オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

お花が咲きだしてる、信州の山々

2021-05-31 11:29:07 | オストメイトで登山と遠泳

 

 遠方に出掛けなければいけない大事な用事があるんだが・・・先週も色んな仕事が湧いて来て、銀座を離れられないでいるから、この週末は長野の2200~2300mの山々を歩いて遊んできた。

 片道3時間、往復で600キロを運転して、そっから登り始めて絶景を堪能して来た。

 カッコ~の啼くミズナラやダケカンバの森、シャクナゲはまだ蕾も小さかった。

 八ヶ岳の向こうに木曽の御岳山は霞んでいたがギリギリ見えておった。

 この冬も登ってる雪山だった浅間山も、もう雪がなくなっていた。

 イチゲやショウジョウバカマがたくさん咲いておった。

 登り口の斜面にはゼンマイが群れてニョキニョキ。

 志賀の山々も春の色に変わっておった。

 毎週、山で日に焼けて鼻のてっぺんが赤くなってる。

 標高で2000mくらいが、俺には一番居心地が良い。

 昼寝でもできる陽気だったが、降りて蕎麦ガラ入りの手打ち蕎麦を喰いたかったので、とっとと下山した。

 最後まで、カッコ~が啼いておった。

 

 そういえば、昨日から新しいグレゴリーの48リッターのザックに替えた。

 ザックの新調は10年ぶりくらいだろうか。

 登山靴とザックだけは良いモノにしておかなければ、長い距離を歩くと困ることもある。

 着るモノは4Lサイズのあるシマムラやワークマンやサカゼンで充分だが、ザックと靴はベスト・フィットするものでなければ、疲労度もぜんぜんに違って来る。

 登山靴なんかは登る季節や天候や体調、その歩く山によって履き替えている。

 新しいザックは良い感じに肩に食い込んでおった。

 

 上場企業トップの有利子負債を維持しているトヨタは、春先まで有利子負債が20兆円だったものが今では25兆円、不動の二位ソフトバンクは13兆円くらいだった有利子負債が18兆円になってる。

 負債や借金に無縁、貸し借りいっさい無しで生きてる俺には、その日常の感覚は伺い知れぬし、興味もない。

 

 過ちは、二度と繰り返しません・・・これは戦争の最期に落とされた広島の原爆慰霊碑に刻まれている。

 大本営発表のニュースに騙されることなく、無駄な死者を出すことなく平和を願って生きて行こうということだが、去年からのコロナ騒動にトチ狂ってる日本国民を高い山の上から眺め渡していると、同じことをやっている。

 これを馬鹿と言わずに、なんと言う??

 おなじアジアの近隣諸国の悪口ばかりを大メディア群は連日朝から夜まで報じ続け、遠くの親分アメリカの言うがまんまにロシアと中国の悪口も続けている。

 根拠などまるでなく、虚偽のニュースに創作落語、それを信じて暮らす特攻隊がいる。

 令和の現代でも、敗戦国のまんま、奴隷のような生活を謳歌している日本人、間抜けにもほどがある。

 新聞・テレビにネットの情報源を、多くの惨めな国民は自分の生きる価値観にして猿の山を築きあげて来てるな。

 新疆にしても、ロシアに対しても、アメリカは人権問題がどうたらこうたら言うが、日本人やアメリカ国内の移民に対するアメリカ国家の対応を見ていると・・・お前らが言うな!!・・・と思うのは俺だけか??

 大笑いするしかない。

 


大笑いして、生きて行こうぜよ!

2021-05-28 11:42:16 | 地球と生きる

 

 誰でもパソコンで簡単に見れる東京都のサイトだが、なんか気が付くことはあるかな? 大笑いするところだ。

 http://idsc.tokyo-eiken.go.jp/assets/flu/2020/Vol23No4.pdf

 理由もなく去年から、急にインフルエンザの感染者数がゼロになってるが、まあ、皆さんは自粛と手洗いとマスクのおかげだと、貧しい洗脳オツムで言うんだろうな。

 アメリカが日本を、渡航禁止にしたという笑い話もあるが、日本では例年、インフルエンザに感染する人数は1000万人くらい、死者数も1万人くらいなのが普通だった。

 新型コロナでは、関係の無い病状や死者も味噌も糞も一緒にしておって、数字を増やすことに躍起となっている。

 オリンピックなんて興味も無いし、関わってる連中は選手も含めて見栄張りエゴの守銭奴くらいにしか見てないが、どう考えても、それでも日本がアメリカを渡航禁止にする立場だが・・?? そう思ってる。

 https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/

 俺は1年前から同じことを言ってるだけで、別に難しいことはナニも言ってない。

 それぞれが気を付けて過ごしてなさい! それだけを皆に言っている。

 決して新聞やテレビやネットの都合の良い情報に振り回されないことだけ、気をつけなさい、そういうこと。

 嘘つきと極悪人は誰なのか??

