オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

マニュアル医療に振り回される猿

2024-07-10 11:30:31 | 神々の話

 

 

 トンボがたくさん飛んでいた。

 1700mくらいの標高でも、気温は28度もあった。

 呆れるほどの猛暑の山歩きでは、最後の低い山を登った時、山頂で小学生低学年の息子とお父さんが登って来ていて、先を急ぐように反対側に降りていったのを見送っていた。

 身体の熱が冷めて一息ついたので、その方角に降りて行ってると、先に降りて行った親子の息子の方だけが慌てて戻って来たのに出喰わした。

 なんだろう? そのまま降りて行くと、下の方からお父さんが大声で子供の名前を叫んで、どこに行った? と焦った声が聴こえて来た。

 とっさに 遭難する!と感じて俺が走って登り返して行くと運よく子供に追いついて、お父さんはこっちの下にいるぞ! と教えてやったら、今度は小走りに今来たガレ場を下ろうとするから怒鳴って ゆっくり行け! 転んだら大怪我するぞ! と教えてやって、それでも気が急くのか速足になるのを抑えるように、のんびりと声をかけてやって降りて行った。

 鞍部に降りてゆくと、お父さんと息子が並んで頭を下げて、ほんとにありがとうございました!!と、良かった良かっただった。

 人のいない、人の少ない山には、こういう予期せぬ初心者も登って来る。

 いろんなことが起きるのは、いつものことだった。

 

 金儲けの仕方を誰かに習うのは若い時分なら良いが、いつまでも他人に意見を貰ってたり、メディアを覗き見て良い話はないか? とやってるようでは、お先は見えている。

 日常を生きるすべてを自分で切り拓いて自分の知恵だけで行動して行くようになると、金儲けの仕方も他にはない、誰も考えない、オモシロイことばかりになって行く。

 数々の経済事件を起こしてメディアのニュースになってる昔馴染みの連中もたくさんいるが、法の網を縫うように金儲けを考えるアイデアや工夫は同じようなもんで、俺なんかも偉そうなことは言えないが、俺の場合は貧しい者や弱い者から儲けることはいっさいない。

 そうして余裕を持って、法律ギリギリな金儲けは、やらないんだな。

 お金持ちから、しっかり頂く。

 投資や運用だとほざいている連中なんざ見向きもしない方法で、独自のバブルをこさえたり、衆やAIロボットの動きに先んじて罠を張る小遣い稼ぎくらいは簡単にできる。

 ギャンブル性もなく、これ以上ない堅実な方法を考えるが、それでもリスクは常に自分で負っている。

 だからこそ失敗をしないとも言える。

 先のことは解らないが、すでに無茶はしない訳だから、困ることも無い訳だ。 

 

 医者や病院・製薬会社というものは、民間ではなくそれぞれの国家がやるべき仕事だ。

 人間の命に関わるモノを取り扱うのに、金儲け優先の民間企業が介入すれば、命すら金儲けの玩具にされて、終らない商売が始まって行く。

 馬鹿馬鹿しい話だが、それが現実というものさ。

 資本を押さえた者が、世界人類の命までもを押さえてしまうなんて、ナンセンス。

 新型コロナとワクチン騒動で、世界中のお利口さんたちは気が付いている。

 

 おめでたいことに、俺のまわりでも新型コロナワクチンを3回も4回もうってたメディア洗脳猿な連中が、いまでも何回目かのコロナに罹って苦しんでいる。

 自然免疫を壊されて、ウイルス詐欺師ウェルカムな肉体改造を何度もしてきた訳だから、死ぬまで薬漬けのハッピータイム。

 そのうち身動き出来ない病室で、褒めてもらって金メダルでも貰うのか?

 教育やメディアによる洗脳の凄さが解ろうと言うモノだ。

 インフルエンザですらワクチンはうってない俺は、ナニかに罹れば免疫・抗体を作り上げて、以降はおなじ病には罹らない。

 なにもしないで笑っていた者が正解だったと、少なくとも俺の親しい連中は同じ状況だ。

 おっそろしい時代になってることを、10年遅れ? 20年遅れで気が付くのか??

