カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

東野圭吾 『天空の蜂』 講談社文庫

2015-10-06 18:01:19 | 本日の抜粋
この小説『天空の蜂』が刊行されたのが1995年。
原発がテロリストに狙われる事を想定して書かれたものだ。
東野圭吾の内心はともかく、原発の問題点を核廃棄物の問題を除いては、ほぼ網羅的に客観的にあぶりだしている。
というのは、高速増殖炉を推進する立場の人間に十分に論を展開させたり、テロリス自身が高速増殖炉施設の安全性を信頼した上での犯行となっている。
だから、この小説自体は、原発そのものに真っ向から反対したものとはなっていない。
問題点を材料にしているだけだ。
もちろんストーリーテラーとして、読者に存分のハラハラドキドキをさせながら、、、。

しかしこの時、東野の他の作品に比べてマスコミの対応は実に冷ややかだっという。
東野自身があれほど、冷静な中立的態度を取ったというのに、、、。
「原発タブー」がその時すでにマスコミ界を支配していたようである。

東関東大地震による福島第一原発事故が起きる16年前の話である。

『天空の蜂』刊行後20年、それがやっと映画になったという。
3・11で解禁されたのだろう。
この時のマスコミの動きはさすがに無視じゃない。

「メディアが話題にしたのは江口の妻・森高千里の“美脚”話や、作品のラブシーン、そしてアクション場面ばかりが強調され、肝心の原発やテロといった内容については、きちんと取り上げられることがあまりなかった」(映画評論家)

といった具合で、物事の関心が本質からはぐらからされる。
これも、蘇った原発タブー。

  *****
 三島は、良介の苦痛も智弘の死も、同じところに原因があるのではないかと思えてきたのだった。彼等はどちらも被害者なのだ。ではその害の根源はどこにあるのか。
 そして彼は思い出すのだった。いじめの有無を確認するために、かつてのクラスメートたちに会った時のことだ。彼らのあの仮面のような顔が瞼に蘇った。
 あの顔は子供だけのものではないのだ、と気付いた。大人になってからも、多くの者はあの仮面を手放さない。やがて彼等は「沈黙する群衆」を形成する。
 答えを得たと三島は思った。もはや疑いの余地はない。智弘は彼等に殺されたのだ。
 本当の闘いはそれから始まった。
  *****

 


カイロジジイのHPは
http://chirozizii.com/


そして、なんでもブログのランキングというものがあるそうで、以下をクリックするとブログの作者は喜ぶらしい。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へにほんブログ村


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村


人気ブログランキングへ