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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「あいまいな日本の私」は続く。大江健三郎さんの憂い。

2011-05-18 14:49:16 | 原子力発電


「定義集」大江健三郎 朝日新聞5月18日掲載から考える。

「あいまいな日本の私」は大江さんがノーベル賞受賞記念講演のタイトルですね。

今もなお、「あいまいな日本」は健在です。
そして、「あいまいな私」も大手を振って歩いています。
それゆえ、現在のタイトルは「あいまいな日本、そして私」がよいように思います。
もちろん、自戒の意味を込めてです。

たとえば、海外から日本の情報を得ようとする時、日本語を解さない人々にとって、情報は極端に限定されてしまいます。
ところが映像はリアルタイムで伝わります。
その映像に驚愕した世界の人々が日本支援に乗り出したと思います。
私たち日本人がいや世界の人々が津波の恐ろしさを映像で知ったのはスマトラ沖の大津波です。

再び今回の大津波映像を見た人は、津波に対して強い恐怖心を覚えたに違いありません。
映像のちからです。

言葉の発信は、東京発の海外メディアが送ることになります。
被災者の冷静な対応に賛美が送られました。
日本人の従順さ、礼儀正しさが賞賛されました。
しかし、賞賛の中にも違和感があるようでした。
それは、従順さ、礼儀正しさは美点ではあるが、表に出ない心の奥があるのかもしれません。

地震と津波に続いた福島原発事故への日本人の対応がよくわからないと感じているのでは。
原発は映像が極端に制限されています。
事故現場の破壊された建屋が繰り返し流れました。
放射能汚染が他人事ですまないことは世界の共通認識です。
お上に従順な日本人に任せておいてよいのか。

確かに外電で流れる日本政府や東電の対応は進んでいるように思えない。
日本語を解する私たちでも「あいまいな東電と政府」なのだから、海外の人々に
理解できるはずがない。

あいまいな日本は、ここにおいて極まった。
直接的な介入が必要と諸外国が思い定めたのは、至極当然のことだと思う。

大江健三郎さんの憂いをいまだ書いておりません。最後に引用させていただきます。

「私の終わり近い文筆生活で、いまでも国の内外で引用される言葉は、『あいまいな日本の私』ですが、
まだ収束もおぼつかないのにフクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、
そのあいまいな日本の、次の私たちには、はたして未来はあるのでしょうか?」

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