オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

進行癌でバタバタと死にゆく時代

2024-07-31 11:07:27 | 太陽系と地球の活動期

 

 

 30年も前から、間抜けな地球の温暖化騒動には首を傾げている。

 本当に地球が温暖化の道筋にあるのなら、敏感な山の獣たちは標高の高い場所へと活動域を上げていっている筈だからだ。

 増してや地球の温暖化を叫んで居る連中こそ、平地の海辺・川辺から離れようともしないのはおかしいだろう? という単純な理由からだ。

 縄文の時代の遺跡痕は標高1000mくらいの場所にたくさんあるが、現代では人も寄り付かない高い場所が多い。

 インカにしてもそうだが、みな標高の高い場所にいた時代はまだ暑かったのは解る。

 いまは寒冷化途上の反発期だとか、地磁気逆転期が近づくことによる異常気象な訳だが、それも地球や宇宙の時間軸にとってはなんでもない普通のこと。

 資本主義社会では無駄なことをたくさん積み上げては壊してを繰り返し、そこで金儲け経済を回転させてゆく。

 そんな人類の目先だけの身勝手な欲望や自己満足なんざ、地球や宇宙のクシャミひとつで吹っ飛んでしまう。

 こんな茶番劇にも世界人類が必死に染まっているのは、見たくもない愚かで哀しい現実だった。

 どんなに立派な地位の人でも、肩書きのある人でも、会話の中でそんな茶番劇が真面目な話として出て来ると、一瞬で興醒めして笑いが止まらなくなる。

 もはや一緒には生きられない社会、俺は俺の生を満喫してやろうと自営を始めたのは、30歳の半ばになった頃だった。

 だからコロナ騒動もワクチン騒動も、蚊帳の外から呆れて見ていた。

 

 ガキの頃から衆から離れた場所で生きて居ると、こういう人間は組織やカテゴリーの中では邪魔で不都合な人間という扱いになる。

 義務教育も満足に受けず、好きなように自由自在に生きて来て、国家が一律洗脳する勉強や学習というものに背を向けて、社会に出てもメディアには屁をこいているだけで、その都度の経験だけで学んで生きて来た。

 いわゆる基礎などナニもないところで、応用ばかりで作り上げた半世紀以上だから、生きてる価値観は異様だろうし、理解されることもないだろうが、これがガキの時分からの望みではあったから、後悔などもナニも無い。

 愉快なもんだ。

 

 人間が誰も辿りつかない場所に挑戦させたり、未知の領分に挑ませたり、競わせて新しい記録を作ることに夢中にさせるのは、人々の好奇心をくすぐり視聴率を上げて、目立ちたいスポンサーから利益を奪いたいメディアの、主目的ではある。

 それを日常に生きることの現場でやらせる訳には行かないのは、支配・管理する社会や国家の統治に不都合なことが起こるからさ。

 常にゲームを作りルールを作るのは、当たり前だが支配・統治する側。

 あくまでも人造・人工の競い合いばかりをさせているのは、単なるガス抜きとメクラマシであって、人間の社会では真新しいものではなくなってる。

 一芸馬鹿な猿芝居の演者ばかりが持て囃されるのも、シナリオ通りに単細胞に動く駒として使い勝手が良いからの話。

 そんな猿の衆ばかりがメディアに溢れてくると、新鮮味も刺激も無くなって、人々は現実の生で表現し続けている者に興味を持つようになる。

 自意識過剰な自惚れを手にする為だけに一芸を磨くのは猿芝居の一芸人でしかない。

 統治に花を添える社会悪と言い換えても良い。

 メディアには関わらない、メディアが取り上げられない、メディアからのゼニカネや勲章や名誉には興味を持たない者が増えて来るとどうなるのか?

 俺は独りで若い時分からその生態実験をやって来た。

 途中、肉体にも障害を負ったことで、そっちも生体実験をやり始めてる。

 政治や経済なんざ勉強などしたこともなく、それで30歳半ばに悠々と自営を始めた訳だが、現場の経験だけを積み上げた武器しか持ってなかった。

 ただし、それは並の経験ではなかったからこそ、マニュアルに従順に生きて居る社会では十分に通用するものだった。

 世の中を舐めていると若い頃から言われているが、その通りに舐め切って生きて来て、別になんの支障もなかった。

 努力だとか苦労だとかは、本人の感覚でしかなく、それをも笑い飛ばして生きて居る者には、別段に感傷に浸って語るほどの新鮮なものでもない。

 

 気の触れた身内同士で、近親相姦のように固まって生きて来たのが島国の日本の姿だったが、旧習や伝統やナニやらだとほざいて頑なに守って来たモノが根拠を失っている。

 宗教や価値観の違う外国人たちがどんどん日本にやって来ている。

 俺の場合は、昔風で言えば本家の長男だ。

 父親が兄弟姉妹6人の長男、母親が兄弟姉妹5人の長女、親戚や身内や従妹という人数は阿呆みたいに多くって、ガキの時分から面倒で胡散臭いもんだと呆れて眺めて居った。

 集まりと言えば常に何十人も集まっての退屈なショータイム、本家の長男が自腹を切っていた。

 先々代先代と資力・財産が増えていった家ならばともかくも、食い潰していただけの家ではそりゃ~消費者としては褒められても、家長としては哀れな見栄張りだけの末路しかなかったろう。

