マリリンは勝負に出た。
「この近くに石碑があったでしょう。覚えてる」
それは最初、草陰に隠れていた。
苔生しただけの小さな岩で、微かな呼吸するような気配に林杏が気付かなければ、
通り過ぎるところであった。
その岩をよく見ると、子供が伏せたような形をしていた。
苔を剥ぐと、実際に子供を摸して削られていた事が判明した。
さらに岩を強引に引っ繰り返しすと、裏に文言が刻まれていた事も判明した。
「愛しき人を称える、佑」と刻まれていた。
誰かが別の誰かに伝える為に建立した秘密の石碑だということは明白であった。
生憎、「誰かが」も、「誰かに」も分からなかった。
みんなが頷いた。
あれは忘れられない一件であった。
「それがどうしたの」と麗華が先を促した。
「あの佑の名前に心当たりがあるの。
虞姫よ。
姓は虞、名は佑、字は桂」
途端に姫達の雰囲気が変わった。
ならやらウキウキ気分。
碑文の、「愛しき人を称える」が脳裏を走ったのだろう。
時代は違っていても、民族が違っていても、女の子というものは、
この手の話題には貪欲なまでに食い付いて来る。
マリリンは続けた。
「石碑は子供の形をしていたわね。
男の子だった、それとも女の子。
どちらに彫られていたかしら。思い出してみて」
みんなが思案顔。
覚えていないのか、そこまで注意深く見ていなかったのか。
互いに目顔で問答。
導き出された答えは、「そこまでは見ていなかった」。
マリリンは正解を教えた。
「男の子だったら、アレがしっかりと拵えてあった筈よ。
でも、そんなモノは影も形もなかった。
つまり女の子よね」
「それがそんなに大事なの。たかだか石碑よ」と水晶。
「あの石碑の大事な部分は、男の子であるか、女の子であるかなのよ」
「石碑は刻まれた文言が大事じゃないの」と麗華。
「あの石碑に限っては違うと思う。
項羽が最期の戦いから虞姫を外し、西楚に戻したのは、彼女が懐妊していたからなの。
だから彼女は戦死した項羽に伝えたかった。
無事に子供が生まれたと。
そして、それは女の子だと。
そう思っているのよ。
私の独りよがりかもしれないけどね」
姫達が仲間内で姦しく意見の交換を始めた。
あまりの早口に唾までが飛び交う。
途中で麗華がマリリンに問う。
「懐妊の事実はヒイラギの記憶にあるのね」
マリリンはヒイラギの記憶に残っている項羽と虞姫の別れを語る事にした。
・・・。
楚漢戦争での敗戦が決定的となり、項羽は優位な戦後処理を図った。
大事なのは自分の身ではなく、ここまで付き従った西楚の将兵であり、
国元の民人の将来であった。
項羽は陣幕に重臣を集めた。
当然、虞姫もその一人。
決定事項を項羽が矢継ぎ早に伝えた。
そこで虞姫は、
「配下の将兵を引き連れて西楚へ帰還せよ」と命じられ、
悔しそうに項羽を睨み付けた。
我慢ならず項羽に二歩、三歩と詰め寄る。
「貴方の言いたい事は分かりました。
だけど私の気持が収まりません。
妻が共に死して何の不都合がありましょう」
そんな虞姫を項羽は優しく見詰めた。
「お前には子供と共に生きていて欲しい」
懐妊を内緒にしていた虞姫は顔を歪めた。
「知っていたのですか」
「これでも夫だからな。
これよりは母として生きよ。
我の分まで生きて、子と二人幸せにな。
・・・。
そんな顔するな。
いずれあの世とやらで会える。
我は先に逝くが、また会える」
虞姫の目から大粒の涙が零れ始めた。
それでも彼女は声を上げない。
涙流れるまま項羽を見詰めた。
項羽は虞姫に歩み寄り、その肩に手を置いた。
「自分の子供もだが、みんなも頼む。
王妃にとって将兵は無論、民人みんなが子供だ」
彼女は頷かない。
気持は限界に来ていたが、決壊せぬように天幕を見上げた。
項羽のもう一方の手が虞姫の腹部に置かれた。
防具の上からだが、お腹の子を感じ取ろうと掌で優しく撫で回した。
