オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

今を犠牲にし、未来に夢見る大人

2018-08-31 11:24:42 | オストメイト

 

 戦後の清算がずっと続いているが、これからもっといろんな醜い嘘が明るみなって来る。

 キチンと、それを国民が受けとめなければ、新しい時代など来る訳もなく、そこで胡坐をかいて横暴で怠惰な日々を送っておった連中がキレイに去って行かなければ、ナニも始まらない。  

 それが今の日本人に出来るのかどうか?  オストメイトになった銀座の周旋屋には、どうでも良い他人事にも見える。  

 大事なのは、今度はどんな山でどんなアクシデントが待ち構えているのか、ワクワクする想い。  

 これからのことは、若い人たちがどんどんぶち壊して行けばエエだけだろう。

 もともとたいした大人など居らんくなってる日本では、もう在りもしない怪物など怖れるものもない。  

 

 プロ野球を例にとればその実態がよく解る。  巨人・大鵬・卵焼き・・・このフレーズは国民が言い出したものはなく、戦勝国アメリカのCIAに取り入った広告代理店や読売が言い出した。  

 そう、いまやトランプに解体されかかってるCIAだ。  

 広告宣伝や偏向報道で国民を操作する手法は、太平洋戦争で終わった筈だったが、実はずっと続いている。  

 もっと酷くなっており、北朝鮮と違うところは豚を太らせて喰ったほうが美味い、腹の足しになるということ。  

 その中身はナニも変わらない。  

 読売巨人軍の衰退は、現場を見て居ってもよく解る。  

 選手や監督・コーチ、みなすぐに太る。  

 練習量の違い、節制と日々の努力の差、当たり前のことを真剣に手を抜かずにやるだけで、今の時代はOKだ。  

 広島カープが圧倒的に強いのは、その違いだけ。  

 特にプロ・スポーツの世界では、オツムが単細胞な筋肉馬鹿が多いせいで、美味いモノ・ゼニカネを与えるだけで判断はコロッと変わり、権力の玩具になっている。  

 

 これは自営の世界でも言える。  

 一家で一社の時代が来る、これは俺が30年も前から言ってることだが、そうならなければおかしいくらいに、大企業や公共事業に依存して生きてる間抜けは増えている。

 現代社会自体が、手抜きや怠惰、儲かってもいない癖にデブは多くなり、そこで色んな病の商売がまた始まる。

 資本主義社会とは、豚の飼育によく似ている。  

 こういう美味い肉にしたい、ならばこういう食生活にする、こういう価値観で生かす、それでOK!!  広告宣伝とは、生体実験でもある。  

 デブには高い山では出会わないし、筋肉馬鹿にも人のいない奥山では出会わない。

 その生息域は? そう人混みの中、街の中、周囲に誰かがいなければ生きて居れない幼稚なオツム。  

 つまりは自分の生き方を自分で決めることの出来ない、幼児とたいして変わらない。

 

 数カ月前に、小学校6年生カップルが妊娠したという話を書いたが、そういう時代になってる。  

 両親も、学校の先生も気が付かず、3カ月が経ってから、やっと妊娠に気が付いた、大人社会の間抜けさよ。  

 いろんなことが、メディアの報道よりもはるか先に進んでる、これは昔からのことだ。  

 政治や行政や司法の世界は、メディアと共にあるような間抜けさだから、現実社会に対しては常に後手後手。  

 それでも経済が右肩上がりであったなら、誤魔化しメクラマシも効くんだろうが、いまや永遠のデフレ。  

 そこで大勢の問題意識の無い大人たちが群れて生きて居る。  

 俺は知らね~よ。  

 ただそんな時代でも悠々と生き残って行く子供らを育てて来ただけのことさ。  

 逆にみな、それぞれがそんな混乱を利用して、リーダーシップを取れるようにと、育ててるだけだ。  

 で、俺は相変わらず大笑いしながら山に登り、ウキウキして海で遊ぶ。  

 この酷暑、ま~だ海では遠泳できるんだな。  

 海開きする前から泳いでるオヤジには、海仕舞いなど関係ない。  

 体裁だけのおなじ人間の判断などよりも、海に聴くほうがそれは間違いがない。

 