 爺様3兄弟はいまの京都大学、東京大学、東京芸大を出てるエリートばかりで、これにも可愛がってもらったが胡散臭くて堪らなかったし、その子や孫らはもっと胡散臭かった。

 3年前に2世帯同居仕様の古い実家を片付けて、処分して売却し、その幾らにもならなかった田舎の家を売った代金で、90歳と85歳の両親を銀座から歩ける距離に転居させ、毎日のように面倒を見ることにした。

 10年以上も前には実家の公庫の残債を肩代わりしてやって、チャラにしてやったが、自家用車も買い替えてやっていた。

 千万円単位の無駄と言えば無駄な出費だったが、ナニにも拠らない自営で儲けた金があったから回してやり、それでも言うことを聞かせるまでには10年の歳月が必要だった。

 家の旧習で蓄えを使い果たした間抜けな見栄張り人生にピリオドを打たし、日々の生活設計も建て直し、都会ならではの最先端の医療やらナニやら困ることなく暮らせる日常を作り上げてやったが、認知の酷かった爺様は正気に戻り93歳で眠るように大往生し、今は90歳になる婆様の面倒を見続けている。

 墓は墓地ではなく、山の上の平坦地に大きな石碑があり、そのまわりに代々の墓が十何代も前から朽ちて集まっており、いわゆる墓仕舞いなんて出来る訳もない場所にある。

 とうぜんに古いモノはみな土葬だ。

 そこに出掛けて行ってキレイに草刈りや掃除をして、宗教染みた無駄なことはせずに、これより俺の代から都会の大寺院の合同墓に移動するから、亡霊となって彷徨っているものがおるならば俺について来い! と弔い、言うことを聞かぬ者がおるならば俺が成敗する! とばかりに石碑を睨みつけて、手を合わせて儀式を終えて来た。

 その猿芝居を写真に残して、まだ生きて居った爺様に見せてやり、俺の代から大きな転換を為すと、大笑いして伝えてやったもんだった。

 偶然にも、その家の石碑の写真には鮮やかな紫の光が立ち上がっておったから、これは縁起の良いモノだと笑って伝え、そんなものには興味もない俺だが爺様は喜んでおった。

 いらい爺様の認知は、憑き物が落ちたように治ってしまった。

 ・・・あんたにはナニからナニまですまんのう! これでエエんじゃ!

 嫌な想いや、嫌な価値観や、嫌なモノはすべて俺が背負った! と笑って言い放った。

 誰かが、先祖の祟りだとか、先祖の怒りだとか、先祖の恨みつらみだとか言うのなら、俺の目の前でそれを言うてみやがれ!! と笑っておって、その呪いを熨斗をつけてご返却するようにしているから、可哀相なことは続いて苦しみは終らないだろう。

 しょせんは小物らがテメ~の自堕落な我欲に振り回されてほざいている戯言よ。

 だいたいが親や家のゼニカネ・財産を目当てにしてるだけのキレイゴト猿の衆だ。

 親や家のことを、ナニにも拠らずに自営で稼いだ金だけで独りで建て直して、自由な状態にしてやった俺なんかから見れば、ヒヨッコでしかない。

 当然、メディアの世話になって、挙句に奴隷となって稼いだ訳でもない。

 同時期に古女房が下らないワクチンを2回ほど仕事がら接種してしまい、いきなりステージ4の進行癌になったが、それをも乗り越えて根治させ、今も悠々と笑っている。

 不謹慎極まりない、乱暴狼藉、バチあたり、きっと悪い災難が続くだろうと旧習で生きて居る猿らはほざいているんだろうが、残念だったな。

 いまでも毎週のように高い人のいない険しい山ばかりに登り続け、夏は海で泳ぎ続けているが、なんの祟りもバチも当たらんで~と、大笑いして愉しく生きて居る。

 俺にとっては当たり前のことだが、日本人の多くは理解できないんだろうよ。

 神や仏は自分の中にしか居らん。

 ならば神や仏になるように自分の生を生きるだけ。

 人工のモノはすべて疑ってかかり、地球や宇宙のことを常識と呼ぶ。

 なんでも自分自身で独りの行動でズンズン示してやらねば、神頼みに先祖礼拝な弱っち~社会や時代は変わらないということさ。

 それを1億人でやってのければ国家も変わるだろうが、周囲を見回せば無理だろうな。

 その代わりにそのことで起きるすべての全責任は、独りで負う。

 笑ってはいるが、今では俺の性根は夜叉や仁王よりもおっかないだろう。

 また、近々に先祖の墓の場所に出掛けて掃除をしてやり、俺についてこなかった弱虫どもを背負ってくるわいな。

 それがまだ生き残っている古い旧習に染められた婆様の気持ちの整理になる訳さ。

 メンドクサイ猿芝居だが、古い人間の頑なな想いは、そうでもしなければ納得しないものさ。

 チンケなあの世や先祖の霊に怯えて、現世を歪み切って生きて居る大人社会など屁をこいてゲップしてハイ! サヨウナラだ。

 

