オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

笛吹けど、自作自演の兵も踊らず

2023-03-03 10:12:37 | 世界常識と島国おセンチ

   

 

 家賃20万の賃貸マンションの契約更新に際して、2万円を超える値上げを通告された、家賃35万のマンションの契約更新に際して、4万を超える値上げを宣告された、こういう相談話が去年から増えて来ている。

 だいたいが大手の不動産会社が貸主、保険会社や大企業が貸主、そういう物件に多い。

 いろんな対処法はあるが、ケースバイケースで、お教えしている。

 ついでに、モノの価額が上がることだけをインフレというのではないと、お教えしている。

 20年くらい前から、借金や負債や貸し借りは帳消しにするように生きて準備しておかなければ、淘汰される時代になるとあちこちで言って来たし、ここにもいつも書いていた。

 世界の価値の大転換が来ると、言って来た。

 その通りのことが起きているだけで、俺にとっては既定の事実。

 ナニも驚くことでもなく、困ることもない。

 俺のまわりの親しい自営業者たちは、10年20年以上も前から準備万端、その時を待って手ぐすね引いている。

 先付けのクレジットに甘えて暮らすということは、他人の褌で相撲を取ってるのとおなじさ。

 いつまでたっても自分の褌は持てないから、恥部を隠すことだけで生涯は終わる。

 クレジット会社の罠を上手く逆利用して小遣いを作ることはあっても、俺は無借金負債なしで原則現金主義は変わらない。

 借金・負債(住宅ローンも含む)を持ち、クレジット生活に甘んじている連中には、身内であっても深くは関わらない。

 現代人はゼニカネごときで人間性や日常まで豹変する猿ばかり、ロクなことはない。

 関わるだけ時間の無駄、これが大事。

 山の丘に建つ家の先祖の墓には10何代もの墓標が大きな石碑の横に朽ちてあるが、当代の俺は円も信用はしていない。

 

 出来損ない猿の集まりの政府も、そろそろ自分たちに都合の悪い情報源ばかりを抑え込み、自作自演の創作詐欺を働くことなど止めにして、ごく一般社会に拡がっている悪質勧誘メールなどをしっかりと取り締まるべきだ。

 当社のパソコンにも、毎朝数十件のそんなメールが入っている。

 読まずに削除する手間も増えている。

 老いて来ると短気になって、だんだんに怒鳴り込んでやろうかと言うモノもある。

 飛び込みのしつこい営業なんかは毎日のように叩き出してやってるが、エエ加減にせいや。

 ニューヨークタイムズにも書かれるようになったが、バイデン・アメリカが対ロシア制裁を叫んではいても、欧米の足元の大企業ですらロシア国内に居続けて、経済活動をやっている。

 笛吹けど、踊っているのは自分たちの変態サークルだけ、哀れな基軸通貨国だが、日本はそのコピー奴隷のマゾ国家でもある。

 

 家計が厳しい世帯ほど、マイ・ホームにこだわって、無理して親子で住宅ローンを組んで家を確保してるようだが、住宅というモノは自然災害や自然損耗によって定期的にメンテナンスが必要になり、子供がいれば不意な費用も発生し、挙句にワクチン優等生では、難病・奇病の医療費倍増、なにをやっているのか? 疑問だらけ。

 世界の状況と、時代を考えて生きていなければ、昭和の復興景気なんて二度と来ない。

 アメリカの借金経済が、リーマンショックをはるかに超える大破綻を始めているというのに、ナニが経済は好調だ? 滞納延滞の自転車操業でしかない。

 そんな欧米経済の断末魔が聴こえているのに、猿真似ゲスの日本人は宝くじでも買って? 生涯借金返済義務を背負い込んで、それが家を守ること? 素敵な家族愛? ますます疑問だろう。

 そこに残るものは、先祖が悪い、親が悪い、社会が悪い、国が悪い、名前が悪い、挙句に悪霊の仕業、霊魂を浄めなければ? 猿以下の逃避行。

 オツムは病み腐っておるわいな。

 

