オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

生き物の遺伝子に逆らう跡継ぎ芸

2023-06-29 10:10:07 | 身体障害者の登山と遠泳

 

 

 由緒ある伝統芸能の家元とのお付き合いから、いろんな日常の他言できないトラブルの相談などを受けて動いて差し上げたりしてるうちに、銀座生まれの銀座育ちという一番下の息子を子役にどうか? という話になり、地元の野球チームやサッカーチームで走り回っていたのを定期的に遊びに行かせているうちに、7~8歳のとき、国立能楽堂で大御所と二人で演じる百萬の子役に抜擢されて初舞台、堂々と物怖じもせずに演じ切ってその度胸の良さも笑いの種になってはいるが、地元の小学校のミニバスチームのキャプテンになり、中央区の選抜にも選ばれて忙しくなったことで、本人は能の世界とは疎遠となってしまった。

 いまでもバスケを続けて高校生になっているから、すでに身長は176センチの俺を超えてしまってる。

 芸術・芸能・政治の世界というものは、狭い鳥小屋みたいなもんで、社会全部を相手に生きてる周旋屋との接点は、たまに狭い世界での椅子取りゲームのトラブル処理くらいで、そんな狭い場所で生涯を過ごすのは俺の血では無理。

 だから他の腹違いのお兄ちゃんお姉ちゃんらとおなじで、好きにまかせて自由自在に生かせてやってる。

 小学生高学年で、太平洋で1時間以上は遠泳して、谷川岳くらいは楽に登り降りも出来ていた。

 俺の日常の忙しさをずっと見ている訳だから、どの子供らもハートは強いもんだろう。

 俺が生きて来た濃い場所からの出発であれば、子供らもみな有利なんだろうが、みな最初からやり直しになるのが生き物の遺伝子の足りないところ? いやいや優しいところだろう。

 であれば、継がせるべきものはナニが起きてもへこたれない、孤立無援の四面楚歌でも自分を貫くことくらい、あとは他人や社会への愛と機微の深さと、精力絶倫さくらいのもんだろう。

 これが身に付けば、どこても愉快に生きてゆける、大笑いだ。

 

 男同士の愛のもつれや、男同士の嫉妬に確執、男同士の・・・周旋屋稼業を長くやって遊び惚けて生きて来てると、別段に珍しい話でもないが、メディアを賑わす事件やトラブルの原因が、そんな話ばかりになってることには、ほとほと薄気味悪さしか感じ得ない。

 こっそり、日陰で、目立たない関わり合いだったから、その関係は濃くなっていたのではないのか?

 これほどあからさまに、あけっぴろげで報道されてくると、醒める関係も多くなり、暴力的な話題ばかりが幅を利かせるようになる。

 当たり前だな、男同士、オス同士の恋焦がれのこんがらがった痴話だから。

 愛や恋って~ものは、こそこそ、ひそひそ、ひとりとひとりがもつれ合うからこそ素敵な話になるのであって、団体で、集団で、皆がやってるから、おなじ性器を持つ者どうしの絡み合いなんざ、綺麗な話ではない。

 凸と凹、無いモノどうしが重なり合って、完結する、こういうのを自然という。

 おなじ男にはいっさい興味もない俺なんざ、どうでも良い幼稚な話題。

 性差別をなくせ! 同性愛を認めろ! 近親相姦も愛のうち! ・・・こういう古風な左翼的な話を蒸し返して煽っているのは、どういう類の奴らなのか? 解ってるの?

 決して少数派の味方なんかではない、弱者・少数派を食い物にするだけのケダモノたちだ。

 

 生きることに疲れるという言葉は、肉体に障害を負ったり、大病を患ったりした時に、その遅々とした回復期に出る話で、健康な肉体で生きて居る者が言う言葉ではない。

 俺もオストメイトとなって退院してからの半年間は、腹筋に穴を開けて出してる腸と腹の皮膚がなかなかうまく馴染まずに、毎日の深夜に激痛の走る傷口を洗い、毎日その肉のえぐれた腹の傷口に小袋を貼りかえることの連続で、精魂尽き果ててクタクタになっている時にはそれを想ったもんだった。

 痛みが酷くて右向きでしか眠れない、これを5か月続けると身体のあちこちから悲鳴が上がっていた。

 大病院ではマニュアル通りのいろんな医療行為を勧められていたが、もう十分に生きた! と、すべてを止めにして、薬もぜんぶ捨ててやって、激痛の走る身体で車を運転して、里山歩きを始めた。