 

 おのれの歪んで惨めったらしい独占欲に振り回されているような幼児ならば、まずそれを退治してから他人や社会と関り合うべきで、社会に出る前に自分で自分を鍛え上げておくべき大事なことだ。

 生きることすべては、自分自身の心構え一つでどうにでもなる。

 

 ナニかに属していれば、そっちに遠慮したり、あっちから圧力をかけられたり、こっちに気を使ったりと、馬鹿馬鹿しい付き合いに時間や金を浪費するが、ナニも無い俺には変幻自在、自由自在な楽しい毎日しかなくなってる。

 だからといって他人や身内を支配したり拘束したりもなく、みな好きに生きて行けば良いんだよと笑ってる。

 それで途絶えて行く付き合いよりも増えて行ってる愉快な付き合いの方が多いから、笑えるだろう。

 

 感染症やウイルスの話になると、目に見えない闇夜の独り歩きのようになって、ビクビクオドオドしているうちに、あちこちから現れるお化けに扮した怖い恐れモノに脅されて、言われるがまんまの対応を余儀なくされてしまう。

 言葉や情報に全てを感化されてしまうAIロボットと同じで、すなわちプログラミングの済んだ現代人のことを言っている。

 ウイルスなんて本当に存在するのか? という学者や医者もいる。

 感染とは言うが、大気中に浮遊するモノに反応しているだけのことで、その浮遊するモノは、根源的には地球から湧いて来ているものだろう。

 ならば地球から湧いて来ているモノで対応する。

 俺の考え方はいたってシンプル。

 人間の騒動には目もくれず、地球や宇宙だけをいつも見詰めている。

 コロナ渦では、かならず映像で見せられていた気持ちの悪いウイルスの映像や写真は、そのほとんどが顕微鏡で見た微生物の一つだった。

 コロナウイルスの姿を見た者はいるのかどうか? 怪しいもんだった。

 意識や価値観や考え方をしっかり持って生きてなければ、これからも目に見えない恐怖に怯えて、自然に健康的に生きて行くなんざ無理だろう。

 俺は東北大震災後直後の放射能溜まりと言われた山々を翌週から歩き、その夏には茨城から外房の海でひたすら遠泳しておった。

 このコロナ騒動の真っ最中でも、貧しく高齢な賃借人ばかりが棲み付いていた不衛生なアパート群を毎日のように訪れて、同じように貧しい外国人たちが棲み付いているマンションを毎日のように訪れて、差し入れや援助をし続けていた。

 すべてコロナ渦でも自分で作ったバブルで儲けた金が原資になっていた。

 コソコソではなく堂々と反社会的な行動を続けていたおかげで、愉快な大人たちもまわりには増えた。

 コロナに罹ったという人たちの元へも、普通に出掛けて行き、俺も罹るならば早い方が良いとばかりに無感情に動き回っていた。

 メディアの嘘が、国家の嘘が、まざまざと目の前にはあった。

 俺がインフルエンザのような症状を出したのは、コロナワクチンを2回接種していた古女房が、ターボ型の進行癌に罹りステージ4をいきなり宣告された時だった。

 あちこちで子供らを育てあげ、そのまんま増えていった高齢者たちの介護が大変な時に、ヘトヘトになるくらいに動き回っていて疲労もピークになっていた時だ。

 俺の言うことを聞かずにワクチンなんぞをうちやがって、馬鹿野郎! だった。

 それからはコロナ患者の元に出掛けて行ってもナニも症状は出なくなってる。

 半年後に古女房の癌は副作用の無い免疫療法だけで、あとは俺が選んだ1500m以上の山歩きに同行させ、俺が選んだ放射能源泉で根治させたことは何度も書いた。

 今では俺よりも元気に、2000mを超える山々でも縦走して笑っている。

 これからまた世界では新しい目に見えない恐怖を吹聴され、自粛と自閉を強要されるようなこともあるだろうが、俺にはそんな愚行に対しても免疫が出来上がっている。

 怪我や病気になれば、まず薬や医者や病院ではなくって、自分自身の治癒能力で対応し、それでも足りないモノを薬や医者や病院で補助してもらう、これが医療の使い方であって、最初から医者や病院の言うがまんまにマニュアル医療に振り回されて薬漬けなんざ、愚の骨頂だ。

 医者や薬や病院は万能ではなく、あくまでも医療の補助なのが本当で、過大に依存するのではなく、自分自身で治すんだと考えることが常に先に在る。

 なんでも好奇心旺盛に裸で逃げずに向かって行く、俺の生き方そのものが一番に正解だったと思っている。

 どうせいつかは死ぬんだぜ。 

 堂々と、大笑いしながら死んでやろうぜ。

 そういうことだ。 

 


