこちで女を愛して生きて来たせいでもあり、子供らもまたみな平等に俺が育て、可愛いがってきてるが、これは若い時分から常に自分は一匹のオスでしかないという想いがあるからで、決して親族は俺の所有物ではない、そういう確たる想いがある。

 女や子供ですら、同等の人間だと想い、それぞれが自分の責任で生きて行くことが、命の意味だと想ってる。

 自分と親族と、自分とアカの他人、これは同じものだ。

 だから溺愛というものもなければ、無関心ということもない。

 いずれはお別れの時がやってくる。

 生れた時とおなじように、死ぬ時は誰しも、独りだ。

 俺に愛想を尽かしたならお別れだし、追うこともなく、また新しい親族を作るだけのこと。

 そうやって生きてきたら、どんどん親族が増えてしまってる。

 独占する、自分だけのものにする、これはまだ歪んでる幼児性のなせる業でしかなく、しょせんは人間は独り、これが出発点とゴールだと知るならば、別になんということもないんだよ。

 ただ関わり合ってる親族が増えると、頼られれば向かうことになる。

 皆さんが幼児性の抜けない高齢者になっておるからこそ、還暦を迎えてさえ忙しいまんまだ。

 一人一人が悠々と生きて居れるものならば、俺はもっと自分の時間が持てるわけだが、叶わないことだ。

 人間社会とは、都合の良い錯覚と誤解と独りよがりな空想で成り立っている。

 そこで愛だとほざいておることのほとんどが、たまたま気の合っただけの幻想でしかない。

 本来の愛ならば、俺のように途切れることもなく、延々と続くものだろう。

 愛するものが増えて行く、そうあるべきものが、いつも入れ替え、交換で終わってる現代社会は病んでいる。

 哀れなもんだね。

 

 俺は小学校では6回転校してるような家に育ったからか、早くから自分の愉しみを作ることが身について、世渡りの機微すら大人顔負けだったろう。

 親にはいちいち相談などせずに、自分の好きなことをいつも見つけて生きて居た。

 また友と別れ、また引っ越しがある・・・ごくごく当たり前のことだった。

 駅のホームで電車が動き出し、せっかく仲良くなった友たちが走っておいかけ、ホームの端で手を振っている光景は、嫌というほど見たもんだ。

 家族の座る客席にはいかず、デッキから流れる景色を、かすむ目で眺めて居った。

 涙とは、身勝手な自己満足と自己陶酔の賜物だと知ったのは早かった。

 いまでは涙はさんざんに笑った時にしか出て来ない。

 きっと俺は後悔などしない生を生き抜いてやるぞ! いつもそう想っていた。

 山は身近にあり、海も身近にあった。

 そこでさんざんに遊び呆けて、死んでやる。

 そうして女子供に囲まれて、笑い転げて生きてやる。

 俺の9歳の頃の、夢だった。

 そう、現実のものと、なっておるがな。

 

 ごっつい高価な登山靴が1年で1足ダメになる。

 車には常時古い登山靴でまだ履けるものは積みっぱなしにしてるが、それがとうとうダメになった。

 2~3足はいつも履き替えているけんども、また1足買わんといかん。

 普通の人ならゴミに捨てるようなボロボロでも、俺は履けるうちは履いている。

 車と一緒で、馴染んでいるから、歩きやすいんだな。

 ただグリップは落ちる。

 で、急傾斜では、滑り落ちる。

 それが限界だろう。

 ソールの張替えは出来ても、その頃にはすべてがボロボロになってる。

 いろいろと補修もするが、それも限界になる。

 生き切る、それがモットーの俺には、履きつぶす、これも当たり前のこと。

 

 腹のストマから、今朝も快調なプ~~が良く出てる。

 良いことだ。


人のいない山と、都会のロボット

2018-10-30 10:29:17 | 地球と生きる

 

 ・・・人のいない山ばかり登ってて、大丈夫なのか? 怖くないのか? と聞かれることもあるが、都会でロボットのように生き方価値観まで入力されたオツムで、群れて集団で動いてるだけの人間の方がよほどに怖ろしいと、俺は答えている。

 自分たちはいつも平凡で正義で、右も左も前も後ろも同じ人間ばかりであることで幸せを感じてる。

 生きる死ぬまで管理され、それで平気でいること自体が、俺には脅威でもあり、驚きだ。

 ・・・自分って? 何なの??

