昨年の4月14日に偶然にも二人の母が入院した。
姑は自宅にてヘルパーさんのお世話になりながら自宅介護
半月は夫は一緒に母と共に暮らし私は毎月木曜日の
仕事を終えてから日曜日まで関西に帰省して看ていた。
実家の母は介護施設にお世話になり毎月帰省の折は
南海高野線の千代田に在る施設に母を見舞っていた。
宝塚の自宅から施設まで数回の乗り換えと
一時間半以上は掛かる距離に何時も疲れ果てていました。
姑は訪問介護士の方に首と、脇のシコリを発見されて
検査入院となった。(肺癌だったのですよ)
実家の母は風邪から肺炎を併発して高熱のために
施設から病院に入院となった。
(二ヵ月半入院して最期は老衰でした。認知症でした。)
二人の母をそれぞれが見舞い最期を看取ると言う事態は想像を
超えた哀しみとどうやって死に向き合っていくのだろうかと
自分の辛さをその時は横において人の命の大切さと
尊さを感じさせられた日々でした。
私も夫も姑に実母にも案外と落ちついて自然の終点を
見守りその中で二人の母はそれぞれに穏やかな旅立ちだったと
一年前を思い出している。
来月の4日に姑の一周忌、6月26日には実母の一周忌と
哀しみも新たに法事を営む