淡々と、言葉よりも呼吸で生きる

2024-01-03 10:50:39 | 神々の話

 

 

 年末・年始とは言うが、自分自身ですべてをオリジナルにして65年を過ごして来ると、いつもの昨日と今日の違い以外の意味などナニもない。

 あちこちの高齢者たちには、それぞれに意味があるようだから、ボケ防止のための習慣として好きにさせてやってるが、そこでも俺の価値観や生き方は話してやっている。

 掃除嫌いに大掃除の口実を作るために年末があり、切り替えが自分で出来ない馬鹿者のために盆や正月がある。

 暇をこいてる身勝手な与太公や、女・子供が悪さをしないようにと集合させてる祭りとおなじことだ。

 ただそれだけのことだ。

 無意味に自分で意味を作るのならばと、俺はその年に生き神様と生き仏として自らが入る白札を、毎年の閃きで古く修行を続ける神社に出向いて頂いてきて、店の神棚に置き、俺が入る儀式を笑いながらやっている。

 自営を始めて30年続けているから、その辺のハリボテの神や仏なぞ、生きて来た濃さや格が違うと笑って見守っている。

 恃むのは自分自身の魂に対してであり、願いは自分自身の日常の生き様に対してだけで、他にナニかを頼る想いは微塵もない。

 人間が地球上に誕生していらい、作り上げてきたあらゆる嘘と虚飾の数々を片っ端から壊し続けて、自分の生を使って実験しながら今日まで生きて来れたことが裏付けにある。

 これで65年を生きて来た。

 法話や薫陶や、能書きや又聞きや受け売り知識の吹聴を聴けば、その発している半端者の醜い素性が可笑しくなるだけ。

 お前さんたちよりAIロボットの方が確かだし、それより俺の方が積み上げてきた徳の中身が違い過ぎる、そう確信している。

 そうして死ぬまで浮浪して厳しい修行の手を緩めない訳だから、残念ながら寺や神社というモノに定住してしまってるウツケ者など敵う訳がない。

 同等はいても上はおらず、下は生きている場所が違うからおらず、ただ一匹で地球の大地に佇む、すべてがそういうことだな。

 

 北陸の地震速報を聞いたのは、房総半島の先っぽの方にいる時だったが、緊急速報のわざとらしいヒステリックな叫び声には、違和感を感じたもんだった。

 緊迫感とは異質な作り物臭いヒステリックだったが、自画自賛な賛辞がAIロボットの反応であちこちに流されていた。

 ただのマニュアルアナウンス、安っぽいヒステリックにしか聞こえてなかった。

 今年は初日の出ではなく、初夕陽を見に出掛けていた。

 自分の吉方位すら自分の直感で決めていつも生きているから、そういう動きになっていただけのことで、たいした意味などナニもない。

 去年の新年一日はオヤジが大往生して一ヶ月も経っていなかったが、おなじ方位で初日の出を見て、廃寺になりそうだった古い寺を引き継いでそこで修理保全に生きる方丈さんと、朝の檀家衆への新年挨拶の前の早朝に、寺の中を案内してもらって古い彫刻にホ~ホ~と笑い合って、畏まって檀家衆の前に立つ準備をする方丈さんに背を向けた訳だ。

 いつも構えず、予定や下準備や打ち合わせなどナニもなく、あちこちに出掛けては初対面を愉しむ、目を見て一瞬ですべてを読む愉しみは、俺の趣味ではある。

 恥ずかしい利害や下心がナニも介在しないから、すぐに幼馴染みのような空気になる。

 何処へ行っても、そんな感じ。

 自由自在、モノにこだわりがないから変幻自在、それを日常にしているから経験と知識はどんな会話でも入ってゆける豊富なもんで、そんな俺と向かい合って、苦手だと思う相手は心に弱い隠し事がある証拠。

