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I love Chiee!

chieeと私のバトルな日々

コメントについて

コメントは公開していませんが、私にはメールで届くので、すべて読ませていただいています。ご意見・ご感想・ご質問、何でもお寄せください。必要に応じて、記事、メール、あるいはお会いしたときにお返事させていただきます。

発達心理学

2009-10-22 22:45:09 | welfare
今日は仕事が終わってから、発達心理学に関する講義を受けに行った。

4回シリーズの第一回目で、今日はピアジェの発達論に沿った総論だった…

…はずなんだけど、途中まででタイムアップ。

先生…

今年、定年だったという大ベテラン。

なぜ時間調整ができないのかなー?と思いつつ、

やっぱり研究者は語っちゃうんだよねーっ

それはわかる気がする…

「私の話は堅くて…」

なんだか、この先生、えらい人なのに優しい。

疲れていて、しかも睡眠不足の私は途中なんども倒れそうになった。

でも頑張ってメモ取りましたよ。

続きが楽しみです。

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2009-10-15 21:48:25 | welfare
今日の午前は、不快なやりきれない耐えきれない思いを、上司にぶつけた。

なぜ話したか、その理由を伝えると、上司は深くうなずいた。

世の中に理不尽なことはいっぱいある。

黙って聞いてもらってそれだけで十分…と気持ちを切り替えた。



午後はふたりの女性と面談した。

夫のこと、息子のこと、それぞれ思いは違うけれども、複雑な心境を吐露する。

黙って耳を傾け、その後、私なりの思いを伝える。

偶然おふたりともが、同じような言葉を口にされた。

「今までこんなことまで話したのは初めてです」

これはソーシャルワーカーとしては光栄なことなのかな…

少し救われた。



黙々と仕事をしていると、夕方になってプライベートで相談の連絡が入る。

彼女が少しでも安心できるようにと、間に入って連絡を取る。

私にできることはできる限りやってあげよう。

それが私の「思い」だし、使命だと思ってる。



消えていく命があれば、新しく生まれる命がある。

人生はいろんなことがある。

頼って、頼られて。

私は「人の中」で生きていることを幸せに思う。



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疲れた…

2009-10-14 17:12:50 | welfare
今日は睡眠不足の上に、風船バレーと卓球で疲れた。

久々の卓球は勘を取り戻すまで時間はかかるし、球に付いていけない足と手に、時間の流れを痛感してしまったが、燃えた!

さあ、日誌は後回しにしてレポートの残りの1本とレジメを頑張らなくちゃ。

それにしても眠たい…



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連休だというのに

2009-10-12 22:20:45 | welfare
今日は家族で動く予定だった。

けれども17日までのレポートのメドを立てないといけないので、私は図書館へ。

chieeとおとうさんはバイクでツーリングへ行くことになっていたものの、うだうだ一家のため、琵琶湖→海→結局、神戸の「だまし絵展」へ。

でも着いたら70分待ちだったとか!

あまり興味のないふたりは、人の頭を見に行ったみたいだと、疲れて帰ってきた。

でも今日は青空とさわやかな風で、ツーリングにはもってこいだったんじゃないかしら。



私は、レポートのテーマを「不登校」に絞って、その類の本を選って、閲覧用の机へ。

私は図書館へ通う習慣があまりなかったので、この風景が新鮮に感じる。

私の向かいの人は工業簿記をやっていた。

斜め前の人は医学系の勉強を。

隣の人は難しそうな問題を黙々と解いていた。

たまたま行き会わせた人たち。

老若男女いろんな人がいて、人間ウォッチャーの私にはとても興味深かった。



「不登校」という用語は、誰でも知っているけれど、本を読めば読むほど奥深い。

最初、「登校拒否」とタイトルについた本を持ってきたんだけれど、よくよく考えてみると今は「登校拒否」とは言わず「不登校」という言葉が一般的で、やはり「不登校」と書かれた本は新しいものばかりだった。

それは概念変化により2000年くらいを境に定義が変わってきたことによる。

たとえば、糖尿病の分類が変わったように、精神分裂病が「統合失調症」と呼ばれるようになったように、医療用語やその概念にも変遷があり、それを正しく伝えていくことは医療や福祉の分野では大事なことだと感じる。

