節分の翌日に逝ったけん・・・・・
ばってんがこのコロナのご時世やけん法事は断念して
心の中で拝むごとしました、そいけん今日は親父のBLOG。
まだ、おいしゃん40代半ば過ぎで若っかですね。
毎日看病・・これは最後の方ですね。
当時はまだ古賀市でPC教室しよる頃やった・・・
まだ美容学校の学生やったK介と親父の3人暮らし。
これはたまたまK介も一緒に入院しとった泌尿器科から
毎日放射線治療に近くの国立病院に通う途中の一枚です。
羽織ったガウンは何十年親父が愛用したガウンです。
正直この頃は辛かったです。
毎日の仕事の合間に病院に行ってたった数分の放射線治療するためだけに
通うて・・・
まだ自営で仕事のスケジュールば調整でけたけん良かったけど・・
ある日国立病院に検査に行ったとき親父が大ば粗相したとです。
病院は誰も手伝うてくれんで購買店で着替えば買うて
トイレに入って親父の尻拭いて始末して・・正直一人トイレの中で涙の出ましたっちゃん。
親父も嫌やったて思いますばってんね。
腹立ったけん入院先の病院に文句言うたら翌日から婦長さんが
ついてきてくれるごとなったばってんが
この検査(骨シンチ)の結果もう全身に癌が広がっとって
放射線治療も通わんで良かごとなりました・・・・・・・
後は無かけんアメリカの妹も駆けつけ最後の自宅での
年末年始ば過ごしたとです。
こないだ長女が生まれたR介もまだ子供、モサムも若かった
大晦日に親父に食わせてやろうと船越まで牡蠣買いにって・・
親父は食わんかったばってんがその牡蠣食って
K介と義弟はノロで寝込む始末。
K介はもともと魚介類食わんし義弟はアメリカからの長旅で
体調悪うしとったともあります。妹は平気やった・・
そんなこんなで最後の正月ば自宅で過ごした親父は体調崩したけん
正月2日に病院さぃ戻ってそのまんま節分の豆まきした翌朝、逝きました。
そいけんこの時期はなんか切ない思ひでですやん。
これば気に自宅もなんも整理して仕事もたたんでおいしゃん数十年ぶりに
博多にやおつりしてきたとです。
それ以来今に至ります。
子供3人もそれぞれ所帯持って今は娘(ミヤオ)と二人暮らし。
子供に迷惑かけんごとおいしゃんも逝くときはさっさと逝きたいって思います。
ばってんがまだまだ、ま一時人生楽しみたかやね。
親父も爺さんもそれぞれ80・90まで生きたけんおいしゃんも
ま一時時間はあろうけんね・・・・
宝くじ当たらんかいなね~チャンチャン
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