 そう思うようになっている。

 正直で素直な子供や高齢者とばかり話し込むことが多いから、ニセモノや嘘はすぐに見抜いてしまう。

 来るものは拒まないが、去るものも追わず、その時が終われば、また何事もなかったかの如し。

 虚ろな現代人のように連絡先を教え合い、携帯電話番号を交わしたり、ライン友達になったりはせず、その時が終わればまた何事もなかったかの如し。

 いつもその時だけを大事に生きるには、余計な面倒や荷物をあらかじめ負うようなことはしない。

 だから借金や負債はビタ一文もたず、貸し借りも無し、自営の仕事でも同じことで、ベタベタなルートセールスなどはせずに、いつもその時だけの自由自在を愉しんでる。

 これで成約数の90%が紹介とリピーターになっておって、不思議でもないがいつも賑やかに充分に忙しいのだよ。

 年賀状や暑中見舞も、個人でも仕事でも、ハガキやメールでもいっさいしなくなって何年も経つが、用があれば直接に会いに行くことでナンの不自由もないわいな。

 

 ともに犯した犯罪が大きければ大きいほど、仲間意識や結束は強くなっていたのは、昔からある組織のまとめ方ではあるが、この国のメディアはその隅々まで共犯者としても関わっており、画面や紙面で流す美辞麗句や感動感傷物語は、延々とそれを隠すメクラマシのまんま、退屈な令和もそのまんま。

 優しい刑事と強面の刑事が猿芝居をやるようなもんで、水戸黄門も同じワン・パターンだったな。

 そんな猿芝居にいまだに心を動かしている日本人は、ちょっとね。

 

 色んな事が起きているのは、人間のせいなんかではなくって、地球や宇宙の鼓動が、激しくなっているだけのこと。

 それを企みに利用したり、それで怖れ慄いて、自らで狂い果てているのは弱い人間という獣の性で、それが連鎖するだけのこと。

 満月の夜に、命あるものすべてに欲情が迸るのは、宇宙の真理でもあるが、人間の世界では満月を見上げて吠える者は、どんどん少なくなって行ってるな。

 地球や宇宙の営みを、性悪な小虫の人間たちが利用しようが、恐れようが、じきに淘汰という、自己責任を負わせられるだけさ。

 なにをかいわんや。

 


生きる神々は、宗教に拠らず笑う

2023-12-15 10:37:22 | 神々の話

 

 

 アルカイダだとかイスラム国の過激派は米・英が支援育成した組織だったし、ウクライナの過激派極右も米・英が育てた組織だし、いま交戦しているハマスの過激派やイスラエル国内の過激派シオニストも、実は米・英が仕組んで育成支援した組織ばかりだ。

 規律の取れた軍隊ではないそれぞれの組織の内部は複雑な利害関係に絡みまくっていて、すべてがそうだとは言えないのが現実。

 殺し合いをやってる現場なんて、相当な洗脳でもない限りはそんなもんだ。

 そのために宗教は素敵で優しい教義を広めてノホホンとした安穏を演出する。

 ネタニヤフはイスラエルの内部に蔓延る過激派シオニストを排除したい、ハマスはその手助けをしている、とも言える動きになっている。

 ところが世界的な資産家や財産家・大企業経営者などは、そのシオニストを支援する側にいたりする。

 国連の停戦協議では、米国は拒否、英国は棄権していた。

 自分たちが混乱の元凶となっている以上、そういう立場しか取れない。

 もともと英国は中東全域を植民地として利権独占して身勝手なことを続けて来た。

 欧州はその分け前をもらっていた。

 そのド真ん中にイスラエル・シオニストの国の建国の後押しをしたのは英国であり、その英国に追従したのが米国、前世界覇権国と現世界覇権国が中東に火種を置き続け、米国はそのシオニスト等に逆に政治や社会も押さえられているのが現状だった。

 パレスチナがどうこうではなく、英国と米国が元凶、その傀儡が悪者になっているということは、良い悪いではなく、世界の趨勢が解る訳だ。

 なぜ今? こんなことを? もっと色んな意味がある訳だが、日本のメディアの報道だけでは、お先は真っ暗闇でナニも見えない。

 英・米が支援育成する過激派の原動力は麻薬とアルコール、中毒変質者の欲望を満たす餌、お決まりの人工肥料だけ。

 見方を変えれば、世界が新しいBRICSの時代に向かう時、世界中の近隣諸国を常に争わせる敵対緊張状態に置いておけば、双方に軍備や兵器を売れるし、他の新しい支配者は生まれ難く、上から双方を管理統治できるし、猿芝居でしかない米・英・バチカンの差配で仲直りさせたり再戦を始めさせたり、それを利用して利権を貪り、金融経済の先付ギャンブルでインチキ大儲けをしていた訳だ。