 俺?? 俺は60年以上もそういう立場で笑って生きて居るから、そう言われることを有難く想うよ。

 

 コロナ教の布教活動は、そろそろその実態の有無に人類の疑惑の目が移り始めたところで、ワクチン接種というこれまた怪しい空砲打ちへと趣を変えて進んでおり、当初のコロナとはナニか?? という疑問が封印されている。

 俺は? ワクチンは医薬業界の仮想通貨みたいなもんだと笑って眺めてる。

 都内の飲食店舗のうち30数店舗が自粛要請を無視して営業しているというニュースがあったが、二桁は違ってるだろうという数字の公表で、いかにも皆が 良い子に自粛している という風に見えるフェイク・ニュースばかりになっている。

 ひとつの街のひとつの駅周辺の飲食店の話だろう。

 アメリカが日本を渡航禁止にしたというニュースも、今現在でもコロナの感染者数は日本よりもアメリカの方が4~5倍は多いが、単にワクチンを接種してるからアメリカ経済は回復に向かっているという。

 ナニもしなくとも、これは変わらなかっただろうし、今後も変わらないだろう。

 笑い話を通り越えて、素直に大メディア群に騙され続けている日本人は、哀れなもんだ。

 洗脳と煽動の怖ろしさは、こんな日本の現状を見て居れば解ることだ。

 コロナもワクチンも、最初から政治的な騒動だから、次にもその次にも、政治的な騒動の準備は整っている。

 善良なる間抜けな庶民様達が、従順に素直に、優等生づらして良い子にしておれば、順繰りに小出しに出すだけ。

 どうして日本人は怒らないんだろうか? サラリーマンや公務員は餌を貰ってるから都合よく黙ってるが、自営は食えなくなり、生きて居れなくなっても、ひたすら群れて息を殺して我慢してる。

 俺はそのどっちにも興味がなく、独自な食い扶持作りに余念がない。

 じきにサラリーマンや公務員も、追い詰められて行く。

 マゾの国、日本。

 

 この1年、俺は自粛も出来ないで地べたを這いまわり、貧しい高齢者相手の仕事も続け、裁判所絡みのややこしい仕事や、助成や救済などナニも無いまんま、自費だけで助けを求める弱者に両手いっぱいに色んなことをして来てるが、週末だけは体力維持に山や海で激しい動きを続けている。

 これからの時代を考えてすでに借金・負債に貸し借りも、複数の法人も個人もナニも無い状態にしてあり、住宅ローンやナニナニローンすらナニも無い。

 10年前からそういう状態にしておいて、去年も今年も独自のバブルを作り上げて来てる。

 自分以外は、ナニもアテにしてない。

 俺の食い扶持は俺が作る、多くの扶養家族の面倒も俺が背負ってる。

 独りでこれを30年続けているうちに、いろんな関わり合いから人脈はとんでもない広範囲に拡がっているが、基本は俺独り。

 人間のオスはこう生きても良いんだぞ、こうやって愉しく生きるんだぞ、それを実践して来てる。

 口先だけの能書きや外観や偉そうな勘違いなど持たず、現実でそれを表現している。

 そういう大人が、この日本には少なくなったもんだ。

 

 若い時分にはアルコールを浴びるほど飲んで仕事をやっていたが、不動産バブル崩壊後に自営を始めて、そんな間抜けな生活をピタッと止めてしまった。

 家の2軒くらいは蒸発させてたあらゆるギャンブルも、40歳過ぎにピタッと止めた。

 麻雀なんて止めて20年経つのに、いまだに指にタコは残ってる。

 そういう無茶苦茶な前半生で、身体はボロボロ、経年劣化は同世代の誰よりも激しいだろう。

 いまでは酒にもギャンブルにも、な~んも興味すら湧かない。

 なんでもとことんやれば、卒業する、これの繰り返しで山と海しか残らなかった。

 あとは延々と続けている自営の商売で、関わり合う人たちとの交流で飯を喰っている。

 ゼニカネで老後が楽しく過ごせるものならばもっと遥かに稼いでおっただろうが、最初からそんな嘘には染まらなかったから、正解ではある。

 何十億、何百億もの資産を作る生き方だって出来ただろうが、ぜんぜん興味が湧かなかった。

 今日一日喰える分だけ獲れば、仕事は終わり、無理して借金や負債は背負わず、あるだけで工夫して遊んで暮らす、そのスタンスのまんまだ。

 神や仏にも興味はまるでなく、若い時分から自分こそが神で仏だと信じて疑いは無い。

 みながそう生きれば、世の中社会は変わるが、それも あ~無常 と言う奴さ。

 目先の欲に流されて、目先のゼニカネに染まってしまって、猿な人生を送ってるのばかりだ。

 そんなの退屈なだけで、すぐに飽きが来て、刺激を求めてまた娑婆を彷徨い歩く繰り返しになる。

 無駄な生の時間の過ごし方だな。

 この40年、日本だけでなく、世界の富豪、財産家という連中とも色々と付き合いがあったが、興味を持った人間はおらんかったし、大した人間はいなかった。

 ・・・退屈だろうね~

 俺の凄まじい日常と生き方を話してあげると、みな、黙って頷いて、寂しそうに笑ってた。 


ナニが起きてるの?正気の沙汰?

