kosukeのきまぐれWORLD

アイドルやら音楽やらスポーツやらを好き勝手に語ります。

41歳最後の日

2007-05-20 23:24:42 | 日記
今日で41歳の1年が終わります。
まあ、この歳で、誕生日云々といって、特に思うことはないのですが、また1年間生きてこられた、いや、生かされたということに、感謝したいと思います。南無阿弥陀仏。合掌。
家族もなく、一人身ですから、明日も普通の一日を過ごすんだと思いますが、まあ、好きなアイリッシュウィスキーでも飲んで、気分だけでも味わおうかと思ってます。
1月にこのブログを始めて5ヶ月近く経ちます。1月のラリー・モンテカルロから盛り上がった大好きなWRCも、スバルの不調でイマ2つ3つ盛り上がりに欠けてたところで、私にとって最も熱いジャンルであるアイドルについて語り始め、その流れの中で、私が初めて買ったレコードである八神純子さん「みずいろの雨」について書いたことがきっかけで、純子さんファンの皆様との交流も始まり、DVD、CD、レコードなどの感想など書いてきて、純子ファミリーのお仲間にも入れていただきました。
こうした41歳後半は、とても充実した日々を過ごせて、42歳の年を迎えることができます。
しかし、今年、私が(勝手にですが)師としてきた池田晶子さんが亡くなったことがきっかけで、池田さんの言葉が強く意識されるようになった今日このごろです。
そんな今日、池田さんの「41歳からの哲学」を読みはじめました。池田さんの言葉は、これまでもさんざん読んできましたから、何か新しいものを求めるというより、「本当に考えるなければならないことは何か」ということを自分に言い聞かせるために読むという感じです。池田さんの本意は「とにかく、自分で考えなさい」ということでしたから、誕生日を機に、生きることと死ぬことという、哲学の根本について、考えなければならないなあという意を強くしました。
でも、「私が生きること」の中には、いろんな現実の要素もあり、すくなくとも今の私には、それら全てを捨てて、生と死について考えることのみに没頭することはできません。そんな現実と、師池田晶子の教えとのギャップを、明確に意識した上で、私の生を生きることが、師の教えを全うすることではないかと思います。

日ごろ、アイドルについて語っている私が、こんな堅いことを書いてどうするの、という気もするのですが、今回は、私の私自身に対する言葉を書いたということにしたいと思います。

しかしながら、そもそも、私の師は、ネットを通じた意見を表するということ自体、意味はないと語った方ですから、こういうことを、こういう場で語ることすら、意味はないと言われるのでしょう。
でも、私は、その点については師とは考えを異にしますので、「オレ流」を貫かせていただきます。

私のブログに来ていただいた方、たまに、堅い話を書くこともあるかもしれませんが、あらためて、今後ともよろしくお願いいたします。

41歳最後の日に   kosuke