高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

1円ネットワーク

2006-09-04 22:19:50 | 経済分野の授業

『現代社会』『倫理』の経済分野の授業の中でこんな提案をしました。

「1円をください。といって1億人がいらない1円をくれたら、いくらになりますか?
そうです。1億円です。1円をください、といったら、みなさんは僕にくれますか?」

そうしたら、結構多くの人があげる、というのです。

「そうです。僕の授業がよかったら1円でいいのです。1円以上はびた1円いりません。1円かんぱしてください。あ、それから、みなさんもお友達に1円をくれないか?といって、1円をもらってくれませんか?そうして、1円の輪がどこまでつづくか、1円のネットワークをつくってみるのです。これを「1円ネットワーク」と呼びたいと思います。そうです。1円のネットワークを広くつくりましょう。いいですか?あくまで1円です。それも、不要などうでもいい1円です。そうやって、10,000円になるにはどのくらいかかるでしょうねえ?私は前期後期で約220人から230人の生徒さんと接触します。その人たちがさらにお友達をさそい、そのまたお友達を・・・・」

「ためしに、この授業が終わったあと、単純に『1円ください』といって回ったらいくらくらい集まると思いますか?」

みなさんは50円あつまればいいんじゃないか、といっていましたね。僕もそんなものか、と思ったのです。3・4時間目の時間が終わって、僕は廊下で

「1円ください!!」

って賽銭箱のように袋をもって、みなさんに訴えてみたのです。

「いらない1円でけっこうです!1円以上はびた1円いりません」

すると、不思議や不思議、次から次へと1円が放り込まれていくのです。

「ありがとうございます!」

頭をさげるなか、こういう人がでてきました。

「どうして1円がほしいんですか?」

そうです。理由をきいて、理由によって1円を投じようという人が登場するのです。あたりまえです。僕は当初用意した答えを言いました。だって、そういう質問は絶対あるはずだとおもっていましたから。

「株式投資の勉強をしたいと僕の課題研究の生徒がいっています。彼らに実際に投資してもらう原資にさせてもらいます」
僕は、こんな理由では絶対集まらないと奇妙な自信がありました。ま、10円か20円、であつまったら、セブンイレブンのレジにある、あるいはユニセフの募金に入れよう、と思っていたのでした。
しかし、おどろくほどのお金があつまって、たちまち、1円玉がたまっていくのでした。なかには、10円玉をいらないといって放り込んでいたり、
「1円でなければいけませんか?」
という質問もでたりして
「え?」
の世界でした。

この体験の意味するもの

いったい、なぜみなさんはお金をなげたのでしょうか?
いっしょにいた生徒さんはおどろいていました。
「先生だからだよ」
だって、あとから追いかけるようにぼくのところへとくる人がいる始末ですから。
「そうか。みなさんではだめか?」
そうです。ここで考えてみたいのです。
見ず知らずの人にお金を、それもたった1円を落としてもらうのです。これが私が投げた問題なのです。
生徒さんは自分たちでは集まらないといっていました。
そこで考えようではありませんか。見ず知らずの人間があなたにどうしたら1円をおとすのか?1円をください、とどうしたら自然に言うことができるのか?
そうです。それをもっと広げましょう。このネットワークを静岡県という、いや静岡市という、いや、本校の中という限定にしたらどうでしょうか?人はあなたにたった1円をどうしたら落としてくれ、落としてくれつづけるのでしょうか?

