オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

アカヤシオのもとで、死ねたなら

2019-03-29 12:00:19 | 地球と生きる

 

 アカヤシオだね、花ひらき始めてる。

 身体障害者となって半年後、2000mの山に戻った時、俺を山頂で迎えてくれた花だった。

 忘れもしない。

 

 日本人を語る時、いつも面白おかしく語られるのは、群れで・組織で・集団で・グループで、動く民族だと・・・。

 これは結果としては当たっているけんども、要は一対一、個人対個人の付き合いが出来ない、下手、苦手・・・そういう原因にある。

 遊びを見てればよく解る。

 俺がまだ10歳にもならなかった頃、小学校6年間で6回も転校した中の3~4回目の頃か、大人社会や学校教育を多様な視点で見る癖がついてしまってた頃、自分は一対一、個人対個人で生きて行こうと想ったもんだった。

 その後、決して普通の日本人の生き方にならなかった元は、そんなとこにある。

 激しいハリケーンの中で船を操る人生に、憧れていた。

 そうして常識や良識や道徳や倫理なんて嘘臭い呪文には興味を持たず、とんでもない今を抱えて笑ってる。

 永遠に孤立無援でありがたやありがたや、そんなことを若い頃から笑って言い放っておった。

 あちこちに子供を作り育て、常に四面楚歌のような状況でもコツコツ自営を続け、いまでは敵ばかりだった多くの身内ですら、俺との会話を楽しみにしてくれている。

 日本の、人間社会の、法則や過去の事例や、ルールや取り決めや、常識や良識という価値観では計れない、そんな男だったと気が付いてもらってるようで、これはこれで俺にはとても嬉しいことではある。

 一朝一夕にできるものでもない。

 30年も40年も、ナニを言われても逃げずに生きて見せるしか、理解を得る方法などなかった。

 だから他人を見る時も、それだけを見ている。

 子供らには、すぐに結果は求めない・・・人生かけて帳尻合わせりゃ~エエがな・・・信じている、そういうことだ。

 ナニを言ったか? ナニを身に付け、ナニを持ってるか? ではなくって、いま、ナニをしてその存在を自己主張してるのか?

 おかげで、身体はボロボロだ。

 ただ、満足だし、後悔はなにもなく、いつも清々しい。

 人間の男の人生って~のは、5~60年が関の山、激しく生き続けてくると、それ以上は身体が持たない。

 それで良いんだと想うよ。

 

 オストメイトになって腹筋から腸を出した状態で生きてるわけだけんども、この3年とちょっと、皮膚の傷みや消化不良やのトラブルはいつも普通に起きたりしてる。

 いちいちWOCに行かずとも、自分で細かな手当や食生活の改善やら、安静ではなくて身体を動かしたりで対応することが多いけんども、これはオストメイトでも健常者と変わらない日々を送っているという自覚からだ。

 手術して病の元凶を取り除き、そこからオストメイトになって生き始めて、それでも医者ばかりを頼りにしていてはダメだろうし、薬などにはなるだけ頼らずに自分の力で生きるべき、そう考えている。

 季節の変わり目でも、関係なしに動き回ってると、風邪のような症状には罹ってしまうこともある。

 周旋屋の仕事いがいでも、いろんな関わり合いで相談事を聞いては動き回ってる。

 ここんとこ、銀座で黄砂と公害物質の影響も受け、あんまり調子が良くなくて、風邪ももらって昨夜も動けなくなりそうな嫌な予感があったから、座ったまんまの姿勢でコタツで眠っていた。

 タクシーを呼んで救急で行かなければいけないか? そんな思いもあった。

 そろそろ酷使し続けてる60年で、身体が限界になってるんだろうし、ズタぼろになり果ててるのは解ってる。

 熱っぽくて節々が痛くなって、消化不良を起こしてるような、そんな感じが続いておって、それが酷くなったような感じだった。

 腸が破裂して腹膜炎を起こすときの感じに似ていた。

 死に損なって、身体障害者となり、社会に復帰した・・・これは俺がいつも広言してるセリフだ。

 ・・・こんなメンドウな身体になってまでして生き延びる意味はあるのか? 

