千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

十日恵比須

明日8日から11日まで十日恵比須神社で「正月大祭」が行われます。

博多から歩んで行ける距離にある十日恵比須神社です。

年末のお櫛田さんの夫婦恵比須同様
一番座に始まる「御座」が執り行われます。

各界の知名士等が御座の主賓のようで
一般の参拝者はもっぱら「福引」がお目当て

景品は縁起物尽くしで「おおあたり~」の声が
境内に響き渡ります。

博多券番の綺麗どころによる商売繁盛ば祈願する
徒参り(9日午後)にちなみ

一般の参拝客も「商売繁盛」ば祈る商売人が目立ちます。

普段はジョギングや散歩、犬猫の散歩やらで
閑静な東公園の脇にひっそり構える神社

おいしゃんもジョギングの時はお参りしよります。

この時ばかりは正月三が日から続く商売に
露店が300軒を超えて集まり
参道は様変わりします。

その昔香椎宮の社家から分家して博多で商売ば始めた
武内平十郎て言う人が浜辺で恵比須様ば拾い上げ
丁重に祀っておったところ噂が広がり
参拝者が訪れるようになって商売も繁盛したて言います。
武内文書「十日恵比須神社記録写」より

「社家」て言うたら神社ば奉祀(ほうし)する世襲の神職の家柄のことで
お櫛田さんの前にも以前には「社家町」てあったとです。

神社や無かばってん「聖福寺」の敷地内には「寺中町(じちゅうまち)」てあって
そこは猿楽やらば演じる芸人たちが住んどったらしかです。

話し戻して・・・
竹内さんな崇福寺境内に社ば構えたばってん
のちに、竹内家一族によって現在の地(千代の松原)に
社ば構えたそうです。

たぶんこのあたりで恵比須様拾うたとでしょうね。

恵比須社は東京には数が少なく西日本に多く見られます。

もともと「えびす」とは夷や戎の文字があてはめられ
野蛮人や多民族ばあらわす言葉でありました。
北海道のアイヌやら蝦夷て言いよりましたでしょうが・・

九州は中央より大陸に近く大陸との交流が多かったけん
恵比須神社も多かとがわかるような気のします。

恵比須さんは他の神様と違い日本独自の神様です。
大黒さんも元は戦闘の神様、大いなる黒(マカハーラ)ですばってん
二人ともめでたい七福神に顔ば連ねます。

平和ば好む日本人

水に浮いた水死体のことば「土左衛門(どざえもん)」て言いますばってん
戎とも呼びよったらしいです。

それば神様まで祀り上げる日本人の優しさ・・
七福神は江戸時代に完成された日本独自の神様です。

福笹の笹は竹が常に新しか葉ばつけることから
生命ば生み続けるて言う意味があり、
日本ではいろいろな場面で「笹」が用いられます。

商売繁盛は別としてもお祭り好きな博多っ子のあ~た
正月の博多の風物詩に

出かけてみませんか?

皆さん明日からは3連休でっしょう?・・・

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コメント一覧

ちどりあし
餅つき
いつ餅つきしよったかは
そこそこの家で違いまっしょうばってん
九日餅て言うて縁起が悪いけん
29日にはつかん、それ避けて29日か30日が
一般的やろうと思います。

我が家は二日にわたる大掃除ば終えて
30日の大掃除終わる頃、仕事納めとともに
奈良屋消防団が各家ば臼と杵持ってまわり
突きにきておりました。

ご祝儀ば用意しとったて思います。
町内会計しよったわがやにゃあ
なにかにつけ消防は寄付取りにきよりましたもん。
山笠大好き
十日えびす!
おいしゃん、こんばんは。
うちの母親の名前が須恵美(すえみ)。
箱崎出身ということもあって、父親(私の祖父)が、この神社の名前をもじって命名したそうです。
ちなみに戸籍上の誕生日は1月2日になってますが、実は暮れに生まれたそうです。
正月の餅つきをしてる時に母親が産気づいたそうで・・・本当の誕生日がいつやったか?が、わからんでいまだに悶々としとんしゃあです(爆)。昔はいつ頃、餅つきしよったんですかね?(昭和13年頃)。
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