オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

菖蒲の咲く時節に、車椅子を押す

2024-06-10 11:39:07 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 

 西新宿の一戸建てで独り暮らしをしている88歳の婆さんを連れ出して来た。

 暇で元気で毎日のように銀座から下町あたりに出歩いている俺の89歳の婆様も同行して、仲良く大笑いして歩いて来た。

 菖蒲かアジサイでも見ながら賑やかに大笑いして、皆で飯でも喰えばあの世も遠くなるだろうということだったが、車椅子を押して歩いたが途中から自分でも歩きたいというので、杖をつきつきゆっくり付き合ってやった。

 蒸し暑かったが、都下の菖蒲の咲き誇る池では風が吹き抜けておって、汗をかいた身体には心地良かった。

 結構歩いたし、よく食べていた。

 家を出て、車に乗せた時にはいつものように・・・アチコチ痛いしガタガタよ、もう、ナニもないから早く死にたいわ・・・とほざいておったのが、出店の・・・タコ焼き食べたい、串団子食べたい・・・と変わっておって、少し遅くした昼飯も文句言いながらキレイに食べ切っておった。

 高齢者は、すべてナニをほざいても大笑いして返してやることだ。

 そうして笑いながら今の医療や介護の話を解り易くしてやり、老いとはナニか? どう愉快に死ぬのか? まで解説してやってる。

 俺の関わっている高齢者たちは独り暮らしの婆様ばかりが多くなっているが、その終わりに向けての生活設計もだいたいみな終わって居って、経済面で困ることは解消している。

 いきなり自分の親が介護を必要とする状況になって慌てて大混乱になってる大人社会など嘲笑うばかりで、大人というものは人間の社会ではナニが起きても常に笑って対応できる者のことを言う。

 あげくにメディア洗脳のマニュアルに沿って金儲けの介護や医療に貴方任せで丸投げしてるようじゃ~、子供の教育も同じだが、消費洗脳ロボット養成所だろうな。

 お笑いニッポン、何処へ行く?? か。

 久しぶりのボケた婆ァどうしのトンチンカンな会話を楽しんでおったから、次は忍野八海を歩こうと声をかけて家に送っておいた。

 隣に住む親族のオヤジにも何年ぶりかに会えて、互いに老けた出で立ちに大笑い。

 銀座の傍に独り暮らしさせてる俺の婆様も送り届けておいて、暗くなった高速に飛び乗って走ること小1時間、源泉かけ流しの熱い湯に浸かりに行ったのは言うまでもないことだ。

 山に登ってないから体力・精力は余っておったが、出湯の傍で大汗かいて柔軟体操1時間、タラフク食べて深夜に戻って来てから、冷えたシャワー浴びながら腹のパウチを交換した。

 

 こういうことが起これば、こう対処しなさい。

 こんな場面では、こう対応するのが正解。

 アクシデントやトラブルが起きたら・・・マニュアルにしっかり従いなさい。

 こんな間抜けな大人社会では、おなじような馬鹿と阿呆が量産されて行くだけで、ナビを見て渋滞回避に動いてみたら、もっと激しいナビ渋滞が起きていたと、大笑いだろう。

 残念な社会と、痛々しい大人たちの作り出す愚かな日常には、興味も失せる。 

 

 先週末のアメリカの雇用統計はいつもの胡散臭いエエ加減なものだったが、そんな糞情報にもAIロボットはいちいち瞬時に反応して、金属は行き過ぎの急落をしている。

 中国は5月には何年ぶりかのことだが、金の現物を買わなかったという情報にも間抜けに反応して急落して、俺の買い場を作ってくれている。

 アメリカの雇用統計や失業率には昔からいかがわしい裏があり、求職活動を止めてしまった者は失業者には勘定されなくなったり、今回の雇用が大幅に増えたという統計の中身を見てみれば、短時間のパートタイム労働者だけが増えており、正規社員は大きく減っていることが解る。