 時代は急速に変わり、ドルを排除した経済圏が出来上がって来ると、米英には経済的な余裕がなくなってきた。

 基軸通貨国の米国は、基軸通貨のドルをどれだけ刷っても間に合わず、どれだけ刷ったかも解らないような状況になっている。

 そこでウクライナ極右をロシアと戦わせたり、アフリカで内戦を起こさせたり、育ててコントロールしていた連中に利用価値がなくなり、挙げ句に支援救済をもっともっととスネをかじられ、邪魔な足手まといになってしまってるから、無理を承知の自爆破壊をアチコチで始めている。

 用無しになった中毒変質者の組織を壊滅させるために、自分たちの手は汚さずに、ロシアにそれをやらせているようなものだ。

 中毒患者は更生させるよりも戦場で使い切る方が無駄が無いし、そこで一緒に大事な負債の書類も破壊し燃やせる。

 今後は、中国がロシア・BRICS諸国と共に全てを平和に収めるにはまだ時期尚早で、無意味に兵器と市民の命を巻き込んで、作られた悪魔達が自爆し弱り減るのをただただ待っている。

 世界支配なんてキレイゴトの夢物語は、早晩に粉々に成り果ててしまっただろう。

 いまは米・英・欧・バチカンなどが、夢の痕をキレイにお掃除を始めているという景色になっている。

 すでに世界の資源国・後進国群はBRICSの周辺に寄り添っている。

 米・英・欧の植民地として搾取され残酷な奴隷・人身売買などをされ続けて来た国々は立ち上がって、平和裏にそれを進めて行ってる。

 米・英の植民地として東洋で孤立している島国日本は、相変わらずに植民地として優等生を気取っているが、恥ずかしい話だ。

 旧統一教会や関連団体の日本会議なんて組織も、多方面から狙われている。

 今後に邪魔な存在は、対立する者どうしでも、その対立軸ごとまとめて解体消されて行くしかない。

 そう考えると、米・英や中国・ロシアは、中枢では意が通じ合っている。

 シオニストと、旧統一教会、どちらにもヘイコラするしかない、植民地癖が永遠に抜けないマゾ日本。

 もっと残念なのは、膿を出し切る為に他の部位の膿を使っている。

 その中には有能な人材もいるだろうが、組織とはそんなもんさ。

 そう考えると、俺なんかは変人奇人ではなくって、もっともまともな立場になっていってるようでもあり、大笑いだ。

 

 ここに来て50~60歳代の独身で生きて来た女性たちのいろんなご相談が増えているが、紹介の紹介、口コミで拡がっているようだ。

 老後を考えると、これからの日本がどうなるのか? をしっかり見誤らないように把握しておかなければいけない。

 今がどうなってるのか? 日本はどうなるのか? 世界が大きく変わってきていることは解るが? その未来の日本で、自分はどう生きて居れば良いのか??