ちなみに、9月4日現在、652円たまりました。


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コメント (13)    この記事についてブログを書く
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13 コメント

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Unknown (匿名希望)
2006-04-20 12:26:01
面白いお話だと思います。今日、倫理の授業で先生からそのお話を聞いて帰りのバスや電車の中等でずっとかんがえました…。う~ん、非常に難しい問題です。授業の中で、先生は「無償で」とおっしゃっていましたが、果たして本当に゛無償”で見ず知らずの人に何の理由も無く一円を差し出す事が出来るでしょうか?考えてみた結果、今のところ、私の答えはNOです。ケチと言われればそれまでです。が、やはり人は、それなりの理由が無ければお金というものを上げると言う事は無いに等しいのではないかと思います。よって、理由なく見ず知らずの人に一円もらうと言うのは不可能である、と言うのが私の意見です。
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経済は交換 (木村正司)
2006-04-21 01:23:31
匿名希望さんへ

書き込みありがとうございます。おっしゃるとおり何にもなしには、1円たりとも投げてもらうことはできないでしょうね。この「1円ネットワーク」については、続編を書くつもりでいますので、そちらでまたご意見をいただければと思いますが、じつは、1円たりといえども、やはり何かとの交換がなければ人間って見ず知らずの人にお金は落とさないんではないでしょうかねえ。

さて、私がいま強調しているのは、お互いの関係が「見ず知らず」であること。だから、問題はまず見ず知らずの人にいかに声をかける人間関係にもちこめるのか、というのが、この問題の第一なんです。私も、どうして、私にみんなが1円を落としてくれたのか今ひとつ説明しきれないわけです。でも、生徒のなかで「私じゃおとしてくれない、先生だから落とした」というのはもっと説明を必要とするように見えるのです。

それから、先ほども書きましたが、人は何かとの引き換えなしには1円といえども投げないのではないか、ということですね。じゃあ、あらゆる人に共通な交換物は何か、ということになるわけです。それを交換の対象とするならばみんながおもわず1円を投げる、などというものがあるのか、ってことになるんじゃないですかねえ。匿名希望さんのことばでいえば「それなりの理由が無ければお金というものを上げると言う事は無い」んですよ、やはり。同感です。
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Unknown ()
2006-09-12 14:07:30
1円だから集まるって言うのもあるかもしれないですね。

たとえば募金なんかは料金設定が無いから「どれだけ貧しい方たちに恵んで上げられるか」みたいなへんなプライドなんかがある人なんかいるからたまに1円~10円ばかりが入ってるコンビニのレジの募金箱に1000円札が入ってたりします。

知り合いで静岡県外の高校教師をしてる方は生徒が偶然バイトをしているコンビニに入ってしまって給料日前なのに1000円も募金箱にいれてしまったというはなしをしていました。

料金設定をしていない場合「募金」のようないいことのなかでもランクでわかれてて、もし募金をしてもたかだか5円募金したところで…500円も募金してかっこつけて…となかなかできない場合なんかもあるかもしれません

1円、とはじめから設定していたから別にそれくらいじゃあ全然痛くないし提示された「1円」を払えばいいじゃないか。という事で集まったのかも。





知らない人に恵むばあい

「かっこつけてるのかよ」

「全然面識ない人に募金するなんてうざい」

とおもわれてるんじゃないだろうか

おもわれてたらどうしよう



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つまり・・・・・・・・ (Unknown)
2006-09-13 11:32:09
見知らぬ人に自分を売り込めばいいんじゃないかな?
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つまり・・・・・・見知らぬ人の冷たさ (木村正司)
2006-09-14 20:09:24
見知らぬ人という人間関係をよく考えなければいけないと僕は思います。たとえば、武富士とか、NOVAとかがチラシを配ってます。ティッシュつきのやつを。それを受け取る人はティッシュがついているからかろうじて受け取るのです。人はそう簡単に反応しません。また、そうかんたんに見知らぬ人に売り込むこともできないのではないでしょうか?しかし、神がいるならば、きっとある事柄ならばだれもが1円を投げ、だれもが見知らぬ人に1円を投じてくださいと自然にいえる、そういうことがあると思います。これは概念としては「投資」と呼びたいと僕は思っているのです。投資は、読みと、傾向やといった知見がなくてはできない、そういう意味でただやればできるとは思えないのですが、どうでしょうか?最後に、いま学期末試験中で、コメントできませんでしたことをお詫びします。



