『現代社会』『倫理』の経済分野の授業の中でこんな提案をしました。
「1円をください。といって1億人がいらない1円をくれたら、いくらになりますか?
そうです。1億円です。1円をください、といったら、みなさんは僕にくれますか?」
そうしたら、結構多くの人があげる、というのです。
「そうです。僕の授業がよかったら1円でいいのです。1円以上はびた1円いりません。1円かんぱしてください。あ、それから、みなさんもお友達に1円をくれないか?といって、1円をもらってくれませんか?そうして、1円の輪がどこまでつづくか、1円のネットワークをつくってみるのです。これを「1円ネットワーク」と呼びたいと思います。そうです。1円のネットワークを広くつくりましょう。いいですか?あくまで1円です。それも、不要などうでもいい1円です。そうやって、10,000円になるにはどのくらいかかるでしょうねえ?私は前期後期で約220人から230人の生徒さんと接触します。その人たちがさらにお友達をさそい、そのまたお友達を・・・・」
「ためしに、この授業が終わったあと、単純に『1円ください』といって回ったらいくらくらい集まると思いますか?」
みなさんは50円あつまればいいんじゃないか、といっていましたね。僕もそんなものか、と思ったのです。3・4時間目の時間が終わって、僕は廊下で
「1円ください!!」
って賽銭箱のように袋をもって、みなさんに訴えてみたのです。
「いらない1円でけっこうです!1円以上はびた1円いりません」
すると、不思議や不思議、次から次へと1円が放り込まれていくのです。
「ありがとうございます!」
頭をさげるなか、こういう人がでてきました。
「どうして1円がほしいんですか?」
そうです。理由をきいて、理由によって1円を投じようという人が登場するのです。あたりまえです。僕は当初用意した答えを言いました。だって、そういう質問は絶対あるはずだとおもっていましたから。
「株式投資の勉強をしたいと僕の課題研究の生徒がいっています。彼らに実際に投資してもらう原資にさせてもらいます」
僕は、こんな理由では絶対集まらないと奇妙な自信がありました。ま、10円か20円、であつまったら、セブンイレブンのレジにある、あるいはユニセフの募金に入れよう、と思っていたのでした。
しかし、おどろくほどのお金があつまって、たちまち、1円玉がたまっていくのでした。なかには、10円玉をいらないといって放り込んでいたり、
「1円でなければいけませんか?」
という質問もでたりして
「え?」
の世界でした。
この体験の意味するもの
いったい、なぜみなさんはお金をなげたのでしょうか?
いっしょにいた生徒さんはおどろいていました。
「先生だからだよ」
だって、あとから追いかけるようにぼくのところへとくる人がいる始末ですから。
「そうか。みなさんではだめか?」
そうです。ここで考えてみたいのです。
見ず知らずの人にお金を、それもたった1円を落としてもらうのです。これが私が投げた問題なのです。
生徒さんは自分たちでは集まらないといっていました。
そこで考えようではありませんか。見ず知らずの人間があなたにどうしたら1円をおとすのか?1円をください、とどうしたら自然に言うことができるのか?
そうです。それをもっと広げましょう。このネットワークを静岡県という、いや静岡市という、いや、本校の中という限定にしたらどうでしょうか?人はあなたにたった1円をどうしたら落としてくれ、落としてくれつづけるのでしょうか?
ちなみに、9月4日現在、652円たまりました。
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書き込みありがとうございます。おっしゃるとおり何にもなしには、1円たりとも投げてもらうことはできないでしょうね。この「1円ネットワーク」については、続編を書くつもりでいますので、そちらでまたご意見をいただければと思いますが、じつは、1円たりといえども、やはり何かとの交換がなければ人間って見ず知らずの人にお金は落とさないんではないでしょうかねえ。
さて、私がいま強調しているのは、お互いの関係が「見ず知らず」であること。だから、問題はまず見ず知らずの人にいかに声をかける人間関係にもちこめるのか、というのが、この問題の第一なんです。私も、どうして、私にみんなが1円を落としてくれたのか今ひとつ説明しきれないわけです。でも、生徒のなかで「私じゃおとしてくれない、先生だから落とした」というのはもっと説明を必要とするように見えるのです。
それから、先ほども書きましたが、人は何かとの引き換えなしには1円といえども投げないのではないか、ということですね。じゃあ、あらゆる人に共通な交換物は何か、ということになるわけです。それを交換の対象とするならばみんながおもわず1円を投げる、などというものがあるのか、ってことになるんじゃないですかねえ。匿名希望さんのことばでいえば「それなりの理由が無ければお金というものを上げると言う事は無い」んですよ、やはり。同感です。
たとえば募金なんかは料金設定が無いから「どれだけ貧しい方たちに恵んで上げられるか」みたいなへんなプライドなんかがある人なんかいるからたまに1円~10円ばかりが入ってるコンビニのレジの募金箱に1000円札が入ってたりします。
知り合いで静岡県外の高校教師をしてる方は生徒が偶然バイトをしているコンビニに入ってしまって給料日前なのに1000円も募金箱にいれてしまったというはなしをしていました。
料金設定をしていない場合「募金」のようないいことのなかでもランクでわかれてて、もし募金をしてもたかだか5円募金したところで…500円も募金してかっこつけて…となかなかできない場合なんかもあるかもしれません
1円、とはじめから設定していたから別にそれくらいじゃあ全然痛くないし提示された「1円」を払えばいいじゃないか。という事で集まったのかも。
知らない人に恵むばあい
「かっこつけてるのかよ」
「全然面識ない人に募金するなんてうざい」
とおもわれてるんじゃないだろうか
おもわれてたらどうしよう
売り込むっていうのは自分にとっても相手にとっても益がなくてはいけないんだ。
木村先生は投資という言葉をつかっているよね。そう投資だってそうだと思うよ。企業の業績のよく、安定していて株価が割安で、配当金があって、株主優待、それから株価の値上がりによる利益こうした投資する側のメリット投資していただく側の企業その両者ともにメリットがあるんだ。
だから、ただの一円といっても、それをどんなことを目的として集めているのか、明確に伝えなくてはいけないし、表示もしなくてはいけない。集める場合は相手にとってのメリットを考えなくてはいけないと思います。
ひとつは募金です。寄付ともいいます。困っている人を助けるのが目的だったり、団体運営などのためにそれを用いたりします。こちらは慈善的な活動なのに対し、
もうひとつは投機です。自分だけが大儲けしたいという動機、つまり、ギャンブルです。これは誰しもがもっている動機なのですが・・・・・・
もう一度いいますが、両者にとってのメリットを明確にした方がよいのです。
僕は、中3で今度高校受験をするKと申します。先生のところに先日僕のおじいさんから貰った古いコインを送りましたが届きましたでしょうか。どうか役に立てて下さい。
木村先生のブログにあるように、もっと僕等が思いきり失敗できる場所が欲しい。もっと生徒の発言を市場化して、先生がとやかく言えない環境に変化していって欲しいです。そして僕らだって失敗した時にはまた何度でも這いあがって再挑戦できる。そうなったら、もっと真剣に慣れるし、自分の能力を伸ばそうと頑張れるのに。木村先生の考えは他の先生が誰も持っていない素晴らしいものでいっぱいです。どうか、周囲の圧力に負けないでがんばって下さい。応援しています。できれば木村先生のような人が議員になって、もっと力を発揮して欲しいです。
K