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クオリア

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。

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(南こうせつ作『神田川』の曲に乗せて)

あなたは もう お気付きかしら?
写真のドレス 青色なんて
二人で言った 「横縞なんや?」
一緒に「金よね」って 言ったのに
「ホントは黒だ」と諭された
SNSで みんなが知って
話題のドレス めちゃくちゃ売れた
若かったあの頃 何も怖くなかった
いまは みんなのクオリアが 怖なった




先日ニュースにも取り上げられたりした、ある「ドレス」の話題。

皆様はご存じでしたでしょうか?

一応、知らない方のために簡単に説明しますと、『上記の写真のドレスの色が、人によって違って見える』という話題が、SNSを中心に盛り上がっていたんですね。(こんな感じです)

本来は「青地に黒のボーダー」のドレスなのですが、「白地に金のボーダー」に見える方も多数。また、「青地に金のボーダー」なんて方も。

僕は最初「白地に金のボーダー」にしか見えず、「え?青と黒?マジ?」となっていたのですが、数日後、「青地に黒のボーダー」としても見えるようになりました。

ちなみに、なぜ人によって色が違って見えるのか、その理由を解説しているページもありました。

それがコチラ


そこにあるものは同じなのに、見ている人によって感じ方が異なる。

「白地に金のボーダー」に見える人に、「ホントは青地に黒のボーダー」だと告げたとしても、自分にとっては「白地に金のボーダー」が事実であって、

「青地に黒のボーダー」に見える人に、「白地に金のボーダーに見える人もいる」と告げても、「なんで?どうして?」となるほど「青地に黒のボーダー」が事実であって、

中には「どっちにも見えるよ」って人もいて。そうすると、片方しか感じられていない人からは「どっちもって、どういう事だよ!?」って思われて。。。

結局「ありのまま」も「事実」も「真実」も、人それぞれで違うんだよね。


これって少し、「意識変容」の話にも似ていると思う。

以前お話した、「ワンネス」と「個別意識」の関係性のことね。(2014年7月10日投稿「僕はあなたであなたは僕で」より)





「私は私、あなたはあなた」

「私はあなた、あなたは私」

これと、一緒だなって。


僕が、「僕はあなたで、あなたは僕で」と話すと、「その証拠を示せ!」と詰め寄ってくる人がいる。

でも、僕にとっては、証拠も何もあったもんじゃない。「現にいまそうじゃないか」「その状態じゃないか」という感じなんだ。

その「証拠を示せ」という、その人の気持ちが、わからないわけではありません。僕も、そうだったから。


いわゆる「さとり」や「目覚め」っていうのは、「葉」の感覚から「木」の感覚へ切り替わる意識変容、その訪れのことなんだけど、それはそんなに大げさなことでも、特別な神秘体験でもない。

確かに僕たち人間の意識状態は、長らく「個別」「分離」という『葉』としての感覚が強かった。

「だって、<あっちの葉>と<こっちの葉>は、現に別物じゃん?」ってなってた。

それで、「葉」の一枚一枚に、個別の命や魂が内在されている様なところまで、勘違いは広がっていた。

でも実際は、<あっちの葉>が自分として指す命と、<こっちの葉>が自分として指す命は、ひとつの同じ「木」の命だ。

葉が、ある日目覚めて、突然木に変貌を遂げたワケじゃない。

気づく前から、木として存在し続けていた。それ以外であったことがない。

ただ、ずっと、自分を葉だと思い続けていただけだ。

その思い込みが外れただけで、存在自体は何も変わってないんだよね。


世界がバラ色に見えている人もいれば、ドドメ色に見える人もいる。

あなたには、何色に映っていますか?



【トークライブ・インフォメーション】


ソロライブ in 広島

いつぶりでしょう?
本当に久しぶりに広島にお伺いします。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
主催は以前同様つばさ整骨院の福田さん。詳細は下記のリンク先をご覧ください。

◎4月18日(土)14:00〜 広島

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平日のお話会「月イチ☆」、3月開催分はただいま日程調整中です。
準備が整い次第改めて告知いたします。



←あなたには、何色に見えますか?
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言の葉は、思いの器

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しゃべれば しゃべるで しゃべったどって しゃべらいるし

しゃべねば しゃべねで しゃべれどって しゃべらいるし

どうせ しゃべらいるんだば

しゃべねで しゃべねって しゃべらいより

しゃべって しゃべったって しゃべらいる方がいんでねが

(太古の昔より東北に伝わる深遠なる教え)



まぁ、そんな気持ちでこうしてなんやかんやとしゃべり続けているわけではありますが、やはりしゃべればしゃべるで、どうしゃべるのかが、なんとも難しいのでございます。


実はここのところ、一冊の本の編集にあたっている最中でして。

昨年末、翻訳家の山川紘矢さん・亜希子さんご夫妻と対談をさせていただく機会を頂戴したんですね。

それを本にしようという企画で、ただいまシコシコとまとめているところなのですが、それがまぁ、なかなかに大変で。

コンテンツとしては、もう話終わっているわけですから、あとは活字に起こしゃいいだけじゃないの、と思っていたのですが、編集をはじめて見ると、そんなもんじゃないんだな、ということを目の当たりにしています。

なんといいますか、話し言葉をそのまま活字に起こしてみたら、とんでもないことになっちゃったんですね。

「おいおい、俺、そんなこと言ってねーぞ!」的なことが多々ありまして。

でも、実際にそのとき録音されたときの声を聞き直してみると、確かに言ってるんですわ(笑)。

でも、その「言っている言葉」は、「書かれている言葉」と、同じようでいて、中身が全然違って感じられるんですね。

ああ、声と活字では、こんなにも印象が異なってしまうのか、と。

まして、一度自分自身が話した内容にも関わらず、それが音からビジュアルになっただけで、こんなに違ってしまうか、と。


人間関係のトラブルの中には、「言った、言わない」みたいなものも見受けられますが、その多くは、やはり発信者は「言っていない」ことが多いんじゃないかと思いました。

「確かにそういう表現をしたかもしれないけど、そういう意味で言ったんじゃないんだもん!」というね。

いつも感じることながら、「思い」を「思い」のまま渡すのは、その二人の間に壁があると、途端に難しくなっちゃうんだよね。

なかなか、以心伝心で理解しあえるっていうのは難しい。


「思い」というその「中身」を渡すため、届けるために「言葉」という「器」を用意するんだけど、渡された方は「中身」よりも先に「器」に触れざるを得ないから、そこで一度イメージが固定されてしまう。