 宗教やマルチの洗脳、弱っている連中に対して優しく近づいて行く行動は、大メディアの横並びの幼稚な偏向報道と根っこはおんなじだ。

 あいつは頭がおかしい、陰謀論ばかりをほざいている、と群れて笑い飛ばし、本当の陰謀を仕掛け、多くの視聴者はそれに同調して見事に安っぽい陰謀に嵌っている。

 こういう脳タリンな馬鹿どもがコロナでワクチン接種に勤しんでいた。

 とうとう自分たちこそ命の罠に嵌って、後戻りの出来ない身体になってしまってる。

 ひとりの人として、どうなの? という問いには、すでに自分で答えを出してしまっている。

 何度もここでも書いてきているが、自分の命の話を、なんで他人や社会に頼って生きて居るの? そういう基本的なことだ。

 次は失われた自然免疫を取り戻す薬が売られるようになって、あれが良い、これが良いと、猿の狂騒を始め、どうせまた自分の意志などなく無暗に群がって買いに走るんだろう。

 自然免疫とは、生まれ持って来たものを生きながら現代社会に合うように進化・同調させてきた自己治癒能力のことでもあるから、薬や医者や国家に頼っておっては、ナニも回復などせんがな。

 

 癌は、たいして燃焼・消費もしないで栄養ばかり摂っているからこそ進行する。

 癌患者に、栄養ばかりを摂らせると、癌ばかりがその栄養で育ち、酷い状況になる。

 こういう基本的なことを知らずに、医者や専門家や経験者の意見に耳を傾ける。

 他人にモノを聞くには、それなりに自分自身のオツムの整理と準備が必要なのは当たり前のことで、動揺し、混乱し、無知なまんま感情的になり、右往左往しておってはナニも解決などせんがな。

 昨年末に93歳で大往生した爺様は、5年くらい直腸癌を患っていたが、ナニもせずに、食い物だけに気をつけて過ごし、最期の1週間は水すら飲まなくなって、その後に在宅医療の先生と話したもんだが、あれは自分で癌に栄養をやらないようにと、どうせ死ぬならキチンとケリをつけてやろうと、望んで絶食したんじゃないのか? と、言い合って頷き合って居った。

 火葬が終わって出て来た爺様の骨はキレイなもんで、その量も相撲取り並みだと火葬場のオヤジが言ってた。

 去年、癌ステージ4をいきなり宣告された古女房への俺の対応は、それらを踏まえて速攻に動いたもんだった。

 俺の言うことも聞かず、仕事場の都合だからとワクチンも2回接種していた。

 エライことが起きても知らんぞ! と、言ってたその通りになった。

 患部や怪しい箇所の削除を最高の外科医にお願いして、抗がん剤治療はせずに、薬も消化剤だけという免疫治療で、3週間に一回の30分の楽な点滴だけ、半年で体内から癌は消え去った。

 その間やったことは、毎週1500m以上の絶景の山々に登ってゆっくり歩き、可能な限りの体力を使い、新緑が吐き出す酸素を吸わせ、放射能の質や量を考えた源泉に浸かり、それらでたっぷりと汗をかいて地産地消のモノを喰らい、それだけだった

 が、本人が油断して、元の生活に戻すようなことがあれば、もう救いようは無い。

 これは本人の命の自覚・決断という話だ。

 オツムの重さが道を決める。

 猿はおなじことを繰り返す、そうなると俺はそれ以上は、関知するつもりもない。

 身内であろうとも、阿呆は阿呆、お別れの時間がやってくる。

 解っていることをやらない、これは怠惰いがいのナニモノでもなく、その人の生への価値観でもある。

 生きることに怠惰な奴は、俺は興味が失せる。

 間抜けな晩酌習慣に溺れている猿なんざ、その最たるものだ。

 

 粗食が一番、簡単な食事で結構毛だらけ、これが人間には一番に良い。

 山に登ってぜ~ぜ~言って、そこで吸う空気は栄養満点で、そこで飲む水も栄養満点、別に買う必要も無いありきたりのモノだが、街中で高い金出して食ってる猿の食事よりも、はるかに身体には良い。

 燃焼し、消化して、足りない状態だと自然界のモノはすべてが栄養になる。

 腹八分、これはいつも少し足らない状態で生きるのが良いという昔の人間の正論だ。

 身体も間抜けな本人が自覚してなくとも日夜工夫努力して、それで免疫も強くなる訳だ。

 だから甘やかせると、ロクなことはない。

 


