ころりん~キラキラ☆

楽しいこと、嬉しいこと、伝えること ころころ~ころりん☆

2014-08-31 14:00:00 | 徳育



『“縁”という深い力』


日ごろ、人々は人間関係の中で生きています。

そうした人と人とのつながりは、個人的な意思でできたものと考えがちですが、幸之助さんはこのように語ります。


「“袖ふり合うも他生の縁”と昔からいわれているように、人と人とのつながりには、やはり個人的な意思を超えた、縁という深い力が働いています。

その力によってお互いが結びつけられていると考えられるのではないでしょうか。」


幸之助さんがそのように思うひとつのきっかけに、自身の結婚がありました。

幸之助さんは大正4年9月、満20歳で妻むめのさんと結婚しました。

当時でも男性の平均的な結婚年齢は27,8歳でしたので、それに比べるとずいぶんと早い結婚でした。

というのが、三男の末っ子だった幸之助さんは、長男、次男とも若くして亡くし、11歳のとき父を、18歳のとき母を亡くし、松下家の位牌をあずかっていました。

その先祖を祀(まつ)ってほしいとの姉の思いで、お見合いを勧めます。

当時のお見合いは、道ですれ違うだけというだけというのが一般的で、緊張して相手をよく見れなかった幸之助さんに、義兄が「決めとけ、決めとけ、悪くないぞ」の言葉に従い、承諾の返事をしました。


「もしあのとき、両親が健在であったら、姉がこの話を持ってきてくれていなかったら、その時期がもう少し早かったら、家内とは結婚していなかったかもしれません。

そう考えると、2人の間には、個人の意思を超えた、何かはかり知れない大きな力が働いていたという気がしてならないのです。

それが“縁”というものなのでしょうが、そこに人生の言うに言われぬ妙味があるように思えます。」


そのような“縁”というものを考えると、私たちは夫婦や職場、隣近所など、人と人とのかかわりを、もっと大事にしていく必要があるのではないかと幸之助さんは言います。


「日ごろ何気なく受けとめているあの人、この人とのつながりも、実は世界の何十億という人の中から、深い縁の力によって選ばれ、結ばれた結果である。

そう考えて、そこに感謝と喜びの心を持ち、そのつながりを大事にしていく。

そういうところから、お互いの心もよりスムーズに通いあって、本当に力強い真の人間関係が育まれてもくるのではないかという気がするのです。」


幸之助さんは“縁”の深さを、このように語ります。
 





♡(灬˘╰╯˘)乂(˘╰╯˘灬)♡




ヒロウスの磯部エビフライ

2014-08-26 10:51:22 | 食育
材料

木綿豆腐 1丁
人参 適量
ヒジキ 適量
パセリ 少々
バジル 少々

山芋 2センチくらい

海苔

レタス

トマト

小麦粉







豆腐はよく絞り、水気をとり、裏ごし、ヒジキ、パセリ、バジル、細かく刻んで混ぜる




最後に、山芋、塩を入れる


エビは皮をむき、切り目を入れておく、打ち粉をしてから、エビに、豆腐を伸ばしのせて丸める。





油で揚げる





野菜をあしらい、盛り付ける。




ケチャップ大さじ2
ウスターソース 大さじ1
マヨネーズ 大さじ1
かけて召し上がれ、





ヒロウスとてもふっくらして美味しかった(o^^o)♪

【あなたと食事がしたい】

2014-08-23 10:29:20 | 
医学博士、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…


