オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

仕掛けて生きてる、周旋屋の性癖

2021-06-19 11:04:59 | 銀座の周旋屋

 

 お台場の、東京オリンピック会場に囲まれた場所にある中高一貫校に子どもを通わせてる知り合いの両親から、子供たちの運動会は中止になってるのに、すぐ傍で行われる東京オリンピックは開催するということが納得できない、子供たちも同じように言っていると聞いた。

 さてさて、こんなだらしの無い大人社会を、子供らはどう見ているのか?

 関わる者らの利益のために、スポンサーの利益のために、国民は虫かごに入れられている。

 

 政府が、住宅ローン減税や居住用不動産への優遇措置と称して、いろんなことをやる時は、総じて不動産価額が高く市場が低迷しつつある時と決まってる。

 市場の活性化が目的だとは言うが、本音は徴税という政府の収入減を増やすことが目的だ。

 マスコミ上げての企画を大々的にやったあと、不動産市場は下落する。

 優遇されて得したと信じていた購入層は、別に慌てずに、不動産価額が落ちてから買った方が良かったと気が付くのは、ずっと後のことになる。

 そもそも住宅ローンは首枷・足枷のことだが、消費者金融・暴力金融から借りた金とは違い財産が残るとは言うが、財産とはすなわち負債のことでもあり、そういう真実を知らない消費者が社会には溢れ返っている。

 モノという財産は、裏返せば負債でしかない。

 

 俺もそうだが、30数年前に弾けたわが国の不動産バブルをド真ん中で謳歌し、そこから低迷するデフレの社会を眺めて生きて来ると、すべてのモノに興味などなくなってしまう。

 あらゆる贅沢を知ると、その無駄な荷物の多さに辟易し、捨てることで身軽になるしか気持ちの健康は無い。

 いつもの日常を、どんだけ豊かに愉しく過ごすか、それだけでシンプルに生きる。

 国家や社会に振り回されることなく、悠々と自由自在に生きる、これが一番だ。

 

 おなじように、生きている価値観も無駄を省き、根拠のない道徳や倫理、感情や感傷も捨て去って、風習や伝統も歴史すら、その嘘と作り話を消去してゆくと、随分と楽になるもんだ。

 命はあちこちに産ませ育てておけば良い。

 みな手塩にかけて育てても、俺自身の生涯とは別個のモノだ。

 産み育てる、この繰り返し、そうして自分自身は山や海で遊び惚ける。

 それらの為に、要らぬ拘束や自由を失うことなく食い扶持作りをするには、ナニにも拠らない自営しかない。

 餌は貰うモノでは無く、自分で手にするモノだ。

 借金・負債や貸し借りはいっさい負わず、それを為すには、現実社会ですべてを合理的に簡素化することが必要になるが、その分、対人間への愛情は深く濃くなってゆく。

 自らの命と、他の命の関わり合い、これだけで良い。

 

 ただ長生きすること、長生きさせることが、美徳だとか幸せだとかという価値観が、俺には無い。

 生まれて周囲の洗脳・教育のまんまに生きて来た受け身・被害者人間であれば、その洗脳感覚があるのかも知れないが、いつも自分から仕掛けて、自分で動いて生きて来た者には、どうにも理解の出来ない変な価値観だ。

 ・・・チッ! こんな胡散臭い人間の社会で生きるくらいなら、羊水に浸かって居た方が良かったぜ! と、産まれてすぐに命を絶ってしまうことだって別に悲劇でも哀しいことでもなく、あっても良いんじゃ~ないのか?

 生きるということは、他人に急かされてすることでもないし、おなじ人間に評価や褒美をもらうためにすることでもない訳で、人それぞれ、楽しいことが続くから、もっと長生きしたいとか、もう充分に生きたと後悔無く終わりにすることだって、別にそれは本人の希望で良い訳だ。

 そこに良い悪いや感傷も感情もあり得ない。

 息苦しいとか、ストレスや辛い我慢ばかりで過ごして、そのまんま終わってしまってる人たちは多い。

 ・・・ナニが楽しくて生きてるの?

