ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

才色恋慕

2012-08-21 | 喜び
今日もまたまた猛暑の一日でした。
明日は今日以上に暑くなるというのだから、大変ですね。

今日は仕事は休みでしたが、洗濯してから午前中に歯医者を含む二件受診して、昼食後にスポーツクラブに行って少し走る…といういつもの休日パターンでした。

二時過ぎに家に帰ってからは、いつものようにフトンに横になって、テレビをみたりスマホをいじったりでグータラと過ごしました。

私は二年くらい前までずっとテレビを持たない生活をしていましたが、亡くなった入居者のご家族からテレビを頂きました。そして、職場の人間関係に躓いた去年の初めあたりから、テレビをよく見るようになりました。
そしていまや、テレビが唯一の楽しみと言ってもいいほどです。

ほとんどNHKしか見ないのは、疲れた心身には、民放の殊にバラエティー番組は喧しすぎ、忙しなさ過ぎるからです。

さて、毎日NHKを見ているうちに、お気に入りの女性アナウンサーが出来てきました。

NHKの女性アナウンサーは民放に比べて容姿がイマイチ垢抜けない…という先入観がありましたが、近年の方々は皆さん容姿端麗、加えて崩し過ぎない凛とした姿勢の美しさがあります。
以前、夜9時のニュース番組のサブキャスターをしている井上あさひさんのファンだと書きましたが、彼女などはまさに才色兼備そのもの、眩しくてお慕いするのが申し訳ないほどです。
その点、以前に「ケータイ大喜利」の進行をしていて、今は定時首都圏ローカルニュースを担当している守本奈美さんはハムスターのような「どうぶつ顔」が親しみやすく、好ましい。

でも、私が最もお慕い申し上げているのは、「ディープピープル」という、その道のプロ三人で語り合う番組を関根勤と進行していた、中村慶子さんです。
彼女は一見地味ですが目がとても綺麗で、控えめな笑顔も良いのです。アナウンサーにならなければ薬剤師になっていたという、真面目そうな上智大学理工学部卒の理系女子です。
今は地上波のレギュラーはないようですが、頑張ってまた復活して欲しいと思っています。

寂しいおじさんの密かな願いでありました。

19歳の新人君

2012-08-20 | ほとほと日記
三日前から、19歳の新人男性ヘルパーが我がホームで勤めている。

昨日彼が休み、その前二日を私が休んだ為、今日が初対面だった。

背がヒョロッと高く、眼鏡を掛けた、なかなか真面目そうな青年である。

19歳というと、誰であっても多感で難しい時期であるが、落ち着いた印象がある。

彼にとって、入居者は祖父母よりもっと上の世代になるはずだ。

いったい何を感じ、どう働いていくのだろうか。

何となく楽しみになってきた。






安心してね…

2012-08-19 | 家族
今日は事務所が閉まる午後六時直前に面会が一人ありました。

七十代半ばだけれど、少年のような純粋な話し方をする男性入居者の妹さんです。

お帰りの際、彼女は、「○○ちゃんたら、こんなこと言うのよ」と、私に言いました。



…ボクがここにいると、一日いくらくらいかかるの?

…だいたい○円くらいよ。

…ふうん。すると、もしボクがこれから十年生きたら(暗算して)○千万くらい掛かるんだなア!そんなに生きられないなア!

…ううん。そうなっても大丈夫なように、お父さんもお母さんもお金を工夫してたし、私たち兄弟(彼は妹が二人と姉が一人います)も頑張るから、長生きしてね。



そして「一人で色んなこと考えてるんですね。私、驚いちゃいました」と、目を丸くしました。

何か、「良い感じ」でした。







雨のち晴れ

2012-08-18 | ほとほと日記
昨日まではずっと強い日差しの猛暑日が続いていたが、今日は朝から今にも降りそうな不穏な黒い雲。
案の定、昼前から強い雨が降ってきた。
私は昨日母が持って来てくれたおかずで昼食を食べた。
その後、眠ってしまった。

目が覚めたら、日差しが出ている。
夕方から友人と食事をするので、雨が止んでくれて良かった。

頭がピリピリと痛むことがある。体も妙にだるい。
薬を減らしたせいだろうか。
あるいは別の方面の影響だろうか。

でも、きっとまた良くなるだろう。

今までがそうだったように。

定例日

2012-08-17 | 家族
今日は、母と姉が私の住むマンションにやって来た

私は今年の三月半ばに大量服薬をし、四週間休職した。
職場復帰をするときは不安と恐怖でどうしようもなかった。
案じた母と姉が、四月からの毎月一度、私の棲み家を訪問するようになった。
言わば私は、保護観察下のようなものなのである。

しかし、今月は今までとは全く違う気持ちだった。
言うまでもなく、職場の人間関係が改善されて、心身のコンディションが劇的に良くなったからだ。

母は千葉県に、姉は神奈川県に住んでいるので、都内の地下鉄駅で待ち合わせて、私の住む小田急線の駅までやって来る。

今日はとてつもなく蒸し暑かった。母も姉も、私の部屋に着いたときは顔が真っ赤になっていた。
二人が着くと、いつものように母が今朝作ったキンピラゴボウや卵焼きを取り出して、軽い食事をした。母はこれを「ピクニック」と呼ぶ。
それから部屋の掃除を始めた。

食事と掃除というのは家庭生活の基本だけれども、精神衛生上もとても良いことなのであった。
三月までの私の部屋はひどい有り様だったが、毎月少しずつ良くなり、上司の呪縛から解放された三週間前からは、自分でもかなり整理ができるようになったためか、今日の掃除はいつになく短時間で終わった。

その後、駅近くのレストランで昼食を一緒に採った。
このところ、これがメインになってきている。
私は実家にいるときから一人で食事をする「個食」が多かった。一人暮らしを始めた約二十年前からはなおさらである。
しかし、今となって改めて食卓を囲むことの効用とありがたさを思い知っている。

母は八十を過ぎているが、とても良く食べる。
老人ホームで勤める私は、高齢者にとって「食べる」ことがいかに大切なことか、良く知っている。
人は、必ず食べられなくなる日が来るのである。
母が太るのを案ずるほど食べられるというのは、それこそ「有り難い」ことである。

食事を終えて、私は自転車置場まで自転車を取りに行った。
引き返して来る僅かの時間で、母も姉も顔が真っ赤になっていた。
駅前で別れを交わすと、私はスポーツクラブに向けて自転車を漕いだ。