 これでダメだったら、どこぞの奥山で静かに獣たちの餌になって終わりにしてやろう。

 本気でそう動いていたが、運が良かったのかどうか、それから傷の具合が改善されてきて、そうかそうか、人間の身体は こう生きたい! という意思を伝えてやることで治癒を始めるのか? そんな心持ちだった。

 医者や病院まかせではなく、自分の意志でどうしたいのか? それを身体に伝えてやることは大事だろう。

 身体がボロボロになるほどに忙しい日々を送って、腸が破裂して腹膜炎を起こし、オストメイトになった。

 その生き様がオストメイトになっても続いている。

 自分で自分の身体を健康な状態にするために、自分で自分の手を引いて引っ張って生きて居るようでもある。

 現代の大人社会では自殺というものも多いが、俺の過去の出来事をいちいち挙げて行けば、何十回も死んでなければいけないようなことばかりだった。

 そんな果てにある今は、自由自在で愉快千万、大笑いしてばかりの毎日を送れている。

 陽の沈まない日はないが、陽の登らない日も、ない。

 オストメイトとなってそんな大変な半年後に登った2000mの山頂では、こんなオヤジでも目頭が熱くなった。

 なんども休み、なんども転げ、泥だらけになって、ゲロを吐きながら、それでも立っていた。

 この身体も克服した、と思ったよ。

 

 昨日は早朝から高齢者の病院に付き添い、介護の面談と今後の話し合いで仕事にならなかった。

 売買の契約が入っているが、それ以外でも今日は深夜まで溜まった仕事の片づけをしなければいけなくなった。

 立ち止まって、休息する時間なんて、俺の人生にはまるでない。

 ひとつ片づけると次の話が持ち上がって、終わらないことになっている。

 これを、生きて居る、というのだな。

 


信州の2000mの山でも熱中症

2023-06-19 10:08:17 | 身体障害者の登山と遠泳

     

 

 早起きして、暑い暑い都会を抜け出し、信州長野の奥山まで出掛け、2000mを超える山に取り付いて涼んでやろうと想っていたが、大きなハエや蜂や虫虫に歓迎されて、常時20〜30匹を従えて、ブンブン喧しい登山になっておった。

 俺が噴き出す大汗に吸い付き、水分塩分を摂取している訳で、お前らの生きている場所に入ったヨソモノの俺は、好きなだけ吸わせてやるぜと、放置して引き連れてゼーゼー喘いで登っていた。

 いつも吸い付いている鹿や熊公や猪・タヌキよりも、俺の汗は美味かっただろうとは思っていたが、2時間も3時間もまとわりついていては、元の場所には戻れないだろうに、、、と思われるかも知れないが、彼等の生態は人間と違って徴税の為の定住生活ではない。

 下界は30度超えだったが、標高2000m超えても20度くらいあったのではないか? という感じだった。

 しかも期待していた風もたいしてなく、歩き始めの2時間くらいは谷間の登り上げ、蒸しかえる新緑の森はサウナのような状態だった。

 おかげで熱中症気味になり、頭痛がしていたから、休みを多目にとって、ゆっくり登ったさ。

 高山植物花盛り、いろんな花を愛でて山オバサンのようにウットリ~、な訳もない。

 山頂では、雪山では毎週いつも食べていた中本の旨辛飯を喰ったが、もう季節は生姜汁の冷やしそうめんだろうな。

 距離も上に下に横に斜めにとたっぷり歩いたし、さすがに夕方に下山する時はクタクタになっておった。

 冷たいモノをたくさん摂って上信越に乗った時は、一気に疲れが出て来て、軽井沢過ぎてトンネル工事の渋滞で徐行してると、こりゃ~横川あたりで仮眠するか? だったが、藤岡近くになると回復してきて、関越の東京方面のいつもの渋滞が始まっていたから、新潟方面に合流して高崎で降り、美味しいパスタと上州豚を腹いっぱい喰ってゆっくり休憩、塩分・水分にニンニクもたんと身体に補給して、渋滞の解消した高速をゆっくり戻って来た。

 それぞれの方面には、こういう渋滞解消までの時間潰し栄養補給の地産地消の美味い店が幾らでも存在する。

 素直に渋滞で我慢して戻る時間よりも早く戻れる裏道・下道も色々あるが、山や海で激しく体力を消耗した時は無理はせず、渋滞に嵌ってる時間を別の有意義な行動に使うのはいつものことだ。

 源泉に浸かって渋滞を避けたり、毎週毎週いろいろやってるが、日本全国に地産地消の美味いモノはたんとあるが、どれもまずはそこの大自然の中でクタクタになるまで体力を消耗させてから喰らう、消化もしてないのに美味いモノだけ喰らいに出掛けるなんて間抜けな猿では、難病奇病に罹って医療の餌になる。