 いはんや豊富な財産を持ち、日々の暮らしに困ることは無いとは言っても、その身体の異変や他者とのコミュニケーションでは弱い逃避癖から、煩悶しひっくり返ってる連中だってたくさんいる。

 人間の幸せとはナニか? ナニが楽しくて生きているのか? 俺は63年、それだけで生きて来た。

 色んなことがあったが、そのほとんどが自分から仕掛けたアクシデントの積み重ねだったから、後悔がまるで無い。

 どんな生き物でも、まず楽しく生きていたいというのは同じだろう。

 その為に自分の意識や思考や感情をコントロールして、余計な雑音をすべて省いてしまって、身軽になることはとても大事なことだ。

 

 春先から田舎の実家を売却することで動き始め、墓地ではなく丘の上に建つ大きな石碑とまわりに朽ちている10何代も前からの先祖墓の取り扱い、要介護になった90歳を超えた爺様と86歳の婆様の引っ越し、古い無駄に大きな2世帯住居に残る残置物の処分、大雑把に言えばそれだけでも今年のバブル多忙な仕事の量を超えるくらいの、時間と労力を注ぎ込んで、俺が仕切ってプランニングして動き出している。

 仕掛けた以上は、多くの身内の反発や、極悪人になることも覚悟のうえで、一気に地上げを進めて行くように、どんどんドラマを作って行ってる。

 銀座の店から徒歩8分くらいの場所に、小さな古いが日当たりの良い南向きの2DKを借りてある。

 大病院にも徒歩5分。

 普通なら、92歳と86歳の老夫婦にマンションの部屋を貸す大家はいないだろう。

 長年の付き合いの、多くの人たちが動いてくれている。

 自営を続けながら無償で、いろんな関わり合いに走り回って来た30年が、手を貸してくれてる。

 千手観音とは言うが、現実にそうなって来てる。

 この日曜日から羽田に車を4日ほど停めておいて、向こうでは4日ほどレンタカーを用意し、病院では診療データの移管や、官公庁やらの手続きも済ませ、荷造りをし、認知の入ってる爺様を大勢で刺激しないようにと、あくまでも俺ひとりで二人を飛行機に乗せて連れて来て、3日ほど新居近くのホテルに滞在させて、ゆっくり新居に移動させようと考えている。

 新居には、介護用のモノはすでに準備しつつある。

 ナニが起きるかも解らない。

 いつも登ってる人気のない高い奥山に登る時の心境に似ている。

 便漏れもあるからオムツも持参して、時間には余裕を持たせてプランニングはしてある。

 こっちにくれば安心だし、結婚してる子供たちや、まわりの人間のフォローが幾らでもあるから、冥途の土産にオモシロイ猿芝居でもしてやろうかと考えている。

 老人の、その人生の中身の良い悪いは別にして、人間80年90年も生きれば御の字だろう。

 笑って送ってやれる準備を終えるということだ。

 介護や介助の勉強も、毎日夜になるとしておって、知識だけは色々と身に着けている。

 激しく生き続けている63歳の身体障害者の爺ィが、この歳でまた新しい知識を取り入れてる。

 おかげで最近ボケが多かったのも、正気に戻ってキレキレの状態になっている。

 一度にいろんなことを一気にこなす、これは周旋屋の秘儀でもあるが、まだまだオツムも大丈夫だと笑ってる。

 これが終わったら、大量に残る実家の残置物の処分と家の売却にと、通わなければいけないが、まずは命が先。

 

 生きているって、オモシロいし、愉しいもんだ。

 関わり合ってる人間が多ければ多いほど、そのお付き合いは生きてることを実感できる。

 この一億総痴呆のようなコロナ下で、高齢者を東京のど真ん中に引っ越しさせるなんて、狂気の沙汰だろうな。

 人殺しの極悪人になってる。

 身体はすでにガタガタになってるが、こうやってコロナごときチンケな感染症ではなく、子としての責任と過労で死ぬなら、本望だろう。
 
 

ワクチンって?ナニか知ってる?

2021-06-16 10:11:16 | 新型肺炎コロナ・ワクチン

 

 コロナ教の布教活動は順調で、集団でコロリとコロナで洗脳される日本人が、その敬虔な信者として見本のような立場になっておって、これで東京オリンピックが上手いこと行けば、日本は世界の憧れの国になる。

 ・・・ということで、またまた外資が買い漁りにやって来てる。

 銀座に居れば、メディアなどの報道よりも半年以上は早く社会の変化が解る。

 中国とロシアが主になって進めている一帯一路政策は着々と進み、日本はその北極海航路の中継地にもなり、安全な観光カジノ国家へと、向かっている。

 日本に自主性は無く、常に振り回されて言われるがまんま、刻々とアメリカから距離をとっていってる。

 既に終わってしまってる覇権国アメリカ、これからの世界の中心でもある中国とロシア、社会主義化して行ってるアメリカと、資本主義化して行ってる中国、オモシロイ見世物だ。

