オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

東洋の時代に西洋カブレの日本人

2019-12-31 11:26:33 | 価値観

 

 銀座で飲食店の出来る1階の路面店なんて、なかなかモノが出ない。

 年末になってその話が貸主から持ち込まれて、たくさんいる希望客に順繰りに紹介していこうと考えておったが、とっとと決まってしまった。

 大晦日に、ほぼ条件まで決めて詰めておいた。

 

 ・・・なんでそんなに頑張るんですか?

 よく30歳40歳50歳代の所帯を持ってる男に聞かれることは多い。

 仕事はハードに時間など関係なく動き、それ以外の時間も相談や手当てに動き続け、週末すらゆっくり休まず、身体を鍛え上げている。

 ・・・楽して、なにが楽しいの? 美味いモノ喰って? 良い女とセックスして? 金出してナニかを買って見せびらかして? 旅行は年に2回? 海外にお出かけ? 良い車にお洒落な洋服? 素敵な家? それで?? そんなことで満足なの??? へ~、つまんね~人生だな~!! 退屈なこった!! 逆に聞き返してやってる。

 ただただ自分だけ、長生きすることが、幸せなの?

 見ざる聞かざる言わざるで、長いモノには巻かれて自分らだけの安全を願ってる。

 ・・・それで本当に幸せなの???

 

 人が生きるということは、際限なく関わり合いが増えて拡がって行くことを言う。

 政治家や芸能人やスポーツ選手のようにメディアと持ちつ持たれつ、大げさに、大勢を相手にして演説ぶったり、大勢を相手にナニかをすることは容易いが、常に一対一、そうやって関わり合いを増やしてゆくことは、とてつもなく時間と労力と費用のかかることだ。

 簡単なことであれば、すぐに飽いてしまうだろう。

 それをいつ何時でも出来る体力・精力がなくなった時、俺は終わると想ってる。 

 定時に出社、定時に退社、あとは飲んだくれて、横並びの日々じゃ~、ナニも愉しくない。

 ・・・そんな人生なら、死んだほうが増しだ・・・本音でそう想って生きて来た。

 

 こういう可笑しな爺ィも、おなじ時代に生きている・・・それが子供や若者たちにとって、笑いの種でも良い訳だ。

 どんどん胸を張って、大笑いして生きて行く・・・それが子供や若者たちにとって、役に立てば良いと想ってる。

 身体も病んで薬漬け、オツムも病んで薬漬け、新聞・ネットを毎日眺めて、あ~だこ~だと批評漬け、これじゃ~生きてても無意味だろう。

 俺を必要とする人間がいなくなった時点で、すべて終わりでエエがな。

 

 金融工学、資本主義経済学、医療も計算づく、すべての事柄が数値で解決すると、安易な自画自賛が根元から崩壊してきてるが、その数値や計算式は人類だけの身勝手な自己満足だったと、じきに解るようになる。

 摩訶不思議な人類の生い立ちと歴史、これを言葉と数値で理解しようとした人類は、墓穴を深く掘ってしまった。

 東洋の時代になりつつあるのに、ま~だ西洋かぶれを止めない日本人は、すべてがご破算になる運命にある。

 憧れて、物真似猿が必死にコピーを繰り返してた西洋が、東洋の凄さ深さを痛感する時代がやってくる。

 それは数字や言葉では表せない、宇宙や地球に生きる人類の、複雑怪奇なオモシロさが見直されるようになる。

 キリストの西暦も終わることになんだろう。

 そのくらいに地球上の人類は大きな転換期を進めつつある。

 そんな時期に、阿呆面して自信を失ってるのは、日本人だろう。

 

 来年もまたダイダラボッチ、大笑いして、高い山の頂から見下ろして、阿呆な日本人の世の中・社会を吹いてやろうぜ。


神棚の白札には俺が神になり入る

2019-12-30 10:22:03 | 歴史に埋もれた真実

 

 銀座は静かなもんだ。

 これだけ嘘っぽい幽霊みたいな連中が普段は多かったという証でもある。

 銀座生まれで銀座育ち、そんな連中が多い1丁目エリアでは、姿を見かけるのは地元の人たちか、ガラガラ旅行鞄を引いてる外国人ばかりになってる。

 30年くらい前に比べると、外国人旅行者が圧倒的に増えてる。

 31日の最終の新幹線で広島に向かい、3日の始発の新幹線で戻ってくる。

 その間、岡山の山の中にもレンタカーで移動する。

 年寄りばかりになってる田舎では、俺の年代はまだまだ若者の扱いになる。

 孫らも成人すればそれぞれが忙しいし、結局は自営の周旋屋が一番に身軽で役に立つ。

 