 

 山に登った翌日から、毎日スクワット1000回はやっている。

 一日の合計だけんども、仕事の合間に分けてやっておるのが一番良い。

 週一の山歩きでは、これは最低必ず続けておらなければ、60歳を超えた肉体はすぐ劣化する。

 そうしてオストメイトになって気を使っていることは、山を歩き始めの1時間はゆっくりスピードをセーブして歩くことだが、これは腸の動きを徐々に高める効果があり、ガスもよく出るようになり、体調も良くなる。

 健常だった頃のように、猿みたいに岩から岩へと小走りに飛んだり跳ねたりはしなくなった。

 ゆっくり歩いて、景色をたくさん見て、美味い空気をたんと吸う、これが身に付いてる。

 うっかり転んで腹でも打ったらエライことだから、余計な子供じみたことはしなくなった。

 60歳過ぎて、大人になった。

 ヘルニアベルトは必ず装着しておって、それも痩せていた頃に使ってた小さいサイズのモノが良い。

 汗だくになっても、乾くのも早い。

 ドレッシング・テープでの補強はしなくなってる。

 予備のパウチや装具品などは携行しなくなった。

 WOCでは絶対に予備は持って登って!! と言われているけんども、不慮の事故など一度もない。

 パウチや圧着粘土を持参すれば、1枚は無駄になる、熱と汗の湿気でザックの中でもダメになる。

 舶来品だから安くはない。

 最初の頃は温度調節できる携帯クーラーバッグを用意して担いでおったが、メンドクサクなったし、万が一が起きても、タオルやらで押さえてヘルニアベルトで締めておけば下山は出来る。

 オストメイトの日常生活については無関心、切って縫うことが仕事の無知な外科医とおなじで、WOCの看護師もまた知識だけで実際にその環境と状況を知らないから、そんな心配事ばかりを話す。

 それじゃ~生きて行けんだろう。

 特に俺みたいな野放図に生きまくってるオヤジには、無理な相談だ。

 ・・・そんな理想ばかりほざいておると、苔むした栃の大木に押し付けて、その場で犯してしまうぞ!!

 ・・・いや~ん

 俺にはセクハラ・パワハラという意味がいまだに解らない。

 きっと皆さんには愛が足りないんだろうと、想ってる。

 

 大学時代は山岳部で、卒業して都立高校の山岳部の顧問になって数十年、いまは引退して80歳になったお婆さんが八丁堀のビルのオーナーでいるが、いつも俺の山歩きの話を愉しみにしておられる。

 山岳部が山で歌う賛歌をたくさん口ずさみながら、笑って聞いておる。

 有名な山ばかり登っておったから、俺の登る山や違うコースの話は新鮮らしい。

 ・・・あんたほんとに馬鹿ね~

 まず車で入り込めるとこまで入る、そこから登る、これが俺の登山だ。

 酷い時には曲がりくねったデコボコ未舗装路のアップダウンを、バックで何キロも走る事態になることもある。

 転回出来ない訳だ。

 片側はガードレールなどない崖、片側は落石や倒木が突き出してるような、よほどに無鉄砲でなければ出来ない。

 ブレーキもアクセルもうっかり踏めないような道、それで解る人は同類か・・・。

 地図やナビには無い道が多い。

 だから雪の降る季節でもないのに、いつもチェーンは積んであるし、修理や緊急処置の出来る道具も積んである。

 寝ないで出発して、長距離走って、そんな最後の道を運転して、そこから登山は始まる。

 たまに同行者があると、それだけで緊張と車酔いで疲れ果ててしまってる。

 携帯は繋がらない、GPSも感知しない。

 大笑いだな。

 ヘナチョコどもが。

 

 銀座の近所の八百屋のお姉ちゃんも大学では登山部だった。

 子供が小学3年で丹沢山系や高尾山系ばかり登ってるが、この日曜日は八つの赤岳に登ってきたという。

 人が多かったとは言うが、自分で車を運転しないで登山するとなると、それは仕方がないんでげすよ。

 始発のバスで登山口まで揺られ、下山口のバスの時刻表と格闘するようになる。

 山を歩きながら、時間に追われる、何しに来てんだ??

