千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

昭和レトロと梅月堂

昭和の時代・・・・

旧妙楽寺、古門戸、行町界隈ばそうつくと

「ばんぢろ」からのコーヒーの香と
「梅月堂」からの甘い~味噌煎餅の香
「三楽食堂」「波多江食堂」からうどんの出汁の香が漂いよりました。



料亭「多喜(たき)」のお狩場、茶室は
おいしゃんの子供の頃の遊び場・・

池辺旅館ば越して向こうまでジャガイモば
投げてんろうて投げたら二回のガラス窓割ってしもうたことも・・

「仁伊島そば」の寮と我が家の住み込みのお姉さんたちの
寮が向かいあわせで窓越しに声かけあって・・

須崎の角にゃあ「利休湯」ていう銭湯のありました。
「利休湯」の婆さん「アイオイ荘」の婆さん
我が家の婆さんは「花札友達」で夜な夜な小銭ば持って
遊びまわりよりました。

「利休湯」の婆さんはその後温泉に出かけて
「風呂場」で死なっしゃった。湯の中で死んで本望やったろうか?

麻生の爺ちゃんなふんどしで平気で
昭和通りば信号無視して車にらみつけながら
渡りよった。
ペッポの親父もおんなじごと渡りよったら
こちは車にはねられた。

福吉旅館では我が家の愛犬「マック」が
「お狩場定食」の残りば貰うて食べさしてもらい

我が家に帰っても安いエサは食べまっせんでした。
濱小路の「しろうず商店」の店先から
「ボンレスハム」咥えて帰ってきたことも・・

濱小路の「バーバーあけみ」では散髪中寝てしもうても
叔母ちゃんがおんぶしてくれて気のついたら
家まで届けてくれとりました。

ばんぢろ横の今の変電所は空き地で・・・

基地作ったり、山笠ごっこばして遊びよりました。

「東京タワー」での昭和のレトロの風景が
わが町にも普通にあったとです。

「ばんぢろ」も無うなってはや何年?
「三楽食堂」「波多江食堂」「福吉旅館」
「利休湯」も「バーバーあけみ」も・・
今ではもう無く寂しゅうなりました。

ここに来て、味噌煎餅の「梅月堂」さんもこの5月一杯で
お店ば閉じられます。

寂しかですね

子供の頃・・・
工場の鉄格子越しに焼くとこ覗いて
焼きたての熱い味噌煎餅ば一枚貰うて食べよった。

1袋100円の割れたくず煎餅も好きやった。

季節は五月・・
松囃子に貢献した大将やったけん三福神も
コースば外れて「祝うた~」の表敬ばしょうかて
打診のあったそうやバッテン辞退されたゲナです。

いくらなんでも寂しかけん
我が「古ノ一」だけでもどんたく期間に
「表敬」するごとしました。

三日の松囃子終了後古ノ一うち揃うて
「梅月堂」さんで「祝うた」「祝いめでた」「手いっぽん」ば
入れるごとしとります。

ご賛同頂ける方はどなたでも一緒にご参加くださいませ。

愈々どんたくが始まりますやね

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コメント一覧

竹若番
亡き父親が梅月堂の煎餅をよく買って来てました。

幼稚園の頃、にわかせんべいが好きな私は父親に文句言っていたそうです。
父親から
『博多の味ば きちんと覚えておけ~!』と言われてから好きになりました。

どんたくの時に
家族中好きだった梅月堂の煎餅を仏壇にお供えします。


今年は稚児流デビューの予定でしたが
ボーイスカウトの指導者として参加します。
たぶんお会いするかもしれません。
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