2021-05-26 10:59:45 | 銀座の周旋屋

 

 バイデン・ハリウッド・アメリカが、日本を渡航禁止にしたというニュースで、深夜から面白かった。

 アメリカは北京オリンピックを中止にさせたいがために、近隣でもある東京オリンピックを中止にさせたい。

 日本の政官の中には、これからはアメリカではなく中国と仲良くして行くべきだという連中がおり、その筆頭格でもある二階派が、ここ数年は大メディア群の集中攻撃に遭っている。

 日本の大メディア群は、アメリカメディアの奴隷とおなじ、金魚の糞だ。

 そもそもバイデン・ハリウッド・アメリカと、トランプ側のアメリカは国内で分裂してしまってる。

 アメリカの大メディア群は好戦派のバイデン・ヒラリーの側にくっ付いている。

 だから日本のメディアもわざわざ近隣諸国に喧嘩を売るような立場に終始している。

 大本営を気取って続けている猿の集団が、NHK他の民放大メディア群だ。

 皆さんが朝から寝るまで眺めて洗脳してくれている、素敵な連中だ。

 間抜けな政治の駆け引きに、オリンピックは翻弄されている。

 もうオリンピックも国際大会も、要らないだろう。

 そのルールや出場資格や審判の判定などを見ていると、興ざめすることばかりになってる。

 キレイごとが通用しない世の中社会になってきているのに、ま~だユニセフや国連やWHOが幅を利かせている。

 そういう嘘も、近い将来に解って来る。

 世界の価値観の大きな転換期は、すでに訪れておって、俺がこの30年ずっと言っていた時代に入っている訳だ。

 俺は愉しい日々だが、洗脳されて煽動されて生きて居た大量消費猿の皆さんは、大混乱して右往左往だろうな。

 これはこれで、大笑いだ。

 

 世界でももっともノロノロと新型コロナ対策を続けているわが国の思惑は、ズバリ日本売りだろう。

 世界中の富豪や企業に、キレイにして、差し上げる準備を、着々と進めている。

 ノロノロと経済を自粛させ、停滞と破壊を行い、そこに現ナマを ポン!! と置けば、キレイごとばかりで上っ面の偽善で生きてる多くの日本人は、すぐに手を出して行く。

 国の支援や助成、給付金にしてもワクチンと一緒で、猿が餌をもらう時のように馬鹿面さげて群がって行ってる。

 その後の地獄のことなんざ、な~んも考えてない。

 大多数がそんな生態で居る訳だし、怒ったり文句を言って批判してたって、それもメディアを使った煽動と洗脳を素直にされたまんまでやってる罠にかかってる猿の状態、これではどうしようもないだろう。

 怒るピントが違う、文句を言うピントが違う、批判するピントも違う、喜劇のような光景だ。

 菅総理はワザワザ貧乏クジを引いたような悪政を続けているが、その後に小泉進次郎をスターに仕立て上げて、オヤジがやった郵政民営化以上の日本売り、農協の解体を目論んでいる。

 金は貯め込むモノでは無く、使うモノ、それは解るが、日本の国民にはどう映るのかね、メディアがまたぞろメクラマシをたくさんかましてくるよ。

 

 ところで、いつのまにか、ワクチンを接種することが既定の事実に変わってしまってる。

 早いか遅いか、並んで待ってるのに横から先に優先的に接種したとか、そういう話ばかりになっている。

 そのワクチン、どういう確証があって、どういう治験を重ねて、出来たものなのか? その話は皆無になった。

 ただの栄養剤か? 副作用や後遺症は? そんな心配を皆さん持ってない? ここはやっぱり猿の国か??

 

 PCR検査じたい、その生みの親でもあるマリス博士が・・・PCRは感染症の検査には使うな!!・・・と遺言して死んでいるにも関わらず、世界中の人類がそれに右往左往させられているのが現状だ。

 俺は1年前から同じことを言っている。

 そのくらいにド阿呆と間抜けばかりになっている人類には、愛想が尽きている。

 陽性や陰性判断がなんとでもなる検査、これは病気の判断ではなく、政治的に弄ばれ利用され使われる検査だ。

 

 車のナビは、その情報を入力している奴のレベルが知れる。

 結局は人間の経験値の方が臨機応変で生々しく、いつも当たっていることを知れば、コンピューターの限界だろう。

 人間を超える創造力や発想を持つコンピューターなんて、永遠に作れない。

 増してやプログラミングしている人間はオタクでコミュニケーション能力に劣る独りよがりが多いから、いつも偏った情報を入力している訳だ。

 製造が上手だとか、合理的にモノを扱うだとか、大量にナニかをこなす、これがコンピューターの仕事だ。

 これは仮想通貨でも同じことで、そこに同じ価値を見て初めてその仮想通貨に価値が生まれる訳で、その同じ価値を見ている筈の大勢が、実はヤラセやサクラばかりだったら、遊ばれて終わり、そういうことだ。

 どんな時代でも、人間ひとりの価値や信頼は、その人の日々の生き方から生まれて来るもんだ。

 ひとりの女を愛して濡らす、これは生身の人間でなければ出来るもんでもない。

 それとも、スマホでことが足りてるの???