 1時間に1本なら良い方で、一日2~3便だとかもざらだ。

 ・・・あ~そうか、じゃ~あんたらが赤岳の山頂に居る時間に、俺は向かいのだ~れもいない山頂か

 ・・・悔しい~~~

 俺の山用のアルファードはサスペンションを硬くしてある。

 乗り心地はとても悪い。

 

 日本シリーズは当然にカープを見ているが、ときどき同級生の山崎隆造が解説者で出てると、そのたんびに笑ってしまってる・・・エライ爺ィになっとるな、わしのほうがずんと若いで。


かれこれ半世紀、山に登ってるな

2018-10-29 11:50:25 | 登山と遠泳

 

 だいたい週末は山に登ってるから、月曜日の朝はゆっくり動き出す。

 まず天気図を確認して、ザックの中身の足りなくなったモノを確認して、登山靴を日陰干しする・・・イロイロと忙しい。

 今週末に登る山の目星をつけて、交通状況や現場の情報、あとは天気図を週末まで睨んで置く。

 ・・・お前は仕事してないのか?  よく言われるが、今朝も売買の買付が入って、すでに契約済みの売買の決済の打ち合わせが2件、店舗の賃貸の契約予定が入っておるから、心配ご無用、むかしから皆さんの想像の範疇外で生きてる俺を心配する人たちは多いけんども、あんた人のこと心配する前に自分のことを心配しなさい、逆に笑って俺に言われてるのがオチだろう。

 若い頃は仕事の翌日、すでに海外にいる彼女の膝枕で笑ってたり、神出鬼没で生きて居る。

 でも、正真正銘の銀座の1階で現役の、周旋屋だ。

 

 明け方4時過ぎに2時間の仮眠から醒め、上信越道を目指した。

 いつも天気図はだいたい頭に入っておる。

 いかがわしいテレビや新聞の天気予報ではなくって、半世紀、俺が描いてる天気図だ。

 5時台なのにすでに関越は多くの車が数珠つなぎになっており、またまた失敗したかと想ったが、なんとか早朝の渋滞には嵌らなかった。

 この頃は皆さんもよくお出掛けになっておるようで、週末の早朝5時に出発ではどの方面も渋滞に嵌ることが多くなってるから、日本人としては良いことなんだろうが、ずっと遊び呆けてる者には、ちょっと迷惑でもある。

 みなが俺みたいに毎週往復5~600キロ走るようになれば、これは出発を深夜の2~3時台にしなきゃ~ならん。

 余談だけんども、俺の山用に乗ってるアルファードは、1年くらい前に新車から10万キロを超えたあたりから、東北道上りは佐野SAに入れと指示が出て、関越道上りは上里SAに入れと指示が出て、中央道上りは石川に入れと指示が出て、東名上りは海老名に入れと勝手に指示を出すようになってる、トヨタのメカニックにも理解できないそうだ。

 上里SAで早朝にたまに喰う腰のあるうどんを喰って、これで山を下りるまでは飯はいらんか? という感じに腹が重くなったが、オニギリやらの非常食は喰わなくても必ずザックには入れてあり、飲料やガスバーナーやコッヘルやらと一緒にいつも担いではいる。

 一眼レフのカメラも入れて、総重量はいつも20キロは軽く超えているし、古女房らと一緒だと・・・あんたが好き勝手に生きてみなに迷惑かけ続けて、それで背負ってる荷物と一緒に、わたしに背負わせた重荷も一緒に背負いなさいとなり、重いモノは俺のザックに放り込まれる。