「登校拒否」は子どもたちが学校へ行かないという印象を与えるが、行きたくても行けないう子どもたちも大勢いるのだと考えると、やっぱり「不登校」になるのかなと思う。

原因は様々で、切り口も様々で、いろんな考え方があり、またそれらの要素が複雑に絡み合って事象が発生する。

当事者の内面の変容だけでも解決しないし、環境調整だけでも解決しない。

だから、教師と協働するために、スクールカウンセラーが必要とされ、今、スクールソーシャルワーカーにも役割を求められるようになってきたのだろう。



今日は、文献を読むだけになってしまったので、今からしばしレポートを書いていこう。

それにしても眠くて眠くて。

私はやっぱり勉強には向いてないなあ~とつくづく思う。

さあ、頑張ろうっと。




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グループワーク

2009-10-10 21:10:49 | welfare
今日のスクーリングはグループワークの一日だった。

グループワークは慣れないと苦手意識を持ってしまうが、今年はたくさんの会議、研修、事例検討会に参加したので、少々のことではへこたれなくなってしまった。

内心は緊張しっぱなしなんだけれど。

グループワークのよさは、他者の多様な意見を聴けること、またその意見を聴いて自分自身の振り返ることができること、自分自身の考え方の幅が拡がること。

自分の中に限界を作ってはいけない。

どんな難題も解決しないことはないのだと信じて動くことはとても大切だと思う。



今日の講師の先生は講義ではあれこれはおっしゃらないんだけれど、個人的にはたくさんお話ししてみたい人だ。

豊富な経験も、先生ご自身の考え方も、きっとたくさん話せばまた発見があるだろう。

私は幸いにもSV的な存在には恵まれている。

DMの先生がほとんどではあるけれど、小児科の先生は特に、きっとこの世界でもたくさんのアドバイスを得ることができるだろう。

でもやっぱり福祉という専門分野でSVとなる人に出逢いたいと思っている。

先生ともしばらくはお会いする機会はないだろうけれど、この世界に入ればいつかきっと再会は叶うだろう。

念じていれば、きっと出逢いたい人には出会える。

それは私の信条でもある。



しばらくスクーリングはお休みだけれど、とりあえずレポートを仕上げて、来週からスタートする実習に向けて気を引き締めよう。

忙しくて忙しくて、この半年の時間のなさを考えると、少し後悔したりもしたけれど、ひとつずつクリアしていこう。



5時間ほどの睡眠で、今朝はバテバテだった。

帰ってきてから、少しだけ休んで、バタバタと夕食の用意をした。
(chieeちゃん、ありがとう)

明日は2本目のレポートにとりかかろう。






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司法、教育、福祉、そして…

2009-10-03 22:13:26 | welfare
今日は、弁護士の先生のお話を3時間聴講した。

名前が一致していなかったのだけれど、先月参加したシンポジウムの主宰者の先生だった!

おそらく、この業界(SSWの活動や教育福祉的な分野)では有名な先生のようで、お話を伺えることをとても光栄に思った。

子どもたちの問題行動の背景にあるものを、細かく分析され、アセスメント(見立て)の重要性を説かれた。

今の仕事をするようになって、弁護士さんのお話を聞く機会がたまにあり、弁護士さんの福祉的視点は少し福祉専門職とは違っていて、それを「冷たい」と評する人の話も聞いたことがあるが、私は弁護士さんの視点はとても科学的で納得できることが多いと感じている。

表現するのは難しいけれど、社会的正義の視点や、効率的な時間の使い方、科学的根拠の重視、結論を重視するなど、いろんな要素が絡んでいると思うが、少し立場の違う人の考えを聞くことは、客観性という点でもとても大事なことだと思う。

実際には福祉的心だけでは解決しない事が多いということを福祉専門職は、しっかりと自覚しておかないといけないと思う。

先生は、3時間の間一貫して、子どもたちの自己肯定感、自尊心、自信、愛着行動、愛されていること、安心感…このような言葉をキーワードとして繰り返された。

そしてきちんとしたアセスメントさえできれば、プランニングはそれほど難しくないと、それを理解するには十分な内容の授業だった。

先生の言葉はおそらく多くの出逢いと経験から導き出されたものだろうが、この先生の子どもたちへの深い愛情と思いやり、そして、弁護士という職業からおよそ想像がつかないライフワークとしてのこうした活動への熱意と強い信念が感じられた。

SSWは、当事者である子どもの環境調整がその大きな役割であるけれども、私たちがエンパワーするのは実は教員であるということであった。

なるほど、それはいわゆる間接援助技術というもので、教員と子どもの信頼関係をどのように守り、あるいは再構築していくか、時には教員自身が子どもや保護者との摩擦で自尊心や自信を喪失していることがあり、それをエンパワーすることが、すなわち子どもの最善の利益、子どもの幸せにつながるということは、とてもよく理解できた。