 自分たちが動けなくなり、認知や障害を負い、病になった時に、どう対応するのか? 子供のいない人たちは、真剣過ぎるほどに真剣に、冷静に社会を眺めている。

 ただ、少子化で子供がいても、それをネタにしたロクでもない極潰し・脛カジリの子供らばかりでは、おなじことさ。

 相続など出来ない法律でも作れば、俺も笑ってもっと国は健康になるだろうがね、訳アリの抵抗勢力が多すぎて、無理だろうな。

 その今を生きている価値観は、残念ながらすでに変えることの出来ない硬化を始めており、その原型は、昭和の時代の親や爺婆から教えられた時代錯誤の骨董品ではある。

 俺はことごとく破壊して、自分で作り直して生きて来たが、その子供時代以降の従順な優等生だった生き方が、今になって皆さんには邪魔になってしまってる。

 それが解ってもいるから変えたいが、もはや出来ないと諦めている。

 ならばせめて自分の最後まで、惨めなことにならないようにと、真剣に考えている。

 間違えている・騙されていたと気が付いてはいても、群れの中で味わう平穏と調和に身をまかせ、流されて来たことが、老いて不安と恐怖と諦めに変化して来ている。

 人間は、生まれる時と死ぬ時は、たった独りでいる。

 それを寂しい孤独と捉えるのか、最高の幸せと捉えるのかは、いま、どう生きて居るかで真反対のことになる。

 不動産の相談に来て、そんな生き方や病や介護や闘病や、愛や恋やの話になって行くのは、周旋屋稼業のオモシロイところだが、俺はそれが大好きな仕事になっている。

 宗教家やら、哲学者でもなく、下世話な言葉や会話で話しながら、お花に水を撒いているような感じだろう。

 笑っていたい、笑っていれば贅沢なんていらない。

 笑って生きてゆくためには、どうすれば良いの? それをいつもお答えしている。

 俺の激しくも普通でない実際に生きて来た話で、答えを探してご覧? とやっている。

 まず、女として生まれて、子を産むために健康なオスを選ぶことをしなかった人生を振り返る。

 楽とゼニカネが秤になって、誤った道を歩いてしまった。

 生き物として、最大の自然な欲求を満たさなかったということは、その後の心身には空洞が残っている。

 すでに地球上にいる獣としては、異質な生を歩いている。

 地球上に生きる生命を持つ動・植物は、常に生殖を繰り返して環境に適応して来た。

 余計な人工のモノには頼らず、自然に地球や宇宙の変化に対応して来た。

 人間が作ってるモノなんて、所詮は地球上にあるモノを使って色を変え、形を変え、楽しようとする根拠だけで変化させてる玩具遊びみたいなもんで、最後は自爆する。

 地球や宇宙は残り、人間だけが絶滅するか、強い種だけが生き残る。

 よ~く考えてみようか。

 俺はオスとして、こう生きて来た、それは俺にしか出来なかったことで、それぞれは個々人でまた自由に生きて行けば良いことさ。

 絶滅する種は、絶滅しなければいけない自然では無い価値観を持って生きて居るということになる。

 自然で健康なものだけが、生き残り、種を増やして行くのが、自然の摂理だ。

 別段に、絶滅危惧種であっても、群れに迷惑をかけるのでなければ、自在に生きて良いということでもある。

 

 自営の周旋屋を長くやっていると、独自のバブルを膨らませることもあるが、最初のバブルの時に感じた違和感がその後もずっと続いていて、儲け過ぎるとまわりの人間が寄り掛かってきて勘違いを始め、それぞれの日常で手を抜くことになるだろうと考えて、だから儲けたら俺がそこで手を抜いて、皆をコントロールすることにしている。

 身勝手な欲望の発散をしている訳ではなくて、自腹をきって関わり合った人たちの日常に手を貸し知恵を貸しての時間に変えている。

 儲けても、山あり谷ありが一番に健康で過ごせる訳で、良い時もあれば悪い時もある。

 まわりを見ていても儲け過ぎると家庭がバラバラになっていたり、ロクな日常になっていないのをたくさん見ていると、これで良いのだと笑っている。

 貧しい者は、とことん儲けようとして、その後はガタガタな老後になっている。

 勝つこともなく、負けることもない中庸という奴が、結局は人間には自然で健康な日常を送れる訳だ。

 偉そうなことだが、俺自身もその方がメリハリがついて稼業に集中出来るのもある。

 自営を長く続けるコツは、すべてがそういうことなんだろうと想っている。

 30年前に自分で書いた色紙は色褪せてしまってるが、こう書いてある。

 ・・・喰いきれない魚まで馬鹿みたいに獲ることはせず、足りるだけ獲れば、今日の仕事の終わりとする・・・

 その通りに生きて来た。

 

 


あの世や霊魂を語る、胡散臭い猿

2023-01-23 10:47:07 | 神々の話

 

 野暮用もあって、よく登る山々を周回してきたが、麓の里山で狩猟が盛んになっても、素敵な山歩きを続けている。

 下山して源泉に浸かってると、獲物を解体して血と汗にまみれて、まだギラギラしてる狩人たちがゾロゾロと入って来ておった。

 見慣れた光景だ。

 大寒波だの、南岸低気圧だのと騒いでる猿の群れの惚けた動きを考えて、軽薄メディアの煽りとフィルターを持たない視聴者国民は勝手に自閉すると読んで、とっとと空いてる高速道路を走って帰って来た。