 仕事では難しい話ばかり抱えて、ひとつひとつ丁寧にこなしているが、私生活でも難儀な話ばかり抱えて、相変わらず笑って生きてはいるが・・・そう、今年最後の山歩きには行かんといかん、で昨日も暗いうちにまた出発した。

 関越の川越~鶴ヶ島で事故渋滞というニュースが入り、首都高を与野まで走り17号バイパス、圏央道・桶川北本までスイスイ走り制限速度100キロの区間で関越・鶴ヶ島まで、少しの渋滞で抜けて行った。

 庶民の皆様方の間抜けな渋滞にまともに嵌ってたら、山には登れない。

 年末年始で1000キロを超える行動が待ってるから、無茶のない里山を12キロばかり登り降りしてきた。

 縦走して、降りたところからアスファルトの道をまたトコトコ戻って、それが一番に疲れた。

 電車に乗って車を停めた場所の近くの駅まで戻るつもりだったが、駅員に待ち時間40分と聞いてメンドクサクなり、歩くことにした。

 田舎の単線は1時間に1本、バスなんかは一日に2本だとか、ざらにあるから、勢い余って歩きすぎると、降りてからエライ目に遭うこともある。

 霜柱サクサク、ロウバイや寒桜があちこちで咲いておった。

 重いザックを担いでるから、片足にかかる負担は一歩一歩100キロくらい、これは考えておかなければならない大事な負荷の話。

 10キロは痩せたいのが本音だが、山登りに慣れた身体は痩せるどころか筋肉も付き、なかなかうまくいかない。

 お日様に向かって歩いてたから、散々に日焼けして顔が痛い。

 

 神棚に1年入れておく白札は、清貧で質素で気高い日常を送ってる神社でもらってくるのが一番。

 そこに俺を入れて、1年、俺に向かって毎朝の行をする。

 神社や寺でもらってくる札というものは、飾っておくだけではなんの効果もない空っぽの白札だ。

 皆さんは勘違いも甚だしい。

 自ら神になってそこに入る。

 そうして神である自分と毎朝語り合う。

 ・・・オメ~はそれで良いのか? そんな生き方で愉しいのか?

 俺の何十年も続けてる行だな。

 だからこそ、その神社の神主や巫女の日常の過ごし方をいつも見ている。

 欲ボケが集ってる阿呆な神社や寺には、用は無い。

 少なくとも、俺と同等の厳しい日常を送ってる神社や寺しかまともだとは想ってない。

 八百万の神々の会話が出来る相手も、ずいぶんと減ってる。

 

 間抜けなのは、俺ではなくって、皆さんの方だがや。

 大笑いだな。

 


墓じまいより、記念碑を遺すこと

2019-12-26 12:40:01 | 銀座の周旋屋

 

 銀座は、消費を煽る広告・宣伝いがい、クリスマスも静かなものだった。

 田舎からの良いお客さんや、外国人らで相変わらずゴッタ返してる中央通り周辺だけで、それ以外はとっとと店を閉めてのんびり過ごしてる自営業者が多い。

 スポンサーのヒモ付きや、企業のやってるオママゴトや、そんな連中は時代錯誤も甚だしい。

 もうね、そんな時代ではなくなってる。

 

 与・野党の政治や役人の椅子争いなんて猿山の騒動には興味も失せて、大金持ちがどうしたこうしたの話題も、どのみち退屈で孤独で寂しい老後しかないのが見えてる訳で、どうでもいい話になってる。

 

 価値の多様化とは言うが、消費する商品の多様化のことばかりで、なんで生きるの? ナニが楽しくて生きてるの? の価値については、な~んも多様化の話は出てはこない。

 人間が生きる、この価値について、大人社会は黙り込んでしまってて、こうやって生きても良いんだぜ!! という、胸を張って変人・奇人で生きてる俺みたいな大人がどんどんいなくなってる。

 これこそ、哀しいことだろう。

 

 常識や良識、道徳に倫理、それもこれも根拠については自信などなくなってて、病的で不健康な奴らが言い合ってる光景は、もう見飽きたぜ。

 

 ・・・ということで、当社はいつものように31日まで仕事をしてる。

 頂いたお歳暮だけで贅沢な新年の食い物は揃ってるけんども、なんだかね~。

 

 十何代もの先祖の墓が並んでる俺んとこの墓は、小高い丘の上で石碑のまわりに並んでる。

 新しい年はその草刈りと掃除で始まりそうなことで、すでに考えるだけで身体が重くなってる。

 墓じまいも考えておったが、いまや管理された霊園で2~3代の骨しかない家ばかりの時代、逆に遺して置いてやろうかとも想うようになってるさ。

 あの世も霊魂もナニも信じてはおらんが、歴史と記念碑、この国の紛れもない土着の人間だという、証拠にはなるだろう。

 