 身内で不幸があり、イロイロと関わり合いがあった人だったから、明日の通夜には出席することにした。

 冠婚葬祭には極力参加しないようにしているが、今回は順番の違う残念な死だったから、線香は差し上げて来る。

 コロナワクチン4回接種、自覚症状が出て診察に出掛けたら末期癌だったそうな。

 ナニも言うことはないが、免疫異常のターボ癌、多いな~。

 

 日銀がアメリカの指示で先に利上げしたとは言っても0.25%の話。

 150円を割る円高ってまだまだ円安だし、円高になるのは来年以降だろう。

 ガタガタ騒ぐわりに、洗脳報道の中身はミミッチ〜水溜りのアメンボだな。

 ニューヨークでは金(ゴールド)は最高値を更新したが、短期の金(ゴールド)はまだまだ暑い夏季休暇中だから、値の軽さに一喜一憂しないこと。

 動くだけ、水分の無駄遣いだ。

 

 


楢山節考の解釈が、現代の介護?

2024-07-29 11:47:57 | 地球と生きる

 

 

 暑い夏を、今年も太平洋で泳ぎまくっている。

 山用の身体がようやくに海用の身体に変わってきて、動きがよくなった。

 関節や筋肉の動きが登山とは真逆になるようなことだから、慣れるまで2~3回は痛い目に遭うのが毎年の恒例だ。

 相変わらずに波打ち際で水遊びばかりやっている日本人は、クラゲがいるだとか、ワカメには触るなだとか、離岸流には気をつけろだとか、幼稚なメディア奴隷のお祭り騒ぎをやっている。

 知識だけは一丁前だが、その使い道は自己拘束だけで、阿呆でしかない。

 山にも出掛けて、高山植物を愛でて、汗だくになった後に海へと直行して飛び込んで泳いで冷やすとか、まだまだ可能な体力がある。

 この週末は雲も出ていたが、泳ぐ海は風がなく、波もたいしたことはなく、浜に上がっていると汗だくになるのでほとんど海の上で過ごして居た。

 夏休みの大渋滞もあちこちで発生していたが、俺は行きも帰りもスイスイ、長年の経験がモノを言う。

 源泉に浸かるのはお休みになっているが、帰りは漁師の店やらに立ち寄って、地産の魚で腹いっぱいにして戻った。

 途中、連れ出したりして関わってる88歳の独り暮らしの婆様の燐家の親戚のオバサンが、5月末に緊急入院して手遅れの乳癌が発見され、早朝に亡くなったという知らせが入っておった。

 独り暮らしの婆様の日常の買いモノやらを助けてもらっていた人だったから驚いた。

 癌だとは聞いてなかったが、酷い状態だったようだ。

 キチンと何度もワクチンを接種していた真面目な人だった・・・。

 俺は癌研の有明でオストメイトになり、古女房もおなじ主治医で大腸癌ステージ4から根治まで辿り着いたが、彼女は築地の国立ガンセンターにいたらしいから、残念なことだ。

 俺と古女房の主治医はすでに他の癌専門の公立病院に現場のトップで転院してしまっている。

 コロナ渦では、腕の良い外科医もイロイロとやり難くなって、皆さんご自分の仕事がやり易い職場へと転院しておられる。

 すべてが金儲けになっている時代は、食い扶持作りでは汚れた金には関わらない、大人のプライドではある。

 

 パリのオリンピックは地上波では見れないと高齢者たちが言っているから、それぞれのテレビにTVerを入れてやって、見方を教えてやってる。

 開会式の時間帯は爆睡の只中だったが、あとで何気に見ていたら各国の選手やらがマチマチの船に乗って手を振っていたが・・・難民船がやってきたのか?・・・だった。

 ゲイのマクロンらしく、訳のわからない胡散臭い安い仕掛けばかりだったが、そういえば世界支配者会議のダボス会議はどうなったんだろう? と笑って見て居った。

 キリスト教の内部も、いよいよ壊れ始めていることがわかる。

 パリオリンピックの開会式では、西洋の文化や宗教やすべての旧習が、破壊され始めていると見えた。

 オリンピックは奴隷の社会を規則やルールで雁字搦めにして、そこで競わす競技だ。

 言うことを聞かない者らは参加させず、残酷な大量殺戮で消してしまう。

 一芸馬鹿の頂点を目指すものらは、優秀な奴隷の部屋頭にはちょうど良い。

 それらを各国の政治や経済や司法や芸能・スポーツの責任者に据えておけば、あとは世界支配なんて朝飯前。

 人気者のスターや英雄が言うことを聞く話なら、ファンや支持者は金魚の糞。

 人類の世界なんて、昔からそんなことだ。

 オリンピックは、洗脳教育を施した奴隷を養豚場の中に集めて、ルールと罰則で拘束・拘置して必死に競わせて、生かさず殺さずの酷い日常を強いている中で、勝った者には生涯安泰のご褒美を与えて皆を感動させる猿芝居の演出の場だ。