 オナニスト、自意識過剰な自慰、ずっとやってろよ。

 大笑いだ。

 

 敗戦後のただの復興のことを、高度経済成長と呼び、自画自賛した国が日本の正体だ。

 その時に復興したインフラはガタガタになっており、これからオシャレな街の大問題になってくる。

 一億総中流という意識で洗脳されて煽動されて、皆で木に登った時代が終わっても、その残像で生きて居るのが今の高齢者の世代だ。

 常に自分のオツムでモノを考え、判断することなく、流されて言うがまんまに生きて来た世代だ。

 自分とはナニか? 自分はどう生きるべきか? なぜ生き、ナニが楽しくて笑うのか? 考えたこともないだろう。

 国家に洗脳され果てた親や爺婆に厳しく育てられ、義務教育で生き方の善悪を叩き込まれ、テレビや新聞で社会での生き方を学んだ猿の群れだ。

 自分の死に方すら、自分で考えられず、誰かがナニかをしれくれるのを、ただただ待っている。

 

 怖ろしい悪者で良い、人に好かれる必要も無い、見栄や虚飾もいらない、無いのに有るように見せることもせず、あるがまんまで生きる、これで俺は60年以上を過ごしてきたが、いまでは多くの関わり合いがすべて本音の関わり合いばかりになって、借金・負債も貸し借りもナニも無いまんま、大笑いして生きて居る。

 弱いからこそキレイごとを言い、弱いからこそ見栄や外観を着飾り、弱いからこそ無いくせに借金してまでして取り繕う、弱い、弱すぎる。

 親の資産や財産を引き継いでノホホンと生きてる連中も、みな弱い気違いではある。

 二代目三代目なんざ、墓守役でしかない。

 どうしてそういう当たり前のことを、はっきり言ってやらんのだ?

 呆然と生き、呆然と失い、呆然とまわりを見て、虚ろな目。

 恋や愛の話だっておなじこと。

 俺の相手にはならない。

 退屈な世の中になったもんだ。

 

 あちこちの地方に出掛けなきゃ~ならんのに、ややこしい仕事がどんどん入って来てる・・・なかなか上手いこといかんわい。


早太郎物語・・・日本人と日本狼

2021-05-24 11:21:38 | 昔話

   

 

 縄文柴という種類の、柴犬がいる。

 後世に我が国の森に生息していたニホンオオカミの起源だとも言われているが、すでに縄文の時代には、犬が我が日本人の祖先とともに暮らしていた痕もある。

 野生の狼もまた、小さな群れを成して大自然の中で生きており、その中で怪我をしたり、集団生活からはみ出してしまった狼が人の集落近くに寄ってきて、人に飼い馴らされていったとも言われている。

 狩猟が生きる糧でもあった山で生きる人たちは、犬を連れて森を歩き回り、その中で野生化したものが狼となったという話もある。

 犬が先か、狼が先か・・・。

 狩りで獲った獲物の分け前を喰っているうちに人に近づいてきたとも言うが、アイヌの民話には、父を亡くした母と幼い子が、狼の獲った獲物の残りを分けて貰い、生き抜いたという話もある。

 人類よりも犬や狼が先に居たのかも知れない。

 いずれにしろ、人と狼・犬の関係は古く、戌年生まれの俺もまた、その幼い頃から狼犬とともに一つ布団で寝ションベンをして寝起きし、転居を繰り返し、育った環境から、どうしても山を歩けばニホンオオカミの痕跡を探すようなとこもある。

 深い森や高い山々の奥で、ひっそりと生き延びているニホンオオカミがいるかも知れないという想いは、いつも持っているし、偶然に出会うことでもあれば、噛み匂いを嗅ぎ抱きしめてジャレてみたいとも想う。

 後世の愚かな日本人たちが送り狼だとか人食い狼だとか、好き勝手な解釈を広めたことを怒っているならば、俺が存分に噛まれてやっても良いとさえ想う。

 俺もまた、人間社会では一匹狼の立場でずっと生きてきてる。

 おなじ境遇であればこそ、そこでともに生涯を過ごしても良いとさえ想う。

 俺が奥秩父から北の山々が好きなのも狛狼の神社が昔から多く、そうして彼と出会うかも知れないという漠然とした懐かしさを抱くからでもある。

 そうして、群れをなし地球を我がモノのように自惚れ果てている愚かな人間の前には、決して姿を現すこともないだろう。

 人間が、ごめんなさい と、謝らねばならないことはたくさんある。

 