 隠している商業用不動産に関わる金融の破綻話が蒸し返されれば反転する。

 景気は悪くないという統計に見せかけて金(ゴールド)には売り材料、5月は金の現物を中国が買わなかったという情報も売り材料となっていたが、金のETFを中国が大量に買い始めていることを見れば、別に急落する原因ではなく、単にスタンスを調整してるだけのことだろう。

 こういうAIロボットの行き過ぎの反応は絶好の短期の買い場を何度も作ってくれているだけで、俺の簡単な遊びの為に儲けをプレゼントしてくれている。

 AIロボットの過剰な反応を読み切っていれば、猿でも出来る小遣い稼ぎだろうな。

 今の時代のメディア情報に即反応するAIロボットによる金融市場のアルゴリズム取引は、地震が来たら津波警報が即座に連動して緊急速報にして一斉に流すAIロボットと同じで、誤作動ばかりの壊れたロボットでしかない。

 それを解った上で笑って生きている俺みたいなオヤジはナビ渋滞すら読み切って、AIロボットの裏をかいて悠々と生きておるわいな。

 馬鹿みたいなマニュアル洗脳時代だが、コロナ恐怖洗脳報道だってやり過ぎだったのも、AIロボットの暴走・誤作動が原因にもなっていたから、嘘みたいに空いてた高速道路を使って、俺はフフフ笑いでせっせと遠くの山に登っておったさ。

 AIの誤作動・暴走のせいにして、悪巧みを仕掛けている猿もいるくらいだ。

 皆さんの生きている時代は、そんな程度のものさ。

 

 ナニにも遠慮なく、ナニにも拠らず、借金・負債すらビタ一文持たない自由自在な自営は、毎日が新鮮で忙しい出会いとトラブルとアクシデントで彩られているから、サラリーマンや公務員のように同じような中身の無い日常を何十年も退屈に繰り返して来た連中とは会話がすべて成り立たない。

 40年も50年も60年も生きて来て、あんたそんだけのことしか知らないの?? そんだけの実体験しかないの??

 そりゃ~メディア奴隷に洗脳され果てて、哀れな猿芝居の小道具に成り果てるわい。

 退屈な日常、変化の無い毎日、自意識だけが過剰になって、三文芝居に精を出す。

 それでいっぱしの大人の顔して街を歩き暮らしている訳だから、こりゃ~日本の未来は真っ暗闇だろう。

 俺のような自営には、真逆の天国・楽園となる訳だ。

 学校ではたいして勉強もしていなかったが、生きてる経験値では、もはや並んで話せる相手もおらんがな。

 大笑いしてやれよ。

 


現実の社会を生きるには経験だけ

2024-01-15 11:07:57 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 

 資本主義社会の大原則は、作っては壊す、壊しては作る、この繰り返しだが、大きな戦争になると一気に大きな再生という大儲けが出来た訳だ。

 誰が、その動きで、一番に儲けて良い思いをしているのか? を見て居ればすべてのインチキは解る。

 我が国も米・英に玩具にされて踊らされた敗戦によって、高度経済成長と銘打ってただの復興・再生を喜々として受け入れていたが、生活は楽になったが、オツムは空っぽになってしまい、止められない社会が暴走を始めている。

 日本国民のタンス預金や持って蓄えている現金を使わせるには、投資や運用で一斉に吐き出させようと国家を上げて動いていた方策が、島国のミミッチ~原住民には叶わず、難しいと解ると誘発させた自然災害を利用したり、事件や事故を人為的に起こす、資本主義社会を歪ませた猿の我欲にはキリがなく、生産と消費ではなく、戦争と破壊でもなく、人為的な自然災害を装った破壊と消費という形を遂行するようになっている。

 なんでも良いのさ、壊して楽を失わせれば、楽を求める需要が生まれる。

 平和ボケした国民性に合った方策を、日本では続けている。

 ウクライナや中東では、まだまだ軍事行為によって破壊が進んでいる。

 誰がそれで儲かるのか? を見て居れば良い。

 