私たちが黒子であると言われる所以はそこにあるのだろう。




午後からは元教員をされていた先生の授業で、教育基本法や学習指導要領について学んだ。

学校教育はある意味、国の方針や制度、組織に翻弄されているところがあるのだろう。

その世界はとても特殊で閉鎖的であると言われる。

私は、学生の頃から結婚して大阪に来るまでは、いろんな学校の小中学校の先生と話をする機会がたくさんあった。

当時からすれば、学校が抱える課題は多様で複雑になっていることは容易に想像できる。

けれども、子どもたちの本質は何も変わっていないと私は思っている。

子どもたちは本来持っている能力を十分引き出せない生きづらい現代社会で、もがいているように感じている。

ソーシャルワークの中でも、SSWほど難しいものはないと弁護士の先生は言われていたけれども、こうしていろんなことに思いを馳せていると、SSWの役割には大きな意義とやりがいを感じる。




その後、「貧困を越えて バングラデシュ報告」「闇に差す光 略奪の大地で~コンゴ民主共和国から」という世界子ども救援キャンペーンの報道写真展を見に行った。

前者は、船の解体現場で働く人々や学ぶ子どもたちを中心とした写真で、過酷な状況の中で、働く喜び、学ぶ喜び、生きる喜びが、生き生きと写し出されていた。

一方、後者は難民が身を寄せるキャンプ地や避難所での様子で、不安と苦悩の表情、様々な悲劇の様は、同じ地球でまさに今起きているの現実だと思うとやりきれなさばかりが残る。

日本の最高の撮影技術が映し出す、世界中でいまだ続く紛争とそれらがもたらす悲劇…。

豊かな日本で起きている課題と、世界のどこかで起きている悲しい現実。

その間にあるものは何だろうか。

その差は、その違いはどこから生まれたものだろうか。

子どもたちの苦しさは単純に比較はできないんだろうけれども、どこかやりきれない思いとともに、世界の平和と、子どもたちの笑顔と、そしてその向こうに、希望の光を見いだす日が訪れることを願わずにはいられなかった。



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楽しかった!

2009-10-03 00:27:28 | welfare
今日は、また新しい出逢いがあった。

ホームレスの支援をしている団体の方。

わずかの時間だったけれど、少しお話を伺うことができた。

途中、思わず、こんなことを言ってしまった。

「本当はこのまま1日中お話伺いたいくらいなんですけど」

社会福祉と一口に言っても分野は様々で、どんな出逢いも私には財産になる。




仕事が終わって、今日は職場の仲間との食事会に参加。

こじんまりとしていたので、みんなで話ができて、楽しい時間だった。

福祉の大先輩がふたりおられたので、実りある時間にもなった。

しばらくある事例でいろいろ知恵と力を貸してもらっていた別の課の大先輩(上司)が、最近の仕事のことや今も学び続けていることを、とても評価してくれた。

認められるってことはうれしいことだなと思った。

私はまだまだこの世界では新人なので、学ぶことは当たり前だし、学ぶことはとても楽しいことだ。

学べることは幸せなのだと私はつくづく感じている。



明日はSSWのスクーリングです。

ねます。








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未知の世界

2009-09-29 23:22:00 | welfare
今日は実習の面接でした。

午前だけ仕事に出て、それから面接へ。

詳しくは書けませんが、とてもいい先生に出逢いました。

私のブログの場合、「先生」といえば医師が多いのですが、今回は教師です。

先生の子どもたちへの思いがたくさん伝わってきました。

仕事の合間なので、約4ヶ月、長丁場になります。

でも今から新しい世界で学べることにワクワクしています。



明日は、内科受診です。

めまいも収まって行かなくてもいいかなとも思うのだけれど、明日は先生にとって特別な日なので、会いに行ってきます。

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スクールカウンセラーとスクールソーシャルワーカー

2009-09-26 19:29:01 | welfare
スクールカウンセラーは学校などで事件が起こるたびに、子どもたちをケアする専門職として注目を浴び、認知度も高くなりました。

私が学ぶのはこちらの【スクールカウンセラー】ではなく、【スクールソーシャルワーカー】です。

同じように聞こえるのですが大きな違いがあります。

スクールカウンセラーは個人に焦点を当てたアプローチをするのに対して、スクールソーシャルワーカーは個人とその個人を取り巻く環境に焦点を当て、社会資源につなげたり社会資源と社会資源の橋渡し役をするなど、いわゆる環境調整などを行います。