 トランプが進めていたアメリカの世界覇権からの撤退、これをハリウッド・バイデンが続けているようでもある。

 すでにホンモノは拘留されているか、あの世に逝っているか、認知症バイデンを演じている役者の名前までバラされているが、いまだにエアーフォース・ワンにはトランプが乗り、核のボタンもトランプが持っている。

 トランプの第二弾、院政とでも言うのか、そんなオモシロイ眺めになっている。

 ドルを基軸通貨から切り離すためには? そんな流れで対中国や対ロシアには強硬姿勢を保っている。

 そうやって今までのアメリカ中心の世界から、アメリカ離れを加速させるような滑稽な猿芝居。

 我が国では自民党二階派議員への虐めがずっと続いているが、二階派は親中国ということで、アメリカべったりの売国日本人連中が虐めを続けているが、そのうちに逆転するだろう。

 大きな方向性は出来上がっている。

 その前に、国民は激痛・悲劇を強いられることもあるだろう。

 

 PCR検査については、その生みの親でもあるマリス博士について、1年前からここに書いてるが、陽性者をなんとでも多く出すことができる、いい加減な検査だと、ずっと言ってきた。

 マリスはそれを遺言で言い、殺されてる。

 そんなものを新型コロナの判定に、世界中で使うことを指示したのは、誰だ??

 人類を敵に回すような行動を起こしている連中が居り、世界中のメディアを使って人類を洗脳して行ってる。

 どうして人類の敵だと、誰も言わないのか?

 敵の姿がよく解らないから? ならば自粛やワクチン接種には、従うこともないだろう。

 人類の99%が、ド阿呆間抜けなオツムてんてんに成り果てたのか?

 自粛に、お籠り強制、ワクチン接種・・・ガス室に入れ! と、言われてるようなもんだろう。

 巷では、メクラマシの煽動記事とニュースのオンパレード、大袈裟な喧嘩もまたメクラマシ、詐欺師の常套手だ。

 俺は、ずっと大笑いして生きている。

 

 ドイツでは、大勢の司法関係者たちが訴訟を起こしているというが、その相手はCDC・WHO・ダボス会議だ。

 人類の敵を訴えるという動きだが、これが世界中で起こらないことが不思議でならない。

 日本なぞは、高学歴・偏差値暗記馬鹿ばかりで、どうにもならん間抜けで腐り果てた酸鼻。

 

 人は呪われるのではなくって、呪われた価値観や日常を自分に強いて、それで呪われたことにしているだけだ。

 あの世も霊魂もある訳がなくって、そう思い続ける日常に、幻想を見て、幻に生きるようになるだけのことだ。

 すべての認識は常にそれぞれの人間の内にしかなく、その内側をキレイに整理整頓しておけば嘘は通用しない。

 俺ですら20歳の頃にはすでに見抜いておったこんな簡単なことを、いまだに出来ないでしっかり溺れてるのは、これは見ていて笑えもしない醜態だろう。

 

 世界の動きのすべてが滑稽で、バーチャル、作りモノ、人工の軽石みたいなことになって、いよいよ人類はロボット・コンピューターにでも管理されるような低能・低俗な小動物になって行ってる。

 あとはワクチン接種で横並び、よく働く歯車として、世界を牛耳ろうとしている連中の良き奴隷になることだ。

 良い子良い子で、少しの餌をもらい、また働いてくるようにと尻を叩かれて喜んでる。

 遺伝子組み換え、不妊になるワクチン、子孫を絶やしてしまえば、戦は勝ちだろう。

 猿な民族・国民は、みな根絶やしにする、そういうことくらいはあり得るだろう。

 人類の世界なんてそんなもんだろうとは想うが、俺まで巻き込まれるのは勘弁してほしい。

 しょせんは人類がこの地球にあるもので遊んでる遊具、それをぶち壊す免疫と抗体を持って居れば無反応。

 だからこの超多忙な日常の中でも、まだまだ俺は大きな仕事を作って行ってる。

 どこで群れから完全に離れ去るか、それが最後の動きになるんだろう。

 