「馬鹿ね」と虞姫は項羽の手を払い、慌てて自分の防具を剥ぎ取った。
「昔から馬鹿だったろう」と項羽は再び掌で虞姫の腹部を撫で回した。
虞姫は腹部を撫で回す項羽の手に、「そうね」と自分の手を重ねた。
「それにしては膨れてないな」
「膨れるまでには育ってないわ、これからよ」
「そうか、健やかにな」
虞姫は姿勢を正して両手で項羽を抱きしめた。
表情を改めて愛しい夫を見上げた。
「王妃として国に戻ります。
・・・。
また会えますね。
きっとですよ。
約束ですよ。
・・・。
年老いた私が見分けられると良いですね」
虞姫は醜態を晒さない。
自分が声を上げて泣けば、陣幕内が動揺すると分かっていた。
だから必死で奥歯を噛み締め、自己の崩壊に耐えた。
・・・。
嘘は一片も交えていない。
ヒイラギの記憶のままを言葉にした。
姫達の表情が暗い。
沈み込んでいた。
誰も一言も発しない。
よく見ると、それぞれが涙を零していた。
快い風が川面を走り抜けた。
浅瀬で遊ぶ馬達は心地良さそう。
河原の丈の高い草が風に煽られて大きく揺れ動く。
あの日、あの石碑はあっという間に消えた。
地震でもないのに、激しく振動し、縦横に割れ目が走った。
割れ目が二つ、三つと増え、ついには網目状になった。
そして粒状化し、砂煙を上げてサラサラと崩れ落ち、跡形もなく消え去った。
マリリンは、「石碑が自分を待っていた」と確信していた。
ヒイラギが自分に居候したのは、「血の繋がりゆえ」と確信していた。
何故なら、ヒイラギの記憶にある虞姫と、自分の母が瓜二つ。
伯父も、「毬谷家の遠い先祖は中華にある」と断言していた。
自分の中には項羽と虞姫の血が流れている。
血が繋がっているからこそ、ヒイラギに、石碑に出会えたのだ。
ただ、時空を超えて、この地に運ばれた理由が分からない。
石碑に会うだけではないだろう。
血の繋がりを確信するだけでもないだろう。
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「この近くに石碑があったでしょう。覚えてる」
それは最初、草陰に隠れていた。
苔生しただけの小さな岩で、微かな呼吸するような気配に林杏が気付かなければ、
通り過ぎるところであった。
その岩をよく見ると、子供が伏せたような形をしていた。
苔を剥ぐと、実際に子供を摸して削られていた事が判明した。
さらに岩を強引に引っ繰り返しすと、裏に文言が刻まれていた事も判明した。
「愛しき人を称える、佑」と刻まれていた。
誰かが別の誰かに伝える為に建立した秘密の石碑だということは明白であった。
生憎、「誰かが」も、「誰かに」も分からなかった。
みんなが頷いた。
あれは忘れられない一件であった。
「それがどうしたの」と麗華が先を促した。
「あの佑の名前に心当たりがあるの。
虞姫よ。
姓は虞、名は佑、字は桂」
途端に姫達の雰囲気が変わった。
ならやらウキウキ気分。
碑文の、「愛しき人を称える」が脳裏を走ったのだろう。
時代は違っていても、民族が違っていても、女の子というものは、
この手の話題には貪欲なまでに食い付いて来る。
マリリンは続けた。
「石碑は子供の形をしていたわね。
男の子だった、それとも女の子。
どちらに彫られていたかしら。思い出してみて」
みんなが思案顔。
覚えていないのか、そこまで注意深く見ていなかったのか。
互いに目顔で問答。
導き出された答えは、「そこまでは見ていなかった」。
マリリンは正解を教えた。
「男の子だったら、アレがしっかりと拵えてあった筈よ。
でも、そんなモノは影も形もなかった。
つまり女の子よね」
「それがそんなに大事なの。たかだか石碑よ」と水晶。
「あの石碑の大事な部分は、男の子であるか、女の子であるかなのよ」
「石碑は刻まれた文言が大事じゃないの」と麗華。
「あの石碑に限っては違うと思う。
項羽が最期の戦いから虞姫を外し、西楚に戻したのは、彼女が懐妊していたからなの。
