世の中・社会の専門化・分業化・細分化によって、斜眼帯をつけられた国民は、全体を見ることがなくなってる。
縦割り行政もそうで、関わる全てのことを鑑みて、全体からナニをすべきかが解らなくなっておって、みな自分のテリトリーのことだけ、与えられたサークル内での行動で、その範疇外に口を突っ込むことはご法度・犯罪扱いを受ける。
これでは半端な大人社会は酷くなっていくだけだ。
プロフェッショナルという言葉は、人間として、どんな些細なことでも独自の価値観で語れる者のことを言う。
けっして一芸に秀でてるだけの退屈な半端モノのことを言うのでは、ない。
なんでも自分で出来る、専門家など必要としない者から見ると、現代社会の専門家・プロフェッショナルなんて醜い猿は、その日常は愚かな演芸猿でしかなく、あちこちで広告塔になってるチンドン屋の太鼓持ちだ。
そんな演芸猿のまわりに大勢の消費者が集っている光景は、庶民が集う河原乞食の見世物小屋となにも変わらない。
そういった無駄が明るみになってくれば、国民もみなが自分でなんでもしようとする。
要らなくなる猿な専門家やプロフェッショナルは多いだろう。
森・小泉・安倍と続く間抜けな演芸猿の統治は、現代の世の中社会をも随分と貶めてきたもんだ。
攻勢をかけなきゃ~いけない野党なんて、もっと惨めで卑屈な連中ばかりになった。
上がこれだから下々も平気、そんな哀れな風潮が蔓延っている。
この日曜も面倒な仕事がいろいろと入って居って、休むこともできずに走り回って居った。
首や腰の筋がいよいよ悲鳴をあげ始めているが、いつもの週末は平日の仕事よりもハードな山行を続けてるおかげで、波が来たらぶっ倒れるまで働くという気持ちは充実しておって、黙々とややこしい話を一つ一つこなしてる。
行きつけのプールが、まだ通常営業を始めてないから、身体の凝りがほぐれない。
デスクのまわりには、それぞれややこしい権利関係の膨大な契約書類の山ができ、一つ一つを、丁寧に処理してゆき、ひとつのミスもしない、他人のミスを見つける、そんな細かな仕事が深夜まで続いている。
そうこうしてるうちに、あちこちから雨漏れや建物の苦情が集まり、現場確認にも行き、古い建物の保全と修理の段通りもして、俺が出来る手直しはその場でやってしまう、そんな感じだ。
一昨日も郵便ポストの交換やドアの建付け直しは、俺が鉋とノミとドライバーでサッサとやってきた。
昨日はまたまた届いた契約書類の雛形三つに霞む目を通しながらも・・・オストメイトになって上手に生活できないお爺さんが相談にやってきておって、その装具について色々と俺の装具を見せて説明・アドバイスをしたり、装具購入の代理店にも連絡し、紹介までしてやってた。
コロナ不況はあくまでもコロナ教信者の話であって、俺にはナンの影響もない。
逆にどんどん仕事が増えていっておって、さすがに限界に近く、猫の手でも借りないと寝る時間もなくなりそうだ。
クタクタには違いないが、これが俺の仕事だ。
おもえば俺は若い時分から、フリーで生きてるようなところがあり、大きな企業の営業で働いているときですら、看板を借りてる自営業者、そんな醒めた感覚で売り上げをあげておったから、世の中社会の経済がどうたらとか、会社の経営がどうたらなんて、気にしたことなどなかった。
内勤で経営陣にという話になってくると興ざめして、転職を考えて居った。
いずれ自営すると考えてる者には、社内での評価や、肩書・基本給の出世なんざ、屁みたいなもんだった。
山や海で遊び惚けるために、金を稼ぎ、女や子供たちのために、金を稼ぎ、その為の仮の生業でしかなかった。
社長に惚れたとか、愛社精神なんて間抜けな感情は、一度も持ったことはない。
社会が不景気になり、会社が倒産したとしても、俺は何処でもナニをしてでも喰って行ける、そういう自信と確信だけは持っておった。
その流れで自営を30歳半ばに始めたから、この国の政治や経済の影響など受けることもなく、悠々と自由自在にやってきたわけだが、コロナ騒動だけは、市場が止まったと言う意味では影響を受けている。
時代とは関係なしに働き続けて、今も当社独自のバブルを創り出しているが、不動産業界には明るい話はまるでない。
国家や大企業に金魚の糞のようにくっついて、利益のおこぼれを頂戴するような仕事も、興味も無い。
お国任せ、貴方任せ、誰かを頼るようなミミッチ~お友達仕事は一切やらない、これは徹底している。
そうしてそんな他からの影響で仕事が減るとか無くなるということも、ない。
すべてが俺しだい、俺から始まり、俺で終わる。
ちょっと、疲れて来てるようだ。
こういう時は、すべてを投げ出して行方不明になりたくなる。
どうでもいいことと言えば言える。
コツコツと何億、何十億の地上げを独りで忍者のようにあちこちで続けていても、そこに渦巻く人間模様には新鮮味はまるでなく、たかだか知れている人間同士の駆け引きすべてを放り投げてやりたくなる衝動もある。
たかがゼニカネ、山の頂きで絶景を眺めているときには敵わない。
こういうとこが、また俺の不思議な感覚の話になる。
理解しろと言ったところで、まず仕事が無く、ゼニカネに困ってる人たちには無理な話。
そこでも儲けを出している人たちでも、それで会心の笑顔では、俺には会話の相手にすらならない。
つまんね~人間の社会の、退屈な習慣だろう。
興味もないね~。
そろそろ人間の世界からは、いなくなった方が良い、そんなお時間なのかも知れない。
困る人間ばかりになるんだろうが、しょせんは人間、独りで生まれて、独りで終わりにするんだぜ。
ほらほら、コロナ教の布教が、またまた経済にブレーキをかけ始めるだろうよ。
俺は? まだまだ独りで背負いきれないほどの果実が膨らんで来てるから、丁寧に採集して、とっとと人間のいない奥山に出掛けるわさ。