無校則という原則
単位制高校には、校則がありません。残念ながら、この無校則という原則を理解している教員はほとんど皆無です。
私はそれを売りにすればいいのに、と、思います。教育の世界にもおそらく競争原理が否応なく入るでしょう。そのときに、単位制高校が、差別化できる最大の売りの一つが
校則がない、
という原理をもっていることです。
もちろん、そういう学校へ自分の子弟をやりたくない、という方は選べばよいのです。そうです。単位制へいかせるか、どうかは、究極の選択を行うことになるのです。
校則がない、ということをきくと、痙攣したように、
「無秩序になる」
とお考えになる方は、ご自分がどういう思考をしているか、一度点検された方がいいと思いますね。
公共の福祉
校則というのは、そのほとんどが
「道徳」
に類することです。単位制高校は、そういう次元の指導はしない、ということを宣言しているのです。しかし、それだから、
「何をしてもよい」
のか、というと、そうではありません。
まさに、ここに憲法が国家に要請している原則を、厳守するという使命が浮かび上がってくるのです。
道徳次元のことには、
自己責任原則と自己決定権を認める
この原則は、あくまで、公共の福祉に反しない行為に限るのであって、また、法律違反にならない限りという限界が当然なされるのです。
だから、たとえば、授業を成り立たせる、とか、身体の安心をもって生活する、とかといった最低限度の権利を侵害することはあってはならないのです。そこに対する、保護は学校が果たさねばならない当然の義務です。
しかし、みなさんが、どのような宗教を信じようが、何色の髪の毛にしようが、そこには、学校は介入しないのです。
もちろん、学校は、生徒のみなさんにこう伝えることはします。
一般企業では頭髪の色が、自然なものではない場合は不利になります
と。しかし、
自己決定
には立ち入らないのです。そして、企業や地元の社会にはこういうメッセージを送るべきなのです。
「学校を個人としてみてください。ある特定の個人をもって、学校全体とみないでください。本校は多様をみとめています。多様を前提にしています。だから、本校の個々の生徒を見てください。そして、たとえば、頭髪については、彼らに就職や進学上、不利になることは伝達しています。どうぞ、それは、各企業の趣旨に従って判断をしてください。しかし、個をもって全体とは見ないでいただきたいのです」
小さな政府・地方自治の教育版
なんでもお上にお願いする、ということが、問題になっています。大体、そのお上がいったい何をやっているのだ、と、批判が後を絶ちません。
しかし、なぜか、地方へ行けばいくほど、学校にいまだに、頭髪・服装からはじまった生活指導を求めてきます。
コンビニでの態度がわるい、というので、学校に通報があり、教育委員会へと通報がある、といったことは、日常的です。
学校は教科教育だけに限定する、ということができません。
大体、単位制高校の仕組みでは生徒の個々の行動は把握できません。まさに、自己決定なのです。
詳しくはここでは触れられませんが、単位制高校の仕組み上、個々の生徒が授業へ出ているかどうかも、学校は組織として把握できません。
つまり、
そこについての責任も学校はとれない、
と断定すべきなのです。すべて自己責任なのです。
だから、地域もこう理解すべき、ということになります。
生活マナーで注意を要すると思ったら、どうぞ、みなさんが注意してください。学校は、校則の次元にはタッチしません。
その代わり、授業についての評価は厳然と受けます。
それが、次の続編で私がのべる単位制高校の「自己責任/自己決定」のもう一つの顔なのです。
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