越会道路とは、越後と会津を結ぶ道路のことである。
八海山を下山した私たちは、次の登山場所である福島県
檜枝岐村に向けて出発した。
関越自動車道を小出ICで降り、一路県境を目指す。
道路が通る渓谷はやがて細くなり高度をましていく。
車窓からは、道路に沿って1本の線路が走っている。
会津若松駅に繋がる只見線である。
雪よけのトンネルがそここにある。もう人家は見なくなって
かなりたつ。
しばらくすると線路も消えた。
鉄道はいち早く「六十里越トンネル」に入ったのだ。
車はさらに高度を上げていく。標高600m、700m。
750mに達したところで、前方にトンネルが現れた。
県境の六十里越トンネルだ。
トンネルの上は急峻な県境尾根である。
トンネルを抜けて福島県に入る。
峠道からはるか下に湖面が光る。
田子倉湖だ。ダム湖としては日本第2の大きさという。
ということは、この「越会道路」は、電力開発のための道と
いうことになる。
桁外れの開発である。だれが進めたのだろうか。
新潟といえば、やはり田中角栄だ。
強大な権力者がいなければ造ることのできない道と思う。
「越会道路」を造ることと、そして日本一といわれる発電量を
もつ田子倉ダムの建設がひとつとなって、
まさに「超プロジェクトX」が行なわれたのだろう。
(東日本の人には一般常識的なことかもしれない)
この地域は日本一の豪雪地帯だ。
この道路にも、雪よけのスノーシェッドが
全線を通じて付けられている。冬対策は万全と思われるが、
なんと冬季通行止めである。この地域の雪の凄さは想像外だ。
もちろん、この道路の維持には莫大な金がかかっている
ことだろう。春に除雪、夏には全線にわたって工事中という
状態である。
この道路のお蔭でわれわれは、越会県境のとほうもない自然を
見ることができる。
私は、こんな高さの道からダム湖をみた経験がない。
圧倒された「六十里越」だった。
「六十里越」という名が残っているからには、今はダム湖に
沈んだ田子倉と越後の小出を結ぶ山道があったのだろう。
まさか六十里(約200km)はないけれど、
当時の人は、その長くも険しい道の有り様を六十里という距離に
こめたのだろう。
六十里越トンネルを抜けた道路は湖岸に沿って少しずつ高度を
下げて湖面に近づく。
そこに鉄道の駅「田子倉」があった。
長い「六十里越トンネル」から一瞬、列車が顔を出し、
駅に停車。
またすぐに長いトンネルに入っていく。次に列車が日の目を
みるのは田子倉ダムの下である。
このトンネルを「田子倉トンネル」という。
「六十里越トンネル」は、6359m。
「田子倉トンネル」は、3712m。
合わせて1万mのトンネルをつくったのが1971年。
ということは鉄道の只見線も、道路とともに、
田子倉ダム電源開発とセットとして開発されたのだ。
なんともはや凄いことをしている。
※鉄道のトンネルは「」を付けました。道路も鉄道も
トンネルが多いので混乱します。
つづく。
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