娘の結婚式でも、涙が出ない父親

2021-04-05 10:28:27 | 世界常識と島国おセンチ

 

 人間の世界で頻繁に使っている 愛 という言葉、これを一言で言えば 優越感を得る そういうことだろう。

 すぐに集団になり、群れて行動する日本人は、これが特に強いから、昔から愛の物語をたくさん作って来ている。

 老いて金儲けよりも、仲間と楽しく過ごしたいとか、妻や子や孫と仲良く過ごしたいとか、平々凡々と安穏と暮らしたいとか、それもまた優越感に浸るという隠れた意味がある。

 なんでも良いから、おなじ人間の群れの中で、自己主張をして、それで優越感を得たい、そんだけの話だ。

 良い悪いの話ではなくて、愛の本質は、そんなことだ。

 自分の居場所、立ち位置を確認し、作っておきたい。

 母性本能や父性本能もまた、おなじ意識の中にある。

 100歳の母の前では、80歳の息子は、相も変わらずに頼りないションベン垂れの子供だと認識されてる。

 それが解って来るには、そんな愛がすべて猿芝居に見えて来なければ駄目だろうし、無意味な憎しみや怒りもまた、無くならないだろう。

 愛という言葉自体には、たいした意味などなく、ただそれを使うことで、優越感という自己満足を得る。

 ・・・愛している・・・には、愛してくれているという前提があり、愛してくれてなければ・・・こんなにも愛しているのに・・・と、気づかない相手が可哀相な人だと優越感に浸る。

 とことん自分に都合の良い解釈になってる。

 俺が現代人の生態を猿だと呼んでいる理由は、そんなことすら自覚せずに、愛だの恋だのとほざいておるからだ。

 すべては自分の努力次第、それでなんとでもなるという科学的な論考が抜け落ちているから言っている。

 世界は自分の内にしかない、その世界は自分の認識の程度で大きさは変わる、死ねばすべてが無になるだけだ。

 あの世もお化けも霊魂も、ナニも無い。

 生きて居る時は、その自分の内なる世界を拡げるために、常に頑張って努力を惜しんではいけない、そういう当たり前の結論になる。

 感情の話は、それらの準備が整ってからということだが、洗脳されて、育てられたまんまで、皆さんは感情をダダ漏れにして、それが自分だと勘違いしているだけだ。

 

 この週末は、娘の結婚式に泊りで出掛け、いろんな地方の話を聞いて来たし、仙台から戻って姉の結婚式に一緒に参列した息子にも宮城の話は聞いたが、まだまだコロナ騒動で大メディア群に弄ばれていると痛感したもんだ。

 花嫁の長い挨拶に、皆は感動して泣いておったが、どうも俺にはしっくりこなくって、手紙を読みながら泣き出した娘に・・・頑張れ!・・・と笑って言ってやるくらいで、泣こうにも涙が出て来なかった。

 簡素にやれば良いと言って、そうすると聞いておったのに、式場の進行の入れ知恵なのか、母親の悪知恵なのか、ナニも聞かされてない俺だけ挨拶のカンペも無くって、もともと堅苦しい挨拶が嫌いなタイプで、皆でワイワイ雑談が大好きだから、ワザとそうしたものなのかは知らないが、古い旧習が大嫌いな父親には、その意図がピンと来なかった。

 皆さんの期待には、そえない、変な父親、これは昔からだ。

 別に今生の別れでもないし、これからが大変だろうにと、そういう心配があるくらいだった。

 そうしてなにかで困ったら、どうせ俺んとこに来るんだろうと、そんな感慨だった。

 現に今月中に、娘と母親は二人で2回も、ディズニーランドへ遊びに行く約束をしておるらしい。 

 こういう訳の解らない猿芝居が、俺には心動かない。

 式が終わって、ぼ~っとトイレでションベンをしておったら、盛り上げ役をやっておった息子と一緒になり・・・ほんとに、小さい頃から、いま思うと自分では考えられないくらいにあちこちに連れて行ってもらって、それは感謝してるよ・・・と、チンチン振りながら言っておったから・・・別にお前たちの為だけに動き回って居った訳ではないよ、俺がそう生きたいからそうなっておっただけだ、俺の自己満足にお前らが振り回されておっただけで、それを今になって良いように解釈してもらえるのは、なんだか儲けた気分だな~・・・大笑いだった。