だから彼女は戦死した項羽に伝えたかった。
無事に子供が生まれたと。
そして、それは女の子だと。
そう思っているのよ。
私の独りよがりかもしれないけどね」
姫達が仲間内で姦しく意見の交換を始めた。
あまりの早口に唾までが飛び交う。
途中で麗華がマリリンに問う。
「懐妊の事実はヒイラギの記憶にあるのね」
マリリンはヒイラギの記憶に残っている項羽と虞姫の別れを語る事にした。
・・・。
楚漢戦争での敗戦が決定的となり、項羽は優位な戦後処理を図った。
大事なのは自分の身ではなく、ここまで付き従った西楚の将兵であり、
国元の民人の将来であった。
項羽は陣幕に重臣を集めた。
当然、虞姫もその一人。
決定事項を項羽が矢継ぎ早に伝えた。
そこで虞姫は、
「配下の将兵を引き連れて西楚へ帰還せよ」と命じられ、
悔しそうに項羽を睨み付けた。
我慢ならず項羽に二歩、三歩と詰め寄る。
「貴方の言いたい事は分かりました。
だけど私の気持が収まりません。
妻が共に死して何の不都合がありましょう」
そんな虞姫を項羽は優しく見詰めた。
「お前には子供と共に生きていて欲しい」
懐妊を内緒にしていた虞姫は顔を歪めた。
「知っていたのですか」
「これでも夫だからな。
これよりは母として生きよ。
我の分まで生きて、子と二人幸せにな。
・・・。
そんな顔するな。
いずれあの世とやらで会える。
我は先に逝くが、また会える」
虞姫の目から大粒の涙が零れ始めた。
それでも彼女は声を上げない。
涙流れるまま項羽を見詰めた。
項羽は虞姫に歩み寄り、その肩に手を置いた。
「自分の子供もだが、みんなも頼む。
王妃にとって将兵は無論、民人みんなが子供だ」
彼女は頷かない。
気持は限界に来ていたが、決壊せぬように天幕を見上げた。
項羽のもう一方の手が虞姫の腹部に置かれた。
防具の上からだが、お腹の子を感じ取ろうと掌で優しく撫で回した。
「馬鹿ね」と虞姫は項羽の手を払い、慌てて自分の防具を剥ぎ取った。
「昔から馬鹿だったろう」と項羽は再び掌で虞姫の腹部を撫で回した。
虞姫は腹部を撫で回す項羽の手に、「そうね」と自分の手を重ねた。
「それにしては膨れてないな」
「膨れるまでには育ってないわ、これからよ」
「そうか、健やかにな」
虞姫は姿勢を正して両手で項羽を抱きしめた。
表情を改めて愛しい夫を見上げた。
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虞姫は醜態を晒さない。
自分が声を上げて泣けば、陣幕内が動揺すると分かっていた。
だから必死で奥歯を噛み締め、自己の崩壊に耐えた。
・・・。
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ヒイラギの記憶のままを言葉にした。
姫達の表情が暗い。
沈み込んでいた。
誰も一言も発しない。
よく見ると、それぞれが涙を零していた。
快い風が川面を走り抜けた。
浅瀬で遊ぶ馬達は心地良さそう。
河原の丈の高い草が風に煽られて大きく揺れ動く。
あの日、あの石碑はあっという間に消えた。
地震でもないのに、激しく振動し、縦横に割れ目が走った。
割れ目が二つ、三つと増え、ついには網目状になった。
そして粒状化し、砂煙を上げてサラサラと崩れ落ち、跡形もなく消え去った。
マリリンは、「石碑が自分を待っていた」と確信していた。
ヒイラギが自分に居候したのは、「血の繋がりゆえ」と確信していた。
何故なら、ヒイラギの記憶にある虞姫と、自分の母が瓜二つ。
伯父も、「毬谷家の遠い先祖は中華にある」と断言していた。
自分の中には項羽と虞姫の血が流れている。
血が繋がっているからこそ、ヒイラギに、石碑に出会えたのだ。
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