 生涯安泰とは言っても、広告塔として利用するだけ利用される一芸馬鹿とし、奴隷部屋の部屋頭として安泰なだけ。

 その発祥から金持ち支配者側が主催する奴隷のガス抜きの場だから、飴と鞭の飴の役割しかない。

 世界支配と管理の一環で、奴隷労働者たちの慰安会なのが主な目的だ。

 退屈な話題だが、皆さんは夢中になって一緒に大騒ぎをしているんだとさ。

 

 旧統一教会の勢力はこの国の三権の中枢にも入り込んでおって、メディアなんぞは溜まり場のようになっているが、皆さんにはナニも見えてはいない。

 参政党が出て来た時も想ったが、今回の石丸なんとかも同じで、旧統一教会だろう。

 反ワクチンだとか、地球温暖化説反対だとか、反主流派・反体制派を取り込んで丸めこんで、いかにも戦っている風には見せてはいるがバックはナニも変わらない。

 こういう安っぽい詐欺でも、浅はかにも乗っかって行く連中はいつも多い。

 まさにオレオレ詐欺と構図はおなじで、メディア奴隷の典型的な動きではある。

 俺はワクチンはうったことなどないが怪しいモノを体内に入れる気がしないというだけで反ワクチンのグループなんかではなく、地球温暖化の嘘を何十年も言っているが、これも山を歩いて標高の高い場所に獣たちは移動していないという現場の感想から言っているだけだから、メディアで争っている風な両者とも、俺にはナンの興味も湧かない痴話。

 群れてナンかをしようということでは無いから、馬鹿馬鹿しくって相手にもしない。

 少なくとも、メディアで争っている話は、オリンピックとおなじで猿芝居でしかない。

 みなスポンサー・資本の出所はおなじ、お仲間うちの争いだ。

 そうしてその両方から儲けさせてもらうのが、俺の周旋屋稼業だ。

 

 楢山節考の姥捨てと、高齢者たちを施設に放り込む現代社会を並べ立てて、おなじことだと解説する学者や論評がある。

 その思考が起きている時点で、すでに違う根拠の摩り替えがあるが、幼児教育から洗脳された共通の無常感は一律反応して、呆然と仕方が無いのだと納得させる流れになっている。

 貧しい社会では若い者たちの限られた食い物を奪うだけの高齢者たちは、自ら進んで死を選ぶのが自然なことだと言う。

 老いても健康な歯を持っていることは、すなわち卑しく反社会な恥ずかしいことだと思わせる習慣は貧しい飼育場では良識になる。

 資本主義社会の論理の摩り替えがある。

 高齢者たちにアチコチで関わって生きていると、思うように動かなくなる肉体に自ら苛立ち、終わりを感じた高齢者たちはワザと無茶をしたり、進んで飲み食いを制御して、衰えを一気に加速させている最終章に接することばかりになる。

 自然に自分らしく自由に生きれなくなった高齢者は、飲み食いを断って生き仏を目指す。

 これが本当だろう。

 マニュアル通りに、言われるがまんま、貴方任せでロボットのように動いている連中はモノの本質などナニも考えない猿の衆だから、疑問すら抱かない。

 日常にずっと会話をしながら色んな高齢者たちの終末に深く接していると痛感することは、貴方任せの金儲けな施設に放り込むよりも、手がかかっても傍にいてやり、自分のペースで生き仏になれるように見守ってやることが、すなわち介護の本質だろう。

 見守ってくれる者がいなければ野垂れ死にでも良い訳だ。

 それが哀れで惨めなものだと思わせる洗脳こそ、恥ずかしい。

 無理に医療や薬を使い、老朽化して糞オモシロクもない不自由な身体で延命だけを図るのは、ただのキレイゴトでしかない。

 逆に死ぬ権利をほざくならば、自ら飲み食いを断てば叶う話でもある。

 ところが資本主義社会ではまったく違う解釈になる。

 自発的ではないただ与えられた仕事の対価として、決められた収入しか手に入らないサラリーマンや公務員の日常はその全てを飼育管理されている。

 そこにはナンの疑問や不信感も起こらないようにと国民義務教育は仕上がっている。

 人間のルーズな我欲の弱点を見事に突いている。

 資本主義社会では、収入の中で消費をするしかないという簡単な法則が個性よりも優先され、反感や違和感を持つ者には借金や負債を負わせることで拘束と口封じをする。

 奴隷たちには希望と夢を見させてもっと単純労働に勤しむようにと、用意した競争に勝ち抜けば飼育場の中では富と名声が手に入ると教える。

 実際に一芸馬鹿な広告塔のスターや英雄をメディアを使ってアチコチに作り上げ、飼育場の希望や夢だと信じこませる。

 働いても働いても貧しくギリギリなのは最初からそうなるように仕組まれているからだ。

 それを資本主義と言う。

 若い者たちの未来の為には仕方がないのだと、親や爺婆を施設に放り込ませ貴方任せな放置を選ぶように誘導する。

 そこでも死にたい高齢者たちは無理やり生かされる金儲けの餌になっている。

 俺がいまでもアチコチで高齢者たちを施設には入れずに日常に見守ってやりながら老いに付き合ってやっているのは、自分自身で終わりに向かって整理をしてゆき、最期も自分で決めなさいという意味がある。