 

 その式の新婦のお父様のリハーサル直前に、実家の売却を頼んでる不動産屋から連絡があり、指値があるが買付が入りそうだと言われ・・・事情を話して週明けまで待ってくれ!となった。

 今朝は溜まったいろんな仕事やら雑用やらで、すでに眩暈がし始めて居る。

 月の半ばには入籍をする息子もおり、老いた両親の引っ越しや、先祖の墓の話もある。

 顧客の大きな取引も進行中で、貧しい外国人ばかりが大勢入ってるマンションの滞納交渉も増え、古アパート群の草刈りもしなければならない。

 考えることは、とっとと奥山に逃げ出したい、本音だが、すべて俺がやらなければナニも動かない。

 死ぬ前に、これだけはやっておかなければという話が、なんだか重なって動き出している。

 これは俺の寿命がそろそろ近いということなんだろう。

 ならばひとつひとつ丁寧に、やるしかない、仕方ないね~。

 

 ただ、今週は週半ばにでも天気を見て、山に登ってくるわさ。


道連れにして、遊び惚けて62年

2020-08-03 10:23:55 | 世界常識と島国おセンチ

 

 子供が大人になってゆくとき、まず、その疑問も持たずに暮らしている日常の、喜怒哀楽の根拠、価値観をブチ壊すところから始めるのが、健康的な思春期だとも言える。

 俺はそれを終えるのに、20代も半ばくらいまでかかった。

 現代の洗脳教育はそのくらいに怖ろしく強靭なモノになっている。

 ほとんどの大人たちは、根拠も意味も考えることなく、育ったまんまに身についた喜怒哀楽と価値観で、そのまんま退屈な生涯を終えて行く。

 親や家や学校や教育や、国家からも、誕生とともに洗脳されてゆく価値観は、あんた自身が生きながらに身に付けた価値観ではない。

 着せ替え人形の価値観。

 そんなものを当たり前のような顔して着込んで、独りで果ても無い大海に漕ぎ出してゆけば、アッと言う間にあんたは遭難するか、群れに吸収される。

 慌てて戻ってしまえば、元の木阿弥、そのまんま、その辺に仰山いる大人たちのように、退屈でダラダラと生きることを容認して終わってしまう。

 自分の体質・性癖にあった日常を作り直すことを自分に正直に、というのだが、偉そうにそんなことをほざいてる大人のほとんどが、みな嘘つきで終わってる。

 

 こんだけ忙しく儲けてる激務のなかでも、まったく利益にはつながらない、よろず無料相談にも出掛けて来る。

 国家を相手に訴訟や戦いを挑んでる、剛腕弁護士を10何人も抱えている老舗の弁護士事務所の先生から、ちょっと話を聞いてやって欲しいという依頼があった。

 ・・・どうにも可哀相な話で、なんとかしてあげたいから・・・

 つまりは無茶苦茶な想定外の獣の俺が首を突っ込むことで、ナニか違った局面になることを期待してるようでもあるが、そういうことがことのほか刺激的で好きな俺には、断る理由もない。

 ヤクザの鉄砲玉のようだが、それで終わることはなく、逆に取り込んでこっちが利用することになる。

 殴り合いの喧嘩をして仲良くなる、ガキの頃はそうだったが、いまではワザと喧嘩を吹っかけて、喰い尽くしてやる。

 そういう遊びが大好きな、タチの悪いオジサンになってる。

 だってさ、退屈だし、刺激もないし、みみっち~乱暴も嫌だし、この滑稽なコロナ教全盛の現代社会を愉しむには、そんなことくらいしか俺には残ってない。

 山に登る時間も無く、海で泳ぐ時間もなく、ならば人間の社会でハリケーンにでもなるしかない。

 

