ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

定例日

2012-08-17 | 家族
今日は、母と姉が私の住むマンションにやって来た

私は今年の三月半ばに大量服薬をし、四週間休職した。
職場復帰をするときは不安と恐怖でどうしようもなかった。
案じた母と姉が、四月からの毎月一度、私の棲み家を訪問するようになった。
言わば私は、保護観察下のようなものなのである。

しかし、今月は今までとは全く違う気持ちだった。
言うまでもなく、職場の人間関係が改善されて、心身のコンディションが劇的に良くなったからだ。

母は千葉県に、姉は神奈川県に住んでいるので、都内の地下鉄駅で待ち合わせて、私の住む小田急線の駅までやって来る。

今日はとてつもなく蒸し暑かった。母も姉も、私の部屋に着いたときは顔が真っ赤になっていた。
二人が着くと、いつものように母が今朝作ったキンピラゴボウや卵焼きを取り出して、軽い食事をした。母はこれを「ピクニック」と呼ぶ。
それから部屋の掃除を始めた。

食事と掃除というのは家庭生活の基本だけれども、精神衛生上もとても良いことなのであった。
三月までの私の部屋はひどい有り様だったが、毎月少しずつ良くなり、上司の呪縛から解放された三週間前からは、自分でもかなり整理ができるようになったためか、今日の掃除はいつになく短時間で終わった。

その後、駅近くのレストランで昼食を一緒に採った。
このところ、これがメインになってきている。
私は実家にいるときから一人で食事をする「個食」が多かった。一人暮らしを始めた約二十年前からはなおさらである。
しかし、今となって改めて食卓を囲むことの効用とありがたさを思い知っている。

母は八十を過ぎているが、とても良く食べる。
老人ホームで勤める私は、高齢者にとって「食べる」ことがいかに大切なことか、良く知っている。
人は、必ず食べられなくなる日が来るのである。
母が太るのを案ずるほど食べられるというのは、それこそ「有り難い」ことである。

食事を終えて、私は自転車置場まで自転車を取りに行った。
引き返して来る僅かの時間で、母も姉も顔が真っ赤になっていた。
駅前で別れを交わすと、私はスポーツクラブに向けて自転車を漕いだ。