 警察官や病院や介護施設で働く人たちにも懸命に他人や社会の為にと動き回っている人たちは多いが、それが現場で報われず、仕事も出来ない癖に組織や外部の上層団体のコネや力を利用して、私利私欲で蠢く猿や2世3世の猿回しの猿らだけが良い思いをして無茶苦茶なことを続けて来た報いは、社会崩壊まで行かなければ再生など出来ない。

 その時に微動だにしない自分を作っておらなければ、一緒に淘汰されてしまう訳だ。

 周旋屋は現場でしか生きてはいないから、メディアの報道なぞなんの興味もないし、流れが解れば罠を仕掛けておくだけで商売にはなる。

 

 この国の正義や正論、模範解答というモノは、常にメディアによって集団洗脳・煽動される形で作られているのは昭和の頃からだが、それを指揮して植民地管理を続けている米・英がその色んなメディアの後ろにはいる。

 現場は縦割り社会の雲の上、姿の見えない雇用する側からの指示どおりに、優等生に動くように教育は行き渡っている。

 これが英・米による日本管理の仕組み、幼児教育・義務教育・偏差値至上教育という確固たる価値を社会の根本に置いている意味でもある。

 キチンと教えられた模範解答を生きておれば、優遇され、他よりも儲かるという、ミミッチ〜安物の餌に群がる日本人が大多数だろう。

 東大や京大や東京芸大を出ていたって、ロクでもね~のばかりだったのが俺の家の爺さん3兄弟だったが、皆さんはそんな名称を聞くだけで優秀だと勝手に思ってしまう軽いオツムに染められている。

 頭で理解は出来ても、日常はベルトコンベアの上にあるから、どうしようもない。

 米国大リーグの人気者の大谷が先日帰国して向かった先は、在日米大使の元だったが、米・英がメディアへの圧力をまだ維持している証拠でもある。

 その米国は国内が分裂に向かっているが、相対している複数の組織にそれぞれ良い顔をして貢ぎ続けていた日本は、グチャグチャにされ始めている。

 米・英管理の大メディアの力を借りて日本を我が物顔に蹂躙してきた勢力が、その大メディアから印籠を渡されているのに受け取りを拒否している景色は、今の世界の価値の大転換そのものだが、違うのはその守ろうとしている中身がセコい我欲に取り憑かれた猿の抜毛ばかり、すでに歴史に刻まれている醜い猿の面々は、最期までチンチクリンな赤い尻を晒して逝くしかないようだ。

 

 現代の教育は、大義だとか、大命題だとか、大枠だとか、その目的・理想というものを目先の我欲にまみれた枝葉末節に求め、そこで優劣を競っているだけの猿のオママゴト。

 共産主義・社会主義・民主主義に自由主義・・・なんのためにそれを分けてそれぞれの意義を勉強しているのかを忘れ果てている。

 単に目先の競争や争いだけで終始している学問・研究なんざ、猿の自慰でしかない。

 教えてやれば死ぬまでやってる薬物中毒・アル中もおなじで、ただの自慰。

 

 年末から治らない腰痛に気分は重苦しいまんまだが、先に酷い腰痛で動けなくなっている高齢者を連れて、腕が良いと紹介を受けた整形外科に車椅子を押して出掛けていたり、動けなくなることを想定して電動ベッドをケアに準備させたり、要介護の見直し認定を依頼したり、在宅医療も準備したが、無知・未経験な近い親族では園児の感情論ばかり、後手後手になる対応を続けている。