みなさんはご存知だろうか。

大勢で集まって、テーブルを囲んで仲良く談笑しながら食事する。

これは人類だけの特権である。


99パーセントの動物は「共食(きょうしょく)」をしないそうだ。

チンバンジーがいくらか共食することがある程度。

あとは、サルでもエサを持ったらサッと仲間から離れて、ひとりで食べる。

のんびりしていて、他のサルに取られてしまってはたいへんだ。

これは自己防衛本能の表れである。


人間の場合、人といっしょに食事をしなくなったら要注意。

心の病の始まりのサインだ。

家族の食事が終わってから自分の部屋から出てきて、ひとりでゴソゴソと冷蔵庫を探っている。

また、会社で同僚といっしょに昼食を食べに出かけずに、いつもひとり。

こうして「孤立」を続けていると、だんだんと他人がコワクなってくるものだ。

そのうちに、会社に行くのもコワイ、学校に行くのもコワイ、人とつきあうのがコワイ…と、どこへも出かけられず、ひとりで閉じこもってしまう。


私の病院にも食堂があるが、重症の患者さんは食堂にも出られない。

部屋でひとりで食事をする。

少しよくなれば食堂に行くが、食堂でも隣の人にわきめもふらず、ひとりで黙々と食べている。

もう少しよくなると、隣に座った人としゃべれるようになる。

もっとよくなれば、談笑できる。


仲間といっしょに食卓を囲んで談笑する。

普通の人から見れば何でもないことだろう。

それがこんな重要な意味を持っているのだ。


食べているときは、リラックスした状態だ。

楽しい会話ができて、「いっしょに食事をしたい」と思う人は、感じのいい人といえる。


反対に、

「あの人といっしょでは、せっかくのおいしい食事もまずくなる」

と敬遠したくなる人もいる。

食べているときにも、人の悪口、批判を絶やさない人。

やれ、この餃子はまずいだの、どこそこの店のほうがずっとおいしいだのと、うるさい評価をする人。

どんなにおいしいレストランでも、この人といっしょに食べるくらいなら、そのへんのそば屋で感じのいい人と食べるほうがずっとおいしい。


『なぜか「感じのいい人」ちょっとしたルール』知的生き方文庫




旅は、どこへ行くかよりも、誰と行くか。

食事は、どこで食べるかよりも、誰と食べるか。

人生は、どこで暮らすかよりも、誰と過ごすか。


どんなに素敵で有名なレストランであろうが、気分の悪い人と一緒なら台無しになる。

何をするのにも、誰と一緒なのかが大事。


あなたと食事がしたい、と選ばれる人でありたい。

【逆境のときこそ笑顔で頑張る】

2014-08-23 10:18:23 | 徳育
【逆境のときこそ笑顔で頑張る】


明治学院大学教授、武光誠氏の心に響く言葉より…


ピンチは、その人の本質を浮かび上がらせます。

人間として未熟であり、まだまだ練られていない人は、どれだけ取り繕ってみても馬脚を現してしまうのです。


「剛勇か臆病かは、平時にあっては知る事はできない。まったく別物である」(聞書2-75)