 子供がいて離婚するということは、過去と決別して新しい今日を生きるというような格好の良い話にはならない。

 子供は過去にはなりようがなく、それを平然と過去だと抜かして振り返らない奴は、次の生もまた同じことを繰り返す、ただのド阿呆でしかない。

 それは身勝手に自分だけを大事にするということではなく、ただの単細胞、幼稚な自意識だけで生きて居る。

 こういう大人から生まれた子供らは、とっとと親を捨て、親から離れて生きて行くしかない。

 俺の世代は戦後の高度経済成長下で、身勝手な生き恥を晒して居った親を捨て、とっとと離れて独立して叩き上げたのが多かった。

 先祖も糞もあるかいな。

 親孝行も爺婆孝行もあるかいな。

 どいつもこいつも甘ったれた自分大事の単細胞。

 善行やモラルや道徳というものは、その言い出しっぺが儲かるようになっておる。

 巨人・大鵬・卵焼きは、読売が言い出した標語ではある。

 世の中社会のことなんざ、すべてがそんな程度の詐欺でしかない。

 オレオレ詐欺を笑う前に、コロナ教の布教に染まってる自分を笑うべきだ。

 

 抱えてる、ややこしい案件が多すぎて、オツムの中の整理がつかないうちに、次の話が持ち上がってきている。

 ミスは即こちらの大損害、謝って済む話ではないから、ピリピリと激辛飯を喰ってるような刺激満載。

 さ、今日も早朝から気合を入れてさ、大笑いできるコミュニケーションの渦をグルグル回してやるっぺよ。


北国街道が、西に向かってる意味

2020-06-23 22:51:32 | 世界常識と島国おセンチ

 

 昨日は高輪ゲートウエイという新しい駅で乗り換えて、多摩川の方へ行ってきた。

 雨の中を軽くなった身体で万歩超え、とは言っても、仕事のついでに歩いてるだけのことだが・・・。

 

 ・・・普通に、自然に生きておれば良いじゃ~ないか?

 その普通だとか、自然だとか、素のままで・・・という意味が、すでに洗脳され果てた信者の色付けオツム。

 ボ~~っと生きて居ると、気が付かないうちに、そんなオツムがレインボーに染まってる。

 現代の大人社会で秘かに流行ってる免疫異常は、大自然の中で、身体を自由自在に動かし鍛えることを止めて、薬の飲みすぎ医者に頼りすぎ、栄養剤に期待しすぎの人工的な生活を続けてることが原因となっていることが多い。

 認知症やボケ老人の原因もまた、そんな暇を持て余した老人に多いのは、幸せな余計なお世話病、とも言える。

 社会への害は、子供や若者たちへの害は、どんどん多くなってゆくだろう。

 つまり、姥捨て山が現実に出て来るだろう。

 俺が歩く奥山まで、入って来れるかな?

 予備軍の中年は老人を背負う体力もなく、人のいない奥山まで入る気力もなく、近場で済ませてしまうんだろう。

 山や海で遊んでると、常に360度と上下にも神経を研ぎ澄ませているから、ボケようがない。

 認知症ではすぐに道に迷い、お陀仏だろう。

 叫んで暴れても、鹿や猪や熊公に、冷ややかに遠巻きに傍観されて終わりだ。

 コロナの過剰な自粛騒動を冷ややかに眺めてる俺も、獣の側だ。

 残念なことよ・・・。

 

 安倍の珍獣博物館拡大政権は、世界に広まっている怪しい統一教会がグチャグチャに絡み合っている。

 アメリカは反トランプの側だけでなく共和党にも入り込んでるし、EU圏なんざやりたい放題、わが国は東大入学前の段階で、すでに親や爺婆の信者たちに染められてしまってる。

 点ピン黒川やコロナ騒動の加藤大臣や、戸籍だけ一緒の河井淫乱夫婦、メディアだってそんなとこで、知らず知らずのうちに・・・あなたは、神を信じますか?・・・が秘書にまで入り込んでおって、無茶苦茶なまんまだ。

 教祖が亡くなって以来、内部分裂が始まって、暴走も酷くなってる。

 肩書やゼニカネを押さえたところで、そこで生きてるのは生身の人間だ。

 小池もそうだが、下半身のだらしの無い、淫乱なタチの者ほど、宗教にはのめり込む。

 神や仏はさ、自分自身がなるもんだと確信してる俺なんざ、すべてが丸見えさ。

 珍獣ばかりとはいえ、中身が浅薄な小物ばかりだから、もう飽きられてきておるだろう。

 そ~んなもんだ。

 大笑いして、椅子とりゲームは眺めて居ればエエがな。

 日本国民の多くも、戸籍だけの夫婦、そんな男女関係が多くなってるのは、染まってる、そういうことだ。

 俺のように女や子供らが離れるどころかくっ付いて来る、これはそんな社会の反面教師でもある。

 