 むかしむかし、信州は信濃の国に、光前寺という小さな山寺があった。

 近くには木曾駒ケ岳やら木曾山脈の高く峻険な山々が並び、人里はなれた奥山の、緑豊かな谷あいに、その寺はひっそりと佇んでいた。 

 いまの天台宗のお寺でもある光前寺が建つはるか前の、お話ではある・・・。

 その小さなお堂には、ひとりの老いたお坊様が住まっておられて、いつも淡々と、静かに修業を続けられておったというが・・・そんなある日、朝のお勤めを終えて庭に降り立ったとき、その日は妙なことに、本堂の下から獣の唸り声がしたんだとさ。

 ・・・ぐぅぅぅ~、ぐぐぅぅ~

 それは他を威嚇するものとはちがう、とても苦しそうな呻き声にも似ていた。

 怪訝におもわれたお坊様が、その獣の声がする本堂の床下をそっと覗いてみると、薄暗い闇のなかに大きな目がギョロっと、ふたつ、輝いていた。

 よくよく闇に目をこらして見ると、お腹の大きなオオカミが一匹、そこでうずくまっていた。

 ・・・ほほ~、産気ついたオオカミが、身の安全と産まれる子のためにと、不動明王様のおられる本堂の下にやってきたな・・・

 お坊様は、気づかれないように静かにその場を去って、それから翌日の朝のお勤めからは、その母オオカミの安全も、優しく祈ってやってたんだとさ。

 

 しばらくして、母オオカミは3匹の子供を無事に産んだ。

 ・・・ほほ~、どの子もみな元気に産まれたわい、よかったのぉ・・・

 お坊様は、毎朝その子らと母オオカミのためにと、おひつに食い物や飲み物を入れてやり、床下にそっと置くようになった。

 元気に床下を飛び跳ねる気配を感じるだけで、嬉しくてしかたがなかった。

 そうこうするうちに、母オオカミと3匹の子オオカミたちはお坊様にも馴れ、狭い床下から庭に飛び出してきては、戯れるようになった。

 

 そんなある日、お坊様がいつものようにおひつを抱えて床下を覗くと、母オオカミと2匹の子オオカミの姿が忽然と失せてしまっていて、一番小さかった子オオカミが、ポツンと、寂しそうに座っていたんだそうな。

 ・・・くんくん、くん~

 ・・・ほほ~、お前さんの母や兄弟はどこに行ってしもうたか?

 ただただ甘えて泣くばかりの子オオカミを抱き上げて、独り言のように呟いていた。

 そうか、そろそろ野生のオオカミは山に帰る時分だったか、そうかそうか、母オオカミはお礼のつもりで、一番小さなお前さんをワシのとこに置いていったんだな・・・。

 

 それから幾年かが経ち、その小さかった子オオカミは見違えるような威風堂々としたオオカミに成長し、お坊様は 太郎 と名前をつけてやっていた。

 山に帰っても、オオカミの群れの頭にでもなれるような素晴らしい骨格をしていたそうだが、太郎はそこを離れることもなく、朝夕のお坊様のお勤めのときには、キチンと傍らに座り、身じろぎもせずにお坊様の行を見つめていたそうな。

 険しい山々や野原を駆けまわるときの太郎の足の速さは、そこいらの山オオカミとは較べものにならないほど力強く速かったから、そんな太郎のことを近在の村の人々は 早太郎 と呼ぶようになり、みなで可愛がってやっていた。

 

 その頃は、まんだまんだ信仰と迷信が入り乱れて、天気の悪い日が続けば、神様が怒っておられるんじゃ・・・雨の降らない日が続けば、神様が怒っておられんじゃ・・・田畑の収穫が悪いと、神様が怒っておられるんじゃ・・・と、そういう時代だったんだが、ある年の暮れに、近在の村々にそれは怖ろしい、噂話が伝わった。

 夜になるとどこからともなく現れた見たこともない大きな怪物が、夜歩きをする子供や娘をかっさらって行き、二度ともどることもないと・・・そうして実際に子や娘が行方知れずとなることが続き、村々の人々は怖くて夜は家の戸を閉ざし、外には出掛けなくなった。

 そんな鬱屈とした、怖ろしい噂話だけが、ヒソヒソと伝わっていたある日の夜おそく、光前寺の裏山の方から、それまでの静寂を破るような娘の甲高い叫び声が聞こえたんだとさ。

