オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

山歩きとは、土器堀りと水晶採り

2018-11-30 10:56:59 | 地球と生きる

 

 ガキの頃の遊びと言えば、近所の山に水晶の露天掘りが出来る山を見つけて、小学校が終わると仲間と七つ道具を担いで登っておったり、土器が出て来る! という仲間の話に、山の防空壕に七つ道具を隠しておいて、エッサオラショと山の斜面を掘りまくっておったり、海では廃船になって陸揚げしてある船に漁師からもらった釣り道具を隠しておいて、学校帰りにそのまんま餌とりから始め、突堤でキスを釣ったり、そのまんま海に飛び込んだり・・・キリが無いくらいに遊び呆けておった。

 その延長で今があるから、偉そうに登山だとか遠泳だとか言っても、やってることはナニも変わってない。

 だから砂金とりのボウルくらいは、今でもいつも山用の車に積んである。

 ・・・地球は生きてるんだから、どこで金脈にぶち当たるか、わかりゃ~せんのよ

 夕焼けを見るとみな無口になり、イライラしておった、もう、帰らんといかんのか・・・。

 

 いつものように短いスポーツ刈りにしてくると・・・あら、豊洲に行かれたんじゃ~なかったの・・・

 魚屋じゃ~ね~がな、短く刈ると角刈りに見えるし、白髪だとテッペンが禿げて見えるし、本人はロクでもない銀座の日々に愛想が尽きておるのに・・・なんか、疲れてないですか?

 ・・・単に歳くってるだけだわい!!

 失礼な挨拶ばかりに、朝から不愉快になってくる。

 

 誰々が、こういう病で死んだ・・・怖い・・・気をつけなきゃいけないこんな病・・・なにをすべきか??

 ・・・いちいちなにもせんでエエやんけ

 認知症と徘徊老人の予備軍は相変わらずのみっともないスカシっ屁、暇を持て余してる傍観者、そんなことで時間を潰して居るが、生まれたら死ぬ、いちいち大袈裟に考えることでもないだろう。

 死ぬことが怖いのは、たいして中身の無い日々を送ってきたせいでしかなく、まわりばかりオロオロ覗き見して生きてる証でしかないのに、そういう風に見られてることすら気が付かない、優秀な消費者というローボット。

 長く生きて来てる癖に、なんで笑っておれない? 子供らの前で、みっともない醜態だ。

 みなといつも一緒、衆に寄って、群れを組んでる獣たちは、絶望的な孤独からは決して逃れられない。

 大量生産と大量消費の繰り返し。

 孤独死をさも可哀相なことのように言う価値観は、ただの徴税国家の罠でしかないのに、そんでもって終わらない後悔と欲求不満の輪廻のサークルを、ただただクルクル回ってる。

 後悔なく生きて居ると、別に死に方なぞなんだってエエがな。

 オジサン、呆れちゃうわ。 

 

 20数年前からオストメイトになって暮らしてる同世代のオヤジがおるけんども、これも銀座の近所でソムリエをしながらフレンチのレストランを自営でやってる。

 腸がほとんど無くなってしまってるのに、普通に生きて居る。

 歩いて居る姿を見るたんびに・・・ほ~~・・・なに?・・・いやいや人間ってすげ~んだなと思ってさ・・・

 開業した最初の数年はなかなか黒字にならずに苦労して居ったが、なんとか10年は超えて顧客をつかんでる。

 ・・・むかしの人工肛門の手術は酷くってさ、俺なんか3回も穴を開け直してるから、腹なんて傷だらけで引きつってるよ、いまは良いよ、むかしの手術は大変だったんだよ

 本当に、そう思う。

 ところがその後の20数年間、あんたはナニをしてたんだ? というようなワイン漬けの日々で、いまではストマという、腹から飛び出してる腸の端くれまでが赤ワイン色になってるんだとさ。

 ・・・え~~、そんなことまでしてるの?  逆に言われる。

 俺はさ、まだまだ初心者マークの3年目だのにさ、ワインばかり飲んでね~で、結婚相手を探す方が先だろう。

 ・・・ということで、妙齢の独身女性がおれば、ワインオヤジを紹介します。


銀座の子らと歩く、月明りの奥山

2018-11-29 09:39:16 | オストメイト

 