 天気図は自分で描いているから、気象庁ごときのエエ加減な天気図や天気予報などは無視して、逆に活用して生きて居る。

 国民の目安にはなるだろうろうが、政治的な配慮や、公務員らしい内情があるから、まともではない。

 ボケ老人世代だけでなく、子供でも、若者でも、メディアに食い入るように生きて居るタコやイカは、茹で上がって喰われる運命さ。

 そんな笑える時代を、われわれは生きて居る。

 

 民話や伝説を頑なに守り、歴史や伝統だとほざいて行事や風習にして生き、それで救われるのならば、それはそれで個々人の趣味嗜好の範疇では意味のあることだろうが、他人に強制したり、子や孫に真似をさせ、そのグループに従わない者を排除するようになると、それはただの呪いや祟りにしかならない。

 そもそも、あの世や霊魂や、先祖や神や仏を語る者は、それが独り言のうちは救われもするだろうが、他人への布教や宣教、押し売りに洗脳を始めると、その時点でその人そのものが救われない生き霊悪霊となる。

 エエ加減にしとけや。

 人間が手を合わせて頭を垂れるのは、太陽だけで良い。

 黙って ありがとう と心の中で囁けばそれで良い。

 なにかを願ったり祈願するなど、欲深い変態猿のやることだ。

 叶えたければ自分で動くしかない。

 簡単な話だ。

 俺はそれだけで64年を生きてきた。

 大笑いしてやるよ。

 

 旧統一教会が批判の矢面に立たされているのを傍観して、あ~だこ~だ便乗して抜かしてる連中もまた、おなじようにメディアに洗脳・煽動されてるだけの猿で、すべてが同じようなシステムで、それが絡み合って解りづらくなっている。

 ほとんどの国民が、真相など知らず、枝葉末節な事件や事象でメクラマシをされて、人の噂もアッと言う間のオチャラケゴッコ。

 そんな中途半端な理解では、人類の世界のことは、すべてが幻想にもなるがな。

 無駄な会話などせずに、黙って孤独死が続く古アパート群で、地域の消防隊員たちと打ち合わせに出掛けておった。

 腐った肉体や、弱り果てた肉体、思うように動かない肉体に、自暴自棄になってる肉体、欲求不満な肉体、自分で始末も出来ない現代人には、なるようにしかならない諦め笑いしか残されてない。

 

 コロナ対応が春には5類扱いに引き下げになる。

 いまさらな、無駄だけだった、猿社会の資本主義ゴッコは笑えもしない。

 感染死者数の統計捏造や、ワクチン接種の社会的強制も、終われば良いが、阿呆な国民は自分の命のことですら、メディア頼りで生きているから、政府やナニやらの貴方任せで、ここまで間抜けになってくると、他の洗脳や煽動でも、おなじように右往左往して言うがまんま、怪しい商売には幾らでも利用できるように成り下がっている。

 偉そうな大人たちが雁首揃えて、哀れなものだ。

 

 見栄張りや良い恰好しいには、金儲けは難しい。

 孤立しようが四面楚歌になろうが、自信満々に人間の社会を読み切って、右往左往などしないで大笑い出来なければ、一丁前に金持ちになる夢など見るだけ無駄、宝くじでも買って自慰に精を出しているのが関の山だ。

 人間社会で無理はしない、嫌なことはしない、我慢もしないし、その代わりにしたいことを他人の何倍もの時間と手間をかけて集中する。

 苦しい練習や耐え忍ぶ修行など、群れの中での実らない辛抱でしかない。

 信じたモノにだけ、すべてを注ぎ込む、これで充分だし、まわりの視線など気にすることもなく、面倒な連中とは即座に身内であっても縁を切る。

 こういうことを平然と出来るようにならなければ、本当の幸せも笑いも身につかないだろう。

 


初七日法要の代わりの、雪山歩き

2022-12-19 10:37:07 | 神々の話

 

 修行の足りない生臭坊主らが行う、くだらない初七日法要や49日だとかの酒飲みゴッコなど興味はなく、江戸時代よりも前のホンモノの禅僧らが修行に歩き登っていた山々に、出掛けていた。

 予定していた登山口に着くまでに道は雪道・凍り道で、4万キロ近く走ってる新車から3年目のスタッドレスで効くのかどうか、試しもあって山用の4駆で出掛けていた。

 ぜんぜん問題なく、ぐいぐい登っていた。

 最近の車は性能が抜群に良くなっていて、マニュアルの2駆で鉄のごっついチェーンつけて登っていた時代が嘘のように、楽にはなっているが、これからはスタッドレスでもチェーンは必携だ。