 退院して5か月間、治らない酷い傷の治療といろんな後遺症状にやられて、右向きでしか眠れず、毎日激痛の中で行うめんどくさい傷の手当とパウチの交換、クタクタになって・・・もう終わって良い・・・毎晩そう想っていた。

 そうは言っても、悪く劣化してた部位は取り除いてあったから、簡単に終わりにすることも叶わない。

 治らない酷い傷は生き地獄そのものだったが、だからと自分で命を絶つ訳にはいかない。

 それから今まで休むこともなく、店に出ては仕事を続けている。

 扶養家族も多く、喰わせていかなければいけない者らも多い。

 生きるうえでの相談もあちこちから、多いまんまだ。

 こいつらの為には生きて居なければいけないし、生きて稼いでいなければいけない。

 ひとよりもはるかに多い親族の多くは、高齢化してきてるから、その医療への助言もしている。

 あちこちで入退院を繰り返している。

 まさしく、死ぬに死ねない状況になってる。

 これを笑わずにしてどうする?

 恰好ばかりの現世の欲得や見栄や自意識に翻弄されてる人たちのことは、だからよく見える。

 ・・・お前らは、てめ~ひとりのことも満足にできないのか?

 偉そうなことばかり抜かしておっても、ナニを怖れてるの?

 いつ死んで終わりにしても良い、そういう心持ちで生きてるオヤジには、怖いモノすらナニも無い。

 どれだけの内容の濃い人生を生きておっても、死んだらみな無になって、サヨウナラだ。

 ただのモノになって終わるだけ。

 メンドウ見ている連中には悪いが、どのみち勝手気ままな俺の生涯、そう思ってくれて結構毛だらけ。

 

 せっかく生まれて来たのに、もっと愉しんで生きなくてどうする?

 濃厚で、濃密で、そんな生を生きる、ガキの頃にはすでに考えておったことだな。

 

 捨て果てて、身はなきものと想えども、花のふる日は、浮かれこそすれ・・・この想いも、甘ったれ。

 とうとうさ、西行法師も、松尾芭蕉も、越えてしまったかのような想いにもなる。

 そんなのは、まだまだヒヨッコの感傷、戯言よ。

 

 今週末も、天気と体調が良ければ、ノロノロ山にさ、行ってくるべよ。


ゴーンと鳴っても、聞こえない?

2019-03-26 11:54:16 |  報道の嘘

 

 [25日 ロイター] - 日産自動車(7201.T)の西川広人社長兼最高経営責任者(CEO)が、元会長のカルロス・ゴーン被告に対する退職後の報酬支払いに関する文書にサインしていたと、英紙フィナンシャル・タイムズが報じた。

報道によると、西川社長が承認した2012年作成の同文書には、「名誉会長」の肩書でゴーン被告と10年間の契約を結ぶことが記されているほか、リオデジャネイロやパリ、レバノンの日産施設をゴーン被告が引き続き使用できるとされている。

 

 昨深夜に流れてたニュースだが、日本では・・・流れないんだろうな~、新聞・テレビにネットのお笑い劇場。

 いつも適当なニュースばかり、根拠も怪しいニュースばかり流してるくせに、この足並みの揃いは? 運動会?

 敵対して、言い争って、悪口ばかり言い合ってる大人たちも、こういう話になると仲良しコヨシ、ソンタクそんたく、もともとメクラマシのお友達。

 どいつもこいつも、安っぽい腐りタコばかりよの~。

 桜の季節に、サクラだらけ、善良なる庶民の皆さま方は、アルコールで有頂天。

 

 日銀が金融緩和しか出来ず、株式の買い支えしか出来ず、インフレなど夢のまた夢、もう10年も阿呆な市場だと言い続けているけんども、日々の上下動だけで生きてる投資家ではないから、その間に数々の山に登って歩いているし、海でもたくさん泳いで来た。

 単に阿呆くさくて付き合いきれないと言ってるだけさ。

 いよいよ緩和しかなくなって、引き締めることなど考えなくなってるが、俺は今週末は何処の山に出掛けてくるか? と、愉しいことこの上ない。


雪山より、都会の方がおっかない

2019-03-25 13:16:31 | オストメイト

 