受動的な場所での治療ではなく、アウトリーチ(出かけていって働きかけること)や積極的介入によって調整や連携をとることが主たる役割といえるでしょう。

ただし、カウンセラーと同じような役割も求められます。

しっかりとクライエントの気持ちに耳を傾けることが重要です。

私は人の心(考え方)を変えることは容易ではないと思っています。

人は自分で気づき、行動変容していくことが大事で、そのためのアプローチがソーシャルワークなのかなと思っています。



日本ではスクールソーシャルワークの歴史が浅く、教育と福祉は縦割りされた別の分野で、閉鎖された教育現場に福祉の視点が入るということは、今まで考えられなかったのです。

学校の先生の殆どがスクールソーシャルワークがどんなもので、スクールソーシャルワーカーがどんな役割を果たすのかは理解されていないでしょう。

今すでに関わっている人たちはもちろんのこと、今から学ぼうとする私たちも「先駆者」であり「開拓者」となることができるのではないかと。

そう思うと講義を聴いていて学ぶことはどれも新鮮で、とてもワクワクしました。

学校の先生方の置かれる状況は大変厳しいものがあると思います。

情熱を持っていても活かされず、やがて疲弊していく恐れも十分にあります。

多忙を極め、心にゆとりが持てなくなって、精神的に病んでいく先生方も少なくないのではないかと推察します。

ソーシャルワーカーに何ができるのだろうと言われると、まだ未知の世界ですが、それは私たちひとりひとりのセンスと力量にもかかっているのかもしれません。

いつかこの仕事に関われるときがあるといいなあと思います。



子どもたちの最善の利益のために。

子どもたちの明るい未来と希望のために。





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少しずつ

2009-09-25 19:50:08 | welfare
8月はGReeeeNの「歩み」ばかり聞いていました。

なんだか元気になれました。

9月に入って、絢香の「I believe」をよく聞くようになりました。

それから今はコブクロの「DOOR」

私は歌詞をしっかり理解して聞いていた訳ではないのだけれど、

ふと気づくと、共通していることがあります。

自分自身への問いかけ。

自分との葛藤。

明日へ踏み出す自分へのエール。




今日の午前は、ずっと関わっていた事例の、おそらく最後になるであろう会議でした。

関わる人の顔ぶれは次々と変わっていったけれど、クライエントがその人らしく生活するため支援をするという思いは共通していました。

よく考えてみると12機関、20人以上の人が関わり、私だけがすべての人と顔を合わせたことになります。

私には、かけがえのない貴重な経験、学びの日々となりました。

奇しくもこの時期に重なって私の心を大きく揺さぶった【できごと】は、少なからずこの事例が縁となっていることも、きっと偶然ではないのでしょう。

関わったすべての方々には感謝の気持ちでいっぱいです。



そう、

自分を信じて、

今の自分を越えて歩き続けよう、

そして夢見るためじゃなくて、叶えるために、

ひたすら前を向いて「行くしかないだろう」



明日はスクールソーシャルワーカーのスクーリングの初日です。

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司法福祉研修3回目

2009-09-20 22:31:05 | welfare
この1週間は怒濤のように忙しかったです。

そしてよく勉強しました。

今朝は3時半に寝て7時起き。

寝た郎の私には、酷な話。

今日の研修は終日だったので夕方帰ってきてから爆睡してしまいました。

明日から3日間うだうだするぞー。

あ、ひとつだけ仕事で関わる会議の資料だけ作らなきゃ。



司法福祉…更生保護は、社会福祉士の試験の項目でも正式に取り入れられた分野です。

更生保護とは、犯罪を犯した人や非行少年で仮釈放や仮退院になった人は、保護観察に付され、実社会の中で指導監督や補導援護などを行いながら、生活環境の調整を行なうことです。