 ほらほら、デカイ台風が向かってきてるけんども、日本人はそれにも興味をしめさない、ボンクラな週末だな。  

 地球や宇宙には今しかないし、その今に出来ることもひとつしかない。  

 雨が多く降り、山や海で遊べなくなると想えばこそ、俺はびっしりと山や海で遊んでいる。  

 人間の未来の予定なんざ、人間の世界だけの戯言でしかない。


援助や救済は、差別と格差の母親

2018-08-30 10:26:18 | 異常気象




 地球の異常気象に合わせ適応することなく、人間界の習慣と規則を頑なに守ってる人類は、阿呆や。
 この夏も極暑で、そんな中で激しいスポーツを当然のような顔をしてやってる連中には首を傾げてしまう。
 俺は海に浸かって泳いで冷やし、高い山に登って心地よい風で生気を養っている。
 いまの自分にとってこれ以上の無理はしない、それは他人と比較してではなく、いつも観察している自分。
 身体に障害を負ってからは、その基準を下げている。
 それでも健常者の日常の行動と較べても激しいと言われてるが、俺にとっては随分と基準を下げている。
 地球や宇宙に従う、天皇や総理大臣を上に仰いで生きてる訳では、無い。
 太陽や月のことはいつも眺めて感謝しているが、おなじ人間にそんな想いは決して持たない。
 老若男女、みな平等、なんの上下も、無い。
 小さな子供でもハッとするような発見があればお礼を言うし、先祖の墓の話ばかりする高齢者にははっきりと馬鹿じゃ~ね~のかと言い放ってる。
 地震や豪雨や台風や、津波や噴火で大地は揺れ動くというのに、銀座の街では隣地境界線の2センチのズレで大喧嘩してる大人って、ドのつく阿呆や。
 そんな銀座で30年近く周旋屋をやってる俺の身にもなってくれよ。
 小さな小さな人間の群れが、小さな小さな物語を作ってると言えば可愛らしくて素敵に聴こえるかも知れないが、なんのことはない、ナマコとヒトデの三文芝居。

 毎週、山の疲れがあるうちから、股割りを続けている。
 息が上がって汗が滲むまで、一日トータル1000回くらいを目安に、なんども繰り返す。
 これをやっておくと週末の山行が随分と楽になる。
 大きく足を開いて、膝を揃えて、膝を回しながら、背筋を後ろに傾けながら、色んな形でやる。
 還暦を迎えた身体は、強化というよりも維持することすら難しくなってる。
 
 のほほんと親の資産をアテにしておったものが、ロクな結果にならなくなって、ゼニカネに血眼になってると、同じようなゼニカネに血眼になってる輩が寄ってくる。
 俺のようなオヤジのまわりには、群れに惑わされず、ゼニカネには振り回されず、悠々と独自の道を歩いてる、頑固な変わり者ばかりが寄ってくる。
 どう生きるか? それで関わり合う相手も随分と変わってくるもんだが、自分の日常は棚にあげておいて、素敵な関わり合いばかりを求めてるタコには、近寄ってくるものも茹でダコかタコ焼きくらいのもんだろう。


姥捨て山は現実にあった話だが・・

2018-08-29 10:01:58 | 価値観




 銀座で周旋屋を長くやってると、大きな売買の話もあるけんども、逆に賃貸のいろんな細々した話もたくさん出て来る訳だが、シングル・マザーという言葉が無かった頃から、俺は母子家庭の応援みたいなこともやってきた。
 そんな家庭の今はそれぞれに変化しておって、すでに子供たちは成人しているのも居る。
 大変、可哀相・・・そんな気持ちで始めた訳ではなく、みな平等が本当、それだけの話だ。
 だから激しく怒ることもあれば、金輪際付き合わないと厳しく接することもある。
 平等なだけで、優遇や援助を求めるような連中には、特に厳しく接することになる。
 父親が生まれた時にはすでに居なかった、病気や事故で父親を亡くした、そんな家庭も多い。
 幼い頃には一緒に遊んでやったり、他の母子家庭の子と一緒に出掛けたり、あちこちで色んなことをしてきてるが、今でも時間があればそれを続けてる。
 大人社会でも強烈なオスと言われているオヤジと、一緒に遊ぶ子供らは、みな弾けるように笑い出す。
 生きてることがどんなに楽しくて面白いのかを知らずして、ルールも規則もあるもんかい。
 子供をたくさん育てて来てる俺には、要点も解ってる。
 特に学校では手を焼いてるような子や、家でも邪魔モノ扱いされてるような子は、乱暴で激しい遊びに夢中になって、大笑いした後はすぐになつく。
 目で笑ってやるだけで、嬉しそうな含み笑いを返してくれ、すぐに心を開くようになる。
 一緒に、先頭になって遊び方を教えてやってるだけだが、みな後でおなじことを言ってくる。
 ・・・あんなに楽しかったの、生れて初めてだったよ!!
 学校や、塾や、スポーツクラブや、その子の親や、爺婆やには、哀しいことだろうな。
 何故? 生きるのか? なにが愉しくて生きて居るのか? 大人でも答えられない腑抜けは多い。