カモシカの佇む、冬の広葉樹の森

2019-12-26 11:55:17 | 地球と生きる

 

 箱根だの強羅だの、石和から野辺山・小諸・軽井沢、草津に伊香保、鬼怒川から那須なんだと言われても、毎週のように山に登ってる者にとっては、泊りで呑気に出掛けるエリアではなくって、日帰りで山に登るときに用があれば立ち寄る、そんな通り抜けるだけの場所でしかない。

 良い湯もあるから、立ち寄ってるだけ。

 画面ばかり眺めて暮らしてる現代人は、その行動範囲は狭いなんてレベルではなくって、お話にならない。

 別荘を持ってたってそこばかり、都会の閉塞生活のまんま、孤立して籠っている。

 外国から遊びにやってくる人間の方が、よほどに自由自在に、この日本という風土を楽しんでる。

 

 躁だの鬱だのと言う神経・精神病も、勉強に忙しい、仕事に忙しい、朝から晩まで誰かにナニかに振り回されて、クタクタになって一日を終える生活の延長にある。

 俺なんざ、人生60年、まだまだ遊び足りないから時間が無くて困ってる。

 悩んでたり、悶々とするなんてことはまるでない。

 そうして後悔もなにもない。

 愛だの恋だのと逆上せあがって騒いでる皆さんの横で、せっせと女を口説いては子を育て、その繰り返しで生きてきてるから、ありもしない退屈で無意味な夢想すら持ってない。

 

 さて、冬の寒さが厳しい群馬の奥のほうの山では、鹿と言っても毛がふさふさのカモシカばかりになる。

 丹沢あたりをウロついてる、蛭をぶら下げてフラフラしてる痩せた鹿とは違って、良い身体をしている。

 ・・・ということで、仕事を終えて、たいして寝ないまんまで、また暗いうちに出発した。

 関越も渋沢・伊香保で降りて、草津方面を目指すつもりだったが、腰と頭が痛いのがなんだか治らないので・・・どうすんべ~か? ということで、チョイとローカルな2000m弱の山を目指した。

 スキー場には雪が足りないと言ってるが、奥山には雪が積もってるかな? 車はスタッドレスにチェーン積んであるし、アイゼンも軽アイゼンから10本爪の古いのは積んであったから、ま~ま~、のんびり行くべ・・・と、いつものように険しい山道に入って行った。

 毎週のことだから、人間に会わずに、獣たちに会えて、大絶景でも見れば、頭の痛いのも治るだろうと想っておったが、右のわき腹がなんだか痛くなっておった。

 オストメイトだからということでもなくって、腰と背中が凝っておって、氷点下の寒さのせいだったろう。

 昼には下山して、いつものファイブ・スターの良い温泉に浸かって帰るつもりだった。

 登山が目的ではなくって、帰りの温泉のために大汗かいて筋肉を使う登山をする、そういうこともある。

 日常をじゅうぶんに愉しんで生きておると、山や海ではマイペースに大いに愉しむ。

 霜柱と霧氷、山全体が凍りついている、そんな音が足元からしておった。

 コンコンと良い音がする時は、下山するときには溶けてぬかるみになっておる。

 コンコンと、可愛いキツネがついて来てる訳ではない。

 熱く良い湯に浸かるために、寒く凍えるような山を歩く。

 いつものようにいくつかのピークを越える頃には、大汗をかいておった。

 足は軽かった。

 ほとんど休むこともなく、一気に山頂まで登った。

 朝のうちはお日様も出ておったが、昼前から雲行きが怪しくなった。

 雪になるか・・・そんな強く冷たい風が吹いておった。

 燧ケ岳や至仏山に武尊、榛名に妙義、八ヶ岳にアルプス、奥秩父の山塊のあいだには富士山が見えておった。

 先週はあそこらへんで遊んでおった。

 霜柱は溶けることもなく、ますます冷え込んでいたから、一気に下山した。

 冬は、広葉樹の山しか登らない。

 葉が落ちて、眺めが抜群に良くなってる。

 明るい森になってる。

 車まで下りるといつものように外で上半身裸になって着替えたが、湯気があがっておった。

 そうそう、これから湯気の上がる良い湯に浸かるんだと想うと、笑いが込み上げてきた。

 腹のパウチを包み込む、スイムラップを忘れて来たことに気が付いたのはそん時だった。

 ・・・ま~、しょうがあんめ~

 手で腹のパウチの袋を押さえて湯に浸かるだけのこと。

 たいした問題でもなかった。

 だんだんに、オストメイトだという自意識がなくなってる。

 露天の湯に40分ばかり浸かってうつらうつら、またまた大量に汗をかいて水分を取り、美味い飯を喰って一気に雨の降る東京へと戻ってきた。

 たいして疲れてなかったので、そのまんま銀座の店に出た。

 クリスマスと、年末年始、みなド阿呆面さげて消費に大騒ぎ。

 俺にはなんということもないがな。

 

