角田陽一郎氏の心に響く言葉より…
以前、こんなことがありました。
芸能プロダクションに勤める知り合いの女性と話していたとき、彼女がよく買い物をする街・二子玉川に、新しいシネコンができるという話題になったのです。
「それは便利になるね」と僕が言ったところ、彼女からは「いえ、今よりもっと人が増えて、混雑するし、街が騒がしくなるから嫌なんです」という冷静な答えが返ってきました。
その気持ちは、理解できなくはありません。
自分が気に入っている街に、新参者がたくさんやってきて混雑するのを不快に思う気持ちは、誰にでもすくなからずあるからです。
しかし、ここで問題なのは彼女の職業です。
彼女は芸能プロダクションに勤務しています。
おそらく今後、そのシネコンで上映される映画に、彼女の会社の所属俳優が出演することもあるでしょう。
シネコンができれば、所属俳優の出演映画がより多くの人に観られることになります。
つまり、彼女の会社にとってはプラスであり、場合によっては彼女の給料が上がる可能性だってあるわけです。
この何気ないやりとりの中に、「仕事ができる人」と「仕事ができない人」の意識の差が表れていると、僕は思います。
働いている人の意識は、大きく3つに分けられるといわれています。
それは「当事者意識」「お客さん意識」「被害者意識」です。
「当事者意識」を持っている人は、何でも「自分ごと」としてとらえ、
常に責任を持って仕事をします。
自分に直接関係があろうとなかろうと、率先して親身になって仕事に取り組んでいくのです。
つまり、あらゆることを「自分ごと化できる」人だといえます。
一方で「お客さん意識」を持っている人は、「仕事はあって当然、給料はもらえて当然」と考えがちで、与えられた以外の仕事には取り組もうとしません。
全体的に、会社や上司などに対する感謝の念や、「会社に貢献しよう」という意識が希薄です。
先ほど例に挙げた女性は、まさに「お客さん意識」の持ち主だといえるでしょう。
彼女に当事者意識があれば、新しいシネコンができることに対し、まず「よかった」と喜ぶはずです。
さらに、どれぐらいの広さのシネコンなのか、どのような映画を上映しているのかを調べ、積極的にシネコンに足を運ぼうとしたのかもしれません。
しかし、お客さん意識で仕事をしている彼女は、「どのようなシネコンか、リサーチをしてくれないか」と上司から命令でもされない限り、そのようなことはしないでしょう。
会社の利益への関心が希薄だからこそ、「混雑するから嫌だ」という言葉が出たのだと思います。
なお、お客さん意識以上にやっかいなのが、「被害者意識」です。
被害者意識を持っている人は、常に「仕事をやらされている」と思っており、たとえ自分が関わる案件でトラブルが発生しても、自分の責任を認めようとはしません。
それどころか、まるで自分が被害者であるかのように振る舞い、他人に責任をなすりつけたり、言い訳をしたりします。
被害者意識は、いつの間にか芽生えてくるので、注意が必要です。
あなたは、仕事や勉強をしているときに「なんでこんなことをしなきゃいけないんだ」と思ったことはありませんか?
それこそが被害者意識です。
もし、そのような経験があるなら、思い出してみてください。
被害者意識を持っているときは、恐ろしく効率が悪かったり、成果が上がらなかったりしませんでしたか?