 団塊ジュニア世代に多いのが、古風な価値観で小さな世界で生きてる大人たち。
 親や爺婆の生きた足跡を辿ってることが、さも素晴らしいことだと信じて疑わないマザコン・ファザコン。
 孫らにはなんの足しにもなってないのに、偉そうに口を突っ込む老人世代。
 奥山を歩いていると、人骨がいまでも出て来る峠や沢や、博打場だった溜まり場跡や、良くない連中の住処の跡地に出くわすこともある。
 近親相姦が続いた奥山の隠れ里では、化け物のような容姿の人間がいたり、色んな楽しい過去を知ることも多い。
 姥捨て山の話が、じきに現実のモノとなるのは、仕方のないことだろう。
 先祖の墓を守るために、子や孫を犠牲にするよりは、はるかにまともなことだ。
 あんたらが創り出した世の中社会から、あんたら自身が放り出される。
 それは悲劇なんかではなく、滑稽な笑い話さ。

 景気の悪い話ばかりが仕事では多い。
 メディアで流れる情報とは、すべて裏返しの現実ばかり。
 景気が良かった筈なのに・・・破綻。
 仲良かった筈なのに・・・離散。
 敗戦から高度経済成長という復興景気を謳歌し、年金頼りに生きてるボケ老人らには解ってない。
 昔から、よくある話さ。




後悔のない生を生き続けるとは?

2018-08-28 10:49:28 | 身体障害者




 半世紀まえ、俺がガキの頃、こういう風にルールを守って良い子にしてたら、模範解答のような解答をいつもしていたら、優秀な大学に入れるよ! という社会に鼻くそほじりながら、阿呆臭い! そう想っていた。
 こういう風な生き方をすれば、お金儲けも出来るし、組織の中でこういう風にすれば、良い生活も出来るよ! という社会を見れば、なんて退屈でつまらない生き方なんだろうかと、せせら笑っておった。
 そんな連中がゼニカネを手にしたところで五十歩百歩、買ったり持ったりするものの値段が高くなるだけのことで、なんら日常の生活は下らない猿真似コピーのまんまだ、惨めなことよ、そう想って居った。
 師がいて、先生がいて、先輩がいて、常に見ていて欲しい、理解して欲しい大人社会には、愛想が尽きて居った。
 だからもう、山や海で遊び呆けておった。
 夕暮れ時、赤く染まる山々を見て、赤く染まる海を見て、なんでもっと遊びたいのに夜になるんだ・・・だった。
 そんな調子で懲りることなく我が道を歩いて来たら、銀座の街の片隅の1階で、周旋屋を30年近く続けることになってるが、じきに山小屋でもやるか、灯台守にでもなるか・・・今でもそんな自由な日々を送って居る。

 子供もあちこちに作り、みな俺の手で育て、それぞれがそれぞれにいつも目いっぱい、生きて居る。
 男は永遠の旅人で、女は豊かな源泉を持つ旅籠。
 子が出来れば親族の数は増え、付き合いも増え、気に掛ける人たちも増え、それがまた生きることだと想えば、厄介でもなんでもない、愉しみのひとつになってくる。
 旅の途中に息絶えることを成仏と言い、それまではずっと故郷の大地を歩き、故郷の海で泳ぎ、出会う人々にいつも関わり合って、日々とてつもなく忙しく過ごす。
 人が眠って居る間も、心臓は動き続けている。
 休息や癒しなど、死んでからのことだと、ずっと信じて生きて居る。
 こういう生き方でも、障害を障害と思わず、生き切ることだけを目処に笑っておれば、それで充分なんだよ。
 いつも充分に生きた、後悔などサラサラない、そういう心地良い想いだけが腹のうちにはある。

 ところで、この時期の登山では、オストメイトの腹のパウチがいかに舶来で優れたものであっても、ドレッシング・テープで補強しておいた方が無難だろう。
 岩場登りも含めた激しく身体を動かす登山では、想像以上の体温の上昇と大汗が全身から吹き出す夏山は、途中で補強なんて余裕はなく、最初からキチンと準備して登り始めなければ、メンドクサイことが起きる。
 俺の場合は、その上から凸型ヘルニアベルトのワザと小さめの奴で腹筋を締め上げてる。
 太る前に使ってたやつだが、その方が幅が細くて暑さが軽減する。
 パウチを押さえるのと、腹筋の負担を軽減できる。
 オストメイトは腹筋を鍛えてはいけないとは初歩的なアドバイスだが、俺には無理な相談だった。
 その為にいろんなことを自分独自に考えて試して来た結果だ。
 ガス抜きは時々、ザックを背負って立ったまんまサッと済ませるが、その強烈な臭いは周囲の獣たちを卒倒させるに十分な、オナラ10回分以上のモノ。
 人間よりも獣たちに会うことの方が多い俺の登山では、これで大型野生動物には効果テキメンだ。
 野生の大型動物の体臭は、離れておっても風下に居ればその強烈な臭いで解るが、山を登ってる時の俺のガス抜きのそれは、そんな臭いをはるかに超えている。
 ・・・どうだ、とっとと退散したほうがエエんとちゃうか!! やる気なら、あとで謝ることは許さんぞ!!
 俺は後悔のない生を生きて居る。
 後悔ばかりしてるような奴らとは、無意味な戦いはしない、街でも、山や海でも、そんな感じだ。


