
岡山のシネマクレール丸の内で観ました。
どのような意図でこのドキュメンタリー映画がつくられているのか?
これが重要です。特にいま世界を震撼させている人間のドキュメンタリーですから。
この映画を観るだけでは把握することが困難でした。
黒井文太郎さんが解説を担当していただいたことで理解が進みました。
黒井さんは軍事評論家としてテレビなどでコメントをされていますよね。
ロシアの政情にも詳しく本当に学ぶことが多かったです。
戦場カメラマンもしていたそうです。
さて映画ですが、1999年大晦日のマンスキー監督の自宅から始まります。
監督は「動画日記」だと言ってカメラを回し続けます。
この家族はプーチンを大嫌いです。家族中が怒っています。映像を撮ることにも怒っています。
ところが監督の仕事は、プーチンの選挙用PR動画を撮ることです。
同年12月にエリツィンが大統領後継にプーチンを指名していたのです。
そして2000年3か月に大統領選挙が行われることになっていました。
プーチンは指名されただけです。選挙に勝たなければ大統領にはなれません。
この時点では大統領代行という立場です。
プーチンは大統領選挙への出馬表明をせず、公約もつくらずロシア各地を訪問します。
彼の実績と言えば第2次チェチェン戦争の勝利ぐらいでした。
まだまだ知名度のないプーチンですが徐々に浸透していきます。
プーチン支援の中心のひとつはエリツィン家です。
監督は、このエリツィン家も撮影しています。
投票日当日も撮影しています。
一家は開票経過に一喜一憂していますが勝利が確定した時には大騒ぎでシャンペンで乾杯します。
ところがプーチンから勝利の電話もなく、エリツィンから電話をするも折り返し電話すると伝えれるのみです。
やがてエリツィン派は政治の中枢から外されエリツィン自身も7年後に亡くなります。
プーチンは何を考えていたのか。
その後の彼の政治活動によって明らかになります。
この映画は1999年~2000年の短い期間ですが、プーチンという人物について多くの示唆があります。
黒井さんは、プーチンが独裁者に変貌したのは2014年クリミア併合からだと話します。
プーチンの評価はロシア国内でも分かれていました。
混乱していた経済を復興させたという支持派と、マスコミ等の管理統制を進め自由が失われたという反対派です。
反対派はやがて封じ込められ幾多の悲劇も起こります。
そしてプーチンは独裁者になり、独裁者の陥る罠にハマってしまいます。
プーチンを独裁者にしたのはロシア国民だと監督は言います。
その監督がロシアにいることができるはずはありません。
ロシアから指名手配されています(国外に居ます)。
プーチンについてのwikiです。
追伸:黒木さんのファンの方が多く来場していました。
いつもより男性が多く感じられました。軍事オタク?
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナに平和を!!!!