 人生と登山がいつもおんなじに想えてるのは、俺くらいか・・・。

 そうかそうか、それならまだ、もっと重くしてやろうか? そういう肝から湧いてくる想いも、ある。

 だからたまに空身で山に登ると、バランスが悪くなってフラフラしてしまう。

 長年の習慣とは怖いもんだ。

 昨日は近場の佐久平のどこからでも見える独立峰に登ったが、登り下りで出会った人は3人ほどで、いつもとおなじ閑散とした愉しい山行だった。

 360度の絶景、お天気も良い塩梅だった。

 沢筋から谷間を登り上げるコースで、ぶなやらの原生林を歩いて行った。

 こういうコースは木霊するから、ときどき大声出して賑やかに自分の声を愉しむ。

 そこに棲む獣たちには凄く迷惑なオヤジ。

 この時期は何処の山でも広葉樹が多い山ばかりになる。

 きのこの時期は終わって、最後の紅葉落葉で森は明るく輝いている。

 なるべく原生の森で、獣たちが豊かに生きて居る山が良い。

 しだいに急こう配になってくると落ち葉に埋もれた石や木の根がよく滑り、丁寧に歩いて登った。

 最後の谷の上部は、オーバーハングしてるようにそそり立って見えてた。

 腹のパウチにはガスがずっと溜まり、全工程で20回くらいはガス抜きが必要になったし、排便も必要なくらいに腸の調子は頗る良くなってた。

 先週は野暮用があって、午後から山梨の富士山の傍の山に登って居ったが、この1週間は嫌な息苦しい感じがずっとあった。

 ・・・そろそろ終わりかな? ここまで好き放題生きて来ると、常々呑気にそう想ったりもしておったが、昨日の感じだと、ぜんぜん大丈夫だろう。

 呼吸も良く、腸の具合も良かった、まだまだ生きてしまうのか・・・もういつでもエエんやけど・・・。

 あちこちの子供らも手をかけることもなくなって、俺は孤立無援・獅子奮迅だった前半生から離れ、やっと自分のためにゆっくり生きてるようなとこがある。

 すなわち、一匹のタチの悪い獣。

 日本の山や海を毎週堪能している。

 下りに膝が痛くなったくらいで、あとは余裕のある行程だった。

 登山口までの荒れた狭く厳しい未舗装路を運転するほうが、よほど疲れる、そんなことの方が多い。

 下山してからそのまんま、武州街道で十石峠を目指して、長野側の紅葉に燃える山々を堪能した。

 中央も上信越も渋滞が始まるだろうから、最初から帰路は奥秩父山塊を越えて上野村に降り、本庄経由で羽生まで下道を走り、東北道で戻って来る予定になって居った。

 ぶどう峠越えは次回かな。

 十石峠とは、長野と群馬の県境にあり、昔は長野側から米や味噌や醤油を担いで越え、群馬側からは紙や炭を担いで越えておった。

 毎日十石の米を馬をひいて越えていたから、そう呼ばれている。

 群馬県側に入ると、紅葉はイマイチだった。

 たいした渋滞も無く、悠々と寄り道しながら戻った。

 先々週に赤城と榛名に高齢の婆様を連れて行ってやった時も、その前の週に新潟の奥志賀の山を歩いた時もおなじ東北道の羽生からというコースで戻っている。

 関越や中央や東名は、週末には走りたくないのが本音だ。

 十石峠に登る道で、木地師の墓というのがあった。

 マタギや山伏とはまた違って、原生の森に暮らしながら木工品を作っていた技術者を木地師と言う。

 わが国の山々の歴史には必ず出て来る人々だ。

 炭焼きをやりながら木地師としても訓練を積んでいたり、山の住まいを転々としながら生きて居た人々だ。

 日本中の高い山々の7合目から上は自由にして良い、そんな時代もあった。

 寂しいとか、怖いとか、自然の中で独り居られない現代人には、理解できない存在だろう。

 まぎれもなく日本人のルーツでもあり、山岳信仰を繋いだ修験者や山伏と同類の、愉しい連中だったろう。

 日本の原生の深い森に足を踏み入れてさえ、ずっと古い日本人の痕があったりする。

 現代人はまったく見向きもしないが、こんなところに? 朽ちた祠や地蔵や彫りの入った苔むした石がころがっていたりする。

 みな、よく歩いておったんだよな~、日本人は、さ。

 

 そういや~、今週末は旧帝国大学の大学院に行くらしい息子が車を貸してくれと言っておった、同棲してる彼女と出掛けるのか・・・ということは俺は四駆のCRVで出掛けることになるが・・・25万キロ近く走ってる車だから大丈夫だろうか・・・。

 ま、まわりが喧しいから仕事をすっぺや。


不正は厳し過ぎる規制の裏返しだ

2018-10-26 10:20:51 | オストメイト

 

 昨夜は息苦しくて呼吸が止まってしまいそうだったから、起きてスクワットを一気に500回やった。

 おかげでガスが良く出るようになって、パウチのガス抜きが忙しくて細切れの睡眠だったが、呼吸は戻った。

 今朝は膝がウズウズしておって、早く山に行こうと急かされてる。

 病気で熱があるから病院に行き、薬をもらう・・・こういう間抜けな習慣をガキの頃からやってると、自分の身体のことなのに自分では解らない、そんなド阿呆に育ってしまう。

 俺はガキの頃から激しいスポーツをやってたおかげで、熱が出れば風呂に入り、身体を動かすことで下げることを学んだから、ジッと安静にしてることなどなかった。

 自分でなんとかしよう、それが基本にある。

 この頃の親や爺婆を見てると、もうどうしようもないね、すべてが貴方任せ、教育はすでに終わってる。

 奴隷として優秀に生きる術を伝える、これは人間の教育とは言わんのだがな。

 