 明け方の暗いうちから山に登り始めたり、陽が落ちてからのんびり下山して来ることもある。

 オツムに付けたヘッドライトをつけたり消したり、月夜の明かりでも慣れると歩けるもんだが、月の明かりの届かない樹林の中の道はダメだ。

 森の獣たちは夜行性だから、ヘッドライトの明かりに獣の目だけがギョロっと光る。

 ・・・うおおおお~~う!! 俺が腹の底から声を上げると、みな一目散に逃げ散って行く。

 きっと怖ろしい怪獣にでも見えてるんだろう。

 高い山の頂で空を眺めると、満天の星屑という言葉の意味がよくわかる。

 とても綺麗だ。

 ・・・いま、君もおなじ星を見ているのだろうか?

 そんな小洒落たセリフも青臭くないくらい、綺麗に瞬いている。

 吐く息は真っ白だけんども、星を見ていると心なしか温かくなる。

 

 銀座の近所の子供たちを連れて、ナイト・ハイクに行ったりもしてる。

 丹沢あたりの山がオモシロイ。

 ・・・そろそろ鹿の野郎が挨拶に出て来るぜ!! 

 小さな可愛いオツムに、ひとりひとりプレゼントしてやったヘッドライトを付けてやっても、ドキドキ真剣な目で歩き始めてる。

 不安なんだろう、音がするたびにみなの視線が俺に集まって来る。

 ・・・いちいちこっちを見るな! 眩しいだろうが

 時々に大声を出して驚かしては大笑い・・・糞じじ~~・・・と、ピ~ピ~文句言われて歩いてるときに、俺のヘッドライトで鹿の群れを映し出してやると、歓声をあげる。

 ・・・うわ~~~! 鹿さんだ!

 ・・・さん付けはいらんだろ!! コロコロ糞転がし野郎だぞ

 鹿にとってはいい迷惑だろうが、都会の子供らには生まれて初めての経験だ。

 親や大人たちが教えてやらなければいけないことはたくさんある。

 海で大きなエイがいる上を一緒に泳いでやるとか、ボラの群れを追い掛け回すとか・・・そんなこた~日常に幾らでも出来ることだ。

 日本人で生まれたこと、その意味をまず教えずに、ナニを育み守れと言うんだろうか?

 いまや日本にいる外国人の方が日本には詳しい。

 山を子供らと一緒に歩く、いろんな話をしてやる、簡単でもスパゲッティくらいは作ってやる、女の子でも野ションベンを経験させてやる、大声で叫んで歩け!! 歌を歌おうぜ!! みな後々に言うのは・・・あんなに楽しかったの、生まれて初めてだったよ!!・・・たかだか10年も生きてないのにな・・・日本の親や大人は、いつもいったいナニをしておるんだろうか??

 

 ・・・山で大きな二股の木の穴ぼこを見ると発情してるような野郎がよ、よく言うぜよ!!

 ・・・たしかに、たっぷり寝て元気が良すぎる朝は、そういうことも、まままま、ままある。

 ガラの悪い周旋屋の爺ィ連中は、ほらほらほら~~!っと、大爆笑になる、それが生きてるという証拠さ。


山に居る神々と、街に居る便所紙

2018-11-28 10:33:43 | 地球と生きる

 

 元Jリーガーで、いまは内装屋のコーディネートをやりながら、休日は子供たちにサッカーを教えてるお兄ちゃんがおって、当社の原状回復や内装仕事を任してるけんども、この頃のPTAは自分らではナニもしない癖に、知識もないくせに、神経質な文句ばかり言って来るのが多いと、愚痴っておった。

 ・・・野糞もできね~のに、登山が趣味って言ってる時代だからな、しかたあんめ~

 ・・・山に男女二人きりで登ってるときに、女性がおしっこをしたいと言ったら、社長だったらどうするの?

 ・・・そこでせ~や!!