外房で泳がず夏山で虫を吸い込む

2018-08-27 10:23:45 | 登山と遠泳


 空が明るくなりつつある時刻に、目が醒めた。
 まずい、仕事の疲れからか、海で泳ぎ過ぎた疲れからか、寝すぎてしまった。
 こういう時は、山梨の2000mくらいの山歩きをする。
 で、のんびり5時過ぎに出発した訳だが、いつもの下山予定の12時~1時、甲府盆地は猛暑の予想だった。
 尾根で20度超えてるだろうことは覚悟していたが、落石・倒木だらけの、車1台がやっとの林道を走ってる頃には、すでに25度くらいになっておった。
 それでも富士山やアルプス・八ヶ岳・金峰・甲武信はよく見えておった。
 ガルモントの新しい登山靴を持って出たが、森の匂いで泥道もありそうだったので、車に積みっぱなしの補修でボロボロになってるノースフェイスの靴でスタートした。
 外観は酷いもんだが、ソールとヒモ類は自分で補修強化してある。
 1年でだいたい一足は履きつぶし、肝心な部分が大丈夫だったら、悪路用に補強する。
 きっと混雑してるんだろう人気の山々を眺めながら、登り始めから尾根道に出るまで誰にも出会わない、いつもの不人気閑散ルートで、とぼとぼと登って行った。
 どこも不人気なのは、登山口までが厄介でおっかない行程だからだけんども、そのぶん静かな奥山歩きが出来る。
 登山者が遭難したり行方不明になりやすい山は、不明瞭な道迷いしやすい登山道ばかりだが、そういうのに慣れてる爺にはなんということもなく、キッチリ油断せずに登れば、逆に素敵な森に出会える。
 出だしの急登はどこの山でもおなじだが、猛暑の中の急登はなんとも息が上がってくる。
 小1時間ばかり、全身から汗が噴き出して、小虫がブンブンまとわりつく中、森を泳いでいるような感覚になる。
 やっぱり外房の海に、泳ぎに行けば良かった・・・歩きながらずっと考えて居った。
 さすがに煩い小虫たちに愛想が尽きて、それでも2~3匹吸い込んでしまい、熊ん蜂でも吸い込んだら面倒だから、虫除けネットをかぶったが、木洩れ日が強くて視界がネットで遮られ、ときどき足元が危うくなったもんだ。
 モンベルだと帽子付きで5~6000円くらいするが、俺のは頑丈な森林作業用の350円、効果もナニも変わらない、阿呆らしいこった。
 登山グッズは森林作業用のモノや、修験者・山伏が工夫して考えたモノが一番実用的だが、それをまた工夫する。
 セカンドストリートみたいな中古品店で思い切り安いボロなブランド物を買い、解体して新しい小物を作ることもあるが、ブランド名だけは残るように工夫してやれば、俺のオリジナル、プレゼントしてやるとみな喜ぶんだぜ。
 そういうことも、山や海で遊ぶ人間には愉しみのひとつでもある。
 風も無い雑木林の中の急登は、頭がクラクラしてくる。
 田舎で見つけた小型の法螺貝を吹きながら歩く。
 ようやくに視界がひらけてくると、風も出て、生きた心地がしたもんだ。
 下山は隣の尾根を使おうか・・・沢から吹き上げて来る気持ちの良い風を受けて、思案した。
 ただ、林道に出てから車を停めた場所まで結構な距離を歩かんきゃ~ならんから、迷っておった。
 山頂のひらけた空間に出ると、老夫婦がザックを放り投げて顔に帽子をかぶり、昼寝休憩の真っ最中だった。
 別の尾根から登ってきたんだろうが、熊公も驚く甲高いイビキをかいておった。
 やっぱり、雪の無い富士山は間抜けな姿だった。
 とにかく夏山は暑いのさ。
 帰りには甲斐市の激辛キムチラーメンか、極上温泉ウナギを喰うつもりだったが、猛暑のため変更して、下道20号で大月の街に出て、辛い麻婆ナス定食が美味い四川料理の店に立ち寄った。
 激辛麻婆豆腐も喰ったが、またまた大汗をかき、鼻水・涙まで出て居った。
 なにやってんだか・・・。
 夏休み最後の日曜日、高速は混むと予想して、そのまんま20号であちこち寄りながら戻り、相模湖から中央に乗ったけんども、やっぱりしばしノロノロ運転で眠くなった。
 
 木場まで戻り、顧客から頼まれておったマンションの部屋の採寸だけ済まして、戻ったら爆睡した。
 さ~て、日焼けした顔と首が痛いが、今日からまた仕事やっぺ。