 早太郎は寝起きしていた本堂の床下で、ハッと瞬時に飛び起きると、一目散に裏山にむかって駆け出していた。

 ・・・うおぉぉぉ~~ぐおぉぉぉ~~

 駆けながら、咆哮していた。

 どのくらい駆けただろうか、山の尾根の窪んだところまで走り続けて来ると、肩から血を流した娘が倒れているのを見つけた。

 気を失っているだけで、息はまだあった。

 小娘の悪戯心の虫でも湧いたのか、大人たちが夜歩きをしなくなったのを良いことに、抑えられない好奇心がそうさせたのか・・・。

 そして辺りにはいままで嗅いだこともない、異様な獣のにおいが充満していて、まだ近くにその怪物の気配さえ残っていた。

 さすがに、早太郎も心の臓の鼓動が早くなっていた。

 やられるかも知れないと思う気持ちは、初めてだった。

 闇に目が馴れ、ジリジリと少しづつ身を動かしてあたりを窺っていると、木立の向こうの方に、ギョロリと、大きく怖ろしい怪物の目が光った。

 やられるかも知れない・・・もういちど感じた。

 そうして互いに身動きせずに、睨みあっていたが、

 ・・・ぐおぉぉぉ~~

 早太郎の方から唸り声をあげると同時に、怪物は高く飛び上がり、早太郎の頭上から襲ってきた。

 ・・・うぎゃ!

 戦いはその一瞬で、また静かな夜に戻っていた。

 早太郎は返り血を浴びた壮絶な顔で佇んでいたが、それから笹原の中をザワザワと走る音が聞こえ、その先の淵から、下の川に ドボンッ! と飛び込む音が聞こえた。

 早太郎は淵のうえまで駆けると、そこから下に向って咆哮していた。

 ・・・二度と、早太郎のいる信濃にもどってくるなよ!

 そんな怒鳴り声にも聞こえた。

 

 それからは、平和で平穏な日々が近在の村々にもどっていたんだそうなが、また数年たったある日のこと、この光前寺に、ひとりの旅の若い僧がやってきた。

 すでに老いのシミも混じってきた禿頭を光らせて、庭先で早太郎の毛を撫でてやってるお坊様の前に、その若い僧侶は立っていた。

 遠州から、はるばるやって来た 六部 と名乗った。

 

 その頃の我が国では、まんだまんだ神憑りが信じられており、どこの田舎村でも、祭りにはお供え物をたくさん捧げ、神様に祈り、あまりにも天災地変の酷い飢饉やらには、村の娘を人身御供として、神様に差し出したりするところもあった。

 この六部がやってきた遠州の見付という村でも、そんな風習があったらしいが、この頃は天災ではなく、見たこともないような怖ろしい怪物が夜な夜な現れては、収穫前の田畑を荒しまわっていた。

 そうして土地の矢奈比売(やなひめ)神社に近在のある娘を人身御供に差し出すという話が決まったんだが、密かにその娘に恋焦がれていた青年が、その人身御供が入る箱に身代わりで入り、神社に運ばれていったんだそうな。

 やはり身代わりになった青年の安否が心配になった娘は、誰にも気づかれないようにと、そっと遠くからその様子を眺めていたらしいが、

 ・・・信濃の早太郎はおるまいな、決して早太郎に知らせるな

 そう呟きながら薄暗い境内に現れた大きな怪物は、人身御供の入った箱をあけると、そこにいるはずの娘が青年にすりかわっていたことに愕然とし、怒り猛り狂って、これ以上もないくらいの無残な仕打ちで、変わり果てた姿の青年だけを残し、飛ぶように去っていったという。

 

 旅の修業の僧侶として、その見付という村を通りかかった六部が、ことの一部始終を村人から聞き、哀れんで、信濃の早太郎さがしを引き受けた経緯をゆっくりと話し終わると、

 ・・・ざんねんながら、信濃に早太郎という人はおらんがやね

 お坊様がのんびりとそうこたえると、六部はがっかりと肩を落としたが、

 ・・・ただ、早太郎という、オオカミはここにおるがね

 そう聞いた六部は、かたわらに静かに寝転がっているオオカミに、目をむけた。

 ・・・・・・・

 ・・・そうだ! 山オオカミのことだったか!

 ・・・ぜひ、怪物をたおすために、この早太郎をお貸しいただけないか?

 そういう六部の問いかけには答えずに、お坊様は黙って、早太郎の両の目を見つめた。

 ・・・う~~うぉん!

 ・・・お前さんに、怪物を倒せる力があるものかどうか・・・

 早太郎は、小さく頷いたことだった。

 

 それから心配顔のお坊様に見送られながらも、早太郎と六部は光前寺をあとにすると、50里も離れた、遠州は見付の村まで、急いで奔ったという。

 あいかわらず、村は荒らされ放題で、前よりも酷いじょうたいになっており、新たに人身御供を差し出すという話が出ているところに、六部は早太郎とともに辿り着いた。

 ・・・なんとか、まにあった

 村の人々は六部の話を聞き、大喜びで、はるばるやって来た早太郎を労いもてなした。

 そうして新しい娘を人身御供に出す夜に、その箱の中に早太郎を入れ、矢奈比売神社の境内に運んだんだとさ。

 

 夜もふけ、風もやみ、どれくらいの時がたったんだろうか、やがてザワザワと笹原が鳴る音がしたかと思うと、全身毛むくじゃらの大きな怪物は現れた。

 人身御供の箱のまわりをゆっくりと回りながら、

 ・・・信濃の早太郎はおるまいな、早太郎に知らせるな・・・

 そんなことを念仏のように唱えると、無造作に箱のフタに手をかけた。

 開けるが速いか、早太郎が飛び出すが速いか、アッという間のことだったが、怪物に飛びついたはずの早太郎の背中には、その怪物の鋭い爪が食い込んでいた。

 ・・・ギャッ!