 老いた親は施設や病院に放り込みの貴方任せ、たまに顔を出しては身勝手な自己満足で終始する。

 皮算用の親の財産はいよいよ霧消し、貴方自身の老後は姥捨山への空身の登山か? 明日の我が身は猿芝居の舞台をも見るは叶わず、夢幻。

 眩暈とふらつきに悩む88歳の婆様を病院に連れて行ったり、買い物と気分転換をさせてやる独り暮らしの89歳の婆様を連れ出したり、他にもイロイロと野暮用はあり忙しい。

 俺が倒れたらどうするんだ? な状態だから、週末の雪山はお休みして姿勢良く階段を上り下りして歩き回る為に、江の島や鎌倉の古い寺や神社を一通りウロついていた。

 銀座の店を閉めて湘南や鎌倉、箱根や熱海に移住した自営の商売人も多いが、だいたいがじきに銀座に戻って来る訳で、だから知り合いの店に顔を出すことはなく、俺は俺の野暮用で忙しく歩き回って来た。

 相変わらずにナビはロクでもない道ばかりを推奨していたが、すべて自分の長年の経験というナビで走り回って、夜には姿勢良く戻って来た。

 今朝は腰痛も楽になって来てる。

 姿勢良く仕事をして、腹筋にも気をつけて、しっかり歩く、これが一番。

 ぶら下がれる棒があればぶら下がって背骨を伸ばし、脇を締めて重いザックを担いだように歩き、四股を踏む。

 暇さえあれば小魚の干物をカリカリとカジッてる。

 非常に解りやすいオヤジだ、と言われている。

 人間の身体は解りやすいのが本当で、自分にナニが必要かが解っていると、その通りを徹底する。

 それでも老いには敵わず、駄目だと判断したら良い医者の力を借りて、外科療法で対応するが、俺はまたまた自己治癒が上手く出来たようだろう。

 


介護と支援ばかりになってる爺ィ

2023-07-03 10:07:11 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

   

 

 山に向かうか、海で沖に泳ぎ出るか、迷っている時に、これから支援や介護をと動き出した独り暮らしの婆さんが、先を見越した色んな動きを始めていることが重荷になり、面倒になり、自然に死にたいという短絡的な思考がまた甦って、元の木阿弥になったために飛んで行き、海と絶景の中に一緒に連れ出して、丁寧に話をやり直すことに費やした。

 おなじような境遇から、最後は嫌々でも俺に従って、実家の整理から墓の問題もすべて解決してやり、自宅で眠るように父親を大往生させてやった動きをジッと見ていた89歳になる母親は、いまでは感謝しかないと笑ってるが、それも同行させて明るく賑やかなドライブにしてやった。

 施設や病院の陰気で閉鎖的な空間には入れずに、慣れた自宅で無駄な延命措置もせずに自然に終わりを迎えさせてあげたいが為に、すべては始まったことだと、なんども笑って話をした。

 ただし、余計なお世話の介護や支援を拒絶したいならば、自分たちでやらなければいけないことがあり、それをキチンとやらなければ、望み通りにはいかない現実の社会があるということも、解りやすく話をした。

 今の時代、身勝手に簡単に死ぬことも出来ない。

 帰りの車の中では、よく喋り、よく笑い、楽しく老いの愉快な話を笑い飛ばしながら戻って来た。

 なんどぶち壊されても、なんどでも説得を続けて信用を得るまで笑って逃げない姿勢を見せる、これしかない。

 子供の教育とも似ているが、成長ではなく退化ばかりしてゆくことを自分でもイライラしている高齢者には、それをすべて受け入れて理解してあげる笑いも必要なものだ。

 誰かにそれを頼り、委ねるのではなく、身内のものがまずそれをやる。

 責任の所在をはっきりさせて、安心させることが出来なければ、一人前の大人としては存在していないということになる。

 それを根気よく離れずに笑って続けることで、信用は膨らみ、良い結果が生まれる。

 頭で理解はできても、実際にやってみせることは難しいが、一人こなせば後は楽にこなせる余裕も手に出来る。

 自営の周旋屋の営業は、なんにでも共通する信用創造ではある。

 俺が動き出せば取り巻くまわりも巻き込んで、それで新しく楽しい毎日が始まってゆく、いつものことだ。

 山に登るよりも疲れたが、丁寧に丁寧に、理解を得るために笑ったさ。

 介護の始まりは、こうあるべきという、そんな気持ちを皆で持てただろう。

 