 読み書きがなく、紀元前の頃に、この日本で使っておった話し言葉は、どうだったんだべ~? 漢字が入って来て、話し言葉を書き残すようになり、当て字で造語とも言える漢字を創造し、仮名文字も創造し、日本語の基本になる時代に、日本人はどう生きていたのか? そんな研究に興味がイっている。

 民族の血統と、言語と文化と暮らし、現代の学問は細分化と専門化が進んでしまっておって、全体をまとめて研究するということがなくなってるから、訳のわからない些少な追求ばかり、本来の日本人とは? という議題からほとんどの学問が離れてしまってる。

 馬鹿馬鹿しい学問ばかりになっておる。

 

 もう一度言っておいてあげるが、今はボ~っと生きて居ると、すぐに染色される時代だ。


少女趣味と感傷主義に浸る日本人

2020-04-27 18:40:00 | 世界常識と島国おセンチ

 

 ワクチンとは、そのウイルスを薄めて先に身体に取り入れて、免疫を作るということだ。

 身体に影響の少ない状況を作るというだけのことで、感染させるという意味では、集団免疫とおなじだ。

 その被害についても、そもそもの人体実験が始まってまだまだ時間が経ってないために、長い年月をかけて副作用や合併症を診るという回答は、日本脳炎やBCGにしても、まだ予断は許せないとも言える。

 感染症の場合は、切り傷を完治させるというような単純な対処療法にはならない。

 見えないモノを怖れて暮らすくらいなら、多少の被害には目を瞑って、健康な状態で感染してゆく、これしかないのが本当だし、早道はこれしかない。

 そこで死んだら、仕方があんめ~、潔く諦める。

 ところが、我が日本の国民は、少女趣味で、感傷主義な洗脳教育を受けているから、被害者が出るとギャ~ギャ~涙を溢れさせて、延々と喧しいパンデミックだ。

 エエ歳こいた大人たちが、エエ歳こいた男たちが・・・マザコンよろしく泣いておる。

 愛する近親者が亡くなって泣き喚く、これは幼児のやることだ。

 そのおかげで、他に皺寄せがゆき、おなじパンデミックをまた創造してるだけのイタチごっこ。

 管理・統治する側もまた、ここをチャンスと集団洗脳に力を入れる。

 人類の危機に、世界がひとつになれないで、個々が籠って守りに入ってるようでは、これは下等動物でしかない。

 国境閉鎖、自粛に隔離。

 個々で生き残れば良いとでも言うような、間抜けな綺麗ごとが正論になってるようじゃ~、地球上から人類は絶滅するしかないだろう。

 

 土曜日も、都内のあちこちに出掛け、顧客らの相談を聞いて、当事者たちの間に入って交渉事をまとめて差し上げる仕事に奔走しておった。

 ノホホンと自粛できる奴らは幸せなことよ、一人一人で籠って、そのまんま寂しい自分たちだけの人生を、ただ長く保つことに夢中になっておればエエがな。

 生まれた以上は、みないつかは逝く、ならばその長さよりも中身こそ大事、ガキの頃にすでに想っておった。

 群れが狂うと、個々でしっかり懸命に生きている者らは、その煽りを喰らう。

 俺の立場は、そこで支えること、一緒に個で生きるという価値観を共有して、認め合い、小さな独善よりも共存する愉しさを分かち合うこと、それだな。

 どんな狂った社会になっておっても、どんな世界の騒乱が起こっておっても、自分のやるべき仕事を弁えて、それに集中する。

 しょせんは独りの人間に出来ることは、両手をめいっぱいに広げたサイズのことだ。

 これで40年、この業界で生きてきてる。

 あちこちに扶養して面倒を見てる女や我が子たちにしても、重荷だとは想うことも無く、俺が愛してるすべてなわけだから、どんどん増えて行けば、そのぶん俺が足腰を強くすれば済む話だと想ってる。

