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『心は傷つかない』 

2011-11-30 21:57:47 | 

(齋藤一人さんの「信じなくていいですよシリーズ」より)


  『心は傷つかない』 


信じなくていいですよ・・・(笑)


人間の「心(魂)」は、
実は、神様からいただいた「分け御霊」というものです。

神様の「命」をいただいているんです。

それが、「心の正体」です。


神様の「分け御霊」というのは、実は、「光」なんです。

「心の正体」は「光」なんです。

「光」を傷ける事はできないのです。


では、「傷つく」とは何でしょう?


映写機を想像してください。

映写機というのは、中に「光」があります。

それがフイルムを通して映し出されます。

フイルムに「光」が当たって現実が出て来ます。


例えば、30人学級があったとします。

そこに暴漢が入って来て、
刃物を振り回して3人が傷つきました。

そうすると、傷ついた人もそうだけど、
残りの27人も心に傷がついたから、
カウンセリングが必要だって、治しましょうと言います。


でも、「心は傷つかない」んです。

なぜって「光」だから。


カウンセリングが要らないって言ってるんじゃないですよ。

いいんです。必要なら、やっていいんです。


でも、「心は傷つかない」んです。


いいですか、昔の事を考えて下さい。


私たちの親は、戦争を乗り越えて来ています。

「そっちの防空壕に行ったら死んじゃったけど、
 こっちの防空壕に行ったから、私たち、助かったんです」

と話をしていた人がいっぱいいたけど、
その人たち、カウンセリングを受けていますか?


受けていないですよね。

ただただ、「私たち運が良かった」で、終わりです。


戦国時代。

昔は子供でも初陣といって、初めて戦争に行って周りは死んでも、
その子だけ死ななければ

「お前は、運が良い子だから、何があっても死なないよ」って。

だから、運が良い子と言われると、本人は、
これから先も怪我も何もしないと、「ああ、そうなんだ」と思います。


戦国時代はそれで終わったのに、今の時代は、

「お前は、大変な思いをしたから大変だったね」とか
「心が傷ついているよ」とか言われると、

子供は分からないから、自分は「傷ついている」と思うんです。


私は、中学校しか出ていないんです。

もし、

「私は中学校しか出ていないから、
社会に出て損なんじゃないか、バカにされるんじゃないか」

とかいうフイルムを入れておくと、
なぜか社会に出た時にバカにする人が出てくるんです。

でも私は、ただの1度もそう思わなかったから、
私をバカにする人も出て来た事がないし、バカにされた事もない。


普通の人は、人生を「カメラ」だと思っている。
現実に起きた事が、心に映って「自分が傷ついた」と思っている。

本当は、「思い」というフイルムを置いて、それが映し出されたのが「社会」で、
いろんなことが、その「思い」によって映し出されるんです。

だからといって、
「思いだけを変えれば良いんですか?」って言う人がいるけど、
そうでもないんです。


「この世」は、そうではないんです。


「あの世」は「想念」の世界だから、「カツ丼」って思うと「カツ丼」が出てきます。


女性の方は「奇麗になりたいわ~」と朝から思います。

でも思っても、頭の寝癖はそのままですよ(笑)。

お化粧をする、とかしないとダメなんです。


「この世」は「思い」と「行動」。


この星は、そういう星なんです。

だから、思っているだけではダメです。


思っていると「チャンス」がやって来ます。


「私は、中学出で得なんだ!早く社会にでたい!」って。

高校で3年、大学で4年、合計7年間、私は先に走りたかった。

マラソンでも、7年間も先に走って良いと言われたら、
皆さんが走る頃にはゴールにいますよ(笑)。


だから、私は、それが得だと思っている。

そうすると、得な「チャンス」が現れる。

その「チャンス」に対して「行動」するだけ。


だから、必ず「思う」と「チャンス」が出てくる。

「チャンス」が出て来たら、それをつかんでいけば、
すごく得な人生になって、難しくも何ともないんです。


この星はそういう星。


いいですか、フィルムを変える。


でも、急に「フィルムを変えな」と言っても、変えられないでしょう。


だから、「言葉」を変えなよ。


「天国言葉」(=幸せを呼ぶ「幸せ言葉」) 

「愛してます、ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、
幸せ、ありがとう、許します」

を言おうよ。


地獄言葉(=不幸を呼び寄せる「不幸言葉」)

「恐れている、ついてない、不平・不満、愚痴・泣き言、
悪口・文句、心配事、許せない」

を言っていると、そういうフィルムを入れているのと同じことなの。


それが映し出されているんだよ。


お釈迦様もキリストも、何を言いたかったかというと、この話なの。


昔はね、映写機とかが無かったから、
ああいうすごく長い説明になってしまったけど、
「あなたの思いが、この世を写し出すんですよ」と言いたかっただけなの。


この話、どうやったらわかりやすく伝えられるかって考えたんだけど、


たとえば、会社に横暴な上司がいて、毎日「バカ野郎」とか言われて、
心が傷ついて、自分はもう死にたいぐらいだ、とします。

それでは、今日から「バカ野郎」を言われるたびに3万円くれることに
なりましたって。

そうすると、今日は10回言われたから30万円になっちゃって、
明日は何回言われるかな?って(楽しみに)思うよねって。

ということは・・・「バカ野郎」という言葉に傷ついているのでなくて、
自分の思い方に傷ついているだよね。


まあ、「バカ野郎」1回に3万円出してくれる会社も、そうはないとは思うけど(笑)。



ものの考え方だよね。


自分に、どんどんこられた時に、
「これは自分が出世した時に、自分も部下にやる可能性があるんだ。
この嫌な経験で自分は絶対にそんな事はやらない人間になっていくんだ」
とかって。


だから、ものって考え方だよね。

「心のフィルム」ひとつで、どうにでもなるよね。


「考え方」を変えて、言う「言葉」を変えると、起きる現象が違ってくるの。

そうしたら、「行動」してください。


「行動」すれば、絶対に「幸せ」になります。



これが「心は傷つかない」という話です。



          <斎藤一人さんの『心は傷つかない』より>