 車を停めた場所の気温はすでに氷点下、登山靴に履き替えるために外に出たらツボ足、エエ感じだった。

 とりあえずは脱出路をタイヤでならしておいてから、準備に取り掛かった。

 爺様の魂を天に還してやる第一弾。

 こうやって何十年もの間、関わって孤独死して逝った多くの人たちを天に送り続けているが、今回は年末の仕事も忙しく、葬式から1週間だから疲れがとれず、ま~ま~2000mにチョイと足らない低い山で、勘弁してくれや、という山歩になった。

 高天が原という場所は、昔は日本中にあった。

 アイゼンよりもワカンの方が良かったというような質の雪山になっていた。

 新雪はキラキラ輝いていて、綺麗そのもの。

 葉の落ちた木の枝に積もった雪が風で落ちてくるのを避けるように、そろそろ歩き始めた。

 富士山は半分から上が雲の中。

 空は回復基調の晴天。

 日の当たる道は良いが、日陰になると雪はガリガリ、耳当てをしてなかったので、千切れそうに痛かった。

 稜線に出て、頂上に辿り着くと、強風が襲って来た。

 氷点下7度、暖かい方だろう。

 山が鳴る、唸るとは言うが、穏やかに見える頂上では、山響き立てて風が襲って来ていた。

 ま~、2000mにも満たない低い山だから、湯を沸かす時はその音に気をつけておればよろし。

 ちょっと準備が足らなかったから、寒さは倍増していた。

 登りも下りも、人間にはだ~れにも会わなかった。 

 筋力・体力もほとんど使うことも無く、元気なまんまで降りて来た。

 春には80キロ超えていた体重が、なんやかんやで72キロまで絞れているせいだろう。

 自分で描いてる天気図しだいだが・・・来週は完全武装して、新潟の山に出掛ける。

 高所恐怖症だった爺様には、慣らしが必要だったろう。

 夜に戻っての翌日、婆さんには笑って報告しながら、飯を一緒に喰った。

 帰路、源泉に浸かる予定がオストメイト用の準備を忘れていたので、冷えたまんま戻ったが、俺自身も忘れ物が多くなったな~と、笑うしかなかった。

 

 青森から長芋が届いたり、北海道から魚が届いたり、群馬から採れたての野菜類が届いたり、銀座の周旋屋にはこの年末もいろんなモノが届いている。

 婆様も早めに祭壇を片づけて、とっととのんびり暮らしを満喫するらしい。

 最期まで、お見事よくやったと褒めている。

 頂きモノは、仲の良い近所の人たちにお裾分けするから、それはそれで忙しい。

 料理好きの婆様も、爺様がいなくなって、料理をする気持ちが失せてはいるが、少しづつ、尻を叩いて動かすつもりで、お裾分けを運んで行ってやってる。

 ・・・過保護にするな! とは皆、年寄りが俺に言うことだが、その健康と暮らしについては口喧しく言ってるだけで、ナニをしようが、ナニに金を使おうが、他人様に迷惑をかけない範囲であれば、ナニも言うつもりもない。

 知識が無い、経験が足りない、そういう高齢者ばかりを見守っていると、仕方が無いことで、長女みたいだとはまわりに言われることは多いが、その辺の長女よりも肌理細かい動きはしているさ。

 家を出たのが10代の頃だったから、その後の離れて暮らした月日の違いが物事の価値観の違いにも大きく反映されておるから、会話をしながらその溝を埋めることをしているだけさ。

 婆さんも、流石に俺の母親だけあって、1年で随分と垢ぬけた感覚で生きることを愉しんでいる。

 ま~、あとは好きにやっておればエエのんさ。

 徐々に生活のリズムが出来てくる。

 どんな世界になろうとも、常に借金負債貸し借り無しで、独自のバブルを作っては笑い飛ばして生きている俺が、これ以上無いだろう読みで愚かな人間界を見下ろして、しっかり見守ってやるわさ。

 

 さ、まだまだ商売の仕事が入ってきておるから、せっせと歩きまわるべな。

 どんどん会話か成り立たなくなってる幼稚な日本社会では、すべてのルールは俺が作ってなきゃ、アホ臭くてやってられんわな。