場合によっては、その器のせいで、中身を見たくなくなるかもしれない。

逆に、その「器」があまりに素晴らしすぎると、器ばかりありがたがられて、中身を見てもらえないかもしれない。


さらには、器と中身が、まるで逆になっている場合だって、ある。

たとえば、「大好き!」という思い(中身)を、「バカ!」という言葉(器)で渡すことだってできる。

その場合、「大好き」という中身を、そのまま「大好き」という器で渡すよりも、ちょっとした深みが感じられることもある。

でもこれが、「その言葉が発せられたときのシチュエーション」や「しぐさや表情」なんかが全部そぎ落とされて、「バカ!」という言葉だけが残ってしまったのだとしたら、もうその器の中を覗きたいとは思えないかも知れない。


相手に対する信頼や好奇心があるなら、器の中身を覗くことは難しくない。

でも、そもそも信頼していない人、関心の無い人などが渡してきた器なら、その中身をわざわざ見たいとも思わないだろう。


人と人が言葉を交わすとき。

中身にそった器で渡すこともできる。

中身とギャップのある器で渡して、サプライズを狙うこともできる。

中身を入れずに、器だけを渡すこともできる。


器が無くても中身を受け取れる感性があれば問題はないのだけれど、心に壁があるほどそれは難しい。

二人の間にある壁は、一枚ではない。

自分と相手、それぞれ一枚ずつ、壁を持っている。

そもそも警戒心によって、自分を守る為に壁があるのだから、「中身を確認して、それで大丈夫だったら、壁を取り払うね」ということが出来ない。

「壁があるからこそ、中身を見ることができない」のだから。


とにもかくにも、言葉に限らず、あらゆる表現という表現は全て器であるということ。

その器の中にある思いは、器に感じたイメージとはほど遠い可能性があるということ。

人と人がコミュニケーションを取るうえで、これを知ってるのといないのでは、だいぶ人生の質が異なってくる。




……といった言葉(器)に、「この本が無事出版された暁には、買ってね♡」という思い(中身)を入れてお届けする、本日の更新です。




【トークライブ・インフォメーション】


ソロライブ in 福岡&熊本

昨年の5月以来、久しぶりとなる福岡、熊本でのお話会。
開催はいよいよ今週末となりました。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。

◎2月21日(土)14:00〜 福岡
◎2月22日(日)14:00〜 熊本

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ソロライブ in 伊勢

黒斎くん、三重県初上陸!
ということで、初めて伊勢へのお誘いをいただきました。
今回は、「はじめまして!」のエリアでおなじみの、参加型スライドショーイベントを予定しております。
お申し込み・お問い合わせは下記リンク先(主催/風と空と星さま)をご覧ください。

◎3月1日(日)14:00〜 伊勢

*****

平日のお話会「月イチ☆」(東京開催)

◎2月20日(金)19:30スタート [詳細・お申し込み]


平日のお話会「月イチ☆WEST」(京都開催)

◎2月26日(木)19:30スタート [詳細・お申し込み]


平日のお話会「でら☆月イチ」(名古屋開催)

◎2月27日(金)19:30スタート [詳細・お申し込み]



←これもまた、「ある思い」の器。その思い、感じていただけますか?
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伝えたい事

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何度も聞かれる質問があります。

「いろいろお話を聞きしましたが、結局のところ黒斎さんは何を伝えたいんですか?」

という、実に単刀直入なご質問です。

でも、この質問を受けるたびに、僕も頭を捻ってしまうのです。

答えたいけど答えられないんです。

別に隠してるとか、意地悪してるわけじゃないんです。

伝えたい「それ」が言葉に出来ないからこそ、日々試行錯誤しているんだからぁ。(なぜかクマムシ的な語尾で)


質問を寄せてくれた方は、どんな答えを期待していたんだろう。

ブログやトークライブにお越しくださる皆さんは、何を期待されていますか?

絶対的真理?
崇高な教え?
明るい希望?
人生の目的?
永遠の命?
苦境からの救い?
引き寄せの法則?
精神世界についての見解?


でも、僕が伝えたいのはきっと、そのどれでもありません。

僕が伝えたいのは、『汝自身を知れ』という命題の先にあるものです。


「じゃ、それを教えてよ」となる気持ちはわかります。

「問いがハッキリしてるんだから、さっさとその答えを教えてくれればいいじゃないのさ」

それもよく分かります。

しかし、たとえそこで某かの言葉を得ても、やっぱり「なぜその答えなのか」はわからないまま。

さらには、その言葉が新たな「限定的なイメージ」となって、その人の解釈出来る範囲内で構築されてしまいます。

あらゆる枠を取り払った広大な何かを伝えたいのに、言葉になることで限定的な何かに姿を変えてしまいます。


「その答えは、宇宙ですよ」

「その答えは、神ですよ」

「その答えは、愛ですよ」


誰かがが答えを言葉にしても、

「じゃ、その宇宙って、なんのことですか?」

「神って、なんですか?」

「愛って、なんですか?」

と、相変わらず単語を置き換えただけの言葉のループの中から逃れることはできません。


だからこそ、「あぁ、これか!」となる以外、外側から来るものは皆、「それ」ではなく、「それ」を指す矢印です。

で、「汝自身」を知れと指しているのですから、矢印はいつだって、その「汝」がいるところ(あるところ)、つまりは「いま」や「ここ」と同じところを指しているわけです。


「汝自身を知れ」

「知れ」と命じられたところで知れるわけじゃなし、知ろうと知らぬと、汝はすでに「それ」なのだけれど。


それでもなお、「何を伝えたいの?」と問われたなら、「それを聞いているあなたの正体」としか言えないんだよなぁ。




【トークライブ・インフォメーション】


ソロライブ in 福岡&熊本

今年もBe Here Nowの常冨さんから福岡・熊本へのお招きをいただきました。
昨年の5月以来、久しぶりの開催です。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。