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売り込むっていうこと (Unknown)
2006-09-16 10:21:33
売り込むって表現でいいのかわからないんだけど、例えばストリートパフォーマンスがある。楽器を演奏したり、綱渡り、ジャグリング、かなり高度の芸を披露してくれる人もいる。あの人たちは見知らぬ人だ。しかしその芸を見て見ている人はお金を投げるんだ。すばらしいパフォーマンスに対して感謝の気持ちを表したい、つまり、こちらにとってもあの人たちにとっても両方に益がある。

売り込むっていうのは自分にとっても相手にとっても益がなくてはいけないんだ。

木村先生は投資という言葉をつかっているよね。そう投資だってそうだと思うよ。企業の業績のよく、安定していて株価が割安で、配当金があって、株主優待、それから株価の値上がりによる利益こうした投資する側のメリット投資していただく側の企業その両者ともにメリットがあるんだ。

だから、ただの一円といっても、それをどんなことを目的として集めているのか、明確に伝えなくてはいけないし、表示もしなくてはいけない。集める場合は相手にとってのメリットを考えなくてはいけないと思います。
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つけたし (Unknown)
2006-09-16 10:49:28
ただ一方方向のお金集めは2つあると思います。

ひとつは募金です。寄付ともいいます。困っている人を助けるのが目的だったり、団体運営などのためにそれを用いたりします。こちらは慈善的な活動なのに対し、

もうひとつは投機です。自分だけが大儲けしたいという動機、つまり、ギャンブルです。これは誰しもがもっている動機なのですが・・・・・・

もう一度いいますが、両者にとってのメリットを明確にした方がよいのです。
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おっしゃるとおりです (木村正司)
2006-09-16 21:03:52
Unknownさん、できれば、匿名でよいので、お名前をいただきたいですね。呼びようがない(笑)。ま、とりあえず、コメントありがとうございます。で、おっしゃるとおりなのですが、あなたがおあげになられた例はすでに社会で場所を得ているものですよね。僕が書いているのは、学校という社会には、具体的に、いわば公共的に1円を投げてくれ、といえるようなネタがない、っていうことなのです。僕は、そういう意味では学校はやらせの議員のような存在が生徒の世界にはいるけど、本当に、公共と呼べるような生徒のみんなが1円をおもわず自発的に投じたいと思えるような提案をし、それに生徒が応ずるというような生徒の世界の公共事業なり、投資が、まったく思い浮かばないのです。そのくらい、学校は公共なんてことからはなれた場所になっていないか、ということが問題提起なのです。
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1円ネットワークへの協力 (K)
2006-09-25 13:40:22
木村先生こんにちは。はじめまして。

僕は、中3で今度高校受験をするKと申します。先生のところに先日僕のおじいさんから貰った古いコインを送りましたが届きましたでしょうか。どうか役に立てて下さい。

木村先生のブログにあるように、もっと僕等が思いきり失敗できる場所が欲しい。もっと生徒の発言を市場化して、先生がとやかく言えない環境に変化していって欲しいです。そして僕らだって失敗した時にはまた何度でも這いあがって再挑戦できる。そうなったら、もっと真剣に慣れるし、自分の能力を伸ばそうと頑張れるのに。木村先生の考えは他の先生が誰も持っていない素晴らしいものでいっぱいです。どうか、周囲の圧力に負けないでがんばって下さい。応援しています。できれば木村先生のような人が議員になって、もっと力を発揮して欲しいです。

K 

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えっ?本当ですか?! (kimura Masaji)
2006-09-25 20:27:45
■Kさん書き込み、ならびに、激励をいただきましてありがとうございます。それにしても、本当ですか?届いているのかなあコインが!まだ確認していません。■この1円ネットワークという企画はじつは深いものがあります。私もまだまだ先が読めないのです。今後、どんな展開があるか、私も楽しみにしているのです。今後ともよろしくお願いします。

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