 獅子奮迅とは言うが、夜叉が全身全霊で動き出すと、この40年で培って関わって来た大勢の異種異業種の人たちが、みな後方支援みたいな陣形を作ってくれておって、ありがたいことよ。

 お礼に、またあちこちに俺の種をばら撒きたくもなる。

 そもそも種を撒き、強く育てあげることをしないオスは、オスとも言えんがな。


介護と昭和の家の解体と墓仕舞い

2021-06-14 09:23:51 | 地球と生きる

 

 認知症が酷くなってる要介護の92歳の爺様と、傍に暮らしてる陽気な86歳の婆様の元に行き、先に銀座の店の近くに引っ越しさせる小さな2DKのマンションを用意し、その引っ越しと実家の売却と古い大量の荷物の整理を始めている。

 片道新幹線で4時間、これを何度も繰り返してゆっくり進めている。

 

 2世帯同居用のキッチンまで2つあるような無駄に広い昭和の見栄張り一戸建てだから、荷物の量も半端ない。

 なぜ? いままで二人で30年も呑気に暮らしていながら、整理をしてなかったのか?

 開けたこともなかった押し入れやタンスには、30年前には既に亡くなっている爺婆の荷物も、まだ残っていた。

 驚くような状態を確認して、コマメに捨てて来たが、まだまだ2トントラック3台分くらいの不要な荷物がある。

 認知の入ってる老人とボケが来ている老人、先にこれらを移動させて、最後にそれらの処分をするつもりで段通りを組んでいる。

 何度も家の中をガタガタやってると、普通でない刺激はあるから、認知が酷くなることもある。

 爺様は言いたい放題の、やりたい放題、滑稽な言動も多くなってるが、その都度に哀れでもある。

 正気に戻ると・・・ワシにはなんも出来んのよ・・・うなだれてる。

 天性陽気で火に油を注ぐような婆様にも、余計な対応を止めるように色々と話しておいてある。

 暴走を抑える薬ももらっている。

 徒労感ばかりがあるが、漫画のようでもある。

 

 ゼニカネよりも人の命、とは言うが、それでもゼニカネがなければ人の命も救えなくなってるのも、現代社会だ。

 もう、充分に生きたろう? これが俺の正直な気持ちだ。

 そこに感情や感傷などなく、ただただ哀れではある。

 本来ならばそこで終わりを迎えてくれるのが良かったが、一緒に暮らす婆様の様子もおかしくなった。

 それでなくとも他人よりも扶養家族がはるかに多いのに、放置する訳にも行かず、身体はまたクタクタになってる。

 身体に障害を負ったときも、諦めかけていた半年間、それでも今、俺は死ねないだろうと立ち上がったもんだったが、おなじようなことになってる。

 ボロ雑巾のようになって、東京に戻る新幹線ではひたすらに眠った。

 高い険しい山の頂きを目指すとき、クタクタになり、ナニも考えることもなくなって、ひたすらに歩を進める。

 そんな状態になってる。

 ややこしい仕事をたくさん抱えていながらも、動き回るしか、ないだろうな。

 後悔しない生き方とは、常にそういうことだ。

 そこで野垂れ死にする方が、俺は満足ではある。

 俺自身は、内容の無茶苦茶に濃い63年を生きてきたから、いつ死んでも満足ではある。

 

 10数年前に、家の残債がまだ残ってるというので肩代わりしてキレイにしてやったが、その時には丁度いいから東京に来て終活をするように何度も言ったが、頑として聞き入れなかった挙句の大騒動。

 買い物に行くにも車が無ければ行けないような場所で、どうするんだ? 何度も聞いたが呑気なもんだった。

 仕方が無いので小さな車にも買い替えてやった。

 結局薬局、すべて俺がやることになって、その癖に文句ばかり言ってる認知の爺様を動かすことが良いのか悪いのか、ずっと考えておったが、現実は動くしかない訳で、全責任を負うということで話を進めて行ってる。