◎2月21日(土)14:00〜 福岡
◎2月22日(日)14:00〜 熊本

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ソロライブ in 伊勢

黒斎くん、三重県初上陸!
ということで、初めて伊勢へのお誘いをいただきました。
今回は、「はじめまして!」のエリアでおなじみの、参加型スライドショーイベントを予定しております。
お申し込み・お問い合わせは下記リンク先(主催/風と空と星さま)をご覧ください。

◎3月1日(日)14:00〜 伊勢

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平日のお話会「月イチ☆」

2月の平日のお話会
「月イチ☆」は、20日(金)東京三鷹、
「月イチ☆WEST」は、26日(木)京都烏丸、
「でら☆月イチ」は、27日(金)名古屋駅前
を予定しております。
詳細および受付は、2月4日(水)のご案内となります。


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←「クリックって、なんですか?」 「矢印の先にあるものに気づいてほしいなぁ」
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三学

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中国の伝奇小説『西遊記』に登場することでも有名な三蔵法師さん。

実はこの「三蔵法師」という名称は、人の名前・固有名詞ではありません。

「三蔵(仏教の律蔵・経蔵・論蔵)に精通した僧侶(特に、インドから中国へと経典をもたらし、漢訳した方々)」という意味合いの「肩書き」なんですね。

なので、西遊記に登場する「玄奘」以外にも、「鳩摩羅什(くまらじゅう)」「真諦(しんだい)」「不空金剛(ふくうこんごう)」などたくさんの「三蔵法師」がいらっしゃいます。

でもって、この「三蔵」。要は仏典を大きく三つに分けたものなんですけど、律蔵・経蔵・論蔵って言われても、なんやよくわからないですよね。

今日はこのことを、先日の「アーティスト・デザイナー」「マイスター」のお話につなげてお話したいと思います。



実は先日再始動しました『阿雲の呼吸』、その大阪会場で、阿部さんが立ち上げられた「禅プロジェクト」の計画を少しばかりお伺いしたんです。

「阿部さん、禅プロジェクトって、具体的にはどんなことをしていくんですか?」って。

その答えの一つが、『三学(さんがく)の実践』というものだったんです。「三学(仏道)をともに実践していきましょう」と。

「三学」っていうのは、仏道における基本的な修行項目を「戒学(かいがく)」「定学(じょうがく)」「慧学(えがく)」と、これまた三つに分けたもので、それぞれが冒頭お話した律蔵・経蔵・論蔵に相当します。


『戒学』は、戒律のことで、めっちゃ平たく説明しますと「良いと思うことをしよう。悪いと思うことはやめよう」という戒めにあたります。(この戒めは、あくまで「自分に対して」です。戒律をもとに「あれをしなさい、これをやめなさい」と他者に強要するものではありません)

「良いと思うことをしよう。悪いと思うことはやめよう」っていうと、すごく当たり前のように聞こえるけど、これって結構難しかったりするんです。

自分の日常生活を振り返ってみると、「これはやった方が良さそうだな」ってことを先延ばししてしまったり、「これはあんまり良くないよなぁ」なんて思いながらも続けていたり、ってこと思いあたらないですか?

僕たちは良くも悪くも習慣に囚われてしまいがちなので、今一度、自分の行動や癖(事象に対する反射傾向など)を見つめ直し、留意をもって生活してみましょう、ってことですね。

そういった態度が、自分の心の内を観照することになり、次の『定学』に繋がっていきます。


『定学』は、心の錯乱や動揺を沈め、心身に寛ぎをもたらす方法を修める、つまりは瞑想を極め、「禅定」を修めること。

そして『慧学』は、智慧を修めることで、自我を超えた世界、すべての事柄のありのままの姿を見極めること。


この三つは、それぞれ連携しており、

戒 ・戒に準じて生き方を正すことによって「定」を助け、禅定に導き
定 ・禅定にある精神によって智慧(気づき)がもたらされ
慧 ・気づきを重ねることで真実をありのままに観られるようになり、それによって真理をさとり、仏道が完成する

という、仏道トリニティを成しております。


ここで大事なのは、これらを「学ぶ」という姿勢のあり方でして、「学ぶ」って言っても「覚える(記憶する)」わけではないんです。

仏道、禅の世界における「マスターと弟子」の関係は、「先生と生徒」ではありません。

マスターが弟子に「教える(何かを与える)」とか、弟子がマスターから「教わる(何かを受け取る)」ではないんです。

と、言いますのも、この三学(三蔵)を通してマスターが目指しているのは、弟子の「慧」の発露です。

「慧」ってのは、「気づき」のことですから、それは「新しい知識」ではありません。

「目からウロコ」という慣用句が指すように、慧(気づき)は「新しい知識が与えられる」ことで完成されるものではなく、「特定の観念が崩壊することによって露わになっていくもの」です。

「師の教えを私の中に取り入れる」のではなく、「師の言葉・体現によって、私の観念が崩れていく」、「私」が崩れた分だけ「慧」が露わになる、そういう関係なんです。


これが、「メッセンジャー(特にデザイナータイプ)」と「マスター」の最大の違いです。

前回お話したとおり、「デザイナー」の基本は、「受け取ってもらう」という姿勢です。

それに対し「マスター」の基本は「奪い去ってしまう」ですから、関係性でいえば、真逆なんです。

以前ご紹介した老子の言葉にも残されていますね。

学を為せば日に益し、道(タオ)を為せば日に損す。

訳:学びを成せば、日に日に知識が身についていく。
  しかし、道(タオ)を成すのなら、逆にそれらは日に日に失われていく。


他のことはさておき、こと仏道・禅に関しては、マスターに対して「マスターはこの修行において、私に何を与えてくれるの?」という姿勢で向かい合ってしまうと、全てが空回りしてしまいます。

