ころりん~キラキラ☆

楽しいこと、嬉しいこと、伝えること ころころ~ころりん☆

つかずはなれず~

2013-09-30 09:23:20 | 日記






美輪明宏氏の心に響く言葉より…


よく「どうして美輪さんはパステルカラーやヒカリ物をいつも身につけていらっしゃるんですか」と訊かれるんですけれど、これは私の生きていくうえでの美意識ととても関わりがあります。

だって紫や金、パステルカラーは、どこかはかなげで情緒があるでしょう。

私自身、フラジャイルな、つまりはかなげな色の持つたたずまいを忘れずに、他人に対してもそういう印象を与える人間でいたいなといつも考えているんです。


今の時代は“一卵性母娘”なんて言葉もあるように、べったりとした原色のような人間関係を好む人がたくさんいます。

でも、それはいかがなものでしょう。


もちろんあまりにも表面的でよそよそしい態度をとっていると、いつまでたっても仲良くなれない。

だけど、深くつきあいすぎると、どうしたって嫌なところが目につきだしてしまう。

だからお互いを尊重し、ほどほどの距離をたもっておくのです。

そうすると、嫌なところは見せなくてすむし、こちらも余計なものを見なくてすむ。

愛さえしっかりあれば、腹六分か七分で付き合う。


友人関係だけじゃない。

恋人同士、親子、きょうだい…どの関係にもこれはいえることです。

いっしょにすごす時間が長ければ長いほど、そうあるべきです。


なのに、一定の距離感を「水くさい」なんていって、腹一杯付き合って土足で人の心にドタドタ踏みこむような真似をする人が多すぎる。

だから、私は嫁姑や親子などといったベタついた人間関係を描いたホームドラマが好きではありません。

もの知らずで馬鹿な評論家はそういうドラマを評して「日本の家族の原点、ここにあり」なんていうけれども、私は反対です。

そんなことをいうから、互いに馴れ合いが生じ、それこそ日本人の原点であるところの“親しき仲にも礼儀あり”の日本の武士道から守られていた長所がなくなり、不作法になり、罵(ののし)りあい、殺し合うような家庭内暴力も生じるのです。


