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【ニコニコと楽しそうに仕事する】

2015-11-28 23:39:55 | 徳育
【ニコニコと楽しそうに仕事する】


小林正観さんの心に響く言葉より…


講演会に参加している方で、アロマテラピーの仕事を始めることになった女性がいました。

初めてこの仕事をすることになったというので、このようにお話ししました。

「技術を磨かなくていいから、ニコニコしていきましょう。そうするとお客さんがやってきます」


一般的には、技術を磨くとお客さんが来ると思われていますが、技術があっても人柄が荒(あら)いと人はやってきません。

技術は標準で良いので、ニコニコと楽しそうに、幸せそうにやっているとお客さんがやって来ます。

これは、どんな仕事もでも同じです。


飲食店で、味を高めるために弟子をどなりながら作っている料理人、親方さんがいるとします。

そういう所でどなり合っているお店の料理は、どんなにすごいものを作っていてもおいしくない。

それでお客さんは、だんだん来なくなります。


天然酵母(てんねんこうぼ)でパンを作っているパン屋さんのご夫婦に話を聞いたことがあります。

普通に淡々と作っているときのパンは、大体一週間カビることがないそうです。

「ありがとう、ありがとう」と言いながら作った時のパンは二週間カビない。

そして、夫婦ゲンカをしながら作ったパンは、翌日にカビてしまったそうです。

カビが発生して食べられなくなった。


ということは、飲食店で親方が弟子の料理職人たちをどなっているときは、どんどん味が壊(こわ)れている、ということになります。

逆に、味付けが特別に上手ではなくても「ありがとう、ありがとう、みんなのおかげ」と上の人が言っていたら、とてもおいしいものになるのではないでしょうか。

技術より人柄(ひとがら)のほうが優先します。

お客さんは、その店の雰囲気で来ているので、穏(おだ)やかな人柄であれば人が集まるのです。


『喜ばれる』講談社




店が汚かろうが、愛想が悪かろうが、味さえよければお客さんはそれで満足する、と勘違いしている人がいる。

技術や頭を磨くことだけに没頭(ぼっとう)し、人柄や心を磨くことを怠(おこた)ってしまう人は多い。


味が標準以上なら、ほとんどのお客さんは愛想がよくて、明るくて、笑顔があり、感謝多き人柄がいい人の店にいく。


人柄がいい人は、まわりから好かれる。

好かれる人は、まわりからの助けや応援がある。

一緒にいて気持ちのいい人だ。

反対に、人柄が悪い人は、周りから嫌われ、孤立する。


「ニコニコと楽しそうに、幸せそうに仕事をする」

人柄のよい人を目ざしたい。



【人相をよくするには】

2015-11-22 08:34:36 | 徳育



鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より…


《自分のことばかり考える人は、顔が貧相になる》


人を表現するとき、「あの人の容貌(ようぼう)は端正だ」とか「あの人は人相がよい」などと言います。

しかし、「容貌」と「人相」は似て非なるもの。

その意味は、まったく違います。


「容貌」とはもともと、自分の両親から受け継いだかおかたちのこと。

したがって、生まれ持った遺伝子としてのかおかたちを、自分の努力で変えることはできません。


一方、「人相」は違います。

人相は、自分の生き方でいくらでも変わるし、また変えることができます。

このように人間には、自分の努力で「変えられること」と「変えられないこと」があります。


願わくは、自分の努力で変えられる「人相をよくする」ことに、多くの時間と心を遣う生き方をすることです。

では、この「人相をよくする」生き方をするにはどうしたらいいか。


ひと言でいうと、「人が喜ぶこと」を、つねに考え実行したくなるような自分になることです。

「人が喜ぶこと」に生きがいを感じられる人は、目が輝いています。

顔の表情が明るくなります。

結果において、人相がよくなります。


「自分さえよければ」というような自己中心主義の人は、よい人相になるはずがありません。


『困ったことばかりでも、何かひとつはよいことがある』PHP





自分のことばかり考える自己中心的な人は、「狡猾(こうかつ)」、「こずるい」、「下卑た」、「卑(いや)しい」、「あさましい」、「えげつない」、「せこい」、「わがまま」などと言われる。