そしてまた、マスターが奪い去ろうとしているのは、コンプレックスなどの「落としたいもの」だけではありません。時には弟子が「良かれ」と思って大事に抱えているものすらも落としてしまう勢いです。

そこにはやはり、マスターに対する大きな信頼、リスペクトがなければ成り立ちません。




【トークライブ・インフォメーション】


再始動!『阿雲の呼吸』〜新春の陣〜

名古屋・福岡での開催は、いよいよ明日・明後日となりました!
いまのところお席にはまだ余裕がありますので、当日受付も可能かと思います。
お時間が合いましたら、ぜひ足をお運びください!
詳細は下記リンク先にてご確認ください。

◎1月17日(土)名古屋
◎1月18日(日)博多

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平日のお話会「月イチ☆」

◎1月21日(水)19:30スタート [詳細・お申し込み]

今月は、阿雲の呼吸で大阪・名古屋にお伺いするため、「月イチ☆WEST」「でら☆月イチ」はお休みさせていただきます。

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ソロライブ in 福岡&熊本

今年もBe Here Nowの常冨さんから福岡・熊本へのお招きをいただきました。
昨年の5月以来、久しぶりの開催です。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。

◎2月21日(土)福岡
◎2月22日(日)熊本



←読者に対する大きな信頼がなければ成り立ちません。
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表現者

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みなさま、改めまして、あけましておめでとうございました。(過去形)


2015年を迎え、晴れて「厄年終わったー!」と胸をなで下ろしていたところに、「黒斎さん、厄年は旧暦で数えるから、2月18日まで続くよ」というクールなコメントが多数寄せられました。

Don't Worry!

大丈夫。私、失敗しないので。(人見知りのチワワのように小刻みに震えながら)


さて、新年1発目の投稿。

何を書こうかと迷ったあげく、昨年末ブログ以上に大きな反響をいただいた、Facebookでの書き込みに加筆してお話をすすめていきたいと思います。



『表現者(クリエイター)』には、大きく分けて2つのタイプが存在します。

一つは「アーティスト」、一つは「デザイナー」です。

アーティストもデザイナーも表現者ではありますが、決定的な違いがあります。

アーティストは、自分の感性・表現したいものをストレートにアウトプットします。そこには制約もルールも存在しないので、完全に自由です。

一方デザイナーには、様々な制約が存在します。それは、自分のアウトプットしたい表現がまずあるのではなく、クライアントやユーザーの要望・ニーズが最優先とされるからです。

表現の軸が、アーティストは「自分」にあり、デザイナーは「他者」にあります。


もちろん「表現力」というものは必要ですが、それ以上にアーティストの持つ魅力は、その感性。言い方を変えれば、常人離れしたものの見方です。

その感性を伝えたいという強いパンションに突き動かされてを自由にアウトプットするのですから、その魅力が通じる人にとっては、とてもパワフルに映ります。

しかし、自由ゆえのデメリットも存在します。

そのものの見方が、一般的な見方と乖離するほどオリジナリティを増しますが、度を超えると理解されなくなってきてしまうのです。

また、そのオリジナリティが激しくなるほど、それに対する印象の好き嫌いが色濃くなっていきます。賞賛と嘲罵の二極化が進むんですね。


一方デザイナーは、基本「受け入れてもらえること」と「表現がニーズと一致すること」が前提となります。

まず、自分よりも相手が優先されるため、そこまで強い表現者の感性や作家性(常識を覆す新たな視野)は求められません。むしろ自身の個性を消して、的確にニーズに表現を合わせていく柔軟性が求められます。

もちろん新たな視野の提供・サプライズはパワフルなので、それを効果的にアウトプットできれば最善なのですが、ターゲットが持っている視点との乖離が大きくなればなるほど、表現になる前にお蔵入りとなります。

仮に、過剰な個性で無事アウトプットされたとしても、ユーザーの感性と合わなければ、やはりその表現は機能しません。(想定外に受け入れられるというミラクルも時に起こりえますが)

奇抜なデザインも存在しますが、それは奇抜さを求めるユーザーがいて、はじめて成立します。アート同様、その表現が一般受けしなくなっていくほど、賞賛と批判は二極化していきますが、プラン上あえて批判するターゲットは切り捨ててよし、届かなくてよし、なわけです。

アーティストに「鑑賞者のセンス・理解力に合わせろ」というのも変ですし、デザイナーにアーティストの強い感性・作家性を求めても酷です。


このことは、グラフィックの世界に限ったお話ではなく、様々な分野に当てはめてみることができます。

精神世界における『メッセンジャー』と呼ばれる方々もしかり。

言わずもがな、「どう言ったら伝わるだろう?どうすれば耳を傾けてくれるだろう?」と、人の顔色を気にしながら表現を模索している僕は、バリバリのデザイナータイプ。

賢者テラさんなんかは、バリバリのアーティストタイプですね。

ご自身がお話されている通り、「売れるため、受け入れてもらうために言葉を薄め、あるいは捏造し、世間の顔色を窺うようになる」ことを嫌います。

受け入れられるかどうかは別問題。とにかく、自分の言いたいことを言いたい、という強い思いがあります。


さて、問題はここからです。

表現のカタチがどうであれ、精神世界における「コアの部分」、いわゆる『それ』については、基本的に世間に受け入れられやすい内容ではありません。

たとえば、「自我を超える」「自我を落とす」「自我を消す」などといった内容は、その言葉尻はどうであれ、「自我の解釈の向こう側」への誘いです。

そのためには、一度、自我が死ななければなりません。

自我は自分ではありませんが、それを自分だと感じている人に「一回死んでごらん」なんていうメッセージが、受け入れられやすいものであるはずがありません。

確かに不安や悩みも抱えてるけど、究極の理解なんてなくたって、とりあえずちゃんと生きてるんだし、日々の生活だってあるし、そんなことに時間を費やすほど暇じゃないし、「一回死ね」とか、そういうのより、もっと生活に密着してる『使える処世術』の方を教えてもらえる方がありがたいんだよね。ってのが正直なとこだと思うんです。