昔は親子の間にもきちんとした距離がありました。

躾の行き届いた良識ある家庭では親は子供を“さん”づけで呼んでいたし、子供も親に対して敬語で喋っていました。

試しに昔の日本映画を見てごらんなさい。

それはけっしてよそよそしいものではなく、じつに穏やかなものです。


そういうわけで私は人とのかかわりあいは、腹八分でもじゅうぶんすぎるくらいだと思っています。

できるならば、人のつきあいは、つかずはなれずの腹六分か七分ぐらいにとどめておきたい。

それこそが人間関係を円滑に保つうえでの生活の智慧だと思います。

『美輪明宏 天声美語』講談社



「荘子」の「山木篇」に次のような言葉がある。

「君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し」


素晴らしい人物の交際は、あたかも水のように淡々としてしている。

しかし、つまらぬ小人物の交際は、甘酒のようにベタベタしている。

醴(れい)とは、甘酒のこと。


相手の心に土足で踏み込むようなベタベタした付き合いは、「子供」の付き合い。

真に成熟した「大人」は、淡々とした交際、すなわち「淡交」が身についている。


人とのつきあいは、つかずはなれずの「淡交」でありたい。



2013-09-29 10:27:59 | 




最近は夜になると、
秋の虫たちの声がずいぶんとにぎやかですね(^^

日本人は古くから、虫の鳴き声を、
秋の風物詩として楽しんできました。



俳句では、「虫の声」は秋の季語になっています。

「盆過ぎて 宵闇暗し 虫の声」 松尾芭蕉

「茨野や 夜は美しき 虫の声」 与謝蕪村

「声々に 虫も夜なべの 騒ぎかな」 小林一茶

「窓の燈の 草にうつるや 虫の声」 正岡子規



虫の鳴き声に風流を感じて、
それを情緒的に味わうという文化は、
日本に特有のものだそうです。

『日本人の脳』の著者である
角田忠信(つのだただのぶ)博士は、

かつてアメリカで研究していたとき、
おもしろい発見をしました。

それは、
欧米人があまり虫の音に気づかないということでした。


欧米人の脳は、
虫の音を雑音として処理してしまうので、

日本人である角田博士が
「虫がにぎやかに鳴いているなあ」と感じるような
場所でも、
欧米人は虫の音をほとんど意識しないのです。


その後、角田博士は研究を続け、
次のことを発見しました。

日本人は、
虫の音や、人の感情音(笑い声、泣き声など)、
自然音(小川のせせらぎ、風や波や雨の音)など、
これらの音を言葉のように、言語脳(左脳)で処理している。


つまり日本人は、
虫の音(鳴き声)や自然音を、
言葉を処理するのと同じ左脳で処理しているのです。

だから日本人は、
「虫の出す音」を「虫の声」として聞くのです。
虫が語りかけてくるように感じるのです。


日本人にとって、木や森や虫や動物たちは、
声をもって語りかけてくるものなのですね。

このような自然観をもっていたからこそ、
古来、日本人は、自然を征服しようと考えるのではなく、
自然と対話し、自然とともに生きようとしてきたのだと思います。



また、
オノマトペ(擬音語や擬態語)がとても豊かに発達して
いるのが、日本語の特徴の一つです。

火は「メラメラ」、雨は「シトシト」、風は「ビュウビュウ」、
小川は「サラサラ」、雷は「ゴロゴロ」、煙は「モクモク」。

まるで自然物が「声」をもっているかのようです。



「自然物にはすべて魂が宿っている」
「森羅万象には神が宿っている」
という日本人の自然観や、

「もののあはれ」「わび」「さび」などの
独特な感性に満ちた文化は、

日本語の特徴からくるところが大きい。
と角田博士は述べています。



ちなみに、
虫の鳴き声や自然音を言語脳(左脳)で処理するのは、
日本人とポリネシアで育った人だけだそうで、

欧米人やアフリカ人や日本を除くアジアの国々の人達は、
自然音を右脳で処理するそうです。


より正確に言いますと、

上記のような脳の処理の違いは、
6歳から9歳までの間にどのような言語環境で育ったか
によって決まるそうです。

たとえば欧米人であっても、
6歳から9歳までの間に日本語(あるいはポリネシアの言語)
を主とする言語環境の中で育ったならば、
自然音を左脳で処理するようになるそうです。

逆に、日本人やポリネシアの人であっても、
6歳から9歳の間に、たとえば英語を主とする言語環境の中
で育ったならば、

自然音を右脳で処理するようになるそうです。


言葉の影響力って大きいんですね。



話が取りとめなくなってきましたので(^^;

最後にもう一句、私の好きな句を紹介します。


「行水の 捨所(すてどころ)なき 虫の声」 上島鬼貫


行水(ぎょうずい)に使った水を捨てたいのだけど、
あたり一面が虫の声で、
どこへ捨ててよいものやら、
捨てる場所が見つからないわけですね。

なんとも優しい気持ちになる句です(^^

野口さんの メルマガから~





秋 楽しんでいますか??




コスモス

2013-09-27 09:04:27 | イベント


もう。

40年もたつのかな~

百恵ちゃんの コスモス



淡紅の秋桜が秋の日の
何気ない陽溜りに揺れている
此頃涙脆くなった母が
庭先でひとつ咳をする

縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くり返す
独言みたいに小さな声で

こんな小春日和の穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日嫁ぐ私に 苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと 笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日もひとりではなかったと
今更乍ら我侭な私に
唇かんでいます

明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽し気にいたけれど
突然涙こぼし 元気でと
何度も何度もくり返す母

ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子供で
いさせてください

(さだまさし作詞作曲・山口百恵唄「秋桜」より)