 銀座の店から神田までなら歩いて40分くらいだからよく歩くけんども、土曜は雨が降りそうだったから自転車でとっとこ仕事に向かったら、京橋から日本橋渡る頃には怒鳴ってばかり、喧しい爺ィになっておった。

 平坦な道でも真っすぐに歩けない日本人、ふらふらユラユラ、携帯眺めながら急に止まったり、いきなり後ろも見ずに曲がったり、自転車で追い越そうとすると必ず邪魔な進路に入ってきて、俺に怒鳴られてギョッとしてる。

 運動神経以前の話、注意不足、緊張感無し、自分の世界だけで生きて居る、間抜けな国民ばかりになってる。

 こちとら現役の山馬鹿だから、いまだに自転車だけでなく自動二輪にも乗ってるから、研ぎ澄まされたバランス感覚で・・・と思っておったら、細いヒモで囲ってあった空き地を横切ろうとして、ヒモが見えずに自転車ごと突っ込んでしまい、エライ目に遭った。

 視力は衰えてる。

 土産にもらった桜餅と煎餅が自転車のカゴから吹っ飛んで、仕方ないから食べながら戻ったもんさ。

 古い顧客の皆さまや、同業自営の諸先輩連中が、皆さまどうしようもない爺ィや婆ァになられておるから、どこに行っても・・・貰いモノだけど一つどうぞ!! ということで、多いときには詰め合わせが一つ出来上がる。

 いただいても、腹の足しにするくらいで、はっきり言ってどうということもない。

 もう人間社会の感動が失せてしまってるのかも知れないと、鼻をかみながら今朝もはよから独り思案。

 

 ・・・雪山は遭難しそうだから歩かない・・・

 ・・・都会で起こる交通事故の確率の方が高いんじゃ~ないの?

 ・・・海はサメがいて怖いから泳がない・・・

 ・・・携帯の情報を盗まれて暮らしてるほうがよほど怖いんじゃ~ないの?

 オジサンは、雪山を歩いてるほうが安心だし、海で遠泳してるほうが幸せだな。

 

 ベトナム戦争を他人事のように語っている若者がおって・・・お前さんらはな、いまでもこの日本のあちこちの国有地の森林に、ベトナム戦争で使い残った枯れ葉剤が埋められたまんまになってることを知ってるのか? 

 偉そうな大企業グループが作って居った訳だが?

 戦後の公害訴訟を知っておるのか? 俺のガキの頃には奇形児や早死にしていった赤ん坊や子供は多かった。

 その原因となった企業も、いまや大企業となって国民を使い捨ての奴隷にして、ナニゴトも無かったかのように笑って威張って居るわけだ。

 そのグループ企業は・・・福利厚生がとても良いのよ!! と、就職先として大人気なんだそうな。

 阿呆や間抜けはすでに魂から売り払ってしまってるから、どうでも良い話なんだそうな。

 そんな連中が仕事で・・・論理的矛盾があります! ・・・と言われてもね~・・・オジサン困っちゃうよ。

 

 コンビニで売ってる価値観を買ってきて、それで偉そうに自分の意見だと言われてもね~、セブンかファミマかローソンの違いだけで、なんの感慨も湧いては来ない。

 もっとオモシロイ、愉しい意見は無いのか??

 


高齢者・障害者のセックスと自慰

2019-03-23 11:51:30 | 身体障害者

 

 カタクリは、この時期には山のあちこちで見かける。

 

 登山なんてものは、その行程の9割以上が眺望も無い、薄暗く陰気で苔むした森を歩くことが多い。

 なにが楽しいのかと言われれば、別にそれ自体はなにも楽しくない・・・そうとしか答えられないわけで、それでも生きて居るということを確認するために歩いてるようなもんだ。

 自分の足で、ヘロヘロになりながら、自分のリズムで、汗だくになって、地球のアクシデントで遊び、ただひたすらに景色を眺めて歩くのが好きなだけ。

 いつも必ず新鮮なアクシデントと出会う。

 ・・・なんかオモシロイことないかな~・・・だから飽きずに歩いてる。

 すくなくとも、もうナニをしても見ても不感症になってる退屈な人間の社会にはない、オモシロイことがある。

 そうして他人よりも体力・精力が段違いに強すぎる身体があるからこそ、街中に長く居れば乱暴・狼藉を働きそうで、だから山や海で消耗させている・・・これは、まわりのガラの悪く古い周旋屋はみな激しく頷いて笑ってる。