 高齢者の本心といつも深く接していると、ボロボロガタガタになった肉体には苛立ちと諦めしかなくっておって、もはや成長や維持すら望めないと知れば、それを寿命と心得てゆくのが自然なことだと解る。

 だから在宅医療の医者には無意味な延命措置は要らないと伝えてある。

 そこには甘ったれた感傷や感情は微塵もない。

 それが獣としての自然な姿だからだ。

 笑って、ご苦労さんで良い。

 

 俺自身は、すでに自分の終わり方を決めてある。

 


とっとと裸になって海で泳ぎたい

2024-07-26 10:33:47 | 銀座の周旋屋

 

 

 猛暑の中を出歩いて、キンキンに冷えている室内に入り、また猛暑の中に出て行く繰り返しが、そんな仕事をやっているとは言うがなかなかにキツイ。

 この日曜日に海で泳いで焼けた背中から肩が、アロハシャツの生地に擦れて痛い。

 俺のまわりの親しい連中は、みなこの猛暑の中でもハード・ワークを続けて居る。

 毎日ハードな動きをしている身では深夜にはクタクタになってすぐに爆睡するのは昔からだが、だんだんに体力の衰えを感じることが多くなり、この日曜日に海で泳いだ筋肉の疲れがまだ残っているのには哀しい気分。

 夜は買い替えたマッサージ機に横になって爆睡するのが日課になっている。

 小さな契約ごとが続いておって、子供たちや高齢者たちのトラブルや相談ごとも相変わらずに多く、関わっている以上は知らん顔も出来ず・・・めんどくせ~めんどくせ~・・・とほざきながらも動き回ってる。

 仕事が忙しくて疲れ果てた・・・だけで、その癖に夜はお洒落に晩酌をやってるような馬や鹿とは違って、起きている時はいつも誰かのナニかを考えている。

 余計なお世話に明け暮れている暇な連中のように、ギャ~ギャ~騒動を大きくして面白可笑しく撹拌するのではないから、だからやっぱりめんどくせ~。

 即断で答えが出せない癖に、ア~だコ~だ言い合っている猿の衆とは違うんだぜ。

 また考えましょう!では、めんどくせ~時間の無駄、常にその場で答えを出す。

 方向は即座に決め、行動は柔軟にゆっくり臨機応変でなのが俺だが、この島国の社会では方向も決めずに行動ものんびり、これじゃ~明日もめんどくさいことは残ってる。

 

 管理しているビルやマンションで、貸主・オーナー側の高齢化によって、つまらないミスやトラブルが多発するようになっている。

 物忘れや思い込み、勘違いに余計なお世話、俺の仕事もいちいち増えて行っている。

 暑さだけではなく、顧客の高齢化は思わぬトラブルの元ともなるから、そういうことも日常に想定しておかなければ周旋屋の仕事はおっかないことばかりになる。

 80歳台前半から70歳台の高齢者ほど、そんなことは起きている。

 80歳台後半から上の高齢者たちの方が、まだしっかりしているケースが多い。

 育った社会状況や環境の違いで、そこで問題意識なく生きていた高齢者たちは、自分の地頭でモノゴトを考えることが出来ず、常にナニかに振り回されて生きて居る。

 ナニが起きてもすべてのことを即断即決、独断で答えて、笑っている大人がいなくなっているということだ。

 そんな奴らが素敵なお爺さんやお婆さんを演じている訳だから、おっかないわい。

 医療や薬への依存にしてもそうだが、この世代のボケや認知は社会問題にもなるだろう。

 仕事は出来ても旦那や女房を愛せない、社会で体裁は繕っても家では子供や孫を育てられない、他人のことには偉そうに口出しはするが自分の病気に動揺し錯乱し、学歴や知識では自意識過剰に自惚れてはいても、マニュアルに無いトラブルやアクシデントが起きるとネット検索を始めて右往左往、哀れな自信喪失を隠すことに懸命になってる。

 これは40代~50代でもおんなじようなもんだろう。

 

 モノの価値が、必要とする人にとっての価値と、必要とされる人との価値がかけ離れていってるような時代では、それが外国人との関わり合いではもっとかけ離れたモノとなっている。

 これこそ、何十年も前から俺が言っていた、人間の世界だけで起きる価値の大転換の始まりであり、これからこれは大きな動きになって来るだろう。

 驚くことでもなく、それで、エエんやで。

 

 あの世があって、死ねば霊魂は肉体を離れ、現世の生き地獄から逃れて、天国へと皆が行けるんだそうな。

 だから今は格差や差別や不条理には耐えて、無茶はせずに我慢して、余計な和を乱す言動は控えて忖度・オモテナシ、ひたすら見ざる聞かざる言わざるで過ごすのがもっともお利口な善だと叩き込む。

 奴隷管理・支配の為に、宗教は発祥している。

 薔薇色の幸せな日常を送れるのは、マルチ販売と同じでピラミッドの上の方にいる創始者と取り巻きだけだと最初から答えが出ている。

 そんなものにくっ付いてお熱をあげてマニュアルに染まっているお馬鹿連中は、究極のマゾではある。

 この現代社会でも、そんな自立出来ていない大人たちが大勢いるからこそ、オレオレ詐欺やらナニやら詐欺が勢いを増して暴れている。

 その癖みなさんは新型コロナでは怖れ慄いて、ワクチン接種詐欺で何度も肉体に訳の解らない液体を入れられて喜んでる。

 なんのお遊戯会かい?

