高校公民Blog

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水戸黄門と必殺仕事人という形式

2008-06-14 19:23:41 | 歴史社会学

武装自弁という思想



 社会学者のマックス・ウェーバー(1864~1920、ドイツ)(上、写真)は、『古代社会経済史』や『都市の類型学』といった著書の中で繰り返し西洋を特徴づける形式として、「武装自弁」という表現を用いています。ドイツ語表記では、Selbstequipierung ってかかれているのですが、Selbstって英語のselfです。Eqipierungって英語でequipment です。これ、ウェーバー社会学の隅にある重要な一石なんです。
 私は、45歳のときに、年収2年間を棒にふって、しかもその間の生活費をねん出して、大学院へいきました。自分で学ぶのです。自費で行くのです。ま、私は出世コースに乗っていない(笑)ので、そうするよりなかったのですが、文部科学省がそういう制度を走らせたのです。もちろん、私は迷いもせす、その道を選びました。そして、その2年間で独立するためのあらゆる試みもしました。しかし、ま、こうして今も現職に復帰しているわけです(笑)。そして、膨大な借金が残り、現在、小遣いは高校生並なんです(笑)。
 ウェーバーはいいます。非西洋には、この「武装自弁」という精神が根底において脱落している、と。ウェーバー先生、大胆ですよね。

水戸黄門の8時45分

 
時代劇『水戸黄門』は屈指の長寿番組です。まだ、やっています。僕が物心ついたころにはこの番組はありました。どう見積もっても45年以上、この番組は生き残ってきたのです。それも、ゴールデンの時間帯で、TBSはいまだに配置しているのです。再放送も途切れることなくオンエアされているのです。火のないところに煙は立たないのです。つまり、見る人がいるということです。



 僕は、中国史を、『水戸黄門』という娯楽ドラマを見ることから始めるのです。
 水戸黄門は、まったく単純な話です。
 かならず、弱者がいます。身分でいえば、武士ではない層です。百姓、町人、それも生活的に恵まれない弱者がいるのです。そして、その弱者を食い物にする商人がいます。その大金持ちを、悪代官が保護し、彼らから、袖の下を貰っているのです。

「伊関屋おぬしも悪よのぉ(笑)」

その伊関屋には、かならず、暴力団が、雇用されていたりします。で、そういう人間が、弱者の借金の取り立てをしたりするわけです。あるいは、競争相手の商人を脅迫したりするんです。
 貧乏な町人が、借金をする、それが利息制限法真っ青なほどの法外な利息なので、どんどん借金はかさむ。その借主は大体健康が蝕まれているんですね。で、娘が美人ときているわけです。で、お定まりですが、商人が、代官へと口利きをして、娘を借金のかたによこせば、借金を棒引きにしてやる、ともちかけたりするわけです。
 で、どういうわけか、旅のご隠居がそこに通り合わせて、

「この年寄りにお話しいただけないでしょうか、何かの役に立つかも知れません」

とかいって、見も知らないこの年寄り(水戸黄門)に、身の上話をする。同時進行で、風車の弥七とか、お銀とか、が、なんでかわからないけど、情報をご隠居にもたらす。
 で、いよいよ、借金の催促はくる。しかし、払えない。で、いよいよ、暴力団が、きたりして、それでもだめで、とうとう御代官たちが、借金不払いは、犯罪であると逮捕しにくる。そのときに、水戸黄門たちが、彼らの悪事の情報を手にして、代官屋敷へとのりこむ。そして、乱闘騒ぎ。そして、そして、

8時45分

これが目に入らぬか!こちらにおわすをどなたと心得る、先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!一堂頭が高い!控えおろう!

ってなるわけです。詳しいでしょ?(笑)

必殺仕事人の構造



この水戸黄門バージョンに公然と戦いを挑んだのが、テレ朝系列の中村主水(もんど)こと藤田まこと主演の必殺仕事人シリーズです。このドラマは、水戸黄門よりもシリアスです。最初に、水戸黄門を見慣れた人はきっと、びっくりしたはずです。だって、8時45分になったときに、この弱者を救うべく現れる頃だ、と、待っていたあなたに大どんでん返しがあるからです。まず、このドラマでは、8時45分になっても、水戸黄門は現れません。それどころか、8時45分ごろに、この弱者は、殺されます。始末されるのです。

「ええっ!どういうこと!」

そうなのです。救世主は現れません。このリアリズムこそこのドラマの生命線です。そして、弱者がなけなしの、お金を中村主水に預けていたのです。彼らは、その弱者の依頼をうけ、悪代官や、因業な商人、大店の金持ちを殺しに行くのです。
三味線の弦を、口にくわえ、それをぴゅーっと投げて、絞め殺したり、かんざしで、急所をひとさしにしてね。

弱者の救済

弱者は自らの武装能力で、強者を打ち倒すなどという物語は、このなかにはありません。弱者は、よき為政者にお助けいただくよりないのです。それが、果たせない場合、そのときにも、なんらかの救済をどなたかにしていただくのです。これが、これらの物語を貫く構造なのです。

自分で自分を救え!

こうしたメッセージはこの物語にはありません。
悪代官を懲らしめていただく為政者の出現!それは、まさに、武士的階層なのです。彼らとは違う身分の、えらい方に救っていただくという形式がここにつらぬいています。
 いじめをみましょう。
 学校の先生に救っていただきたいのです。なぜ、金八先生がいないのでしょうか?こうした構造が、いじめにはあります。そして、学校が頼りにならず、自らの手で解決するという形式をもたない、日本人の現代の弱者、身分的弱者は最後を自殺という手段で、訴えたあと、マスコミという「仕事人」に、救済を委ねるのです。

それに対して、アメリカはこういうメッセージをおくるのです。

いじめられっ子に銃を!


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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (匿名)
2008-06-15 14:50:08
思わず拍手(笑)
返信する
ありがとうございます (Kimura Masaji)
2008-06-16 16:20:54
匿名様

ありがとうございます。まだ、つづきがありますので、このシリーズを引き続きご愛顧賜りますようお願いいたします。
返信する

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