 だから周旋屋には昔から山馬鹿は多い。

 持て余す体力と精力を、山で消耗させているという意味もある。

 昔の修験者や山伏なんてのは、だいたいがそんな大悪が社会には居れなくなってやっておった。

 銀座の街なんて、青山の町なんて、この歳まで生きて居るとナニも真新しい楽しいことはない。

 飽きてしまってるが、そこにやってくる人間がいるから商売にして生きている。

 反社会勢力だろうが、刑事・警察官だろうが、俺から見れば山にいる熊公と鹿の違いにしか見えてない。

 

 高齢者のセックスや自慰、こういう話はいまだにメディアでは語られない。

 悠々と説教たれてる高僧や尼さんや神父が、老いてひとりで自慰をしている話は醜い話なのか? 

 何故だろうか? 孫がいるお爺さんがオナニーをしてはいけないのか? 孫の前で毅然としているお婆さんが股座を濡らしてはいけないのか? 皺皺のそんな話は汚らしいのか? 俺はガキの頃からませたガキだったから、爺さんや婆さんだってセックスやオナニーをしていることを知っていた。

 ところがあれから半世紀以上も経ってるのに、そんな話は書かれないし、語られないし、メディアでも緘口令が敷かれてるかのごとくに、報じられない。

 俺は障害者となっても、相変わらず絶倫のまんまで、いまでは山も登れば、海でも遠泳するように戻った。

 そうしてこの身体障害者のセックスや自慰、これもまたタブー視するかのごとく風潮があることが不思議でならないまんま、今日に至っている。

 日常の会話で俺がいつもそんなことを平然と喋ってると、変な爺様、変な障害者、そういう反応が多い。

 人間が生きるうえで、これはとても大事な話なんだが、みな口を閉ざして見ないフリをする。

 だから余計に俺はみなに喋ってやってる。

 爺や婆でもセックスしたくなるし、障害者だって性器を弄って愛し合いたい、これは健康的な普通のことだ、と。

 昔から、世の中社会の50年先を生きてるような、そんな想いが強いから、別にナニも期待はしてないが、言うことは言っておかなければと、相変わらずあちこちで言い放ってやってる。

 俺は健常な頃からあちこちに女を作って、みな子供も育てあげて来たオヤジだからまだ良いとして、晩熟で内気で自信を失ってる障害者は多いだろうし、若い人たちには解決しない苦痛でもあるだろう。

 そういう人たちのために、そんなサービスを公的に考えてやっても良いのではないか? よく言ってる。

 この国は遅れている。

 北欧の国ではそんな公共のサービスもすでにある。

 人間が歪み果てるのは、隠したり、黙殺したり、見て見ないふりを続けるからであって、堂々と、健康な話は子供の前でもする、俺はそうやって子供らと接してきてもいる。

 現代社会の道徳や倫理観なんてものは、変態が自らマゾになって、隠れてムズムズして、こっそり楽しむことを強要してるだけの大奥のハリガタみたいな意味しかなくなってる。

 あと何年かかるのかね~?

 50年後も、この国の幼稚なオツムの大人社会では、子供はコウノトリが運んで来てるのかね~?

 

 とうとう昨夜のアメリカの市場では、長短金利差がマイナス圏に沈んだ。

 景気は下へ、確定ランプが点いたとも言えるが、トランプはどう対応するんだろうかね?

 日本の国内で幼稚なエリートもどき等がお砂場遊び続けてたって、世界の潮流にはなすすべもないだろうよ。


いつまで昭和のお笑い三文芝居?