 自分の命や自分のまわりにいる者の命すら自分で守ってやれずにナニかに依存して貴方任せ、これは地球に生きる獣の中でも最下等な生き物になっている証拠だ。

 そんな退化し果てた社会を玩具にして、お馬鹿な弱者を喰いモノにしている連中も、最下等には違いない。

 

 海に飛び込みたくなる欲求を抱えながら、真夏の猛暑に出掛けるわい。

 


どう生きるかを、しっかり考えろ

2024-07-24 11:57:13 | 地球と生きる

 

 

 対ドル150円半ばで、円全面高と報道するメディアには笑ってしまうがな、ナニを基準にしているのかどうか、充分円安だろう。

 視聴者にダラダラと繰り返し見せて聞かせておくだけで、それが普通になってゆく洗脳行動はコマーシャルの常態だが、景気の良い前向きな話しか出て来ない割に、気がつけば国民の日常はナニも上向きにはなってない。

 煽動している側だけが、いつも日替り定食のように喰われて人気になり、売れて儲かっているかのようだが、それもサイクルがあるからじきにブームが終わると負債だけになる。

 人間の社会は財産がいずれ負債になる繰り返しで循環していて、無知の欲求と経験の無常観の輪廻、肉体の加齢による老朽化ともおなじで、生命もまた金儲けに利用される日常の歯車となり、気がつけば取り戻せない時間の浪費と消費だけが積み上がって行ってる。

 40年も50年もそれで生きてしまうと、もはや諦めて流されるしかなくなってる。

 俺はガキの時分から、そんな大人社会には染まらないと反感を持って生きて来た獣だから、義務教育すら満足に受けないで毎年のように転校を繰り返して揉まれて生きて来た。

 今の素敵な社会では無意味だとか非合理だとか整合性がないとか、無駄や割り切れない方程式は罪悪だと叩きこまれ、AIロボットのように、あらかじめ用意された模範解答に向かって正確・単純に人間も生きることを煽動される。

 それが優秀な人材で、それが素晴らしい人間で、それが正義だとまで決めつける。

 管理しやすい飼育豚は、こうやって大量生産される。

 

 機械やロボットの誤作動・劣化は壊されて分解・修理・部品交換で対応できるが、人間の老朽化は除外と廃棄しかない。

 オストメイトは腹筋に穴を開けて腸を出し、メンテナンスフリーな身体を手に入れるようなもんだが、他の部位の加齢による肉体的な劣化は進む。

 俺は生きて来た道筋でもオリジナルな道を作り上げて来たが、肉体もまた実験的な日常を作り上げていて、すべてが生身のこの身体を使った試行錯誤と生体実験の繰り返しだ。

 生まれたその後に、どう生きるのか? は、個々の自由だ。

 管理・支配されやすい猿芝居の舞台に立たされる飼育猿として、幼い時分から幼児教育・義務教育・偏差値至上教育に社会教育と、洗脳・煽動は続いている。

 そんな中でもナニにも染まらずにグループにもならず、一匹で悠々と笑って生きて行ってやろうと、俺は66年を過ごして来ただけだが・・・愉快なもんだ。

 

 生活が楽になることばかりを求めすぎて来た現代人は、その代償としてマニュアル洗脳や大量生産と大量消費のただの駒として生かせられ、楽の究極が養豚場の豚となることだと信じ込まされて、AIロボットに管理される日常に幸せを見出そうとしている。

 医療や薬についても、個々の生体に対するオリジナルな医療や投薬ではなくって、マニュアル医療とマニュアル投薬で一律管理されて安心し果てている。

 間抜けの究極ではある。

 効率化や合理性を追求している人間が、実は一番に脳無しのあやふやな感情や感傷に染まり切ったまんま、行き詰まって行ってるのが現代社会の真の姿ではある。

 経済活動と人間の欲望にはホドホドにというブレーキが効かない為に、すでに余計なお世話とお節介な干渉が社会には混乱の元となって氾濫してしまってる。

 そんな戦後を生き抜いてきた俺は、自分の日常をナニも変えずに生きて来た。

 青山や銀座という賑やかな中心地にいて食い扶持作りは続けていても、山や海を愛してやまない想いを毎週のように爆発させて、日本の風土を歩き回って泳ぎ回って、それが十二分な満足だと笑ってる。

 俺が生きて居る幸せを震えるほどに胸に感じるのは、誰もいない険しい山の頂で絶景を見下ろしている時か、誰もいない海で大波に揉まれて泳いで空を眺めて居る時だ。

 それしかなくなってもう数十年が経つ。

 身体に障害を負って、それでもおなじ愉しみを味わえるようにと鍛え上げていた時、これが出来ないようならば此処で終わりにしてやろうと、笑って居た。

 ずいぶんとマニュアル医療には無い独自な工夫や小道具を作って独創的なオストメイトとなっているが、そのおかげで素敵な日常を障害者となっても取り戻してやった。

 医者や医療・医学なんざ補助的なものでしかなく、自分の身体にとって大事なのは自分自身で対応するという気構え心構えだ。

 