 銀座周辺の地主やビル・オーナーの二代目・三代目になってる現代では、閉塞感満載、いつの時代の人たちなの? の古ぼけた価値観満載、なんでもそうだが創業者・最初に立ち上げた人間以外は、ただのボンクラの集まり、なんか自分で始めると言っても、ありきたりのロボット思考能力しか持たないゴール・キーパーばかり、家は三代で滅びるとはよく言ったもんで、淘汰の時期が近づいてきておる。

 ざま~ね~が、自業自得でもある。

 しがみついておっても、とっとと入れ換えが始まってる。

 何様だったの? そう、夢だったよ。

 

 子供が虐められたりすると困るから強くなって欲しいと願って、小さい頃からレスリングやボクシングや空手を習わしたりしてる親は多いが、ゼニカネ払って鍛えてもらってると思ってるのは親のことで、俺らの時代はそんな奴はだいたいがそれが原因で虐められたりやっつけられたりしておった。

 ・・・空手初段? おい、やってみようか?

 ・・・ボクシング? おい、ちょっと遊ぼうぜ!

 ・・・レスリング? どれどれ、教えてくれや!

 悪ガキは野原で暴れまわっているのが普通の時代、ルールや技など関係なしに、喧嘩は進んで行ってた。

 参加資格やルールに守られてる連中は、敵う訳もない、ボコボコ血だらけだったな。

 最近では、海でたっぷり泳いで波しぶきをあげて浜に上がってくると、群れてナンパしてるお兄ちゃんたちや筋肉見せてるだけの兄ちゃんたちは、サッと道を開けてるのとおんなじよ。

 海は泳ぐとこだ、これが一番。

 ハチマキ締めてるオヤジがドカッと女子供の傍に座って大声で笑ってると、じきにみな居なくなってる。

 ひとりで生きられない男は、とっとと去るしか方法はない、これ獣の世界の掟でもある。

 俺の子供らはみなスポーツクラブではキャプテンばかり、生徒会長だったり、みなリーダーシップを持ってガキの頃から生きてるが、それは俺がいつも先頭にたって一緒に遊んで生きてるからだ。

 誰かに預けて他人まかせの教育はしてない証拠だ。

 一番おっかないのは、死ぬまで俺だろうよ。

 そうやってチンケな人間社会での生き方価値観はみな身について行くんだ。

 つい最近では、腹違いの息子二人と娘と4人で遊んだが・・・みなキャプテンか?・・・ヘナチョコどもを束ねて運動会の騎馬戦ではみな大将か?・・・大笑いしておった。

 戦国時代なら、愉しいことだったろうが、現代でも、これからは愉しい荒れた時代になって行くさ。

 

 米国中間選挙を前にして、軍産バックのクリントン一味が自作自演の自爆攻撃を仕掛けてるが、滑稽な喜劇だ。

 わが国の官僚や政治家、新聞・テレビの大メディア群はこれらの子飼いだから、幼稚なことばかりやっている。

 真に受けてる国民も多いから、笑えもしない酸鼻に等しい。

 

 自動ブレーキ、自動運転の車の事故が増えている。

 最初から俺なんかは言ってる通りのことで、別に驚くことでもないだろう。

 作ってるメーカーのエンジニアだって、それを最初から言っておったくらいだ。

 乗る人の意識によっては、事故が増える危険性については、商業主義が蓋をした。

 そんだけのことよ、だから自動運転の車には、近寄らないに限る。

 俺なんかは、そんな車は一気に追い抜いて安全な距離を保って走ってる。

 

 湾岸エリアの東京オリンピックの跡地は、ラスベガス・サンズの主導するカジノを中心に、再開発が為されるんだろうが、日本の主要都市にカジノを作るという構想は、いずれ頓挫する。

 日本はそういう国ではない、これが解ってない。

 

 カヤバのダンパー不正、マンションや建物のことばかり騒いでるが、カヤバは車やバイクで有名なメーカーだ。

 なんでそっちは騒がないの? 大変なことになるからだろうが、高速道路や橋は? 笑って見てようか?

 日本と言う国は、規制が厳しくなってるおかげで、不正というモノが多くなってるとは考えないの?