自分のことを棚にあげて、人を非難したり、批判したり、怒り出したりする。

つまり、卑怯(ひきょう)な振る舞いの多い人。


「40歳をすぎたら、自分の顔に責任を持たなければならない」

とは、第16代のアメリカ大統領、リンカーンの言葉。


人の人相は、その人の歩んできた生き方で変わってくる。

狡猾に生きてくれば、狡猾な顔になり、愚直に生きてくれば、愚直な顔になる。


「人の喜ぶことを常に考えていれば、人相はよくなる」

人相をよくする生き方を目ざしたい。




【朝起きてまっ先に言う言葉】

2015-11-22 08:32:14 | 徳育
【朝起きてまっ先に言う言葉】


小林正観さんの心に響く言葉より…


朝起きて、ベッドから降りる前に

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう…」

と100回言ったとします。


すると脳は、「不安定な状態」になります。

「ありがとう」を言いたくなるような現象が起きているわけではないのに、「どうして『ありがとう』なのか」がわからないからです。

そして、合理的な理由や説明がないと不安定になって、「ありがとう」の理由を探そうとします。


「天気がよくて、嬉しい」

「朝ご飯がおいしそうで、嬉しい」

「お味噌汁に豆腐が入っていて、嬉しい」と、目にするものに対して、「ありがとう探し」をはじめます。

どうやら、先に「ありがとう」を100個言っておくと、「ありがとう」の現象がないのに、現象を一所懸命探そうとするようです。


脳は、先に口にした言葉に対して、不条理・不合理を認めず、合理的な事実に当てはめて解釈しようとする働きがあります。

先に「ありがとう」と言ってしまうと、その瞬間から、脳は「ありがとう」を探しはじめるようにできているそうです。


起きてから1時間たって、100個「ありがとう」を見つけたら、もう一度、「ありがとう」を100個言ってみる。

すると脳はまた不安定になって、「100個の現象」を探しはじめます。


反対に、朝起きたときに、「つらい」「悲しい」「苦しい」「つまらない」「嫌だ」と20回言ったとします。

すると脳は、今度も合理的な理由を探しはじめます。


「どうして今日は雲ひとつないんだ。暑くてしかたないじゃないか」

「頼んでもいないのに、朝ご飯が用意されている」

「お味噌汁の具はどうして豆腐なんだ。ワカメのほうがいい」

と、あらゆるものに、「つらい」「悲しい」「苦しい」「つまらない」「嫌だ」の原因探しがはじまります。


「ありがとう」と言いたくなるような現象が起きていなくても、まず、「ありがとう」を言う。

すると、「ありがとう」を言った数だけ、「ありがとう」の原因を探し出すことになります。

ということは、一日中「ありがとう」と言っていれば、脳はずっと「ありがとう探し」をするわけですから、「ありがとう」に満ちあふれながら一日を終えることができるでしょう。


『ありがとうの神様』ダイヤモンド社





『先に「ありがとう」を100個言っておくと、「ありがとう」の現象がないのに、現象を一所懸命探そうとするようです』(小林正観)

そうであるなら…

「嬉しい」、「楽しい」「しあわせ」、「ついてる」と先に言えば、そういう現象がないのに、「嬉しい」、「楽しい」「しあわせ」、「ついてる」ような現象を探し出す、ということになる。


小林正観さんは、「喫茶店で、心の中でどんなに強く『コーヒーが飲みたい』と思っていても、『紅茶ください』と言ったら紅茶が出てくる」という。

また、心の中で、「この人はとっても嫌いだ」と思っていても、出てくる言葉が「ありがとう」だったら、相手も感謝されていると思う。

だから、心で考えるより、言葉の方が何十倍もすごい力を持っているということ。


宇宙の原理として、「投げかけたものは必ず返ってくる」。

先に「ありがとう」を言う人でありたい。

【実践者になること】

2015-11-21 21:03:47 | 
【実践者になること】


小林正観さんの心に響く言葉より…


「正観さんのお話を聞いて、1週間ぐらいは調子がいいんですが、すぐ忘れてしまいます。ずっと忘れないようにするには、どうしたらいいでしょうか」という質問がよくあるのですが、忘れないためには、どうすればいいか。