 久しぶりに身体を酷使して、ハードな山登りだったから、アクセルを踏む右足も疲れ切っていた。

 こういう時はオートドライブにしてのんびり帰るに限る。

 日帰りで往復500キロを運転しての登山だから、当たり前といえば、当たり前だが、何カ月ぶりかのキツイ山歩だったから、温泉に浸かるのも止めにして、とっとと戻ってラジウム鉱石を入れた風呂でまた汗をかき、腹のパウチを交換して、すぐに爆睡したもんだ。

 顔や首筋は日に焼けて痛いし、黄斑変性な右目は歪んでるが、ま〜、しかたあんめぇ。

 これを半世紀以上も続けて来て、だからこそ良い仕事も出来れば、精力絶倫過ぎる体調管理も上手く行く訳で、社会の為でもある。

 

 死が怖くならない話や、死生観の達成、悟りを語る・・・なんて流布や布教まがいのことをやってる坊主や宗教家がいるものならば、とうの本人が一番にビビッて自信を失ってるということだ。

 すでに超越しているのならば、そんな話題すら超えてしまってる。

 精神科医のヒステリー、感染症専門医の性病罹災、歯医者の虫歯放置、整体師の変態悪趣味、内科医のカウンセラーゴッコ病、薬剤師の薬漬け・・・俗な金儲けだな。

 胡散臭い、猿芝居。

 

 日本の歴史や伝統をキチンと語り継いで、後世に遺して行かなければ、と抜かしてる中身を聞けば、おいおい、そんなもなぁ、江戸時代に外国の知恵で作られた市民管理の風習や習い事、奴隷が塀の中でおとなしく遊ぶお遊戯会、とてもじゃないがそんな猿芝居は後世に遺す必要などないがなと、笑える自己満足ばかり。

 日本の本当の伝統や風習は、山や海に出掛けていつも接してなければ解らないだろうよ。

 キレイゴトの歪んだ自意識過剰なオツムの構造が、丸見えになってるが、軽すぎて相手にもされないだろう。

 その意見や主張すら、キレイに洗脳された猿の教科書どおり。

 喜劇、と言っても良い。

 

 今朝は朝から谷中の下町に出掛けていた。

 オシャレなフレンチレストランで同い年のオーナーシェフに会って来た。

 銀座在住の古馴染の貸主に、新しくビル管理を頼まれた仕事で、貸主の真っ赤なベンツの助手席でお出掛けしていた。

 特注のポルシェやフェラーリをたくさん持って乗り回しておられた車好きな人でも、いまは高齢化で免許もソロソロ返上。

 運転は自分でしたいと笑っておられた。

 俺が紹介した熱心な在宅医療の先生たちが凄く役に立っていて、感謝されている。

 谷中には、うちの仕事をいつも頼んでいた大工の棟梁が数年前にポックリ死んで、埋葬されてる寺もある。

 ふ~てんの寅さんよりも、ふ~てんだったな~、良い街だよ。

 美味そうな店もたくさん路地にある。

 

 さ、仕事の合間にプールで泳いでこなきゃ~、夏になったでよ。

 今年も太平洋でしっかり遠泳するぜ。

 

 


ナニが起きてもキッチリ生き切る

2021-12-06 10:01:19 | 身体障害者の登山と遠泳

 

 オストメイトになって、障害者手帳をもらっても生き延びた時は、入院から手術退院まで1カ月半、退院してから半年間の文字通りの生き地獄を過ごしながら売り上げも上げ、里山歩きから再開した登山は、小学生のハイキング集団にも悠々と追い抜かれておったもんだが、退院半年後には、2000mの頂上に戻った。

 すぐに太平洋の海にも泳ぎ出て、遠泳できることを確認した。

 まだ装具類は危ういものばかりだったが、それでも出来ることを確認できて、そこからまたゆっくりと鍛え上げて行けば良かった。

 1ヶ月ちょっと前に傷めた左膝の半月板と靱帯は、それに較べれば楽なもんで、まだまだ階段の下りが満足に出来ない足でも、なんとかビッコも小さなものになり、正常とは言い難いが、それでも痛みもなくなって、違和感と神経痛くらいになったから、この日曜日は里山に登って来た。

 空身で、登山靴ではなくスニーカーで、ポールの世話になりながら、一歩一歩、膝に神経を集中して、健康な人の3倍の時間をかけて、なんとか山頂までたどり着いた。

 下りが厄介だったが、もっと時間をかけてゆっくりと、慎重に降りてきたもんだった。

 生きてるうちは、ナニが起きても、時間がかかっても、格好が変でも、必ずや復帰してみせる、これは自営の商売で培った想いでもあり、自然と笑みがこぼれるような、楽しい登山だった。