 寝る前に腹のパウチの貼り換えをして、布団に入ったら爆睡した。

 仕事終えて寝ないでこのくらいはまだ大丈夫だから、朝の勃起もカチカチだべや。

 

 さ、仕事で今日も歩くよ。


そこから離れられない訳は?え?

2019-12-18 11:35:44 | 価値観

 

 都市鉱山、金(ゴールド)は鉱山産出の3分の1くらいの量を、都市でも再生している。

 もうかれこれ20年以上も前から、これからの世界で唯一信用できるモノは金(ゴールド)だと言い続けているが、それでも我が国は金(ゴールド)には目もくれず、米国債をせっせと買い続けているだけだ。

 株価が最高値更新!! は日銀がずっと買い続けてるせいだし、いまや銀座の小学生だって知ってる嘘、ネタはボロが出ておるというのに、相変わらず地方のボケ老人相手にメディアは安倍の応援団を続けてオコボレ頂戴だ。

 

 一芸に秀でてるだけの幼児みたいな若造を、エエ歳こいた大人社会がペコペコ腫れ物に触るかのような扱いをして、商品価値があるだけのことで遜って勘違いさせてる光景は、阿呆の極みだろう。

 世界一! 金メダル!! でも、ひとりの人として見てると薄く、浅く、ペラペラだから、すぐに利用されてる。

 銀座でそんな勘違いしてる若造を見ても、俺なんかはただの馬鹿造扱いだがね。

 世界でもトップクラス? たまたまそうなっただけのことで、誰やらが書いた筋書きに上手いこと染まっただけ、その為に薬物をやっても捕まらないだけ、調子に乗ってんじゃ~ね~よ。

 だらしのない大人社会が、幼児性の抜けない若造や子供たちを助長して、スターだの英雄だのと持て囃すから、馬鹿はすぐに木に登ってる。

 自分独りでは降りてこれなくなっとるがな。

 なんでも良いとこまで行ったんだが・・・駄目だったと、では次のことを始めてまた頑張ろうと、そうやって生涯を過ごしてる人間のほうがよほどに内容も濃いいのは当たり前だな。

 

 20代の後半の頃、不動産バブルのまだ前の時代、全国展開をしていた不動産会社で営業所の建て直しの仕事をして居った時に取締役就任を打診されたことがあった。

 というよりも、社長の鶴の一声で決まったことだったが・・・。

 丁重に、お断りして、退職した。

 他人が作った会社の責任を負わされるのは、ご免だぜ、独立にもまだ自信が持てない・・・そういう想いだった。

 自分の会社を作り、そこで自由自在に悠々と、生涯を送ってやろう。

 もっと完全に、経験と知識を身につけるために色んな大きな企業を経て、30代半ばで念願を果たした。

 私生活では、何度目かの結婚と、何人目かの子育てを続けておった。

 別れるというよりも、丁寧に積み上げて増やしていく、そういう感覚で俺は生きてきてる。

 他人の何倍も動いて、ひとつの家庭すら満足にまとめられない男たちの何十倍も、細々と動いて生きている。

 睡眠は4時間くらいで、仕事が終わってもその多くの家族のためや、関わり合いが増える一方の人たちの為にと、20年近く忙しく生きた。

 そのおかげで、身体にガタが来た。

 本来ならば人生58年、それで終わっていただろう。

 名医というものは、必ずしも有名・著名なわけではなく、相性というものが大きく左右する。

 そういう名医に出会ったおかげで、8時間を超える丁寧な手術のおかげで、人工肛門とはなったが、こうして生き返ってしまった。

 他にはなんの後遺障害もなく、すでに健常だったころとおなじ日々を送るようになった。

 切って剥がして取ってくっ付け、それをすべて成功させてもらった訳だから、ジッと安静にして過ごす訳にはいかないと想い、それまでの俺とおなじ生き様に戻すことでお礼とする、そう考えていた。

 

 40~50歳代の、子供らも成人して自立してる女性たちの、間抜けな相談事が増えている。

 笑い飛ばして一言でカタが付く話が多いのは、モノゴトを知らないというオツムの中身に問題がある。

 ・・・この糞いそがしいときに、エエ加減にせいよ!!