そう葉隠れは指摘していますが、奉公は口先でできるものではありません。

誠の心をもって、主君のために全力で働く。

それこそが本来の奉公。

ちょっとしたことで気持ちがゆらいでしまうなら、口だけに過ぎなかったということです。


人は逆境にあるとき、自分に押し寄せる荒波に押されて、気も弱くなってしまいがちです。

しかし、忘れていけないのは、そんな時であるからこそ、見る人は見ているということです。


葉隠にはこうあります。

「成富兵庫など七度浪人したということである。

起き上がり人形のように思わなければならない。

主人も試すつもりで浪人を言いつけることがあるだろう」


成富兵庫とは佐賀鍋島藩の家老であり、加藤清正が一万石で召し抱えようとしたほどの人材です。

その成富兵庫にして、七度浪人した。

というよりも、浪人したからこそ、それだけの力を身につけたということなのかもしれません。


人事には当然ながら意図があります。

成長する部署につくものがあれば、反対に立て直しを図るための人事もあります。

本人にとっては、不本意に思えることもあるかもしれません。

しかし、そんな時だからこそ、見る人は見ています。


「やはり、そこまでの人材だったか」

「なかなかやる。見直した」

どちらの感想を持たれるかは、その人の心がけ次第です。

調子のいい時は、誰でも頑張ることはできるのです。

逆境のときであるからこそ、笑顔で頑張る。

その姿が人の心を動かすのです。


『「葉隠」に学ぶ誇り高い生き方』成美堂出版





逆境や不遇のときにこそ、その人が人物であるかどうかが試される。

くさったり、愚痴をいったり、不平不満をこぼしたり、人のせいにしたりするのか。

なにくそとへこたれずにチャレンジするのか、不機嫌にならず上機嫌でいられるのか、もっと言うならその不遇に対して感謝できるのか。


うまくいっている「遇」のときも、そうでない「不遇」のときも、見る人はほんとうによく見ている。

遇のときは、有頂天にならず、威張らず、驕(おご)らず、慢心せず。

不遇のときは、必要以上に落胆せず、へこたれず、くさらず。


「やはりそこまでの人材だったのか」と言われるか、「なかなかやる。見直した」と言われるか。

逆境のときこそ、笑顔で頑張る人でありたい。

出石一休さん

2014-08-21 12:33:00 | イベント
きょうは、仕事の帰りに時間があったので
出石神社
一宮神社へ


久しぶりだなー



神社の鈴は3つ

天河みたいでしょ(^-^)/




そして、奥の院


禁足の場所



ここには、神がいるんでしょうね。



改めて、見たら、一休さん
大きいなー



さすが、一宮






いつも、守っていただき、ありがとうございます。

世界平和目指します
♡(灬˘╰╯˘)乂(˘╰╯˘灬)♡

ひまわり

2014-08-19 20:18:28 | 日記
ひまわりの写真を頂きました。



夏って感じ

∞motoyukiさんの、写真です。


私を写してくださった時の、真名井神社の写真は
あの、神社の中に入れた、最後の写真です。

って、ここには、出しませんが。

素敵な写真を、撮られます。


今度は新しい仕事に変わられますが

写真は続けて下さいね。



ありがとうございました(´,,•ω•,,)♡



どうやって?

2014-08-18 11:25:36 | 

「How? どうやって?」

何かを思いついた時、うまくいくだろうか? 成功の確率は? 失敗したらどうしよう・・
などど考えてしまって、二の足を踏むこともありますね。

そうやっていろいろ考えてしまうのが経験値を持つ大人(!?)なのかもしれません。

それでは幼い子どもはどうでしょう? 

何かを思いついたら、即実践。うまくいかなかったらどうしよう・・なんて考えもしません。

出来るかどうか、ではなく、どうやって実践するか、を常に考えるクセをつけたいものです。

車椅子だけれど今一度あの土地を訪れたい、自信がないけれど海外で勉強したい、家族が再び仲良くなりたい・・
そういう時は「できるだろうか?」ではなく How can I do 「どうやったらできるのか」を考えてみます。

一人で頑張らなくても、周りにサポートしてくれる人がたくさんいることにも気が付きます。


ソーメンカボチャの、使い方

2014-08-14 13:42:23 | 食育
ソーメンカボチャを、使って、作りました。

湯掻き方は

串が刺さるまでゆがく。


ゆがいたら、水にさらして、ほぐす




そして、料理につかってくたまさい。


これは、ホントのそうめんかぼちゃのソーメンです。





そさて、酢の物作ってみました。


ソーメンは、サッパリして、食べてみてください。

オクラや、卵の錦糸を、のせて食べてね(((o(*゜▽゜*)o)))

この世にあるものは 借り物

2014-08-14 13:18:36 | 

てんつくさんの心に響く言葉より…


大事故で病院に運ばれ、家族には助かる見込みはほとんどないと伝えられた方が、死の淵で幽体離脱の経験を経て、2つのことを思ったそうだ。

ひとつは「自分が死ぬんだ」ということ。

いつの日か、自分の人生にも終わりがくる。

それは、明日かもしれないし、50年先かもしれない。


もうひとつは「自分の物など、なにひとつない」ということ。

もしも、それが自分の物ならば、家も、土地も、貯金も、肉体も、そして奥さんや子どもも、天国に持っていけるはず。

でも、なにひとつ持っていくことはできなかった。

すべては、この世にいる間の借り物で、奥さんや子どもはただ、そばにいてくれていただけ。

そんなことに気づいたそうだ。


形あるものはなに一つ持っていくことはできない。

肉体を離れて天国に持っていけるのは、形のない「想い出」だけ。

だから、形や物に執着しないで目に見えない「思い」や「うれしい気持ち」を見ようとすると、なにが大切でなにが必要じゃないかが見えてくる。


お金も才能も使わなければ持ちぐされてしまうから、喜びのために使って、人生を楽しもう。


『やさしすぎる君へ』サンクチュアリ出版




人がこの世を去ったとき持っていけるものは、形のない「想い出」だけ。

その想い出には二つある。

一つは、人に与えた「喜び」。

もう一つは、人に与えた「悲しみ」。


この「喜び」と「悲しみ」は、この世に生きている人たちの心の中にもずっと残る。

人を裏切ったり、傷つけたりしたら、「やりきれない悲しみ」が残り、

人の幸せのために尽くせば、「喜びや感謝の念」が残る。


「この世に形あるものはすべて借り物」

人の喜びのために生きる人生でありたい。