 元気だし、まだ自分のことは出来るから、気ままな独り暮らしを続けたいという高齢者に、肉体の急激な衰えが始まる前に日常の支援や介護の公的なサービスを受けさせることを理解させて、一緒に前向きに準備して行こうとその気にさせることは、簡単なことではない。

 頭で理解しても、いざ行動を起こさせる段になって、面倒だし、他人が色々と日常生活に入り込んでくるなんて嫌だと、拒絶するところから始まるのが常だ。

 取り巻く身内の者の生活も、身勝手し放題マイペースだった日常から、常に気を配り続ける関り合いに変わって来て、優雅な綺麗事を謳歌する時間を奪われることになるから、それをまわりの身内にも徹底理解させることを同時にしなければならなくなって、余計な仕事が増えるケースが多い。

 生きて死ぬこと、キチンと自分で答えを出していない大人社会では、なおさらに先にやっておかなければいけないことだ。

 みながプレッシャーに感じ、面倒に感じ、なんで自分だけ? という思いを抱かないように持ってゆくには、愉快な笑いに満ちた関り合いにしていかなければならないが、身勝手な我欲生活に慣れてしまってる現代人には、コツコツ丁寧に相手に気を使うという関り合いが出来ないケースが多い。

 そのうえで、起こり得ることすべてを話し合い、準備しておく、大事だよ。

 家庭での子供の教育でもそれは同じことだが、まず自分から嘘は無しにして、腹の底から愉しんで、心を開いて目線を同じにして接することから、それは始まる。

 人間関係が上手くできない、コミュニケーション能力の欠けた大人社会では、大混乱になってゆくだろう。

 俺は自分の親を楽しくキチンと守ってやって、それを隠さずにすべて公開して生きていることで、他の閉じ籠っている高齢者たちの偏屈な自我の扉をはずしてしまう、そんな方法をよく使っている。

 いまは89歳になる元気な気の利く母親を同席させたり、不安な高齢者を連れ出して一緒に老いを笑い合う、そんなことも多くなっている。

 本気で走り回ってるおかげでいろんな人脈も出来上がっていて、有能な人たちのフォローも受けさせてやれる。

 能書きや、他人事だからこそ素敵なことばかりほざいてる安易な連中には、いざ自分の話になると動転して身動きできなくなってる幼児も多い。

 経済的にも、大人としても、社会的な生き様も、堂々と親や高齢者を越えていれば理解は得やすいが、介護や支援を受けさせようとする身内が、間抜けな貴方任せの消費生活ばかり、スネカジリの借金まみれだったりすると、上手くは行かないし、感情的に怒るだけではもっとガタガタになって行く。

 支援や介護をする側にも、そんな準備がなければ高齢者本人だけでなく、関わってくれる人々からの信用など得られず、恥ずかしいだけの能書き綺麗事だけの口先だけでは、子供や高齢者からも胡散臭い奴だと密かに認識されるようになり、関り合いは上手くは行かないだろう。

 楽しく笑って子を育て、高齢者を自宅で見守る、そんな普通の日常を送るには、そのすべての責任を負って笑ってみせる大人社会がなければダメだが、俺がアチコチから呼ばれてるケースを考えると、残念ながら時代は大混乱に向かっているな。

 親や高齢者を超えてないお子ちゃまだらけの大人たちが、偉そうに介護や支援をやるなんて、ナンセンスさ。

 挙句に金だけ払って貴方任せ、これじゃ~な、猿の盆踊りだろう。

 