で、ヒアリングする側がそうなのだとしたら、実はデザイナータイプのメッセンジャーにはもうお手上げなんだよね。

自分の理解を処世術のレベルまで薄めないと、受け取ってもらえないから。広まらないから。

でも、そこまで薄めたメッセージをどれだけ発信しても、結局本質の部分が伝わるわけはないんだよね。だって薄いんだから。

なので、その本質の部分を語るには、アーティストにならざるを得なくなるわけです。

受け入れる入れないお構いなしに、ズドン!とど真ん中に剛速球食らわすわけですから、感性が上手くはまれば、一気に大きな気づきが訪れるかもしれません。

なんだけど、アーティストタイプのメッセンジャーは、そもそも常識では「え!?」ってなるところを、ストレートに「一回死んでごらん」なんて言い出すわけだから、どんどん耳を傾ける人がいなくなっちゃうし、それどころかだんだん嫌われだしちゃう。

どれだけ本質を突いたメッセージを発信しても、結局なかなか広まらないんだよね。


僕もね、ちょくちょく自分でも思うことがあるんです。

僕のメッセージ、薄いよなーって。

で、思い切って、いつもよりちょっと濃いめにして出してみることもあるんですね。

そうすると、「ちょっとミチコさん、最近のお味噌汁、なんだかとっても塩辛くなくて? もしかしたら、私を早死にさせたいってことなのかしら?」なんて、どっかの姑さんみたいな感じでなじられちゃったりするんだよね。だってそうだよね、確かに自我を早死にさせたくて出してるんだから。


ま、薄いにせよ、濃いにせよ、どっちもどっちで伝わりづらいわけでして。

そもそも「頭の中から言葉が消失したときに初めて感得できる世界」を、言葉を使って伝えようってこと自体に無理があるんですよ。

我ながら、不毛ですね(笑)


で、ですよ。

じゃ、その真髄を言葉を介さず伝える為には、どーすりゃいいのよ?ってことになるわけで。

そこで出てくるのが『不立文字(ふりゅうもんじ)』『拈華微笑(ねんげみしょう)』『教外別伝(きょうがいべつでん)』という禅の世界。

言葉じゃないんですから、そこは「メッセンジャー」ではなく、「マスター」の出番でございます。


マスターは、アーティストでも、デザイナーでもありません。

「表現者」ではなく、「体現者」なんですね。

「アーティスト」や「デザイナー」に代わるタイプをしいてあげるなら、「マイスター(職人)」みたいな感じ。

同じ言葉を発しても、メッセンジャーは「表現」、マスターは「体現」。同じようでいて違うんだよね。


次回は、そこらへんの違いについてお話してみたいと思います。



【トークライブ・インフォメーション】


再始動!『阿雲の呼吸』〜新春の陣〜

いよいよ開催の迫ってきた阿雲の呼吸。
12日(月・祝)開催の大阪会場は、残席わずかとのことです。
詳しくは下記リンク先にてご確認ください。

◎1月12日(月・祝)大阪
◎1月17日(土)名古屋
◎1月18日(日)博多

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平日のお話会「月イチ☆」

今月は、阿雲の呼吸で大阪・名古屋にお伺いするため、「月イチ☆WEST」「でら☆月イチ」はお休みさせていただきます。

東京三鷹会場は、1月21日(水)開催予定です。チケット販売は来週14日(水)からとなります。

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ソロライブ in 福岡&熊本

今年もBe Here Nowの常冨さんから福岡・熊本へのお招きをいただきました。
昨年の5月以来、久しぶりの開催です。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。

◎2月21日(土)福岡
◎2月22日(日)熊本



←「どうすれば押してもらえるだろう?」と、人の顔色を気にしながら表現を模索しています。
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謹賀新年

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門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし (一休宗純)


とにもかくにも、大丈夫、心配するな、なんとかなる






本年もどうぞよろしくお願い致します!


←お年玉ください。(どストレート)
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今年も一年ありがとうございました!

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こんにちは!

ライブではいいだけしゃべるのに、ブログになるととたんに寡黙になる男です。(更新がないだけです)

年の瀬を迎え、クリスマスもぶっちぎりで音沙汰なしだったので、いよいよ死亡説が流れ始めました。w


今年はどんな年でしたか?

僕はというと、「ほんとに厄年ってあるのかも?」ってぐらい厄年的な事があれこれ訪れる一年でした。

まぁ、そのせいもあって、出来るだけ静かめに過ごした感じだったんですけども、ソレも今日で終わり。

いよいよ厄年も終え、待望の2015年ですよ。

大晦日と元旦の一日違いで何が変わるのかは微妙ですが、とりあえず明日以降は何が起きても厄年のせいにはできませんね。

後厄のせいですね。(おい)


まぁ、あれこれ言っておりますが、2015年はもう少し活動的な年にしていこうと思っております。

ブログのマメな更新は勿論、しばらく止まっていた、書籍の執筆なんかも再開していこうかと。

とりあえず、1月には「阿雲の呼吸」の再始動からスタートいたします。

ぜひ、新春に向けて気持ちを入れ替えた僕を見に来て頂ければと思います。

何をどう入れ替えるのか、僕自身にとってもいまだ未知ですが、とにもかくにも、お伝えできることは話づらいことも含めて100%お話しする勢いでございます。

お申し込み・詳細は下記リンク先をご確認ください。


再始動!『阿雲の呼吸』〜新春の陣〜

◎1月12日(月・祝)大阪

◎1月17日(土)名古屋

◎1月18日(日)博多



今年も一年お世話になりました。

たくさんの応援、ご助言、ありがとうございました!