 翌日でも違和感はなく、神経痛もなくなっていた。

 まだまだ油断は出来ないが、また毎週、山に登れそうだ。

 生きていて、自分に対する自信を失ったら、他人や社会になぞナニかをするなんて、おこがましい話だ。

 逆に同情されるようになったらお仕舞だろう。

 山頂から眺める景色は、里山ならではの下界の近さで興ざめしたが、それでも吸う空気は気持ちは良かった。

 焦ると台無しになる。

 ま~ま~、じっくりとやるわいな。

 

 師走だが、忙しいことこの上ない。

 裁判の強制執行直前まで説得しての退去完了や、あちこちの高齢者の世話、大きな売買後の各戸の立ち退きやら、事務仕事も重なってきておって、孤独死のないようにと、独り暮らしの老人宅も走り回っている。

 ひとつ仕事を終えても、酒を呑んで慰労会をやってる暇はなく、次から次へと続いているが、これが好きで生きてる訳だから、その途上で笑っている。

 

 メディアから流されてる甘ったれた連中の自画自賛や自意識過剰な話題など、屁を喰らえ! だな

 とっとと自分の生を全うして、擦り切れ果てて逝ってやるまでは、まだまだ動き回って生きてやるべよ。


南会津の、明るく静かな奥山の秋

2020-11-16 08:10:05 | 身体障害者の登山と遠泳

 

 南会津まで車を走らせて、紅葉の渓谷を歩き、山を登り上げ、しっかり汗をかいてきた。

 さすがに奥山に入ると、人間はいなくなって、2000年前ではなくって、2000万年前の地質がそのまんまになっている。

 人類の小ささが解るだろう。

 すべての桁が違い過ぎる、地球温暖化やコロナなんて猿の騒ぎは、木っ端微塵になるわいな。

 そのまんま来た道は戻らず、険しい林道を暗くなるまで走って、新潟寄りに降りて、森を堪能した。

 山用の車を小さな4駆に替えて、しっかり500キロ、1ヶ月で2000キロ近く、新車馴らしも終えただろう。

 バイク野郎すら入って来ないような素敵な紅葉の山々は静かで良い。

 小さな獣たちも・・・もう長く辛い豪雪の季節だよ!と、可愛い目をクリクリさせて迎えてくれていた。

 

 テレビや新聞のモノゴトの捉え方や価値観が、どうにも相容れなくなって、俺は半世紀も経つ。

 いまでもユーチューブやらツイッターと言った新しいメディアでも、相容れないことばかりだ。

 媒体が変わっただけのことで、生きてる価値観は昭和のお古、やってられない見てられない。

 俺は、お前らとはぜんぜん生きて感じてることが違ってる。

 だからまともな会話はできるわけもない。

 笑うことくらいしか、ともに出来ないから、笑ってる。

 嬉しいや、哀しいや、悔しいや、怒ること・・・俺には理解不能な不思議な生態に見えてるし、ようやくに、この頃はそれを広言して生きることが出来るようになった。

 ・・・糞ジジイの戯言・・・それで済む年齢になったということだろう。

 笑うことはともに出来る、だから笑ってる。

 あとはナニが楽しくて生きてるのか、不思議な、奇妙な、首を傾げてしまうことばかりになってる。

 山に来て、マスクをはずさない人間を見て、首を傾げてる獣たちとおんなじだ。

 俺自身は、俺の愉しみをたくさん持っているから、別に他人のことなんざ、興味も湧かない。

 ただ生業が、毎日いつも新しい関わり合いが増えてゆく仕事だから、サメのような目で、実のところはお相手してしまってるんだろう。

 ・・・そう、それはご苦労だったね~、大変だったね~、哀しかったの? そうだね~、嬉しかったの? そうかそうか偉かったね~、そんなこともあるんだね~

 そんなことをほざきながら、空を見上げて、週末の天気と山のことばかりを考えている。

 あとは、疲れたから、ひと眠りするか? 腹が減ったからなんか喰うか? 足腰が凝ったから、女を抱くか? 

 それとて、別段に自然でいいわけで、なんということでもないのさ。

 この夏の大仕事で、何年かは困らない分は稼いで、さっさと多くの扶養家族にばら撒いて、残りは紙幣ではないモノに変えてしまってる。

 盗まれるモノで持つから盗まれる訳で、奪われないモノにして生きて居れば、別段に守ることも必要はない。

 禅問答なんて、下世話な話ではなくって、もっと永遠なものさ。

 俺が関わってる女や子供らは、みなそれを感じていることだろう。

 そんなことさ。