コスモスの 花が①揺れているのを 見ているのが 好きな 私です

豚肉のかさね揚げ

2013-09-26 08:50:54 | 食育



バラの豚肉を (薄切り肉)塩。こしょう 粉チーズを振り適当な大きさに取りまとめて
適当な」大きさにまとめる

小麦粉を 全体につける


ルイボスティーと 小麦粉でつけ衣を作り、パン粉を まぶします。
ルイボスティーは、油が 汚れにくく、カラッと揚がりますよ。





油で揚げていく

2度揚げをします。
1回目は 中火
2回目が強火で カラッと あげる


お年寄りの方でも 中が やわらかいので 食べやすくなります。



☆タレの作り方

オイスターソース 大1
ウイスターソース 大2
ケチャップ 大4

火にかけて 混ぜる




さて、出来上がったのは~


こんな感じです。















どれだけ得たかより

どれだけ与えたか~


急に寒くなってきました。

2013-09-26 08:48:50 | 日記


今朝は 温度が 低い

昨日と 10度 違ってくるらしいです。



みなさん 体調には 気を付けてくださいね。








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あきらめる人には、あきらめる理由がある

あきらめない人には、あきらめない理由がある



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こうふく

2013-09-22 19:31:18 | 

「幸福」は何かを得ることによって
生まれるものではない。

「幸せ」はどこかに存在しているわけではない。

探しても見つからない。


「幸せが必要」なのではなく、
「不幸が不要」なのだ。


「幸せ」を得ようとする必要はない。

ただ、大事に抱えつづけている
「不幸」を手放すのだ。



■さとりとは


さとりを開くとは、
「ハートを開く」のと同義だ。


ハートを開くのは単に、
それを閉ざしているエネルギー
(恐れ、不満、不安、不信感、怒り・・・)
を手放せばいいだけの話だ。


「ハートが開かれている状態」が、
「愛」と呼ばれているもの。

「愛」は「行為」ではない。

「状態」のことだ。


「私とあなたの間に壁がない」ということは、
「私とあなたは同じ存在」ということなのだ。



■時間は幻想


過去も未来も存在しない。

時間は幻想である。

実際は、「いま」しか存在していない。


『過去』があるのではなく、
「記録」が『いま存在している』のだ。


『未来』があるのではなく、
「希望」や「予測」、「恐れ」が
『いま存在している』のだ。


あらゆる存在は、
『いま以外』に存在することはできない。


「過去」と「未来」は
概念の世界(実在しない世界)にあるから
『経験することも存在することもできない』



「いま」にある自分を感じなさい。

人生におけるあれこれを考えるより、
いまを味わいなさい。



■太陽の光


必死になる必要はない。

もっと単純になってごらん。

単純でいいということを認めてごらん。

どんなにバカバカしいと思えても、
単純に喜べることを選んでごらん。

自分の本当の心、
素直な気持ちを、
もっと開放しよう。


それこそが、タネを芽吹かせる、
太陽の光となるのだから。


お彼岸

2013-09-21 21:30:50 | 日記


彼岸花




最近 何か変では ないですか?


ほかの人に 聞いたら

体調を壊しています。


そうなんですね~


私も 体が だるかった。


でも 元気になりました。



なぜって?