 なにが可笑しいのか、人の顔をつくづく見ながら涙流して笑い転げておった。

 よくわからんが、いい仕事はするんだよ。

 

 日本の古くから愛されてきた山には、だいたい役行者か、日本武尊が開山したという話が多く残っている。

 ここで、やくぎょうじゃ? にほんぶそん? と読んでしまった人には、謹んでおいとまいただくとしようか・・・。

 山の由緒には、弘法大使がどうたらこうたらというのもあったり、日光周辺だと勝道上人が出て来るし、山梨だと夢想国師がよく出て来るし、日本中にそんな地域性はあるけんども、誰かしら初登頂だとか開山だとかで名を語り継いで来ている。

 禅の修行には、岩山登りと山頂での座禅というものもある。

 俺が広島の街で手に負えない悪ガキだった頃、臨済宗大本山の禅寺で修行に入れられたことがあるが、その後に身内となった婆様は、福島の赤べこの寺、虚空蔵尊円蔵寺の奥の院をやっておられ、やっぱり臨済宗の禅寺だったという風に、とても縁のある禅宗ではある。

 しかもだ、10代の頃の俺のバイブルは夢中問答集だった。

 山梨の乾徳山や国師岳から甲武信岳や金峰山周辺は、この夢想国師の修行の場でもあった。

 武田信玄の恵林寺なんかは、夢想国師が開いて居る。

 そんな山々の頂から遠くを見渡すとき、夢想国師はナニを考えて、ナニを想っておったんだろうか・・・そんなことをいつも想ったりするけんども、20代に想ったことと、60のいま想うことは、ぜんぜん違ってる。

 どっちがどうということでもないが、その背負っている時代に、その年齢でナニを想ったかが大きく違ってる。

 別に山はそこにずっとあった訳で、ダイダラボッチが作った訳でもないから、言い伝えとはそんなものだろう。

 確かに修験者や山伏となって修行をしていたのが山だったし、海でもそんな言い伝えは残されている。

 修行僧は人間社会から遠く離れた場所に生きる、これはその後の江戸時代に、寺が墓地管理ということで人民の戸籍管理を始めた頃には、だいぶんに趣きは変わってきて、明治維新によって神主が偉そうに威張る世の中になった。

 言い伝えとはその時代の権力を持ったものが、自分に有利な立場を作る為に脚色・創作したものが多いが、山岳信仰をもって山で厳しい修行を行って居った者はたくさんいた。

 明治維新に修験者・山伏が禁止となったときでも、全国に2~30万人はいたというから、いまのオストメイトの人口とおなじくらいはおったということだ。

 その後も森林管理・遊びの登山という形をとりながら、古い祠を詣でる講だとか、日本人の生活の中には修験者や山伏の心はずっと残ってきている。

 それに比べて現代社会の寺や神社は形骸化してしまっておって、ロクでもない僧侶や神主しかおらんくなってる。

 はっきり言っておいてやろうか。

 この国には八百万の神々が現世を生きて来た。

 寺や神社なんぞというものは、その休憩所みたいなもんだった。

 そういう事実を子供らにも教えておいてやらんと、守銭奴と欲ボケした坊主や神主に騙されて終わるだけさ。

 ありもしない幽霊に怯え、ありもしない霊魂に委縮する・・・これはたいしたことのない大人社会が、子供や若者たちを抑えて従わせる為に作り出した詭弁でしかない・・・これが真実だ。

 祭りの屋台のいかがわしい遊びじゃ~ね~んだから、大人など怖れずに胸を張って生きて行け!! そういうこと。

 

 俺はどの子供らにも・・・お前らは神の子だ!・・・と、育てて来てる。

 現世を生きる人間がみなその自覚を持てば素敵な世の中になる、そういうことだが、いまんとこ、どいつもこいつもみな、便所紙か鼻紙か? そんなとこだな。

 


銀座にいると、山や海が恋しいよ

2018-11-27 10:35:44 | オストメイト

 

 海開き前の6月くらいから海で泳ぎ始めてると・・・どこの海で泳いだの?・・・千葉の外側で亀さんの背中に乗って来た!・・・と、メンドクサイ会話に、けんもほろろの受け答えになる。

 ・・・え~~! 亀さんの背中に!? と尚も絡んで来る奴もいるが・・・そうそう、竜宮城までさ・・・。

 銀座にも一年中波に乗ってるサーファーの爺ィや、一年中釣りに出掛けてる爺ィがおるけんども、会話は・・・美味いアジフライの店があったよ!・・・とか、新しい裏道を見つけたよ!・・・とか、そんなこと。

 ・・・どこだ? ・・・ほれ、交番の先のセブンを右に曲がってさ ・・・お~お~、汚ね~公衆便所んとこか? ・・・そうそう その奥んとこだよ ・・・ほ~、こんど寄ってみるっぺよ

