昨日は妙善寺に行ってきました。
お寺にゆかりのある僧侶の方のお墓などを拝見するためです。
以前から気になっていた日蓮宗不受不施派です。
たまたま永瀬清子(詩人)の生家を訪問することがあり、僧侶の隠し部屋を拝見しました。
江戸時代に禁教であった日蓮宗不受布施派への幕府や岡山藩の弾圧が明治初期にまで行われていたことを知りました。
参考になる資料がないかと図書館検索をすると、
『日蓮宗不受布施派読史年表』※以下「年表」長光徳和 妻鹿淳子共著の300ページにおよぶ年表がありました。昭和53年発行です。
取り寄せてみたところ、とても貴重な資料であり手元に置きたいと思いました。
ネットで検索すると、手に入ることがわかりましたので購入しました。
年表には大勢の僧侶の方の名前が書かれています。
すべて、「日」が付きます。例えば、不受布施の教義を守るために秀吉から対馬に流された日奥上人。
幕末から明治にかけて公許のための活動をされた日正上人。
年表作成に関わられた日学上人。
もちろん、日蓮宗全派で「日」が付くのでしょう。
申し訳ないことですが、読ませていただいていると名前が覚え切れません。
年表を手元に置かなくてはならない理由です。
では、岡山市津島にある妙善寺の写真を紹介します。
禁教が解かれて、明治期以降に再興されていきました。
この鐘の音を聞きながら幼少期や少年期を過ごしました。
現在の鐘は平成期のものですね。
岡山市街が一望できます。
実は、お寺の裏手にあるお墓を見せてもらいに来たのです。
お墓の写真を多量に載せるのは控えます。数点のみです。
正面が日奥大聖人のお墓です。
手元には、『忘れられた殉教者』奈良本辰也 高野澄共著 1972年があります。
わかりやすく書かれていますが、やはり「年表」がなければ全体像は見えないと思いました。
「年表」著者の一人、妻鹿淳子さんは、岡山在住の近世史研究者です。
『犯科帳のなかの女たち』『武家に嫁いだ女性の手紙』などを読ませていただきました。
まことに丁寧な仕事をされており感銘を受けました。
過去記事です。
妙林寺と妙善寺2014年