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限界は、自分の意志で変えられる



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【「運がいい」と言う】

2013-09-14 11:54:15 | 日記

私も いろんな人と めぐり合うことが 出来て
ほんと 運がいいと 思います。

運が いいな~~~


【「運がいい」と言う】


フォクシーのオーナーデザイナー、前田義子氏の心に響く言葉より…


私が「強運」に見えるのは、運が悪かったことは人には話さないで、よかったことは3倍にして話すことがあるかもしれません。

人は運のいい人のそばに行きたいものだと私は思います。

運の悪い人のそばには行きたくないと思いませんか。


運の悪い人はいつも文句とか愚痴を言っているから、聞いているだけでイヤになってしまうし、自分の運まで悪くなってしまいそう。

逆に、運のいい人はポジティブな話をしてくれるから、そばにいると気持ちいいんですね。

だから人が集まるし、情報も集まる。

強運にはあやかれるのですから、自分を強運環境に置くことも大切だと思います。


待っていても運は来ないんです。

運が来ているのに、運が来ていると気づかないから運が来ないんです。


運が来ているのに知識がないために、それが運だとわからないんです。

運っていきなり黄金の光を放って寄ってくるわけじゃありません。

実は薄汚く見えるときもあって、でも知識があればそれはチャンスだと見抜くことができるんです。


運というのは知識の中に存在している。

私はそう思っています。

じゃあ、知識って何?と言ったら、「自分の知らないことは聞く」こと、興味を持つということです。


「知りたい」という欲は一番大事な欲だと思います。

何かあったときに「あ、そう」で終る人と、一歩突っ込んで「どうして?」と言える人とでは、そこで経験が増える分、知識も増えて差がついていくからです。

『前田義子の強運に生きるワザ』小学館



「運がいい」とまわりに言う人は、決して自慢しているわけではない。

自慢する人は、「誰の助けも借りず己の実力だけでやってきた」、と言う。

謙虚な人は、「ただ運がよかっただけです。まわりのおかげです」、と言う。


ギャンブルや株の世界では、往々にして勝ったときの話しかしない人は多いが、これは自慢。


「隠れている幸運を見抜くには、知識を増やすこと」

知識があれば、運だけでなく、災難や困難の乗り切り方もわかる。

たったひと言の「心に響く言葉」によって救われた、という人は多いからだ。


「運がいい」という人は、まわりを明るくする。




お米の出荷が始まりました。

2013-09-12 09:23:40 | イベント
一度に晴れて

乾燥機の中から お米の出荷が~


始まりましたよ。










【また会いたいと思われる人】


吉原珠央氏の心に響く言葉より…


年間に1000名以上の方とお会いする中で、「また会いたいと思われる」、前向きでチャンスをぐいぐい引き寄せて目的を達成し、幸せなオーラを発している人たちには共通点があることに気づきました。

ずばりその共通点とは、「反応がよい!」ということです。

彼らとは、打てば響くようなコミュニケーションが取れるのです。

たとえ付き合いが短くても、反応がよい人は、30秒も話していたらわかるものです。


「また会いたいと思われる人」は、驚かれるかもしれませんが、必ずしも社交性がずば抜けて高く、誰よりも明るく、頭脳明晰で話も得意…というわけではありません。

「反応がよい」というのは、簡単に言うと、「思いやりをうまく表現できる」ということなのです。


そいう人は、その場の空気(雰囲気)をさわやかに変えてしまいます。

空気が変われば、お互いに話がしやすくなったり、信頼できるようになったりするわけです。


「そう言われても、どう反応していいのかわからない…」という人は、少しでも体を動かしてジェスチャーを使ったり、一言でも言葉に出して、相手に対して反応をしてみようとチャレンジすることです。

何かしらの反応をしなければ、心の中では熱い思いがあったとしても、誰にも何も伝わらないからです。


あなたの大事なお客様の相談に対して、心から「それは大変でしたね」と言えるのか、あるいは「へ~なるほど」と浅く反応するのかで、3秒後の両者間の関係は変わるでしょう。

『「また会いたい」と思われる人の38のルール』幻冬舎



どんなに相手のことを気遣っていても、それが実際に行動や言葉に出なければ相手に伝わらない。

伝わらなければ、それは無いのと一緒。


「また会いたいと思われる人」は、「あなたは大切な人」というメッセージを言葉や行動で示してくれる。

つまり、共感し、認めてくれ、自己重要感を高めてくれる人だ。

そして、それぞれの人の価値を認め、高めてくれる「肯定の人」。


反対に、「二度と会いたくない人」は、話を聞いてくれなかったり、怒ったり、非難するという「否定の人」。

否定はマイナスのパワーしか生み出さない。


会っていて気持ちのよい人とは、話題を探さなくても何時間でも会話が続く。

肯定的で気持ちが通じ合う、「反応がよい人」。


また会いたいと思われる人でありたい。

秋の空

2013-09-10 21:01:58 | イベント



一斉に 稲刈りが 始まって~

きょうは


秋の空








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正しいことが伝わるのではなく

感動したことが伝わる



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