 まぎれもなく、あの時に追い立てた怪物に違いはなかったが、あの時よりも身体は頑強で大きくなっており、動きも俊敏だった。

 ・・・これは、こんどこそやられるかも知れない

 背中に深手を負った早太郎の心の臓が、ドクドクと波打っていた。

 そうして飛びついては離れ、飛びついては離れの死闘は、空が明るくなるまで続いたんだというが、互いに負った深い傷と長く戦い続けた疲れとで、おたがいに動きが緩慢になったところを見計らって、早太郎は最後の力をふりしぼり、怪物が鋭い爪を胸に食い込ませたと同時に、喉深く噛み付いて、息の根をとめたんだという。

 

 その朝は、早くから村の人々は神社にみな駆けつけて、そこに転がっていた怪物の大きな死体を見て、腰を抜かすものが多かったというが、その正体は大きなヒヒだったという。

 そうして早太郎の姿は、もはやどこにもなかった。

 ただ、信濃の方角に延びる道には、転々と、血のあとが続いていたという。

 早太郎は、すでに駆ける力も無く、ただただお坊様に会いたいだけの思いで歩き続けていた。

 フラフラと、すすきのように、揺れていた。

 ただただ、優しいお坊様のもとに、帰りたかった。

 疲れ果てて、ようやくやっとの思いでたどり着いた光前寺の前に立った姿は、言葉にもならないような凄惨な姿だったというが・・・

 ・・・おまえさんは、おまえさんは・・・

 変わり果てた早太郎をしっかと抱きしめたお坊様の腕の中で、フッと身体の力が抜けたかと思うほどに、優しい両の目に涙をいっぱいためて、

 ・・・くぅん

 小さな声で、ないた。

 それは遠いむかしに、お寺の本堂の下で、独り置いてゆかれた早太郎が、寂しさに母を呼び、母を慕うなき声と、おんなじだったそうな。

 やがて、大好きなお坊様の身体から匂う線香の懐かしい香りに包まれながら、息絶えたと言う。

 息絶えてもなお、早太郎の両の目からは、しばし暖かい涙が、流れ落ちていたそうな。

 

 これは早太郎伝説ともいう、古くから信濃の村でも、見付の村でも、50里(200キロ)もはなれた互いの村で、脈々と語り継がれてきている昔話だが、その呼称や中身はそれぞれに少しちがう。

 それぞれの話から、書き直したものである。

 ただ、この国で、人とニホンオオカミがどれほど密接に関わりあって、ともに助け合い、仲良く生き暮らしていたかがわかろうというものだ。

 

 ここに書かれた信濃の駒ヶ根市、遠州の見付の磐田市は、このお話が元となって、いまでも友好都市となっている。

 

スピリチュアルに溺れる猿の曲芸

2021-05-21 15:37:53 | オストメイトで登山と遠泳

 

 事務仕事・ややこしい書類作成で一日を座って過ごすことが多いと、夜に歩くようにしている。

 昨日もそんな日で、雨もやみ、涼しい風が吹いておったから、銀座から江東区に入り、荒川まで2時間かけて歩いた。

 2万歩弱だったが、しっかり汗をかいて、一日を終えた。

 永代橋で隅田川を渡るとき、佃島方面が幻想的で、普段は人工のモノには興ざめするんだが、しばし眺めておった。

 こういう景色を見ていると、飛び込んで俺の波を立てて泳ぎたくなるが、大きな取引を控えているのでやめといた。

 契約ごとは終わっても、すぐには収入にはならないのが再開発のような大きな話だから、仕方ない。

 ただしゼニカネなど興味の無いギャンブラーではある。

 ゼニカネに振り回されないで生きるには、まず稼いでからのお話で、無いものねだりや負け犬の遠吠えでは意味が無い。

 コロナな時代でも関係なく、稼いでも自分自身では持ち貯めることはせずに、いつも身軽に次へと向かってる。

 山や海では紙幣なんざ、鼻紙くらいにしか使えない。

 

 俺がこの不動産業の世界に足を踏み入れたのが40年くらい前になる。

 不動産バブルの前の時代で、なんでもありの乱暴至極な世界だったが、当時の最初の営業の目標が年収1000万円超えだったが、今の不動産業の若い営業に話を聞くと、そんなにも貰ってないと言う。