約700人の保護観察官と5万人の保護司が中心になって、社会復帰の支援が行われます。

再犯防止も大きな目的のひとつです。

司法分野でも福祉の視点は不可欠で、社会福祉士が専門職として機能していくととは期待されており、もっと社会にも認知される必要があります。

それなりのシステムは構築され、より新しく現実に即した制度も整備されつつあるようです。

でもそれが十分に機能しているかといえば、そうとはいえないのでしょう。

専門用語は私たちには難解で、その流れも掴みにくい。

微妙な制度の違いも、十分に理解ができない。

そんな世界で私たち社会福祉士がどのように機能するのか、どう考えどう動いたらいいのか、そんな課題も提示されました。

事例検討を通して私が感銘を受けたのは、具体的な処遇そのものより、そこに付随した調整や介入について、先生のきめ細かい気配りの言葉でした。

まだまだ自分の考え方は浅いと思いました。

先生の感性は、長い経験に基づいて研ぎ澄まされてきたものなのでしょう。

学び気づくことは本当にたくさんあり、保護観察官としてより、ソーシャルワーカーとしてのこの先生の力量にただただ感嘆するばかりの3回の講義でした。

3回とも参加すると、保護観察所の見学に参加できるとのことだったのですが、残念ながらその日程が、次に企画している小さな会の日程と重なり断念せざるをえません。

あ~あ、ホントに残念です。



今日も新しい出逢いがあり、直接関わることではないのですが、ある人の死を知らされたのは衝撃でした。

役割の大きかった人だけに、悔いのないように生きないといけないなあと思った瞬間でした。


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特別支援教育

2009-09-18 22:27:01 | welfare
定例会は明日だというのに、まだ終わってないことが…

昨日は3時間しか眠れなかった。

朝も起きれず、

昼も眠たくて、

その上、とてもくじけることがあって。

めげた。久々に。

最終的には誠意が通じて、解決したけれど、関係のない人のチャチャに怒りを覚えた。

でも自分にも責任がある。

上司は事情も私の心情も理解してくれたし、とりあえずそれで救われた。

おかげで肝心な量のある仕事が捗らず。

今の私には連休さえもったいなく感じる。



仕事が終わって、特別支援教育の講座を聴きに行った。

ほとんどが学校関係者で、

「運動会の練習、大変でしょう?」

と声をかけられ、

「私、教育関係者じゃないんです」

の言葉が浮いた。

教育からの視点はなかなか新鮮だ。

でも途中で爆睡してしまった。

講師の先生すいません。

先生のお話がおもしろくなかったわけじゃないんです。



今日は何をおいても早く寝ようっと。

リリーさん、ごめんなさい。

きっと遅くまで残って準備してくださってるでしょうに。

明日はよろしくお願いします。






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事例検討会

2009-09-17 23:58:33 | welfare
昨日は、朝の菊池先生からのメールに元気をもらって、京都まで行ってきました。

ルーブル美術館展は、有名な画家の絵はわずかで、人の頭を見に行ったようなものでした。

フェルメールとルーベンスが見れたのでよかったのかな。

でも画家の名前は知らなくても心に響く絵はあります。

もともと宗教画が多いのですが「受胎告知」の2枚の小さな絵がとても印象に残りました。

来週から院展が始まると知ったのがちょっと残念。

私は日本画も好きなので、昔は院展は毎年必ず見に行っていました。





急いで帰ってきて、朝、京都に行く前に送った資料の手直しして再送。

夕方は事例検討会に参加し、時間がないというのに飲み会にも参加し、夜遅くに帰ってきました。

今回はある精神科の先生といろいろお話しできたことは大収穫でした。

PSWさんとも少しお話しできました。

精神医療は私はほとんど未知の世界なので、いろんな人のいろんな考え方を聞くことが、本当に勉強になります。




事例検討会の方は…

たくさんの方が参加されるといろいろ課題もありますね。

私はどうしてもファシリテーターとして見てしまうので、世話人にはちょっと辛辣なことを言ったかも…(ごめんなさい)

せっかくだから有意義な時間にしたいですものね。

でも多機関、多職種が集まって、意見交換、情報交換できる空間って楽しい。

たくさんの学び、気づきがあります。

どんなに忙しくても、それはとても大切な時間です。








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笑顔

2009-09-16 10:50:02 | welfare
昨日、ひどい認知症のおばあちゃんのところに訪問に行った。

物盗られ妄想がひどく、何度も訴えてくるためだ。

けれども、今この会話を覚えていないので、当然私のこともすぐに記憶の彼方に遠ざかってしまう。

ふと、前任者の話になった。

「彼はよかったよねえ~」

「ああ、ええコやったよ~優しかったし」

「もしかしたら好きだった?」

ぽっ

「え?恋してたん?」

そう言ったとたん、彼女は少女のような笑顔になった。

「何言うのよ~」

と言いながら前任者をベタ褒めするのを、私はニコニコしながら聞いていた。

いくつになっても乙女なおばあちゃんが、かわいくて仕方なかった。



「ところで、今おいくつ?」

「私?84歳」

合ってる。

誕生日は11月18日。

「さそり座だね」

続けて聞いてみた。

「血液型は?」

「うち、B型やねん」

…。

なんか、そんな気がしたんだ…。

重ねて聞いた。

「干支は?」

…。

答えを聞いたときの私、どんな表情だったんだろ?

