名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

五色園・浅野祥雲コンクリート像その4

2014年12月14日 | 趣味


12月9日に訪れた、五色園コンクリート像の4回目は、
「鹿ケ谷鈴虫松虫の剃髪得度」のシーンから始まります。


↑ 二人を出迎える

後鳥羽上皇の寵愛を受けた鈴虫と松虫が、
法然の弟子の感化で、剃髪して尼になった。



それを怒った上皇は、法然と親鸞を流罪にし、
弟子の僧二人を六条河原で斬首となった。




↑ 上皇好みの美形

次は「川越の名号」のシーンへ移ります。



親鸞聖人は、流罪勅免の使いに会うため、草庵を出て国府に向かった。
途中雪に見舞われ、宿を借りた家の夫婦に、
仏の教えを説いたところ、熱心な念仏信者となった。





親鸞が発ったあと、名残惜しさに形見を求めたところ、
川向こうにいた聖人が空中に名号を書いた。

不思議なことに、対岸で女がかざした紙には、
南無阿弥陀仏と書かれていた。

「御田植え」のシーン



親鸞が念仏布教の道すがら、一心不乱に
田植えに励む村人に出会った。



一緒に田植えをしながら、念仏の楽しさを教えようと泥田に入った。



初めは戸惑っていた村人達も、声を揃えて南無阿弥陀佛を唱え始めた。

「日野左衛門・門前石枕」のシーン



布教途中の親鸞が、金貸しで悪人の日野左衛門に、
一夜の宿を求めたが無下に断られた。



やむなく雪を避けて、軒先で一夜を過ごした。





夜半、左衛門の夢枕に現れた観音菩薩に非を諌められ、
親鸞に詫び家に招き入れた。

親鸞から教えを受け、弟子となった左衛門は、念仏道場枕石寺を作った。

↑ 霊園前のコンクリ像はお化粧直しが施されていた

見落とした像や由縁が分からない像もあり、
後日調べるか再訪してアップします。
コメント (4)
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