 しょっちゅう泳いでると、どこの海などどうでもよくって、どう泳いだのか? 泳いでどんなオモシロイことがあったのか? そういう会話しかなくなってくる。

 山でもおなじで、どこの山? と聞かれても、有名ではない山の名を言ったところであんたが解る訳ないわけで、いちいちメンドクサイから・・・山で芝刈って来た・・・この頃はそんな受け答えをしている。

 山登りを止めて渓流で釣りをすれば・・・川で洗濯をしてきた・・・になる。

 そらそうさ、ガキの頃から山や海で遊んでる。

 ・・・崖んとこにさ、可愛いユリの花が咲いてたよ・・・とか、岩海苔を見つけたよ!・・・とか、でっかい熊棚があったとさ・・・汚い建物だったけど湯は良かった・・・むかし役行者が、腹痛を起こしたときに喰ったドクダミがあった・・・きっと真田の忍びが奔ってた獣道だよ・・・が、オモシロイ。

 ・・・蕎麦くらいしか作れね~んだよ、平地がないから蕎麦くらいしかないんだべさ・・・と言いながら作ってくれる蕎麦は、とても美味いのとおなじさ。

 銀座にも、10割蕎麦を売りにしてミシュランの星をもらってる店があるが、そこのお喋りオーナー婆ァにはいつも言ってやってる・・・蕎麦ってのはな、米を作れない山間の貧しい人たちが、精一杯頑張って生きる為に作ってた食い物なんだぞ、偉そうに能書きたれて喰うもんではない!!

 一年中遊んでると、その行先よりも、ナニをして、どんな愉しいことがあったか? そっちの会話になる。

 だいたいあちこち行ってると、行先には興味は湧かない。

 アクシデントのない海や山は、これほどつまらないことはない。

 これだけ遊んでおっても、まだまだ新鮮なアクシデントがあるから出掛けて行ってる。

 行くだけのことには意味などなくて、そこでナニをしてきたか? ナニが起きたか? がオモシロイだけ。

 ・・・そんな山、長靴で登ったほうがエエやんけ・・・山ファッションの話など、もっとわけわからん。

 ・・・それぞれに楽しみ方があっていいでしょ!!・・・よく怒られるけんども、人間社会では、どんどんメンドクサイと想うことが増えて来てる。

 

 オストメイトの悩みの一番は、人混みや静かな集まりでの放屁だろう。

 腹筋に穴を開けて腸を出して肛門にしてる訳だから、制御が出来ないわけで、いきなり ブ~だとか、プププ~だとかがやってくる。

 どこからやってくるか? 宇宙からか? ではないが、女性や若いオストメイトには堪らないだろう。

 完全防水、完全防臭のパウチで覆ってあるからそれ以外の心配はないんだが、そばにいる健常者はすぐに鼻を押さえる。

 俺なんざ不動産の緊張感のある売買契約の最中に、神妙に契約書の説明をやってる時に・・・ブブ~!! ということもたまにあるけんども、みなで大笑いして逆に愉しい契約になっておる。

 次の悩みはこのパウチの剥がれと便の漏れだが、国産のメーカーが無い現状ではなかなかすぐに自分に合うものは見つからないことが多く、身体や行動に合ったパウチを身につけてないと、おっかないことが起こる。

 俺はどんどん動いてヘマを繰り返して、海外からどんどんサンプルを取り寄せて試してを繰り返し、完璧だと想う今のパウチを見つけるまで、半年もかかってる。

 完璧になると、予備を持ち歩くこともなくなって、毎日風呂や温泉に浸かって、ときどきエロエロ、なおかつ山に登って泳いでも、4日で交換のスパンでなにも問題はなくなった。

 防水強化や、耐熱強化なんて小物はすべて自作で、試行錯誤しながら色んなことをやってきた。

 いまは、パウチを貼ってるだけ、そんな感じになってる。

 その上からヘルニアベルトで締めてる。

 腰痛予防のベルトとおなじ感覚だ。

 

 今朝もはよから、大腸癌でオストメイトになってる、銀座の近所の96歳になるビルのオーナー爺様がよろよろやって来て・・・おいおい、オレっちの家の鍵の予備を持ってなかったっけ?

