10月4は、よみうり文化センター主催の文化財建築で滋賀県堅田にある「居初氏庭園」を見学されて頂きました。講師は二村盛寧さんです。
居初(いそめ)氏は、中世より琵琶湖の湖上特権を掌握し、江戸時代には堅田の三豪族として代々大庄屋を務めてきた家です。
国の名勝庭園に指定されている庭園と付属の茶室「天然図画亭」は、天和元年(1681)に藤村庸軒(ようけん)と、その門人で堅田郷士のひとり北村幽安(庵)との合作と伝わります。幽安は諸事に優れ、料理の幽安焼きや食用菊の一種の幽安菊は幽安の創作と言われています。
藤村庸軒の母は千利休の妹で茶を藪内紹智や小堀遠州に学び、のちに千宗旦に師事し、台子伝授(正当な弟子と認められること)を許された宗旦四天王のひとりです。
京都では、金戒光明寺塔頭の一つ西翁院の「淀看(よどみ)の席」が残っています。
庭園へは、利休好みの飛び石が打たれ、露地口への門を入ると趣きを変え、三つの延べ段が印象的です。
最初の手水は自然石で、茶室前の蹲踞は宝篋印塔の塔身を逆さにした趣きのあるものです。
茶室は「天然図画亭」と呼ばれヨシ葦の入母屋造、庇柿葦平入りの建物です。
玄関、中の間、仏間、主室と一畳の点前座から構成されています。
昇降式板蔀は雨が降り込むのを防ぐ三段構造の雨戸で、雨の日でも琵琶湖の景観を楽しめるように下だけ遮るよう工夫され、晴天時は上に釣られています。
居初(いそめ)氏は、中世より琵琶湖の湖上特権を掌握し、江戸時代には堅田の三豪族として代々大庄屋を務めてきた家です。
国の名勝庭園に指定されている庭園と付属の茶室「天然図画亭」は、天和元年(1681)に藤村庸軒(ようけん)と、その門人で堅田郷士のひとり北村幽安(庵)との合作と伝わります。幽安は諸事に優れ、料理の幽安焼きや食用菊の一種の幽安菊は幽安の創作と言われています。
藤村庸軒の母は千利休の妹で茶を藪内紹智や小堀遠州に学び、のちに千宗旦に師事し、台子伝授(正当な弟子と認められること)を許された宗旦四天王のひとりです。
京都では、金戒光明寺塔頭の一つ西翁院の「淀看(よどみ)の席」が残っています。
庭園へは、利休好みの飛び石が打たれ、露地口への門を入ると趣きを変え、三つの延べ段が印象的です。
最初の手水は自然石で、茶室前の蹲踞は宝篋印塔の塔身を逆さにした趣きのあるものです。
茶室は「天然図画亭」と呼ばれヨシ葦の入母屋造、庇柿葦平入りの建物です。
玄関、中の間、仏間、主室と一畳の点前座から構成されています。
昇降式板蔀は雨が降り込むのを防ぐ三段構造の雨戸で、雨の日でも琵琶湖の景観を楽しめるように下だけ遮るよう工夫され、晴天時は上に釣られています。
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