日本マクドナルドや日本トイザらスを設立した藤田田氏も言っています。
「傍観者はダメである。どんな仕事も当事者になることが肝心である」と。
あらゆることを「自分ごと化」し、当事者意識を持つことこそが、成功への近道なのです。
『「好きなことだけやって生きていく」という提案』アスコム
「ボクシングを見ている奴はいろいろなことを言うが、リングで戦っている奴を褒(ほ)めろ」
という、セオドア・ルーズベルト大統領の言葉がある。
戦いを見ている観客は評論家になりやすい。
当事者は、灼熱のフィールドや土砂降りのグランドで泥だらけになって戦っている。
だが、危険の及ばないリングの外や、空調のきいた室内でテレビを見ている観客は、勝手なことが言える。
これは、何もスポーツだけの話ではなく、我々の日常でも同じようなことが毎日のように起きている。
だからこそ、戦っている者、当事者、を褒め称(たた)えろ、なのだ。
当事者は、「熱狂する」「リスクを取る」「挑戦する」「勇敢に立ち向かう」「何でも面白がる」そして、人を喜ばしたり驚かせたりすることができる。
しかし、「お客さん意識」や「被害者意識」の傍観者は、自ら熱狂もせず、人の気持ちを冷やしたり、がっかりさせたりして、ひとごとで考え、他人のやる気を奪っていく。
どんなときも、当事者意識を持てる人でありたい。
以前、こんなことがありました。
芸能プロダクションに勤める知り合いの女性と話していたとき、彼女がよく買い物をする街・二子玉川に、新しいシネコンができるという話題になったのです。
「それは便利になるね」と僕が言ったところ、彼女からは「いえ、今よりもっと人が増えて、混雑するし、街が騒がしくなるから嫌なんです」という冷静な答えが返ってきました。
その気持ちは、理解できなくはありません。
自分が気に入っている街に、新参者がたくさんやってきて混雑するのを不快に思う気持ちは、誰にでもすくなからずあるからです。
しかし、ここで問題なのは彼女の職業です。
彼女は芸能プロダクションに勤務しています。
おそらく今後、そのシネコンで上映される映画に、彼女の会社の所属俳優が出演することもあるでしょう。
シネコンができれば、所属俳優の出演映画がより多くの人に観られることになります。
つまり、彼女の会社にとってはプラスであり、場合によっては彼女の給料が上がる可能性だってあるわけです。
この何気ないやりとりの中に、「仕事ができる人」と「仕事ができない人」の意識の差が表れていると、僕は思います。
働いている人の意識は、大きく3つに分けられるといわれています。
それは「当事者意識」「お客さん意識」「被害者意識」です。
「当事者意識」を持っている人は、何でも「自分ごと」としてとらえ、
常に責任を持って仕事をします。
自分に直接関係があろうとなかろうと、率先して親身になって仕事に取り組んでいくのです。
つまり、あらゆることを「自分ごと化できる」人だといえます。
一方で「お客さん意識」を持っている人は、「仕事はあって当然、給料はもらえて当然」と考えがちで、与えられた以外の仕事には取り組もうとしません。
全体的に、会社や上司などに対する感謝の念や、「会社に貢献しよう」という意識が希薄です。
先ほど例に挙げた女性は、まさに「お客さん意識」の持ち主だといえるでしょう。
彼女に当事者意識があれば、新しいシネコンができることに対し、まず「よかった」と喜ぶはずです。
さらに、どれぐらいの広さのシネコンなのか、どのような映画を上映しているのかを調べ、積極的にシネコンに足を運ぼうとしたのかもしれません。
しかし、お客さん意識で仕事をしている彼女は、「どのようなシネコンか、リサーチをしてくれないか」と上司から命令でもされない限り、そのようなことはしないでしょう。
会社の利益への関心が希薄だからこそ、「混雑するから嫌だ」という言葉が出たのだと思います。
なお、お客さん意識以上にやっかいなのが、「被害者意識」です。
被害者意識を持っている人は、常に「仕事をやらされている」と思っており、たとえ自分が関わる案件でトラブルが発生しても、自分の責任を認めようとはしません。
それどころか、まるで自分が被害者であるかのように振る舞い、他人に責任をなすりつけたり、言い訳をしたりします。
被害者意識は、いつの間にか芽生えてくるので、注意が必要です。
あなたは、仕事や勉強をしているときに「なんでこんなことをしなきゃいけないんだ」と思ったことはありませんか?
それこそが被害者意識です。
もし、そのような経験があるなら、思い出してみてください。
被害者意識を持っているときは、恐ろしく効率が悪かったり、成果が上がらなかったりしませんでしたか?
日本マクドナルドや日本トイザらスを設立した藤田田氏も言っています。
「傍観者はダメである。どんな仕事も当事者になることが肝心である」と。
あらゆることを「自分ごと化」し、当事者意識を持つことこそが、成功への近道なのです。
『「好きなことだけやって生きていく」という提案』アスコム
「ボクシングを見ている奴はいろいろなことを言うが、リングで戦っている奴を褒(ほ)めろ」
という、セオドア・ルーズベルト大統領の言葉がある。
戦いを見ている観客は評論家になりやすい。
当事者は、灼熱のフィールドや土砂降りのグランドで泥だらけになって戦っている。
だが、危険の及ばないリングの外や、空調のきいた室内でテレビを見ている観客は、勝手なことが言える。
これは、何もスポーツだけの話ではなく、我々の日常でも同じようなことが毎日のように起きている。
だからこそ、戦っている者、当事者、を褒め称(たた)えろ、なのだ。
当事者は、「熱狂する」「リスクを取る」「挑戦する」「勇敢に立ち向かう」「何でも面白がる」そして、人を喜ばしたり驚かせたりすることができる。
しかし、「お客さん意識」や「被害者意識」の傍観者は、自ら熱狂もせず、人の気持ちを冷やしたり、がっかりさせたりして、ひとごとで考え、他人のやる気を奪っていく。
どんなときも、当事者意識を持てる人でありたい。