
小さないのちが遺した
伝えなくてはいけないこと。
忘れてはいけないこと。
「なぜわが子が学校で最後を迎えたのか」10年間にわたり、
その答えを探して撮影し続けてきた親たちの記録
チラシに載せられたことばです。
まさにこの通りのドキュメンタリー映画です。
大川小学校についてwikiに書かれています。こちら
東日本大震災の津波により74人の児童(うち4人は未だ行方不明)と10人の教職員が亡くなりました。
被災にあった学校の中でこのような被害に遭った学校は他にはないのです。
なぜ、大川小学校だけがこのような被害に遭わなくてはならなかったのでしょう。
この2時間余りの映画の中で問われ続けています。
まず、大川小学校はどのような位置関係だったのか。
私も2013年4月以来、数度慰霊訪問をさせていただいています。
このブログで書いています。そこに地図を載せています。こちらです。
小学校は北上川の河口から3.4km、離れています。
小学校は2階建てであり垂直避難ができない高さです。他の沿岸の学校は垂直避難ができました。
大津波のことが考えられていない設計です。
避難計画が立てられ避難訓練が行われていれば防げたのです。
津波は来ないという思い込みによる油断が漫然と受け継がれてきたのだと思います。
もう一度書きます。避難計画(2次避難場所が書かれていない)と避難訓練(したと報告されていたがしていなかった)さえ出来ていれば大惨事は防げたはずです。
悔やみきれません。
被災後の学校長や市教委の対応が遺族の方々が記録された映像が映し出されます。
この映像が残っていることの意味がとても大きいのです。
教育関係者や行政の長、事故調査委員会の委員による驚くような発言がありました。
覆水盆に返らずです。口から出た言葉は決して消すことができません。
そのような発言が観るものにとってショックを与えます。
2013年の時点で何が問題だったのかわかっています。
しかし、市や県はそれを認めず事故調査委員会の報告も中立性が疑われ遺族は納得できませんでした。
遺族側は提訴の決断をします。
これは国家賠償裁判なので、市や県(もちろん国も)にとっては全力で無罪にしなければならない裁判になりました。
遺族の思いは、「なぜわが子が学校で最後を迎えたのか」であり、真実を知りたいということでした。
学校や教育委員会の説明は二転三転し、遺族にとってはとても信じるに足りるものではなかったのです。
遺族には二人の弁護士が代理人弁護士として担当することになりました。
「これは大変なこと」と思ったが受けた、と弁護士が映画の冒頭に語ります。
提訴するにあたり、賠償請求金額を決めなくてはならなくなります。
「命をお金で測るのか」というのが遺族の思いでもあったのですが提訴するには必要なことです
生涯収入に換算すればひとり1億円ということになりました。
このことが遺族の大きな負担となりました。
「金のための裁判だ」とばかりの誹謗中傷が起こり
不安で外出にも気を遣うようになりました。
誹謗中傷の声は増すばかりの世の中になりました。
たった二人の弁護士と遺族の方の地道な準備活動、資料収集と現場検証です。
並大抵のことではありません。そのご苦労は推し量るのみです。
そして結審と判決です。
1審、2審とも遺族側が勝訴、最高裁でも上告が退かれました。
市や県(国も)による抗弁は通じなかったのです。
10年近く粘り強く裁判を闘えたのは、遺族を支え後押しした亡くなった子どもたちです。
それがなければ裁判を闘いぬくことはできなかったでしょう。
裁判長の言葉です。
「学校が子どもの命の最後の場所になってはならない」
配られたチラシ
裏面です。
保存活動の呼びかけです
お読みいただきありがとうございました。