銀座で周旋屋を長くやってると、大きな売買の話もあるけんども、逆に賃貸のいろんな細々した話もたくさん出て来る訳だが、シングル・マザーという言葉が無かった頃から、俺は母子家庭の応援みたいなこともやってきた。
そんな家庭の今はそれぞれに変化しておって、すでに子供たちは成人しているのも居る。
大変、可哀相・・・そんな気持ちで始めた訳ではなく、みな平等が本当、それだけの話だ。
だから激しく怒ることもあれば、金輪際付き合わないと厳しく接することもある。
平等なだけで、優遇や援助を求めるような連中には、特に厳しく接することになる。
父親が生まれた時にはすでに居なかった、病気や事故で父親を亡くした、そんな家庭も多い。
幼い頃には一緒に遊んでやったり、他の母子家庭の子と一緒に出掛けたり、あちこちで色んなことをしてきてるが、今でも時間があればそれを続けてる。
大人社会でも強烈なオスと言われているオヤジと、一緒に遊ぶ子供らは、みな弾けるように笑い出す。
生きてることがどんなに楽しくて面白いのかを知らずして、ルールも規則もあるもんかい。
子供をたくさん育てて来てる俺には、要点も解ってる。
特に学校では手を焼いてるような子や、家でも邪魔モノ扱いされてるような子は、乱暴で激しい遊びに夢中になって、大笑いした後はすぐになつく。
目で笑ってやるだけで、嬉しそうな含み笑いを返してくれ、すぐに心を開くようになる。
一緒に、先頭になって遊び方を教えてやってるだけだが、みな後でおなじことを言ってくる。
・・・あんなに楽しかったの、生れて初めてだったよ!!
学校や、塾や、スポーツクラブや、その子の親や、爺婆やには、哀しいことだろうな。
何故? 生きるのか? なにが愉しくて生きて居るのか? 大人でも答えられない腑抜けは多い。
団塊ジュニア世代に多いのが、古風な価値観で小さな世界で生きてる大人たち。
親や爺婆の生きた足跡を辿ってることが、さも素晴らしいことだと信じて疑わないマザコン・ファザコン。
孫らにはなんの足しにもなってないのに、偉そうに口を突っ込む老人世代。
奥山を歩いていると、人骨がいまでも出て来る峠や沢や、博打場だった溜まり場跡や、良くない連中の住処の跡地に出くわすこともある。
近親相姦が続いた奥山の隠れ里では、化け物のような容姿の人間がいたり、色んな楽しい過去を知ることも多い。
姥捨て山の話が、じきに現実のモノとなるのは、仕方のないことだろう。
先祖の墓を守るために、子や孫を犠牲にするよりは、はるかにまともなことだ。
あんたらが創り出した世の中社会から、あんたら自身が放り出される。
それは悲劇なんかではなく、滑稽な笑い話さ。
景気の悪い話ばかりが仕事では多い。
メディアで流れる情報とは、すべて裏返しの現実ばかり。
景気が良かった筈なのに・・・破綻。
仲良かった筈なのに・・・離散。
敗戦から高度経済成長という復興景気を謳歌し、年金頼りに生きてるボケ老人らには解ってない。
昔から、よくある話さ。