 身内に文句を言う者や、足を引っ張る者がおれば、即刻金輪際のお付き合いは無しにする、その覚悟は最初からある。

 そんなもんだで、大勢の親戚よりも、日常に関わり合ってるアカの他人が大事。

 家という間抜けな幻想に縋りついて生きてる獣のお世話、そんな感じだ。

 山に遺る大きな石碑とまわりの先祖の墓も、記念碑みたいに置いておいて、朽ちるに任せる。

 少しの砂だけ持って来て、認知のボケ爺様が逝った時に一緒に埋葬してやる。

 ・・・みんな一緒だよ・・・幼児をあやすようだ。

 これからは、面倒の無い共同墓地で充分だと、俺は考えている。

 自身は、山奥に放置か、海に投げ込んでくれれば良いんだが、法があるならば共同墓地でエエがな。

 死んでからもなんで金がかかる? なんで個別の居場所が必要? そういう無意味な宗教的な儀式はいっさい興味もないし、やるつもりもない。

 ましてや戒名などという、間抜けなモノなど、ごめん被る。

 すでに人間社会の神や仏は、とっくの昔に超えてしまってる。

 修行や鍛錬というのなら、人類の歴史上の怪しい作られた英雄たちよりも遥かに鍛えあげて来てる。

 あとは身体が生きている時にこそ、目いっぱい愉しむ、それだけで充分だ。

 

 まさに昭和の良き時代が終わりを迎えている。

 家の風習や習慣などは屁みたいなもんで、ナニも無いのが本当だ。

 爺婆はそう生きた、親はそう生きた、俺は自分で考えてそうは生きないだけ。

 家という在りもしないすべてを捨て去って、俺がそこに座る。

 平成・令和と続く昭和からの洗脳時代の終わりに、俺がその上に重石となって座る。

 それで生きてきてる。

 爺婆や親の付き合いなども、それぞれの死ですべて終わる。

 俺には俺の、身内よりも濃いアカの他人との関わり合いがたくさんある。

 

 人間は高齢になり、自分で動くことが出来なくなったら、終わるべき。

 洗脳と煽動で生きた幻想から醒めることもなく、老いて身体もオツムもイカレテしまうくらいなら、それが良い。

 人間は、長生きだけすれば良いのか?

 ただただ生きていることが幸せなことなのか?

 俺はずっと嘘だと想って生きて来てる。

 若くして死ぬのも別に悪いことでもないと想ってる。

 現に俺の周りには、早くに死んで逝った者らも多かった。

 いずれこうなることも考えてはいたが、俺自身も老いて身体に障害を負っているから、なかなかに大変だわい。

 幸いなことは、日々生きてる上でのスタンスは、ガチガチに固まってるから、揺れることはない。

 笑い飛ばして、やってくしかない。

 

 景気が悪くなり、皆が喰うに困って来ると、老いぼれ高齢者は見捨てられて行くんだろう。

 それを宗教で食い止めて、いけないことだと親孝行を説く、それでもゼニカネの無い者には生きる足枷でしかない。

 そんな間抜けなことを繰り返して、人類を支配する側に踊らされ、夢を見ながら呆然と、生きて来たのが西暦という、なんの肥しにもならない、まやかしの時代さ。

 

 ほたるの里は日本中にあるが、そういう季節になってきておったな~。

 

馬鹿野郎ばかりな、浮世の肥溜め

2021-06-09 10:11:30 | 銀座の周旋屋

 

 幼児は、モノに固執して、モノに自分を反映させようとし、幼児のまんまの大人社会では、モノやゼニカネに固執し、そのモノやゼニカネで自分を表現しようとするが、しょせんは、幼児のまんまだ。

 豊かな自分があれば、なにもモノなど必要とせず、ゼニカネも生きて行けておれば余分には要らない。

 ただ自由自在に笑って生きることを邪魔する者があれば、とことん戦う、そんだけのことよ。

 常時喧嘩三昧、オスの生なんて、そんなもんさ。

 そうして暴力だけの力づくの喧嘩など、知恵の前では子供騙し。

 なにが獣の中で強者と呼ばれるのか? 

 金メダルや世界一の勲章ではないのは当然だが、メディアの神輿に乗ってるだけのタコでもない。

 現実をキチンと、他人の何倍もの扶養家族を抱えて笑って生きる、誰にも止められない暴走にも等しい遊び。

 それを楽しんでいるわい。

 

 この1年、ほぼ毎週、日本のアチコチの山に登って来てるが、都会の日常は自粛にはほど遠く、通勤・通学などは混雑に渋滞のまんま、休日だけは気をつけて過ごしましょう、そんな感じだが、田舎の情報弱者にメディア奴隷の方々は、ヒステリックに神経過敏に生きておって、オモシロイ見世物でも見てるような不思議な感じだった。