 ということで、今日は早朝から大病院の予約やナニやら、多忙な週がまた始まってる。

 俺自身の視力が半分に落ちてしまった右目の検査も入っているが、自分のことは後回しになりそう。

 まわりは心配してはくれても、じゃ~俺の代わりが出来る大人がいるのか? という話になって終わりだろう。

 どいつもこいつも、しっかりせ~や。

 


高齢者の怠惰な日常は、若者の鏡

2023-05-15 10:07:11 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

   

 

 NHKのナントカと名乗る電話が唐突にあり、西蒲田の中学生が刺された事件で、事件現場近くの当社の管理する古アパート群の防犯カメラを見せて欲しいと、失礼な内容だった。

 当然に、怒り、蒲田警察の警察官や鑑識ならば顔見知りもいるから、そっちからの依頼ならば協力はするが、なんでテレビ局の人間にプライバシーとなる防犯カメラの映像を見せる必要があるのか? 怒鳴っておいた。

 協力すればその映像や画像は、安っぽい専門の映像・画像バンクのような転売会社に横流しに流されて、いろんなメディアの報道に勝手に使われて行くのが現代社会だ。

 大メディアの連中は、勘違いしてるとは常々言い放って強く当たることは多いが、目先の視聴率だけで生きて居る猿の群れは、俺にとっては雑魚な敵となっている。

 大メディア群の胡散臭い動きは日常にたくさんあるが、相手を間違えたらとことん虐められる、自業自得だな。

 すべて録音してあるから、ワザとややこしい話にしてやっても良いと、大笑いだ。

 周旋屋は、そのくらいの厳しい日常を生きて居る。

 

 異性と知り合う時間がないとか、きっかけがないとか、受け身で言い訳ばかりする奴らは、しょせんは嘘と虚飾と猿マネばかりの自己主張を繰り返して、自分のことは常に棚に上げておいて相手のことばかりを吟味する。

 寝る間も無いほどに忙しければ忙しいほど、俺なんかは女を口説くことも増えていたし、遊び惚けていたもんだったが、そういう飾る必要のない時にこそ、異性はよく見えるものだった。

 逆に暇なときほど異性には興味もなくなって、山や海での遊びの方に、気持ちは向かうもんだった。

 そんな時に知り合ったり付き合った女は、ただのファッションみたいなもんで、長くは続かなかった。

 人類の半分は異性だから、別に出会いは社会に溢れているし、出会いの方法を考える奴らに限って、カッコつけて見栄張って、阿呆な猿芝居を繰り返すもんだ。

 能書きばかりが先に立つ恋愛や愛情は、じきに行き詰まるさ。

 あんた結婚相手ともなればその日常の普段の姿で付き合い始めなければ、続かないか、カッコだけの仮面夫婦生活で終わってしまうだろう。

 喜怒哀楽もそのまんまで、誰も相手にしてくれないならばあんた自身の落ち度だから、直すだけだろう。

 薄っぺらい生涯を、そんなことで終えてしまう大人社会も、どうかと思うでよ。

 幼児が集っている消費社会では、あんまり会話はしたくもなくなってる。

 馬鹿臭いことだ。

 

 高齢者の齢の重ね方にもいろいろあって、後ろ向きで、ナニも無い植物化してしまってる人たちでも、笑いには飢えているようで、笑えば食欲も出て、少なくとも意欲は甦るもので、そういう接し方は基本になっている。

 独り暮らしともなれば不安や思考停止は進んで行き、行動しない受け身の日々がそれまでの生涯の落ち度であれば、その終活も自閉と投げやりな日々になって行ってる。

 皆と一緒、群衆の中の目立たない一粒、それで良かったのは身体が動いていた時の話で、そうでなくなってくると孤独が身に染みて、つまらない日常に文句ばかりが山積する。

 自業自得な話だが、どんなにゼニカネを持っていても、それは逃げられない性となって行く。

 若い時分からの生き方価値観の再構築が、どれほど大事なことなのか? 気が付いた時には手遅れだろう。

 あ~あ、だな。

 