それは《実践をし続ける》ことなのですね。

「いい話だったなあー」で終わってしまうと、3日後ぐらいには忘れていますけど、毎日、「ありがとう」を言い続けたり、トイレ掃除をし続けたりすることで、目の前にいろいろな奇跡や思いがけない現象が起きてきます。

自分も元気になるし、仕事も人間関係もスムーズに流れ出しますので、実践するのが楽しくなるのですね。


話の内容を忘れないためには「忘れないぞ」と気合を入れるのではなく、実践をし続けることですね。

すると、面白い現象があまりに頻繁に出てくるので、引き続きやりたくてしょうがなくなります。

私の中には「やらなければならない」というのはまったくなくて、「ありがとう」を言うのも、トイレ掃除をするのも全部損得勘定ですから。

損得勘定でやると続くのです。


どんなに下心があって、野心があったとしても、実際にそれをやった人を《実践者》と言います。


例えば、電車に乗っていて、おばあさんが乗ってきた。

ある男は、おばあさんに席を譲ってあげたいと思った。

自分の中では、人によく思われたいとか、評価されたいとかはまったくないけれど、人の目が気になって、席を譲ると恥ずかしい気がして譲らなかった。


それに対して、もう一人の男は、おばあさんが乗ってきたとき、目の前にきれいな女の人がいたので、この女性によく思われたいと思って、邪心と野心の塊で席を譲ったとしましょう。