 あちこちで子供を育てあげて社会の仕組みに放り込んで、俺のように強く生きて行ける者がいるのかどうかは、解らないし、そこまでは俺も希望などナニも無い。

 こんな一律百円均一のような島国に落ちぶれ果てて、そこで孤立無援の一匹でも強く関わり合いを増やして生きて行くのは、軟な人間には叶わないだろう。

 すべてが受け身ではなく仕掛けて生きて行く生き方なんて、すでに洗脳された小さな幸せや小さな守るモノばかりに固執している社会では、なかなか出来るものでもない。

 会話が成り立たないほどに乖離してしまっているのが酷い現状だ。

 今の俺は、周旋屋の自営の稼業で地べたを蠢き続けているが、そんな生で関わり合いが増えた高齢者たちの介護や世話でも走り回っている。

 その動きの原資となる食い扶持作りも自営で続け、そうして関わり合った多くの人たちの為にそれを使って動き、ナニにも拠らずに貸し借りや借金・負債をいっさい持たない立場を貫き通すことは、一朝一夕に出来上がるものでもない。

 かくいう俺ですら、なんども擦り切れ果てて倒れそうになって来た。

 行き詰まって面倒になって、終わりにしようと考えたことも一度や二度ではなかった。

 ドラマや映画のような、小説やアニメのようなことなど、俺の現実にはまるで無い。

 こう生きれば、こういう結末になる・・・そんな安直なマニュアルに従った生など、薄ら寒くて興味も無い。

 生きて行くと言うことは、ナニが飛び出すか解らないビックリ箱を自分の手で開けてゆくようなもんで、それも生き死にに関わるビックリ箱であれば尚更仕掛ける妙味も倍増するだけのことだ。

 人間の社会なんて、命までは持っていかれないよ! というのが昭和の復興期だったが、いまは平和で安穏とした社会になって、逆に簡単に命まで持って行かれる社会になった。

 というような可笑しなことを考えながら、仕事を始めるべよ。

 このところ若く真摯で前向きな人たちがよくやって来る。

 どう生きるべきなのか? を皆な自問自答して彷徨っている。

 しっかり自信を持ってフラフラせずに、胸を張って笑って生きてゆけば良いと、愉快な話の中で伝えてやっている。

 すべて自己責任ということさえ覚悟しておけば、やるだけやったら上手く行っても結果が出なくとも 次に行け! と。

 立ち止まらなければ、勝ちも負けも無い。

 今日は土用の丑の日だから、私用で優秀な弁護士の先生たちのオフィスに出掛けるが、いつも俺の相談では費用は要らないと仰るので、最上の鰻重を持参して行くさ。

 


大潮の膨らんだ海で沖に泳ぎ出る

2024-07-22 11:37:07 | 銀座の周旋屋

 

 

 太平洋で泳ぎ始めているが、昼過ぎから出掛けて逆方向の渋滞を眺めながら悠々と高速を走り抜け、2時3時4時くらいから泳ぎ始めるのが毎年の恒例のようになっている。

 更衣室やトイレや海の家や売店やらがまったく無い海ばかりに向かうのは山でも同じで、マニュアル猿の現代人が金だけ持って出掛けるメディア・SNSのお遊戯会場には近づかない。

 ミ~ちゃんハ~ちゃんの喧しく煩わしい猿の衆がいないとこばかりになる。

 意外でもないが、プールで習うクロールだのナニやらだののマニュアル泳法とはまったく違う海での泳ぎ方の数々に、日本人ではない外国人連中がオモシロそうに眺めていたりする。

 昨日は満潮・満月の海の特別な日だったから、膨らんだ素敵な海の中で存分に泳いで来た。

 大潮には海の生き物がみな未来に向かって産卵を始める。

 その尊い日に、おなじ海に浸かって揉まれて、生きて居る幸せを感じる。

 波も荒れて高めがちょうど良い塩梅。

 まだまだ山仕様の身体が海仕様に変わってないので、沖に出ると流れや海底の変化で水温も下がってゆき、身体のアチコチが攣りそうになって、その都度に浮いてマッサージと柔軟体操をやっている。

 ハチマキ締めて、まだまだ今年も普通に泳げている。

 俺は自分の死に場所は人のいない山か海だと決めている。

 サッといなくなって獣らに喰われて、風雨に晒されて地球に還るのが理想ではある。

 ただ半世紀もこんな生き方を続けて居ると、達者になり過ぎて身体が勝手に動くから、まだまだ理想は叶わない。

 それまでは他人や社会に関わり続けて、最期までナニにも拠らずに属さずに、嵐の雷雨や津波のような立場で生きて居る。

 人間には、持って生まれた立場というものがる。

 キレイゴトで見返りを求めるなんざ、みみっちくて性に合わない。

 存分に泳いで身体がだるくなってくるのを待って、日が傾いて水しぶきをあげながら海からあがると、美味い猟師小屋で飯を喰って来た。

 今年はカジメが不漁で、美味いカジメ汁がなかった。

 楽しみがひとつ減って不愉快ではあった。

 アジフライのアジも小ぶりだったな。

 帰路は花火大会からの猿芝居観覧者渋滞に巻き込まれないようにと、道を選んで戻ったのは言うまでもない。

 