 他の国では優秀、それが我が国では不正、そういうことも多いんだよ。

 不正を騒ぐ前に、そこまで厳しくする意味については考えない、これもまた阿呆の性だな。

 

 山が燃えている。俺を呼んでいる。


月へ旅行? 俺は2往復はしてる

2018-10-25 10:05:30 | よもやま話

 

 仕事も忙しい、多くの身内の世話も忙しい、関わり合ってる連中との野暮用も忙しい・・・でも、週末にはどこぞの山の頂から、地球を眺めている、これが山馬鹿という類の獣の性だ。

 群馬・栃木に埼玉・山梨・神奈川の近場の東京寄りであれば、午後からでも登りに出掛ける。

 いつ寝てるの? 昔からよく言われるが、寝るのは暇な隙間でじゅうぶん、だから寝てないように見えてる。

 定時就寝、定時起床、定時出社・・・ロボットみたいな生活を規則正しいと喜んでる間抜けな奴隷、飼い主は喜ぶんだろうが、褒められて賞状もらってるあんたのオツムはイカれてる。

 

 毎日毎日、日銀は株を買い支えている。

 安倍や麻生には、すでに日本の財政破綻が解っている。

 金融緩和から引き締め? 出口と言ってるのは、彼らの逃げ道のことだ。

 解っているからこそ、こんな無茶な政治をゼニカネばら撒いて続けている。

 ゼニカネ貰って喜んでる阿呆ばかり、くだらない日常とは、そういう連中のことさ。

 子供銀行の紙幣だと、気が付いてんの??

 

 サウジアラビアに武器兵器を大量に売っている国は、今回の皇太子の事件には黙ってしまってる。

 イギリス・フランスetc・・・アメリカとトルコは証拠のブツを押さえているから、その使い道を考えている。

 世界平和だの、人道支援だの、貧しい国に援助を・・・だの、すべてはキレイゴトだったと丸見えになってる。

 すなわちゼニカネ儲けの為だけに、先進諸国はみな政治を行っている。

 国連、ノーベル賞、赤十字、オリンピックにあれやこれや、すべてが過去の遺物となってる。

 当たり前、人間の心臓は産まれたが最後、死ぬまで動き続けている、過去にすがる生き物ではないということ。

 前に、未来にと、終わりが来るまで生きるのが、人類だ。

 俺はさ、それに忠実に生きている。

 

 現在よく乗ってる2台の車は、新車から買って1台は25万キロ、もう1台は13万キロを走ってる。

 10年も経たないで2台だけでもそのくらい乗っている・・・つまり月への片道距離をすでに走ってる訳だ。

 日本の山や海で遊び呆けるとは、そういうことになる。

 多い時は5台の車を持ってたり、若い頃からの総運転距離は月への往復どころではなく、2往復と、そのまた片道くらいは走ってるだろう。

 長距離トラックのドライバーと変わらない。

 月への宇宙旅行なんざ、興味もないね。

 宇宙科学者は言う、月に住める学問は出来上がってると・・・計算上は、の話。

 地球の地磁気が薄い場所で長時間人間が生きて居れるものならば・・・という仮定の上での机上の空論だ。

 月面着陸したというNASAはその後どうしてる?

 もう月に基地が出来ておっても良いくらいの年月が流れているが、その後はナニも広報から発表はない。

 地磁気が無いと健康に生存できない人類について、語る学者もいない。

 地球のまわりを回ってる凄い数の人工衛星は、古くなって作動しなくなったものは地球上に落下している筈だが、打ち上げる話ばかりで、その回収や処理についての話はナニも無い。

 商業主義に脳ミソまでやられている現代人は、そんな簡単な疑問すら持たないで、感動している。

 ふざけんな!! って話だな。

 千葉の養老渓谷のそばでは、地球が繰り返して来た地磁気逆転が解る地層が露出しているけんども、あと1000年くらいで、地磁気は弱り地磁気の逆転の時期が来ると言われているが、北極と南極がチェンジする訳だ。

 その時、地球を周回する月は、弱った地磁気によって地球から離れて行ってしまうやも知れず、そうなると地球の自転速度はとてもじゃ~ないが生命が維持できるスピードではなくなって、高速回転になっているだろう。

 いろんなことがあるんだよ、人類なんてそこで運命と諦めるしかない存在さ。

 ならばどう生きるのか?

 よ~く考えてみようか・・・。