さて、邪心の塊で席を譲った男と、すごく美しい心で席を立てなかった男と、どちらを神さまが喜んでいるだろうか。

多分、席を立った男のほうに微笑(ほほえ)みかけているのではないかと思うのです。

動機はどうであれ、席を譲った瞬間に、宇宙に一つ《喜ばれること》が生まれたのですから。


邪心や下心がまったくない人というのは、神の領域ですから、肉体を与えらえてはいません。

人間としては卒業してしまっている。

肉体を持っているということは、人間としての様々な体験をまだしたいということですから、損得勘定でやっていくことは、とても自然なことだと思います。

100%美しい心でやっていこうと考えなくてもいいですから「究極の損得勘定ができる人、究極の欲深い人になってください」と伝えています。


宇宙構造を40年研究してきて、損得勘定でないものは、どうもないようです。

どのような分野でも、人に喜ばれるような生き方というのは、すべて自分にとっての損得勘定で言えば“得”になっています。

人に喜ばれることをして自分が圧倒的に損だ、ということはないのです。


さらに言えば、みんながいやがってしたくないようなことは、一単位あたりの“得”の密度が高いみたいです。

トイレ掃除は、その最たるものです。

そういうことを実践している人が何かを始めようとすると、あっという間に支援がきます。

それは、その人が望みを実現させようとか、目標に到達しようとがんばっているわけではなくて、ただ毎日“徳”を積んでいるだけなのです。

まさに、人徳の“徳”とは、損得の“得”なのです。


『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』イースト・プレス




心の中で、どんなに善きことを考えていたとしても、それが実行に移されなかったら、それはないのと同じ。

「ありがとう」という感謝の言葉も、「笑顔」も、「気くばり」も、「優しい言葉」も、「席をゆずること」も、心で思っているだけなら、ただの絵に描いたモチにすぎない。

どんなに強烈に願おうと、深く想おうと、それは同じこと。


たとえば、喫茶店で注文するとき、どんなに強く心の中で「紅茶が飲みたい」と願ったとしても、「コーヒーください」とひとこと言ったらコーヒーが出てくる。

神さまも同じで、心の中がどうであれ、現象として現れた「言葉」なり「行動」を評価するという。


よき実践者をめざしたい。




感謝力を高める

2015-11-21 20:57:31 | 日記
感謝力を高める】


野口嘉則氏の心に響く言葉より…


「幸せになりたいのですが、幸せになるにはどうすればいいですか?」という質問をされることがあります。

そんなとき私は、「幸せは、求めるものではなく、今ここに見出すものではないかと思います」と答えています。

「幸せになりたい」と幸せを求めているとき、私たちは「今は幸せではない」と認めていることになり、今の状態に感謝できません。

この心境で生きる限り、本当の幸せには出合えないのです。


「お金持ちになれば幸せになれる」と信じている人もいれば、「好きな人と結婚できれば幸せになれる」と信じている人もいます。

しかし、幸せであるかどうかを決める決定的な要因は、そういった外的条件ではなく、私たち自身の心のあり方なのです。

実際、世の中には「金持ちだけど幸せではない」という人もいれば、「好きな人と結婚したのに幸せでない」という人もいます。


今ある幸せに感謝できない限り、どんなに外的条件が満たされても、あらたな不満が生まれて、本当の幸せを味わうことができません。

ここで必要になってくるのが感謝力です。

感謝力とは、今ある幸せに気づき感謝する能力です。


嬉しいことや幸運なことがあったときは、誰もがそのことに感謝しますね。

ところが感謝力が高い人は、とくに何ごともないような平凡な日常においても、その中の幸せを見出し、頻繁に感謝をします。

また、辛いことや困難なことに出合っても、それによって成長できることに喜びを見出し感謝するのです。

つまり、感謝力が高い人にとっては、毎日がありがたいことだらけなのです。


私の友人から聞いた話です。

彼が、五歳になる息子さんと公園で遊んでいたとき、息子さんが「おしっこ」と言ったので、公園のトイレに連れて行ったそうです。

そして彼が見ていると、息子さんはおしっこをすませたあと、便器のほうに向かって合掌し、軽くおじぎをしたのです。

何をしたのか尋ねたところ、息子さんは「おしっこの神様を拝んだんだよ」と言ったそうです。

それを聞いて友人は、息子さんの純粋さに感動しました。


その友人は、「古事記」など日本の神話が好きで、息子さんを寝かしつけるときなどに、神話のストーリーをよく話してあげていたそうです。

「古事記」には太陽の神、海の神、風の神、山の神、野の神、木の神、火の神、水の神、食物の神など、さまざまな神様が登場します。

そして、「おしっこや便の中にも神様がいる」という話が出てきます。

彼の息子さんは、その話を覚えていたのです。


「古事記」など日本の神話に一貫して流れているのは、神羅万象の中に神を見て、それを敬い感謝する心です。

ものをただの物質と見るのではなく、現象をただの物理現象と見るのではなく、それらを大自然の叡智(えいち)の現れと見て感謝するのです。

この感性で生きれば、たくさんの神様に囲まれて生活しているという感覚になり、太陽を見て感謝し、風を感じて感謝し、火に水に食物に感謝し、トイレに行ったときも感謝し…と、生活のすべてが感謝三昧(ざんまい)になります。

ここに感謝力を高めるヒントがあります。


感謝の極意は、当たり前のことを「ありがたい」と感謝することです。


『心眼力』サンマーク出版




「ありがとう」の反対は「当たり前」。

ありがとうとは、漢字で書けば「有難し」。

有ることが難(むずか)しいほど珍しいこと、めったにないこと、すなわち奇跡ということ。

奇跡の反対は、当たり前。


我々は明日も、今日と同じ日が続くと思っている。

しかし、この当たり前のような毎日は、本当は奇跡の連続の上になりたっている。

それは、世界のどこかで、毎日のように起こっている、大きな事故や災害、テロや戦争のニュースを見ればわかる。


『感謝の極意は、当たり前のことを「ありがたい」と感謝すること』

感謝力を高めたい。



クッキング、里芋の揚出しあんかけ

2015-11-21 19:23:44 | 食育
今夜はクッキング教室
里芋を向いて、揚げます。

その後、出汁、ルイボスティー、ミリン、塩を入れて、炊きます。
柔らかくなるまで.。o○

柔らかくなったら、醤油を10CC入れます。



あんかけにする材料は
カブラ、人参、四角に切って、ゆがきます。
蕪の葉っぱも、さっとボイルして、里芋の出しを入れて、炊きます。
これは、材料


あ、ベーコンも細かくして入れて、いった後に、出しを入れます。
こんなふうに、美味しそうです。



あんかけにして出来上がり\(*´∇`*)/ヤッタ-♪