 常識だの、良識だの、道徳だの倫理だの、過去の猿らが勝手に線引き・カテゴリー分けしたモノなどは、今を生きる者にはナンの意味も無い。

 国家・国民がおなじ目的で生きて居た敗戦後の昭和ならまだしも、すべての価値観が根底から崩れ果てている現代で、相変わらずな日常を送っている猿らはただの洗脳マニュアル奴隷ばかりだ。

 生きて居ることには本来は形式や公式などはナニも無く、すべてを自分たちで独創出来るのが本当だ。

 それをせず、それをさせず、相変わらずな善良なる庶民ゴッコに明け暮れているのは、単細胞な教育・メディアの洗脳奴隷の為せる業で、業とも言えない薄っぺらい暗記だけ。

 電波利権に群がる有名・著名人らはいよいよコロナワクチンの6回目を接種するんだとさ。

 言い出しっぺが本当に接種してるのかどうかは別にして、メディアなんざ猿芝居の舞台と同じで、楽屋はセピア色した昭和のまんまだろう。

 模範解答が先にある生き方日常を、洗脳・教育で叩き込まれた方程式で生きるなんざナンセンスなことで、すべてをオリジナルで生きて行くべきだ。

 そういう愉快な連中だけが、いまでも俺のまわりでは長い付き合いになっている。

 

 銀座や青山で長く周旋屋をやっていると、浮ついた成金や勘違いしてるメディア洗脳消費奴隷には冷ややかに接しているが、今の日本は国家と大企業が先導して島国ごとテーマパークとなりつつある。

 単なる田舎や地方という辺境エリアですら、趣向の違う観光ブースを目指して、一過性であっても観光客を大量に呼べれば良いという経済活動に官民挙げて躍起になっている。

 田舎に一億づつバラ撒いて再生を図ったのは随分前のことだが、今では閑散としてゴーストタウンとなっている地方の町村を山や海の帰りにいつも眺めているが、都会の商業用ビル開発バブルも同じことで、単なる外国人観光客らの携帯スマホSNSバブル用にワンパターンな開発が進んでいる。

 経済活動である以上は儲かった者勝ちというのが現実だが、社会や他人との関わり合いを深めることには逆行して行ってる。

 仕掛ける側やメディアは無責任なもので、最後は自己責任で無視放置する。

 力がなかった、で負け戦、チャンチャン。

 箱物だけがバブルの残骸として残るのは、不動産バブル時に嫌というほど関わったもんだ。

 バブルな外国人観光客をオモテナシする側の日本人の日常は? 豊かになってるの?

 賑やかな外国人観光客の狂騒とは裏腹に、次にやって来る外国資本の来襲に備える力も失って、ただただ深夜の街角で身売り相手を待っている。

 日本という島国の正体とは、そんな程度のものさ。 

 この外国人観光バブルが落ち着いたら、次は時代遅れのギャンブル賭場となる筋書きがある。

 良い悪いではなく喰うためには仕方ないのだと、口封じも用意してある。

 俺みたいなナニにも依らない一匹で生きる自由人には、どっちもどっち、あんまり興味もないね。

 強いて言えば、消費から娯楽までメディアに管理され、AIロボットに仕事も管理され、ナニがオモシロイのか? という嘲笑だけはある。

 そんな脳タリン植民地支配の親分アメリカは、いよいよ国家分裂が決定的になって来て、ワザとらしい騒動は激しく仕掛けられるだろうから、植民地も煽りを喰って退屈な争いも始まってるさ。

 

 今日は散髪に出掛けていつもの角刈りに仕上げて来る。

 ハチマキがキチっと締められるようにと、さっぱりしてくる。

 暑さで家から出れなくなっている高齢者たちを連れ出すことも、俺の仕事になっている。

 貴方まかせ、金かませの介護はせずに、ナニがあっても付き添い続けていることを選んだ以上は、刑務所のような施設や病院に収監することはせず、在宅で最期まで面倒を見る高齢者ばかりになっている。

 本業の合間にも声を掛けて一緒に出掛けているが、先日には宇宙科学館で89歳の婆様を宇宙ステーションに乗せてやって、大喜びだったな。

 ・・・宇宙の果てはどうなっているのかが、子供の時から不思議だったよ

 人間は生きて居る間にやらなければいけないことは幾らでもある。

 それをひとつひとつ丁寧にこなして一日はアッと言う間に終わってゆく。

 自分の時間とは、それらをこなして仕事もキチンとして、それでも時間を余らせて寝る時間に食い込ませて、それから持つようになっている。

 仕事もイロイロと決まって契約予定が重なっているが、今の俺には海の方が仕事よりは優先順位が上になってしまってるかも。

 あと何年、こうやって自由自在に、愉快な海で泳いでいれるんだろうか? と、考えて面倒な仕事を始めている。