また、何かとご迷惑・ご心配をお掛けした方々には、この場を借りて改めてお詫び申し上げます。

それでは、どうぞよいお年をお迎えください!



←今年も一年ありがとうございました!
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心の中を覗いてみよう(後編)

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自分を苦しめるとわかっていても、感情が抑えられない。

頭を休めてたくても、思考が止まらず眠れもしない。

こうした心の葛藤は、狂犬と化してしまったパートナー、バディの暴走です。

主人とバディのパートナーシップが崩れ、主従関係が逆転したまま、あちこちで解決策を模索してもあまり上手くいきません。

「引き寄せの法則」や「成功哲学」などで紹介されている様々なメソッドは、このパートナーシップが健全な状態で初めて有効になるものがほとんどだからです。


では、このパートナーシップを取り戻すにはどうしたらいいのでしょうか。

それにはもちろん、このバディを躾けなければならないのですが、いきなり躾を始めようと思っても、これもなかなか上手くいきません。

バディがどこまで機嫌を損ねてしまっているか、その度合いが、その後の躾けやすさと比例します。

しかし、どんなにバディが機嫌を損ねていても、躾ができないわけではありません。

なぜなら、バディも主人との健全な関係を、どこかで望んでいるからです。


バディの悪戯がエスカレートしてきた原因はただ一つ。

主人にかまってもらいたかったから。

自分に関心を向けてもらいたいがゆえに悪さをし、必死に気を引こうとしてきたのです。


「怒らないように」や「悲しまないように」という様な『感情の抑制』は、大声で吠えまくっているバディを無理矢理押さえつけ、「吠えるな!」と叱りつけているのと同じ状態。

それで素直におとなしい良い子になるはずはありません。むしろ余計にストレスを溜めてしまいます。

また、「心に静寂を」と、目を閉じ深呼吸を繰り返すのは、バディを怒らせないよう刺激しないよう、物音を立てず静かにコソコソ暮らすことに似ています。

その時は良くても、また主人が活動を始めようとすれば、その気配に気づいたバディが暴れ出してしまいます。

「毎日瞑想していても、気持ちが落ち着いているのはその時だけで、日常生活に戻ると、結局思考も感情もコントロールできなんです」という経験をされている方も多いのではないでしょうか。

宗教や精神世界、成功哲学や処世術などに答えを求め、情報集めをしている人は、『はじめてでもよくわかる!正しい犬のしつけ方』という教本を探し回っているのと同じです。

バディのしつけは、「子犬のうちからではなく、すっかり成犬に成長しきっている狂犬を躾ける難しさ」に似ています。

教本どおりにやってみても、なかなかその通りになんてなってくれません。

「ああ、この本に書かれていた方法でもうまくいかなかった。よし、もっといい教本を探しにいこう…」

それを繰り返すうちに、部屋には無数の「しつけ本」が山積みになってしまいます。

「ああ、どこをどんなに探しても真理も法則も見つかりゃしない…」

でも、問題はそこではありません。

バディが必死に「僕を見て!」と吠えまくっているのに、主人はそれを無視して読書に夢中。

そう。本当に目を向けなければならないのは、「教本」ではなく「バディ」の方です。


昨今目にすることの多くなった「ありのままを受け入れる」という言葉の意味は、「僕を見て!もっとかまって!」と叫んでいるバディを受け入れることです。

「こんな心の中が乱雑になったわたしは、本当の私じゃない。もっと健全な心の状態になったわたしが、ありのままのわたしのはずなのよ!」と、現状否定しているうちは、「ありのまま」にかすりもしていません。


以前からお話している「現状を否定しないこと」「感情を味わい尽くすこと」の大切さは、「おかんむりのバディと真摯に向き合い、彼の怒りや哀しみをしっかり受け止めること」を指しています。

自分を振り回している思考や感情を否定したり、目を背けたりしても、なにも解決しません。むしろバディはますます主人に刃向かう様になってしまいます。


躾に入るその前に、まずはちゃんとバディと向かい合うことが大切です。

「僕を見て!もっとかまって!」と叫んでいるのですから、もっと見て、もっとかまってあげれば、徐々にバディは納得してくれます。

「ああ、よかった。ようやくバディが少しおとなしくなってくれた…」と思っても、躾に入るのはまだ早いです。

なんせ、もう何年、何十年分もの鬱積を、バディは抱えてきたのですから。

ここでまた「ご主人風」を吹かせて「よし、じゃ、僕の言う通りにしてごらん」なんて言われたら、バディもまた「なんだとこの野郎!」とへそを曲げてしまいます。

じゃ、どうすればいいのか。

それは、『バディに土下座』です。

これまでの人生で、どれだけバディに振り回されて嫌な思いをしてきたとしても、ここは誠心誠意、バディに謝りきるしかありません。




ごめんなさい。

許してください。

愛しています。

ありがとう。



Σ( ̄Д ̄;) 「あ、これどっかの教本に書いてあったヤツだ! なのに、全然見当違いのとこに、この言葉向けてた! …ってか、ただ闇雲に唱えてた! そりゃ、バディの怒りも哀しみも薄らぐわきゃねーよなぁ!」