 これが素晴らしい日本の実態? 先進国、生活も楽になった幸せな国ニッポンの、本当の姿なんだろう。

 胡散臭いことこの上ない。

 PCR検査の何たるかも調べずに、テレビや新聞の解説を丸呑みし、恐怖政治に恐れ戦くオツム貧しい民、そんな昔のハリウッド映画にもあった光景が、あちこちで生々しく観察できたもんだ。

 今度はワクチンか? ずいぶんとオモシロイ見世物になってる。

 新聞・テレビが大本営発表になっておるから、韓国や中国が攻めてくる!! とやれば、皆さんは弱い高齢者や女子供を隠してまわり、挙句に集団自決までさせるんだろう。

 敗戦から、な~んも変わらない日本人。

 

 お金というものは、質札とおなじで、それ自体にはナンの意味も無いものだが、それを使ってナニかをするということで、いかにも価値があるように見えてしまってる。

 貯めるものではなく、稼いでは使う、使うことによって他人が喜ぶことが起きれば意味があるという、そんだけのものだが、ではなぜ貴方は生きて、ナニが楽しくて毎日を過ごしているのかという立ち位置がはっきりしてない人間がそれを持ってしまうと、ただの自転車操業、輪廻の輪の中でモルモット運動、そんなとこだ。

 死に金と生きた金の使い方、これはある。

 自分だけの為に使う金は死に金だ。

 自分を誇示するために使う金も死に金だ。

 自分を表現するために消費する金も死に金だ。

 貯えて抱えてるだけの通帳と変わらない。

 そこに億を超える金額が印刷してあっても、ただのインキ臭い文字。

 

 姥捨て山の話は、実際にあちこちであった話だが、毎週のように歩いている奥山では、いまだに大雨や台風で崩れた山肌から、人骨が出て来ることは多い。

 乱暴されて、身ぐるみ剥がれて、谷底に放り投げられた遺骨が、バラバラになってる渓流もある。

 独り暮らしの高齢者ばかりが入居している崩れそうなアパートを、あちこちで管理する仕事は誰もやりたがらない。

 孤独死の死体に強烈な腐臭が漂い、蛆が湧き、いろんな虫や小動物に喰い荒らされ、惨めこの上ない。

 そこにあるものは、ただのモノだ。

 モノに固執し、モノになる。

 沖縄の墓は海岸線に石積みの小屋のようなものを建て、そこにある。

 死者を放置し、腐らせて、乾かして、雨風に晒して、キレイにする風習があった。

 日本中にあった。

 モノからの解脱、これは人類の繰り返してきた風習でもある。

 それを手にすることが人類の幸せでもあるが、それは人間の社会でグチャグチャに揉まれて、誰よりも多くの関わり合いの中でも笑っていることで、可能になる。

 宗教や哲学を語っておるうちは、幼児のままだ。

 標高2000mからの絶景を見て生きる、地球を見渡して生きる。

 言葉を超えるとは、そういうことなんだが、解んね~だろうな~。

 

 さ、契約の準備をひとつこなして、田舎へと向かうべな。

 腹のパウチの交換サイクルに合わせて、今日を逃すとメンドウが増えるから、とっとと行くべよ。


人類社会の、価値の大転換は進む 

2021-06-07 10:47:32 | 新型肺炎コロナ・ワクチン

 

 年寄りの知恵、経験を生かすだとか、年寄りから日本の伝統を継ぎ、伝えるだとか、それは昭和の復興平和な時代のことであって、この現代でそれをやってると、良いように利用されるだけの寂しく痛いことになる。

 料理ひとつとっても、社会に洗脳され尽くしてる老人の知恵や工夫なんざ、役に立つもんでもない。

 ボケ老人や認知症を受け継ぐのか?

 残念ながら、コマーシャルとしては感傷的で良いんだろうが、現実社会では余計なお世話の雑音にしかなってない。

 こんな情けの無い国家・国民性にしたのは、他でもない、いまの高齢世代だ。

 若い人たちは、最初から、自分で工夫して生きた方が賢明で近道ではある。

 

 自分らで作り上げ、飾り立てて来た風習や伝統や歴史という価値、これが負債となり、自分たち自身が身動き出来なくなってる滑稽な高齢猿の群れがある。

 ここ数年、そういう高齢者たちの愚痴を聞くことは増えているが、恥ずかしい話、厳しく子や孫に言いつけて叩き込んで来たことで、老いた自分たちが本来あるべき自由を奪われてしまってる。