 30年近くになるシングル・マザーの支援や高齢者の生活相談、コツコツやっておると、相当な関わり合いに拡がっているが、それでもできることは限られていると実感する。

 実感しながらも、目先の今、やるべきことだけに集中する。

 そうして週末はキッチリ線引きして、自分の健康のためにと山や海へと出掛けている。

 

 ・・・ということで、家賃の滞納交渉やら、マンション用地の売買の話やら、土曜日の相変わらず忙しい日中を終えると、そのまんま軽く休憩だけをとって、深夜の2時過ぎには行動を開始した。

 自粛馬鹿どもが洗脳ロボットよろしく大騒動してるから、山自体はどのみち誰にも会わないだろうが、その行き帰りもノイローゼな大人たちに接触をしないようにと、その為の荷物も積んで出発した。

 自粛馬鹿どもなんて、俺の方こそ、ご免だぜ。

 人気の百名山や山小屋のあるお洒落な山々は、その登山口の駐車場も閉鎖してると聞いていたが、俺の行く山々はいつも整備された駐車場などなく、未舗装路の狭い旧道にある、熊や猪の毛づくろいの場をチョイと拝借して停めてる感じだから、関係ね~がな。

 ・・・チョイと場所を貸してもらうぜ!!

 自己責任と自己責任の交渉事は、目と目で出来る。

 これが山や海で遊ぶ時の基本。

 アクシデントには発想と工夫で対処する。

 病やケガも、自己治癒能力のみを頼りに、解決する。

 だから愉しいとも言える。

 

 朝陽の出る前の冷え切った森の登り始めから、すぐに大柄なリスがお出迎えだった。

 可愛いオコジョかと思ったが、ありゃ~リスだったろう。

 いきなり鹿や猪や熊公が登場されると、興ざめする。

 ・・・おいおい、モノには段通りというもんがあんだろうが!! まだ出てくるのは早すぎるがな!!

 奥山の登り始めは、リスが良い。

 あとは可愛らしい野鳥が鳴いておって、吐く息が白い中で、一息つく、これが暖気運転になる。

 汗をかき始めて、上着を脱ぐときに、大型な獣の強烈な生きてる臭いがあると、興ざめする。

 湯気のたってる大きな糞の塊なんぞが道の真ん中にあったなら、大声で怒鳴り飛ばしてやる。

 ・・・すみっこでやれや!! 馬鹿たれが!!

 野鳥のさえずりを聞きながら、鼻歌まじりに上着を脱いでゆく、これが良い。

 睡眠をとってない山登りは、とにかくゆっくり一歩一歩と登る。

 うっかりしないようにと、一歩歩いては重力の方向を確認し、という塩梅。

 気温は氷点下になったりならなかったり、それでも結局は長袖シャツ1枚になっておった。

 頂上で朝陽を拝んで、雲ひとつない富士山を眺めて温かいコーヒーを飲み、一服。

 太陽の体温を感じるひととき。

 偉大なもんだ、お日様があるとないとでは全然に生きてる感覚が違う。

 そうしてのろりのろりと下山してきたが、人間には、誰にも会うこともなかった。

 ・・・どうだった?

 カモシカが目で笑いながら聞いてきたから

 ・・・あ~あ~、間抜けな人間たちを見下ろしてきたがな

 ・・・ほんとに、大勢でいないと生きていけない弱い獣のくせに、偉そうに武器を持つと地球を我が物顔だね

 ・・・んだ、んだ、滅んでしまえばエエんや、お前らの地球だろう

 

 山や海で遊び惚けて61年、自分を獣の仲間だと信じて、地球上の生き物の仲間だと信じて、人間や人類だと思い上がったことはないし、敵だとすら想うことのほうが、多い。

 病や傷はしょせんは自己治癒・自然快癒しか対応は無いと想ってる。

 薬や栄養剤、対処療法や予防医学は進んでおっても、その基本はいつも胸にある。

 睡眠3時間の生活を20年続けて、皆の為にと忙しく生きて来て、休息は死んでからでエエ、そんな半生だったが、ボロボロに消耗した身体は大病を経て、生き還ったら今度は治らない病に襲われて半年、ガタガタになってから薬類はいっさい捨てて、自己治癒能力の向上だけを心掛けて、毎週のように山や海で遊び惚けている。

 死ぬまでは生きるで・・・そんだけのことよ。