要らない医療行為が高齢者を喰う

2023-05-08 10:25:44 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 

 高齢者の医療を都会で受けようとすると、田舎で選択肢なくひとつの診療所で医療行為を受けるのと違って、金儲け仕様のオシャレなキレイゴトばかり競い合っている多くの選択肢の中から、クジ引きをするような確率で、自分に合った本当の医療行為を探さなければいけなくなる。

 たまたま上手くいっただけで、次は無茶苦茶、そんなことも多いし、大きな病院であればかかる科によって、良い悪いもあるし、おなじ科でも医者の当たり外れもある。

 その治療・医療について、医者が自分なりに理解して、それを工夫し、患者の負担を少なくするように常に考えているならばともかく、マニュアル通りに、他の部位のことなど専門外と無視して、その箇所だけの医療行為を教科書通りに続ける医者や病院が多すぎる。

 これが別の病気をひき起こす原因にもなっている。

 一度でも余計な医療の罠にはまったら、気が付かないうちに生涯を医療行為に振り回されて終わるシステムが出来ている。

 医者の免許をとったら終わりではなく、本当はそこから医者の勉強や経験は始まる訳で、勘違いしてる猿は多い。

 ところが知恵もなく、国家の言うがまんまに生きて来た高齢者たちは、そんなことすら気が付かず、言われるがまんまの医療行為を有難く受けて、疑問すら考えずにいる現実が、ある。

 コロナ・ワクチン接種なんて、その最たるものだった。

 自分の命のことなのに、言われるがまんま接種を繰り返した人たちは、肝に銘じるべきだろう。

 玩具にされているよ。

 あちこちでいつも高齢者の通院や受診に付き添っている俺なんかは、医者や病院のやり口が簡単に丸見えになってしまってるから、そのくらいに単純なマニュアル医療が蔓延ってしまってるということだ。

 玩具にされてるよ、なんどでも、言っておいてあげるよ。

 そういう時代だからこそ、俺はあちこちから声がかかって、またまた色んな病院や医者たちとの関わり合いが増えて行くばかり。

 人間の世界のことは、なんでも経験と関わり合いの積み重ねで自分のモノになるから、あちこちで色んな経験談を話してはいるが、玩具にされているのは高学歴エリート・金持ち・資産家の方が多いことを痛感する。

 そりゃ~、猿の自惚れに溺れている連中相手なら、儲かるもんな。

 哀れなもんだ。

 そうして余計な医療行為ばかりをやらされて、次から次へと終わらない病を身体に持たされて、死ぬまで医療費を計上する羽目になっている。

 ナニも余計なことなどせずに、健康的な日々を送っていることの方が、結果は良い、そろそろ気が付くべきだ。

 

 ということで、この週末はどこも天気は悪く、仕方がないから都内で90歳前の高齢者婆さん二人を連れて、普段は食わない美味しい焼き肉を食べて来た。

 ついでに買いモノにも付き合って、日常の話を聞いて来た。

 ゆっくり歩くこと、歩き方、それだけでも色んな話があるが、幸いなことに俺の関わってる高齢者たちはよく歩いているから姿勢も良い。

 毎週のように山に登り、古女房のステージ4と言われた癌も半年で根治させた経験は、高齢者にも役に立っているが、ナニよりも、自営で何十年も筋を通して生きて来た過去があるからこそ、信用してくれてんだと思うがね。

 生きて居る以上は、グジグジ言わず、笑って生きていようよ・・・これがまず大事。

 その為には、国家であっても鵜呑みにして信じてはいけない。

 信じたフリをして、上手い事、やり繰りして行くのが島国日本人の生き方だろう。

 大笑いして、つぎは天気の良い日にみんなでスカイツリーに行きましょうと、約束して来た。

 

 世界や、世の中社会がバブルに狂っても、そうして崩壊して行っても、自分の生き方は変えない、これ大切なことだよ。