 洗脳して、煽動して来た張本人らが、自分たちの首を絞めて行ってる。

 もう、その歪んだ状態のまんまで、終わりを迎えるより他に仕様がない。

 ・・・まったくよ~、な~にやってたんだろうな~、間抜けよ、本当の間抜けよ

 その間抜けが、子や孫に引き継がれて行くのを、情けなく見ているだけになってる。

 

 人間は脳みそ思考のオツムだけで生きてる獣ではないのに、肉体を不健康に制御して、難病・奇病になっている。

 

 人間関係、人間絡みの話し合いをまとめるには、民主的な話し合いや協議も必要だが、最終的には一人が独裁的に判断・結論を出し、事を動かし、全責任を負うというのが、古代からの人類の歴史だ。

 民主的に、平和に、温和にまとめているように見せる技術は、まずその日常から厳しく自らを律することのできる者でなければ手につかず、その実は冷酷で独裁的な行動力でそれを為す、そんなところだ。

 小さな世俗的な話にすれば、墓仕舞いや高齢者の面倒、家のしきたりた風習や伝統の終焉と整理、こういうことをやるには孤立し悪者となることも厭わない、強いオスの存在が必ずや必要となる。

 大きな話にすれば、国際間の貿易摩擦や関税についての取り決めを再構築し、通貨のバランスを現代に合わせて再構築することなどは、基軸通貨国・世界の警察を自負する強い国家の強い指導者が主導して行って来たことだが、その強かった国家が力を失った今、人類全体の生死に関わる別の事件や事故を起こして、それを利用して一気にやる、そういう方法しかなくなってる。

 コロナ教の布教は、その為に起こされている。

 現代資本主義の行き詰まりが、原因だ。

 マスクがどうたら、ワクチンがどうたらという話ではなくって、人類の行動に制限を加え、新しいルール作りをするというのが、本当の意味だろう。

 すなわち、人類社会の価値の大転換、俺が30年前から言ってきたことが、現実に起きている。

 コロナ自体にはたいした意味もなく、殺傷力もたいしてないが、情報社会の洗脳と煽動だけを使って、上手いこと恐怖政治を進めているようでもある。

 99%の人類が、それに踊らされているだろう。

 そんだけのことよ。

 

 まだ地方巡業に出掛けることが出来ず、コロナ下でノロノロと怠慢に動く連中のおかげで、なかなか仕事の予定が立たず、仕方が無いので今週も、新潟方面の山に出掛けておった。

 今回も往復600キロくらいは走ってる。

 2000mを超える山を目指し、まだ雪の残る絶景を堪能して来た。

 ずっと自分で描いてる天気図では、その方面は晴れることになっておった。

 途中、軽井沢の街を通ってみたが、朝から大勢の人出で賑わっておった。

 俺には単なる近所、いつもの通過地でしかないが・・・。

 その辺りからお日様が顔を出して来て、鬼押し出しを通過する頃にはドピーカンと言っても良かった。

 まだまだ100キロくらい車を走らせなければ行けなかったから、寄り道せずにとっとと走り抜けた。

 燃費がリッター17~8キロくらいの今の山用の4駆はその辺でガソリンが半分になり、林道に入る前に再度満タンにしておいたが、都内で140円前半だったのが、150円の後半になっておった。

 遠くの山々まで絶景だった。

 カッコウが先週に続いて今週も啼いておった。

 まだまだ雪は残っている。

 来週は、山はお休みだろうな。

 

 帰路、草津の熱帯園に寄ったが、昭和なレトロなドームのなかに、ワニやら鳥やらナニやらがギュウギュウ詰めになっておって、デカいインコに嘴攻撃までされて、さすがに顔を近づけて歯をむいて低音で睨み上げてやったら、そそくさと奥へ逃げて行きやがった。

 原生の山を歩いている獣の方が、凄みがあったろう。

 

 八ッ場ダムに埋もれた河原湯温泉がダムのほとりにポツンと残っておって、日帰り入浴で硫黄臭をたっぷり吸いこんで、ウトウト、高崎のよく行く老舗のパスタ屋で腹を満たし、のんびり空いてる関越で戻って来た。

 

 戻ってすぐに爆睡したら、朝の4時前に目が醒めて、仕方がないから腹ごしらえして店に出て、仕事に取り掛かってる。

 なんだかんだ、よく喰ってるな~。