 10数年前の局地ファンドバブルでは、俺のまわりの自営やデキる個人営業は年収が億円の単位になっておった。

 日本人サラリーマンや公務員らは、国家に騙されてると感じないのか?? 不思議なことだ。

 40年前の収入レベルと、今も変わらない収入レベルで、借金や物価は上がっている。

 俺なんかはあちこちで笑い話として話してる。

 そんな何度も繰り返してるバブルを謳歌した者でも、その後に彼や彼女たちは、ほとんどが蒸発してしまってる。

 文字通り、泡と消えている。

 バブルというモノを何度もド真ん中で経験して来てると、じきに蒸発して消えてしまう人間が、ひと目見ただけで解ってしまうのも、オモシロイとこだ。

 猿はすぐに木に登り、勘違いしてしまうのも、その人の生きてる価値観こそがバブルの泡、自分独自の生き方価値観を築けて無い猿では、散財するかまわりに利用されて終わってしまうのも、時間の問題だ。

 踊りたい者には踊らせておけばいい。

 じきに居なくなる奴とは、稼ぐ小道具にはするが、それ以上は関わり合わない。

 言われるまで気が付かないではなくって、潰れるまで解らない、大人の世界とはそんなもんさ。

 そもそも国家が作るバブルで儲けてるようなヒヨッコでは、夢は一時の夢。

 自分独自のバブルを作って行くようになれば、一人前だろう。

 さ、山に帰るさ、海に帰るさ、あとは野となれ山となれ。

 

 真っ暗な奥山に行き、月明かりも届かない樹林の中から、ヘッドライトだけで山に登り始めることもある。

 自分の影に驚き、自分の足音に怯み、自分のザックの木や岩に触れる音で肝を冷やし、暗闇に光る獣の眼光に立ち止まり、鳥や獣の鳴き声でギョッとする。

 怪しい光や怪しい影、この世のモノとは思えない闇の森では、幽霊や霊魂を怖れる者の足は進まなくなる。

 メディアでやってる肝試しなんざお子ちゃまの遊び、小心ションベン垂れには、暗いうちから山には登れない。

 山は鳴り、風も鳴り、地鳴りのように足元を震わす荒れ果てた道を、ゆっくりと登って行く。

 ナニが居るかも解らない、ナニが飛び出してくるかも解らない、ナニが起きるかも解らない、怖ろしい世界だ。

 人の寄り付かない奥山の林で、自殺か他殺か、傷んだ遺体に出くわすこともある。

 バラバラになった獣の身体が、喰い散らかされて散乱してる場所もある。

 山は素敵なとこなんかじゃない、地獄とおんなじだ。

 退屈な天国よりも、難儀で油断ならない地獄を選んだ者だけが、大笑いしながら歩き回ってる。

 そうやって登った山の頂きから、絶景を見渡す訳だ。

 昔から、銀座の近所の子供らには聴かせてやってる。

 実話だから、そりゃ~下手な怪談よりも怖いだろう。

 ナイトハイク、夜の山歩きに銀座の子供らをよく連れていっておった。

 皆にヘッドライトを付けてやり、決して列を乱すな! と怒鳴って出発する。

 時々に大声や奇声を発してやると、銀座の悪ガキどもは恐怖から動けなくなる。

 ・・・ションベンちびったか?? 大笑いしてやる。

 獣の気配を感じると、立ち止まって、静かにさせて俺のヘッドライトでその方角を照らしてやる。

 ギョロっとした赤い目が幾つも現れると、座り込んでしまう。

 そんな遊びを経験させてやると、いつまでも俺には逆らわない。

 怖ろしいオヤジになっている。

 これが今の大人社会のチンケな現実だと、教えてやる。

 悪魔か夜叉か閻魔にでもなれる人間でなければ、そんな遊びなど楽しく出来ないだろう。

 静寂の森に、俺の叫び声が何度も木霊する。

 ここに、俺がいるという証でもある。

 獣たちは怖れ慄き、逃げ出して行く。

 幽霊や霊魂など可愛い物語で、現実の世界にはもっと怖ろしいことがたくさんある。

 そういう日常も、俺の日常ではある。 

 どうだ? 一緒についてくるか? 皆さんの言う、三途の川の渡し場で生きて居る。

 酒や薬やスマホがなければ生きて居られないような現代人には、無理だろうな。

 コロナごときばら撒いて、人類を管理しようなどと安易に考える成金猿どもには、出来ないことだ。

 そういうオヤジやオバはんが、意外にたくさん生息している。

 それがナニを意味するのか? 

 ミミッチ~日常にヨダレを垂らしている大人たちには、解らないだろう。

 

 ほらほら、あんたのすぐ後ろで、そんな獣が笑っている。

 よ~く見てご覧、目は笑ってなどなく、冷ややかに睨んでおるだけだ。