それに気づいたら、あとは本気でバディに「ごめんなさい・許してください・愛しています・ありがとう」を伝えなければなりません。

同じ心の中で育ったバディには、主人のウソも演技も一切通用しません。大和田常務の様な「イヤイヤな土下座」では、ちっとも納得してくれないんです。

バディが本当に許してくれるまで、真摯に、真剣に、「ごめんなさい・許してください・愛しています・ありがとう」。

主人の誠意が伝われば、徐々にバディにも「もういいよ。わかったよ」という気持ちが生まれるハズです。

それでもまだ、長年裏切り続けられてきたバディは、時々「その気持ち、本当?」と、主人を試すように悪戯をしたりします。

そんなバディの悪戯にも、「僕の事、試してるんだよね。だいじょうぶだよ、バディ」と、ドッグランで思いっきり走らせてあげて、たまったモノを発散させてあげましょう。




こうして少しずつ、二人のパートナーシップは健全さを取り戻していきます。

ここまできて、ようやく躾の時です。

いきなり、あの憧れのドッグトレーナーのように高度な技(奇跡)を望んでも、上手くはいきません。

「お手」「伏せ」。まずは「動いて欲しい時に動く、止まって欲しい時に止まる」といった基本的なところから。



そしてまた、態度も「主人とペット(主従関係)」ではなく、「かけがえのない、対等なパートナー」として。


その絆が深まるごとに、自己矛盾のない、健全な流れが人生に現れていきます。




そして、主人の愛が届き、バディもまた主人を本気で愛し出したとき。

バディが持つその「鋭い嗅覚(直感・シンクロニシティ)」を主人のために発揮するでしょう。




「ここ掘れ ワンワン!」



Special Thanks /Keisuke Oda(イラスト提供)


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←ここ押せ ワンワン!
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心の中を覗いてみよう

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。

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ウンコの家にワンコが来たよ!

ということで、我が家にモフモフさんをお迎えしてから早4ヶ月。

相変わらずデレデレの黒斎くんです。

だってさ、だってさ、毎朝起きてリビングに向かうと、待ってましたとばかりにこんな感じで「パパ!おはよーーーっ!」って跳んで来るんだぜ。



そりゃどれだけ雲黒斎邸がワンコクサイ邸になったって、このめんこさは、たまんねーべや。


んでもって先日、久々に雲さんのピロートークが炸裂しましてね。

(  ̄Д ̄) 『せっかく犬を飼うという新たな経験を元に、おまえのアウトプットネタがが増えたんだから、最近伝えようとしている「思考は現実化する」って話をワンコネタでやってみよーや』

ってことになったんですね。

雲さんにはさっさとお帰りいただきまして、早速進めて参りましょう。


まず、今回の例え話においては、これまでお話してきた様々な例え話、特に「悟り系」のお話は一旦忘れてください。

「時間は幻想である」とか「すべてはひとつである」とか「未来はすべて決まっている」とか、そういった類の話と今回の話をごっちゃにすると、わけわかんなくなっちゃいますんで。

できるだけ日常感覚に近い、シンプルなカタチで『心の中を覗いてみよう』というお話したいと思います。


「心の中を覗く」と言っても、人様の心の中ではございません。自分の心の中です。

その心の中に、「現実認識を担当する自分(主人)」と「思考と感情を司る、忠犬バディ」が住んでいます。



ふたりは切っても切れないパートナー。物心ついたときから常に一緒です。



互いに幼いころはルール無用。無邪気にじゃれ合い、楽しく、仲良く暮らしていました。

泣きたいときに泣く。動きたいときに動く。怒りたいときに怒る。笑いたいときに笑う。休みたいときに休む。

どんな感情が起こっても、「わっ」とじゃれ合うことで、感情や思考を後に引きずることなく、しっかり発散しきっていました。

互いの無垢さ、無邪気さゆえの、良好な関係でした。


そしてそのまま時は流れ、二人が成長し、徐々に社会との関係を構築していく頃。

主人とバディの良好だった関係が徐々に崩れだしていきます。

幼少期、二人はとても無邪気に遊んでいましたが、そこはやはり、じゃれ合っていただけ。バディのお世話をしなければならない主人自身も幼かったため、バディを「躾ける」ということが全くできていませんでした。

そう。この心の中、住んでいるのは主人とバディの二人きりのため、自分以外にバディのお世話をしてくれる誰かはいないのです。

社会性が求められる環境に身を置きながらも、バディの躾けが適応できていないため、現実認識を担当している心の中の自分に「あれ?なんか上手くいかない。思い通りにならないぞ?」という感覚が生まれてきます。

その後も徐々にバディ(思考と感情)の行動が、主人の思惑を離れて一人歩きしだしますが、「バディには躾けが必要だ」ということを知らない主人は、訳の分からぬまま、社会システムと自分の間に違和感を感じます。

その違和感を解決しようと、主人の意識はますます、心の中(精神性・スピリチュアリティ)よりも外界に向いていきます。(バディとの付き合いは社会との関わり以前からあったため、成長過程で拡大した違和感は、成長過程で接触が増した外界側にあるのではないかと思ってしまうんです。)

それに輪をかけ、興味や関心をひく魅力が、外界には溢れています。

バディが主人に「あそぼっ!」と近寄ってきても、主人は「ゴメン、いまそれどころじゃないんだ」って感じで取り合ってくれません。



そしてバディはストレスをため、懐かず、やりたい放題の狂犬へと変貌していきます。


人に好かれるように。

人に嫌われないように。

競争に勝てるように。

せめて負けないように。

成功できるように。

失敗しないように。

安全でいられるように。

危機を回避できるように。

社会との関わりが密接になるほど、様々な思考や感情が渦巻きはじめますが、相変わらずその思考と感情を司っているバディの躾ができていないままなので、主人はバディに振り回される人生になっていきます。