聞かなきゃよかった…。

3つとも一緒の人なんて、そうそう会わないのに。

80歳になったときの自分に思いを馳せながら、複雑な思いでお宅を後にした…
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子どもの貧困と虐待

2009-09-13 21:11:00 | welfare
今日は、「学校教育から見える子どもの貧困と虐待」というテーマのシンポジウムの聴講に行きました。

私はこの組織を知らず、受付での記名表を見ていると、参加者の多くは教育関係者のようでした。

最初に、4人のパネリストがそれぞれが専門とする視点からお話をされました。

みなさんたくさんのメッセージを抱えているようで、時間オーバー気味でしたが、午後からにもかかわらず睡魔が襲ってこないほど、私にとっても興味深い内容でした。



・現在の「貧困」の概念は絶対的なものでなく相対的なもので、どうしてもお金の話になりがちだが、低所得であるために社会的に不利や不平等になることが問題であること。

・貧困は一時的な問題でなく、時間の経過によって蓄積される(貧困の連鎖との関連?)また貧困は自己責任ではない。

・公教育は家族(家計)に依存しており、子どもの教育は親に依存していることが問題である

・子どもの虐待の多くは貧困との関連が深く、ネグレクト(育児放棄や無関心)は重要な課題

・貧困の長期化によって、生きる意欲を失わせることで徐々に社会から孤立していき、虐待へとつながる

・もっとも重要な課題は社会的孤立を防ぐこと(誰かが関わること)

・子どもの発達保障で大事なのは愛着で(大事にされるという意識)、家庭でそれが保障されない場合、教師が信頼関係を築いて愛着の内在化をもたらすことは可能

・愛されて育った子どもは内在化する存在が定着し精神的に安定する一方で、被虐待児はトラウマによって内在化する存在が育たず、精神的に不安や恐怖を抱える。

・非行や虐待の臨床においてADHDが認められるとき(アメリカでは8割という報告も)、家庭環境や生育環境などに問題があれば外因性であり、器質的な内因性のADHDと区別されるべきである。

・非行や虐待においては、内在化できる愛着関係(情緒的関係)の構築が重要で、教師の役割は大きい

・非行や虐待は家族の問題と捉えられがちだが、こども自身を支え救うシステムが必要

・学校は現場に子どもを引っ張り出そうとするが、学校だけに捉われないことが重要。

・学校が選択肢を拡げ、挫折からの回復や成功体験をたくさん作る場所である。

・学校が福祉的役割を果たすのはスティグマを伴わないことで(誰もが平等)それが学校の強み

・教育現場はもっとも子どもの情報を持っている場所で、早期介入も可能である。

・発達、虐待、貧困という視点でみたとき、学校で援助できる人の存在があることや、ひとりが抱え込むことなく役割分担が必要で、学校だけではできないこともたくさんあり、そこには福祉との連携や協働が必要であるが、まだ消極的である



話しているテーマは共通でも、アプローチはいろいろあることを感じました。

しかし、医療と福祉の間に大きな溝やギャップがあるように、教育と福祉はほとんどリンクされていないように思います。

私は9月からスクールソーシャルワーカーの講座を受けますが、学校現場がSSWの存在や役割をどれほど理解しているでしょうか。

今日の話を聴いていても感じましたが、福祉の概念というのは系統立てて論理的に話をすることが難しく、各論や各の視点からの展開になるので焦点も絞れず一見まとまりがなく、そこが非専門職から見るとわかりにくい所なのかもしれません。

個別の対応の重要性について話がありましたが、アセスメントもケアマネジメントもひとつひとつを丁寧に見立てることが大事で、そうやって「個」と向き合うことで、子どもや親は救われ、よりよき問題解決に向かうということは共通認識の様な気がします。

多くのデータが紹介されましたが、これだけ課題が見えてきていて解決していかないのは政策とシステムと関わる人々の意識や人材育成の問題であるかもしれません。

登壇者のお話はどれもよかっただけに、理想論、机上の空論にしないため、もっと多くの教育関係者、福祉専門職、行政の人々が参加してほしいし(こうした組織や活動がどれくらい知られているか)、本当はもっと具体的に問題解決に向けて展開があればとも思いました。








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