 どうも自宅の鍵をなくしたらしい・・・。


オストメイトだから山を歩くんだ

2018-11-26 11:08:51 | オストメイト

   

 

 オストメイトは腹筋に穴を開けて、そこから腸の端を出して肛門としている。

 だから一番最初に、医者や専門看護のWOCなんかでは、腹筋に力を入れないように暮らしてくれというようなアヤフヤな指導があったりする。

 オストメイトについて言えば、我が国は後進国だ。

 その装具類もほとんどのモノが輸入品に頼ることになってる。

 外科医は切って繋いで取って縫ってで手術は大成功!! とは言うが、その後のことについては無知に等しい。

 人間は腹筋に力を入れないで生きるなんてことは出来ない。

 強い力をそこに加えることなく、全体として力を入れる訓練は必要になる。

 これには山を登り歩くことはとても良い。

 腹筋から腸の端くれが出ている、これだけで過敏に身動きが出来なくなってるオストメイトは多いだろう。

 オストメイトにならなければいけない原因の病もイロイロだ。

 その病との闘いをしながら、オストメイトとしての生活にも慣れなければいけない。

 そうしてそこで終わってしまってはダメなんだ。

 オストメイトとして十二分に愉しんで生きて行く、これが出来るようになれば怖いモノはなくなるんだよ。

 ・・・お前は障害者を愉しんでるだろう・・・よく言われることだが、そうなってしまえば、健常者よりも悠々と生きて行ける。

 

 一番小さい息子のひとりが銀座の地元の小学校のミニバスチームのキャプテンをしてて、中央区の選抜チームの一員になって都大会に出るというので、一度くらいは見に行ってやろうかと、今は彼と同棲してる腹違いの娘に話したら、一緒に行くというから出掛けて行って来た。

 ・・・なんで~なんで~、みな口は達者でも、お前らはみな優勝まではいかんのだな~  愉しんできた。

 ・・・パパが見てると緊張するんだよ、やかましいからさ

 彼女はもう25歳になるが、深川の生まれ育ちで気の荒い古豪のソフトボール部のキャプテンをやっておった。

 思春期には派手に立ち回っておって、さすがに俺の血が濃いいと苦笑して見て居ったが、生真面目な母親とは殺し合いまで行くかというようなハチャメチャな数年もあった。

 それが何事もなかったかのような、いまでは仲良しの母娘に戻って居る。

 ・・・なんでもエエから、帰る部屋だけは残しておいてやんなさい・・・俺はそれだけしか言わなかった。

 こういう話題は、他の子も出て来ると話せばキリがなくなってくる、メンドクサイから省略する。

 どの息子もみな運動会の騎馬戦では大将になって威張って暴れまわっておって、自己主張の強い連中には違いない。

 ただ、奴らにとっては、死ぬまで一番おっかないのは俺だろう、ざま~みろ だな。

 もっと強烈でハチャメチャな目の上のタンコブは、経験の足りない自己主張の強い青二才には必要なモノだ。

 人間社会で遭難しないようにと、まだまだ生きて居るお地蔵さんみたいなもんだろうが・・・。

 産まれた腹は違えども、父は俺だ、だからゴチャゴチャ細かいこと言わずに仲良くしろ!! そういうこと。

 同棲してる娘の彼は登山のメッカ、山梨は南アルプス産の昔はやんちゃだった青年で、その父親は小学校の参観日に、白いエナメルの靴履いて、紫のダブルのスーツ着て、ガニ股で堂々とやって来てたというオモロイおっさんだ。

 そうして先日この二人が俺の還暦の祝いをしてくれるというので一緒に飯を喰ったんだが、そんときオモロイプレゼントをくれた。

 カープとおなじ色の赤いユニフォームに、背番号60、俺の名前が刻んであった。

 胸には CARP ではなくって、CANREKI とあった。

 さっそく来年の神宮では着て行こうと思ってる。

 突拍子もなく生きて来ると、オモシロイ親族はどんどん増えて行ってる。

 これもまた、時代の最先端を行ってる銀座の周旋屋だからだろう。

 去年の優勝チームの江東区には負けたが江戸川区には勝っておった。

 むかし応援してた娘と一緒に腹違いの小さな息子を応援する、これもまたなかなか経験できない愉しみだった。

 小学生の試合と言えども、面白かった。

 山に行けないと気分は悪かったが、後味は最高に良かったな。