もう、心の中は、すっかり言うことを聞いてくれなくなったバディのやりたい放題。しっちゃかめっちゃか。



この心の中にすむ主人は、このしっちゃかめっちゃかの状況を「現実」として捉えます。

そしてその部屋を荒れ放題にした主犯は、主人ではなくバディ。

こうして「思考(バディ)が現実(受け入れたくない荒れた部屋)をつくりだした」わけです。


主人はその状況をみて、このままではいけないと思い、部屋を片付けます。

しかし、片付けても片付けても、またバディが荒らしてしまうのです。


「バディ!どうして僕の言うことをきいてくれないんだ!」

躾を怠った自分を棚に上げてバディを叱りつける主人。

それに腹を立てたバディは、主人に噛みつきます。



ジクジクといつまでも止まない痛みが心の中に…。


それだけにとどまらず、バディの暴走はいたるところで現れます。

外を歩けば他者に吠えまくり、



主人がモチベーションを発揮したい時に動かなくなり、



夜の遠吠えがうるさくて眠れもしない。




バディのやりたい放題に、すっかり主人も疲労困憊。

やりたいことをやろうとか、人生を謳歌しようとか、夢と希望を胸に抱いてとか、そんなことに意識を向けられるほどのエネルギーは、もうなくなってしまいました。

部屋の掃除で精一杯。それすらも徐々にどうでもよくなってしまうほどに疲れてしまいました。

「思考は現実化する」と言われても、その思考が自分の言うことを聞いてくれないのですからお手上げです。




さてこの後、主人の運命やいかに。

後半へ続く。



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思い通りの人生

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「思考は現実化する」も「引き寄せの法則」も「ありがとう」も「ツイテルツイテル」も「断捨離や片付け」も、『願いを叶える魔法・万能ツール』ではありません。

これらは、創造の可能性を拡大する一要素であるとともに、本質的な幸せを見いだすきっかけにはなりますが、「願い通りの人生」を手に入れることとは別のことです。

上記のメソッドの本質を深く理解することができたとしても、また、悟りを感得したとしても、人生からハプニングがなくなることはありません。

勿論、現実認識のあり方が変容したことで、「ハプニングを問題として捉えなくなる」という状態はあり得ますが、「ことの流れ」は思惑通りにはなりません。

以前「ゲームの例え」でお話したとおり、この現象界自体が「なかなか思い通り(願い通り)にならない」という前提で成り立っている以上、どこに『願いを叶える魔法・万能ツール』を探しても、それは徒労に終わります。

しかし。

人生に起こることは思い通りにはなりませんが、その状況下で思い通りに生きることは可能です。


緑色の本の中にあった「三位一体」のお話を思いだしてみてください。

そこでは、「父と子と聖霊」を「クリエイターとキャラクターとプレイヤー」に置き換えて説明しました。



「自我」と呼ばれる「キャラクター」は、ゲームの世界・モニター(現象界)の中に存在します。

僕たち人間の通常の意識状態は、自分のことを、このキャラクターであると疑いなく信じている自意識です。


キャラクターは、その才能・性格・人徳に関わらず、苦悩とあらゆる制限に囲まれた「ゲームの世界(現象界)」に投げ込まれています。

しかし、「実際の自分」は、このモニターの中にいるキャラクターではありません。

高次元(モニターの外)に存在するプレイヤーです。

ゲームに熱中しすぎたあまり、モニター内のキャラクターに成り切りすぎてしまっているのが、通常僕たちが認識している自意識です。


さて、ここでです。

キャラクターは、プレイヤーに影響を与えることは可能でしょうか?

残念ながら、それはできません。

プレイヤーが右に進みたいと思えば右に、左に進みたいと思えば左に。

キャラクター(自我)が、どれほど不満を投げかけても、プレイヤー(高次の自分)の思惑から逃れることはできません。


僕たちが日常生活の中で、苦悩を見いだしている時。思い通りにならないと感じている時。

それは、キャラクターの意識とプレイヤーの意識が乖離している時に起こります。

キャラクター(自我)が右に行こうとしているのに、プレイヤー(高次の自分)が左のボタンを押している。

それが、キャラクターの意識には「思い通りにならない」という感覚として露われます。


逆に、なにかとついていると感じる時、思い通りにスムーズに展開すると感じる時。

それは、キャラクターの意識とプレイヤーの意識が一致している時に起こります。

キャラクター(自我)が右に行こうとしている時、プレイヤー(高次の自分)も右のボタンを押している。

キャラクターの感覚で「自分がしている」と感じられたとしても、それはたまたまプレイヤーの意識と選択が一致したから。

実際に主導権を握っているのは、やっぱりプレイヤーです。


そしてもう一つ、思い通りに展開する時があります。

それが、キャラクターの意識(自我)が消失した時、です。

これは、「画面からキャラクターが消える」わけではありません。

キャラクターとしての意識が抜け落ちるだけで、相変わらずモニター内にキャラクターは存在します。

そして、自我の意識が抜けた分、プレイヤーとしての自覚がむき出しになります。

プレイヤーなので、「思い通り」にゲームをプレイします。

右に行きたければ右のボタンを、左に行きたければ左のボタンを。

「なんで左に行きたいのに右に行かざるを得ないのか」とか、「なんだってこんな強敵の前に立たされなければならないのか」等といった不平不満と無縁の状態です。


なので、

「南無(全てを委ねます)阿弥陀仏(プレイヤーに)」

「神(プレイヤー)の思し召すままに」

なんですね。


冒頭の

人生に起こることは思い通りにはなりませんが、その状況下で思い通りに生きることは可能です。

というのは、そういうことでして、

悟ったところで(プレイヤーとしての自覚が現れたところで)、相変わらずゲームはゲーム。

残念ながら困難も障害もなくなりはしません。


キャラクターが「思い通り」と感じていようがいまいが、プレイヤーにとってはすべてが思い通りなんだよね。



さて。

次回は、こういった視点とちょっと違ったお話。

「悟り」とは少し離れた日常的な感覚の中から、心の中を覗いていきたいと思っています。

ただいま久々に、ぼんじょるさんにカットイラストを発注中。

表現がまとまるまで、いま暫くお待ちください。

まぁ、こんなこと言わずとも、お待ち頂くのは慣れっこだよね(自爆)



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今年9月に開催された木内鶴彦さんとのコラボイベントのご好評を受けまして、来年早々に第2弾が開催されることとなりました。
前回以上に深く切り込み、色々な角度から木内さんの見解をお伺いしたいと思います。


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2015年1月23日(金)18:30スタート [詳細・お申し込み]
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