2019-03-22 11:21:51 | 地球と生きる

 

 雪割草という花が、ある。

 

 京橋公園の桜が花開いている。

 むかしは此処に住んでおったホームレスの浜さんが、毎晩散った花弁と狂い飲んで汚したゴミを拾っておった。

 日本人のオツムはどんどん劣化して行ってる。

 中央区もあちこちで卒業式の季節になってる。

 深川の中学校でサッカー部の副キャプやって生徒会長もやってた息子のひとりが、むかし卒業式に感動の挨拶をして大人たちを泣かせておったことがあったが、猿の行事、俺はそう想って笑って聞いて居った。

 ・・・善良なる庶民の皆さま!! いつまで昭和のお笑い三文芝居をやってんだ??

 その腹違いの息子がミニバスのキャプテンをやっておって、中央区の選抜メンバーにもなって天狗になっておったが、今日は卒業式だと言う。

 ・・・出ないの?

 ・・・借りて来た猫みたいな親や爺婆と一緒に、そんなお笑い劇場には出たくないね

 いまや滑稽なショータイム、なんで涙が出るの? 泣いてるの? 阿呆じゃね? 泣くのは自分に酔うということだが、なんで親や爺婆が主役でもないのに泣いてるの? そういうことだ。

 心動くことはなにもなく、人様に迷惑かけずにやっと中学か・・・自分のオツムで考えて、しっかりやれや、だ。

 銀座の中学の入学式には出てみようかとも想ってる。

 どんだけ阿呆な大人が集まってるのかを、観劇に行くようなもんだ。

 現状認識は自分でやる。

 昭和は終わり、平成も終わる、世界も大きな転換期にさしかかってる。

 日本人はさ、オツムがパッパラパ~になり果てて居る。

 花見の季節だと言えば、阿呆みたいに桜の木の下で大騒ぎ。

 桜の名所は、もともと人が死んだり殺された場所に多い。

 人間の生き血を吸って育つ木だと、俺は想ってるがな。

 

 イチローが引退するという。

 アメリカでは、野球の人気はアメフトやバスケットのずっと下だから、日本で引退した訳だが、日本での報道は相変わらずの恥ずかしい日本人凄いの連呼だな。

 その神輿に載ってるイチローも興ざめだな。

 一芸に秀でた者は、その世界ではスターだろうが、一般社会では素人同然、別に偉くもなんともない。

 なんでも自分で出来て、解決できて、他の力を借りずに生きて、初めて大人と言う。

 それが出来ないスターは、政治や経済に利用されるだけの猿だ。

 いつも与党に利用され、勲章貰って猿踊り。

 引退してもそこにしがみついてる猿は、仰山おるがな。

 頑張って生きてるのは、ナニもスターだけじゃない。

 地球上に生きる生きモノはみな、いつも頑張ってるんだよ。

 他人の前で偉そうに喋る奴らって、よほどの阿呆か、よほどのナルシストなだけ。

 記録や数字やゼニカネの金額でさ、人間の価値は計れやしね~んだよ。

 

 訳あって生活保護を受けるようになって、住む場所がなかなか探せずに困っていたオヤジが、なんとか会社を立ち上げて、おなじようなオヤジ連中を集めてビル・マンションの清掃会社を作ったと、笑顔でやって来てた。

 昨日はその社員たちの寮を借りる話だった。

 そこにとどまることなく、とにかく前に歩くこと、それを生きることだと言えば、いい塩梅だろうか。

 成果や結果なんてものは一時の話で喜びも一時のモノ、それを続けることに意味がある。

 

 先日ストーカー被害に遭ってて、すぐに犯人逮捕までいって、引っ越しまでしてやったお姉ちゃんから電話があって、やっと新しい仕事にも生活にも慣れて落ち着いたからお礼に伺いたいと・・・。

 いまは2件の離婚相談で動いておって、なかなかに忙しいから、元気ならそれが一番だと笑ったもんだ。

 俺の本業は周旋屋だけんども、こうやって自腹を切っていつも動いている。

 利益どころかいつも赤字、その分も本業で稼がなければいけないし、稼がなければ多くの扶養家族から石礫が飛んでくる訳で、神や仏がいるという連中に聞いてみたいが、ここまで他人や社会のためにといつも生きておるのに、なんで次から次へとそんな話が集まってくるのか?

 だからいつも想っているんだ。

 ・・・そうだ、俺が神だからだ・・・と。